難三
魯穆公問於子思曰:「吾聞龐𥼴氏之子不孝,其行奚如?」子思對曰:「君子尊賢以崇德,舉善以觀民。若夫過行,是細人之所識也,臣不知也。」子思出。子服厲伯入見,問龐𥼴氏子,子服厲伯對曰:「其過三。」皆君之所未嘗聞。自是之後,君貴子思而賤子服厲伯也。
魯の穆公が子思に問うた。「私は龐𥼴氏の子が孝でないと聞いたが、その行いはどのようなものか。」子思が答えた。「君子は賢者を尊んで徳を崇び、善き者を挙げて民に示します。あの過ちの行いというようなものは、小人の知るところで、臣は存じません。」子思が退出した。子服厲伯が入って謁見したので、龐𥼴氏の子について問うた。子服厲伯が答えた。「その過ちは三つです。」いずれも君がまだ聞いたことのないものであった。これ以後、君は子思を貴び、子服厲伯を賤しんだ。
或曰:魯之公室,三世劫於季氏,不亦宜乎?明君求善而賞之,求姦而誅之,其得之一也。故以善聞之者,以說善同於上者也;以姦聞之者,以惡姦同於上者也,此宜賞譽之所及也。不以姦聞,是異於上而下比周於姦者也,此宜毁罰之所及也。今子思不以過聞而穆公貴之,厲伯以姦聞而穆公賤之。人情皆喜貴而惡賤,故季氏之亂成而不上聞,此魯君之所以劫也。且此亡王之俗,取、魯之民所以自美,而穆公獨貴之,不亦倒乎?
ある者はこう言う。魯の公室が三代にわたって季氏に脅かされたのは、やはり当然ではないか。賢明な君主は善を求めてそれに賞を与え、邪を求めてそれを誅する。その求め方は一つである。だから善を申し上げる者は、善を喜ぶことを上と同じくする者であり、邪を申し上げる者は、邪を憎むことを上と同じくする者である。これは賞と誉が及ぶべきところである。邪を申し上げないのは、上と異にして下で邪な者と党を組むことである。これは謗りと罰が及ぶべきところである。いま子思は過ちを申し上げなかったのに穆公はこれを貴び、厲伯は邪を申し上げたのに穆公はこれを賤しんだ。人の情はみな貴ばれるのを喜び賤しまれるのを憎むから、季氏の乱れが成っても上に聞こえなかった。これが魯君が脅かされた理由である。しかもこれは滅びた王の風であって、鄒と魯の民が自ら美しいこととしているものである。それを穆公が独り貴んだのだから、やはり逆ではないか。
夾注 1
底本は取だが、鄒(鄒の国)の誤りと見た。 ― 訳者
文公出亡,獻公使寺人披功之蒲城,披斬其袪,文公奔翟。惠公即位,又使功之惠竇,不得也。及文公反國,披求見。公曰:「蒲城之役,君令一宿,而汝即至;惠竇之難,君令三宿,而汝一宿,何其速也?」披對曰:「君令不二。除君之惡,惟恐不堪。蒲人、翟人,余何有焉?今公即位,其無蒲、翟乎?且桓公置射鈎而相管仲。」君乃見之。
文公が亡命していたとき、献公は寺人の披をやって蒲城を攻めさせ、披は文公の袖を斬り、文公は翟へ逃れた。恵公が即位すると、また恵竇で攻めさせたが、捕らえられなかった。文公が国に帰ると、披が謁見を求めた。公が言った。「蒲城の役では、君は一宿おいてと命じたのに、そなたはすぐに着いた。恵竇の難では、君は三宿おいてと命じたのに、そなたは一宿で来た。どうしてそんなに速かったのか。」披が答えた。「君の命に二つはありません。君の憎む相手を除くのに、ただ果たせないことだけを恐れました。蒲の人や翟の人が、私に何のかかわりがありましょう。いま公が即位されたのですから、蒲や翟のようなことがないとは申せません。それに桓公は鉤に射られたことを措いて管仲を相としました。」君はそこで彼に会った。
或曰:齊、晉絶祀,不亦宜乎?桓公能用管仲之功而忘射鈎之怨,文公能聽寺人之言而弃斬祛之罪,桓公、文公能容二子者也。後世之君,明不及二公;後世之臣,賢不如二子。不忠之臣以事不明之君,君不知,則有燕操、子罕、田常之賊;知之,則以管仲、寺人自解。君必不誅而自以爲有桓、文之德,是臣讎而明不能燭,多假之資,自以爲賢而不戒,則雖無後嗣,不亦可乎?且寺人之言也,直飾君令而不貳者,則是貞於君也。死君復生,臣不愧,而後爲貞。今惠公朝卒而暮事文公,寺人之不貳何如?
ある者はこう言う。斉と晋の祭祀が絶えたのは、やはり当然ではないか。桓公は管仲の功を用いて鉤に射られた恨みを忘れることができ、文公は寺人の言を聞いて袖を斬られた罪を捨てることができた。桓公と文公は、この二人を容れることができた者である。後の世の君は明が二公に及ばず、後の世の臣は賢が二人に及ばない。忠でない臣が明らかでない君に仕えるとき、君が気づかなければ燕の操や子罕や田常のような賊が現れ、気づけば管仲や寺人を引いて自ら言い逃れする。君が必ず誅せず、自ら桓公文公の徳があると思い込むなら、それは臣が仇でありながら明がそれを照らせず、多くの資力を貸し与え、自ら賢だと思って戒めないことである。後を継ぐ者がなくなっても、やはり当然ではないか。しかも寺人の言は、ただ君の命を飾り立てて二心がなかったというだけのことで、それならそれは君に対して貞であったことになる。死んだ君が生き返っても臣が恥じないでこそ、はじめて貞となる。いま恵公が朝に没して夕には文公に仕えたのだから、寺人の二心のなさとはどのようなものか。
人有設桓公隱者曰:「一難,二難,三難,何也?」桓公不能對,以告管仲。管仲對曰:「一難也,近優而遠士。二難也,去其國而數之海。三難也,君老而晩置太子。」桓公曰:「善。」不擇日而廟禮太子。
ある者が桓公に謎をかけて言った。「一つの難、二つの難、三つの難とは何でしょうか。」桓公は答えられず、管仲に告げた。管仲が答えた。「一つの難は、芸人を近づけて士を遠ざけることです。二つの難は、その国を離れてたびたび海へ行くことです。三つの難は、君が老いてから遅く太子を立てることです。」桓公が言った。「もっともだ。」そして日を選ばずに廟で太子に礼を行った。
或曰:管仲之射隱,不得也。士之用不在近遠,而俳優侏儒固人主之所與燕也,則近優而遠士而以爲治,非其難者也。夫處勢而不能用其有,而悖不去國,是以一人之力禁一國。以一人之力禁一國者,少能勝之。明能照遠姦而見隱微,必行之令,雖遠於海,内必無變。然則去國之海而不劫殺,非其難者也。楚成王置商臣以爲太子,又欲置公子職,商臣作難,遂弑成王。公子宰,周太子也,公子根有寵,遂以東州反,分而爲兩國。此皆非晩置太子之患也。夫分勢不二,庶孽卑,寵無藉,雖處大臣,晚置太子可也。然則晚置太子,庶孽不亂,又非其難也。物之所謂難者,必借人成勢而勿使侵害己,可謂一難也。貴妾不使二后,二難也。愛孽不使危正適,專聽一臣而不敢偶君,此則可謂三難也。
ある者はこう言う。管仲が謎を当てたのは、当を得ていない。士を用いることは近い遠いにあるのではなく、芸人や小人はもとより君主がともに宴をする者である。芸人を近づけて士を遠ざけながらそれで治まるのなら、それが難しいところではない。そもそも勢に身を置きながら持てるものを使えず、乱れても国を離れられないのは、一人の力で一国を押さえることである。一人の力で一国を押さえる者は、押さえきれる者が少ない。明が遠い邪を照らし隠れた微かなものを見ることができ、必ず行われる令があれば、海に遠く離れていても国内に変事は必ず起こらない。それなら国を離れて海へ行っても脅かされ殺されはしないのだから、それが難しいところではない。楚の成王は商臣を据えて太子とし、さらに公子職を据えようとしたので、商臣は難を起こし、とうとう成王を殺した。公子宰は周の太子であったが、公子根が寵を受け、とうとう東州で背いて、分かれて二つの国となった。これらはいずれも太子を遅く立てた患いではない。そもそも勢を分けて二つにせず、庶子を低く置き、寵愛に拠りどころを与えなければ、大臣の身であろうと、太子を遅く立ててもかまわない。それなら太子を遅く立てても庶子は乱さないのだから、これもまた難しいところではない。事において難しいと言われるのは、必ず人を借りて勢を成しながら、自分を侵し害させないことである。これを一つの難と言える。貴い妾に二人目の后とならせないこと、これが二つの難である。愛する庶子に正嫡を危うくさせず、一人の臣だけに聞きながらその者にあえて君と並び立たせないこと、これが三つの難と言える。
夾注 1
底本は公子宰だが、内儲説下の「公子朝」と同じ人と見られる。 ― 訳者
葉公子高問政於仲尼,仲尼曰:「政在悅近而來遠。」哀公問政於仲尼,仲尼曰:「政在選賢。」齊景公問政於仲尼,仲尼曰:「政在節財。」三公出,子貢問曰:「三公問夫子政一也,夫子對之不同,何也?」仲尼曰:「葉都大而國小,民有背心,故曰『政在悅近而來遠』。魯哀公有大臣三人,外障距諸侯四隣之士,内比周而以愚其君,使宗廟不掃除,社稷不血食者,必是三臣也,故曰『政在選賢』。齊景公築雍門,爲路寢,一朝而以三百乘之家賜者三,故曰『政在節財』。」
葉公子高が仲尼に政を問うと、仲尼が言った。「政は近い者を喜ばせ遠い者を来させることにあります。」哀公が仲尼に政を問うと、仲尼が言った。「政は賢者を選ぶことにあります。」斉の景公が仲尼に政を問うと、仲尼が言った。「政は財を節することにあります。」三公が退出すると、子貢が問うた。「三公が先生にお尋ねになった政は一つなのに、先生のお答えが同じでないのは、なぜですか。」仲尼が言った。「葉は都が大きく国が小さく、民に背く心がある。だから『政は近い者を喜ばせ遠い者を来させることにある』と言った。魯の哀公には大臣が三人あり、外では諸侯や四隣の士を遮り、内では党を組んでその君を愚かにしている。宗廟が掃われず社稷が血祭りを受けられなくなるとすれば、必ずこの三人の臣によってである。だから『政は賢者を選ぶことにある』と言った。斉の景公は雍門を築き路寝を造り、一朝のうちに三百乗の家を賜ったことが三度あった。だから『政は財を節することにある』と言った。」
或曰:仲尼之對,亡國之言也。葉民有倍心,而說之「悅近而來遠」,則是教民懷惠。惠之爲政,無功者受賞,而有罪者免,此法之所以敗也。法敗而政亂,以亂政治敗民,未見其可也。且民有倍心者,君上之明有所不及也。不紹葉公之明,而使之悅近而來遠,是舍吾勢之所能禁而使與下行惠以爭民,非能持勢者也。夫堯之賢,六王之冠也。舜一徙而成邑,而堯無天下矣。有人無術以禁下,恃爲舜而不失其民,不亦無術乎?明君見小姦於微,故民無大謀;行小誅於細,故民無大亂。此謂「圖難於其所易也,爲大者於其所細也」。今有功者必賞,賞者不得君,力之所致也;有罪者必誅,誅者不怨上,罪之所生也。民知誅賞之皆起於身也,故疾功利於業,而不受賜於君。「太上,下智有之。」此言太上之下民無說也,安取懷惠之民?上君之民無利害,說以「悅近來遠」,亦可舍已。
ある者はこう言う。仲尼の答えは、国を失う言である。葉の民に背く心があるのに「近い者を喜ばせ遠い者を来させよ」と説くのは、民に恵みを期待させることを教えることである。恵みで政を行えば、功のない者が賞を受け、罪のある者が免れる。これは法が崩れる元である。法が崩れれば政は乱れる。乱れた政で崩れた民を治めるというのは、それが成りうるのを見たことがない。しかも民に背く心があるのは、君上の明に及ばぬところがあるからである。葉公の明を補わせず、彼に近い者を喜ばせ遠い者を来させようとするのは、自分の勢で禁じられるところを捨てて、下とともに恵みを施して民を争うことであり、勢を保てる者ではない。そもそも堯の賢は六王の第一である。舜が一度移ると邑ができ、堯には天下がなくなった。人に下を禁ずる術がないのに、舜になることを頼みにしてその民を失うまいとするのは、やはり術がないのではないか。賢明な君主は小さな邪を微かなうちに見つけるから、民に大きな謀りがない。小さな誅を些細なうちに行うから、民に大きな乱れがない。これを「難きをその易きところで図り、大なるをその細かなところでなす」と言う。いま功のある者は必ず賞される。賞される者は君から得たのではなく、自分の力が致したものである。罪のある者は必ず誅される。誅される者は上を恨まず、自分の罪が生んだものである。民は誅賞がいずれも自分の身から起こることを知るから、生業で功と利に励み、君から賜り物を受けようとしない。「最上の世では、下は上があることだけを知る」とある。これは最上の世の下にいる民には喜びようがないという意味である。どこから恵みを期待する民を取ってくるのか。上等の君の民には利害がないのだから、「近い者を喜ばせ遠い者を来させよ」という説は、やはり捨ててよい。
哀公有臣外障距内比周以愚其君,而說之以「選賢」,此非功伐之論也,選其心之所謂賢者也。使哀公知三子外障距内比周也,則三子不一日立矣。哀公不知選賢,選其心之所謂賢,故三子得任事。燕子噲賢子之而非孫卿,故身死爲僇;夫差智太宰嚭而愚子胥,故滅於越。魯君不必知賢,而說以選賢,是使哀公有夫差、燕噲之患也。明君不自舉臣,臣相進也;不自賢,功自徇也。論之於任,試之於事,課之於功,故羣臣公政而無私,不隱賢,不進不肖,然則人主奚勞於選賢?
哀公には外で遮り内で党を組んでその君を愚かにする臣があるのに、「賢者を選べ」と説くのは、功績によって論ずることではなく、自分の心で賢いと思う者を選ぶことである。もし哀公が三人が外で遮り内で党を組んでいると知っていたなら、三人は一日も地位にいられなかったであろう。哀公は賢者を選ぶことを知らず、自分の心で賢いと思う者を選んだので、三人は政務を預かることができた。燕の子噲は子之を賢として孫卿を非としたので、身は死んで屍を晒した。夫差は太宰嚭を智として子胥を愚としたので、越に滅ぼされた。魯君が必ず賢者を見分けられるわけでもないのに賢者を選べと説くのは、哀公に夫差や燕の子噲の患いを抱かせることである。賢明な君主は自ら臣を挙げず、臣が互いに進ませる。自ら賢を定めず、功が自ずと巡らせる。任にあたって論じ、事において試し、功で評する。だから臣下は公に政を行って私がなく、賢者を隠さず不肖の者を進めない。それなら君主が賢者を選ぶのに何を労することがあろう。
景公以百乘之家賜,而說以「節財」,是使景公無術以知富之侈,而獨儉於上,未免於貧也。有君以千里養其口腹,則雖桀、紂不侈焉。齊國方三千里而桓公以其半自養,是侈於桀、紂也;然而能爲五霸冠者,知侈儉之地也。爲君不能禁下而自禁者謂之劫,不能飾下而自飾者謂之亂,不節下而自節者謂之貧。明君使人無私,以詐而食者禁;力盡於事、歸利於上者必聞,聞者必賞;汙穢爲私者必知,知者必誅。然,故忠臣盡忠於公,民士竭力於家,百官精尅於上,侈倍景公,非國之患也。然則說之以節財,非其急者也。
景公が百乗の家を賜るのに「財を節せよ」と説くのは、景公に富の奢りを知る術がないまま、ただ上で倹しくさせることで、貧しさを免れない。君が千里の地で自分の口腹を養うなら、桀や紂でもそれより奢ることはできない。斉の国は四方三千里で、桓公はその半分で自分を養った。これは桀紂より奢ったのである。それでも五覇の第一となれたのは、奢りと倹しさの置き所を知っていたからである。君となって下を禁じられずに自分を禁ずるのを脅かされたと言い、下を飾れずに自分を飾るのを乱れと言い、下を節せずに自分を節するのを貧しさと言う。賢明な君主は人に私をさせず、偽りで食う者を禁じる。事に力を尽くし利を上に帰する者は必ず耳に入り、耳に入った者は必ず賞される。汚れて私を図る者は必ず知られ、知られた者は必ず誅される。そうであるから、忠臣は公のことに忠を尽くし、民や士は家で力を尽くし、百官は上のために精励する。奢りが景公の倍であっても、国の患いではない。それなら財を節せよと説くのは、急を要することではない。
夫對三公一言而三公可以無患,知下之謂也。知下明則禁於微,禁於微則姦無積,姦無積則無比周,無比周則公私分,公私分則朋黨散,朋黨散則無外障距内比周之患。知下明則見精沐,見精沐則誅賞明,誅賞明則國不貧。故曰:一對而三公無患,知下之謂也。
そもそも三公に一言で答えて三公が患いなくいられるようにすることは、下を知ることを言う。下を知ることが明らかであれば微かなうちに禁じ、微かなうちに禁じれば邪は積まれず、邪が積まれなければ党を組まず、党を組まなければ公と私が分かれ、公と私が分かれれば朋党は散り、朋党が散れば外で遮り内で党を組む患いはなくなる。下を知ることが明らかであれば精緻で清らかなところまで見え、精緻で清らかなところまで見えれば誅賞が明らかになり、誅賞が明らかになれば国は貧しくならない。だから言う、一度の答えで三公が患いなくいられるのは、下を知ることを言うのである。
鄭子産晨出,過東匠之閭,聞婦人之哭,撫其御之手而聽之。有間,遣吏執而問之,則手絞其夫者也。異日,其御問曰:「夫子何以知之?」子産曰:「其聲懼。凡人於其親愛也,始病而憂,臨死而懼,已死而哀。今哭已死,不哀而懼,是以知其有姦也。」
鄭の子産が明け方に出かけ、東匠の里を通りかかったとき、女の泣き声を聞き、御者の手を押さえてそれに耳を傾けた。しばらくして役人を遣わして捕らえて問わせたところ、手で自分の夫を絞め殺した者であった。別の日、その御者が問うた。「先生はどうしてそれが分かったのですか。」子産が言った。「その声が怖れていた。そもそも人は親しみ愛する者について、はじめ病めば憂え、死に臨めば怖れ、すでに死ねば哀しむ。いますでに死んだ者を泣くのに、哀しまずに怖れていた。それで邪があることが分かったのだ。」
或曰:子産之治,不亦多士乎?姦必待耳目之所及而後知之,則鄭國之得姦者寡矣。不任典成之吏,不察參伍之政,不明度量,恃盡聰明勞智慮而以知姦,不亦無術乎?且夫物衆而智寡,寡不勝衆,智不足以徧知物,故因物以治物。下衆而上寡,寡不勝衆者,言君不足以徧知臣也,故因人以知人。是以形體不勞而事治,智慮不用而姦得。故宋人語曰:「一雀過羿,羿必得之,則羿誣矣。以天下爲之羅,則雀不失矣。」夫知姦亦有大羅,不失其一而已矣。不修其理,而以己之胷察爲之弓矢,則子産誣矣。老子曰:「以智治國,國之賊也。」其子産之謂矣。
ある者はこう言う。子産の治めは、やはり手間が多いのではないか。邪を必ず耳と目の届いたところではじめて知るのなら、鄭の国で邪を掴めることは少ないであろう。裁きを掌る役人に任せず、照らし合わせて調べる政を調べず、度量を明らかにせず、聡明を尽くし智慮を労して邪を知ろうとするのは、やはり術がないのではないか。しかもそもそも物は多く智は少なく、少ないものは多いものに勝てない。智は物をあまねく知るには足りないから、物によって物を治める。下は多く上は少なく、少ないものは多いものに勝てないというのは、君が臣をあまねく知るには足りないという意味であるから、人によって人を知る。それゆえ身体は労せずして事は治まり、智慮を用いずして邪は掴める。だから宋の人の言葉に「一羽の雀が羿の前を過ぎれば羿が必ずこれを射落とすというのなら、それは羿を偽ることである。天下を網とすれば雀は逃さない」とある。そもそも邪を知るにも大きな網があって、ただ一つも逃さないだけのことである。その理を修めずに、自分の胸の内の察しを弓矢とするのなら、子産は偽りである。老子が言った。「智で国を治めるのは、国の賊である。」それが子産を言うのである。
秦昭王問於左右曰:「今時韓、魏孰與始強?」左右對曰:「弱於始也。」「今之如耳、魏齊孰與曩之孟嘗、芒卯?」對曰:「不及也。」王曰:「孟嘗、芒卯率強韓、魏,猶無奈寡人何也。」左右對曰:「甚然。」中期推琴而對曰:「王之料天下過矣。夫六晉之時,知氏最強,滅范、中行而從韓、魏之兵以伐趙,灌以晉水,城之未沈者三板。知伯出,魏宣子御,韓康子爲驂乘。知伯曰:『始吾不知水可以滅人之國,吾乃今知之。汾水可以灌安邑,絳水可以灌平陽。』魏宣子肘韓康子,康子踐宣子之足,肘足接乎車上,而知氏分於晉陽之下。今足下雖強,未若知氏;韓、魏雖弱,未至如其在晉陽之下也。此天下方用肘足之時,願王勿易之也。」
秦の昭王が側近に問うた。「いまの韓と魏は、初めのころと比べてどうか。」側近が答えた。「初めより弱いです。」「いまの如耳と魏斉は、かつての孟嘗君や芒卯と比べてどうか。」答えて言った。「及びません。」王が言った。「孟嘗君や芒卯が強い韓と魏を率いても、やはり寡人をどうすることもできなかった。」側近が答えた。「まったくそのとおりです。」中期が琴を押しのけて答えた。「王が天下をお測りになるのは行き過ぎです。そもそも六晋の時代、智氏が最も強く、范氏と中行氏を滅ぼし、韓と魏の兵を従えて趙を討ち、晋水を注いで、城の沈んでいないところは三板ばかりでした。智伯が出かけるとき、魏の宣子が御し、韓の康子が副馬車に乗りました。智伯が言いました。『初めは私は水で人の国を滅ぼせることを知らなかったが、いまようやく分かった。汾水は安邑を水没させられ、絳水は平陽を水没させられる。』魏の宣子は韓の康子を肘でつき、康子は宣子の足を踏み、肘と足が車上で通じ合って、智氏は晋陽の下で分け取られました。いま陛下は強いといえども智氏には及ばず、韓と魏は弱いといえどもあの晋陽の下にいたときまでには至っておりません。これは天下がまさに肘と足を使う時です。どうか王は軽んじられませぬよう。」
或曰:昭王之問也有失,左右中期之對也有過。凡明主之治國也,任其勢。勢不可害,則雖強天下無奈何也,而況孟嘗、芒卯、韓、魏能奈我何?其勢可害也,則不肖如如耳、魏齊及韓、魏猶能害之。然則害與不侵,在自恃而已矣,奚問乎?自恃其不可侵,則強與弱奚其擇焉?失在不自恃,而問其奈何也,其不侵也幸矣。申子曰:「失之數而求之信,則疑矣。」其昭王之謂也。知伯無度,從韓康、魏宣而圖以水灌滅其國,此知伯之所以國亡而身死,頭爲飲柸之故也。今昭王乃問孰與始強,其畏有水人之患乎?雖有左右,非韓、魏之二子也,安有肘足之事?而中期曰「勿易」,此虚言也。且中期之所官,琴瑟也。絃不調,弄不明,中期之任也,此中期所以事昭王者也。中期善承其任,未慊昭王也,而爲所不知,豈不妄哉?左右對之曰「弱於始」與「不及」則可矣,其曰「甚然」則諛也。申子曰:「治不踰官,雖知不言。」今中期不知而尚言之。故曰:昭王之問有失,左右中期之對皆有過也。
ある者はこう言う。昭王の問いに失があり、側近と中期の答えに過ちがある。そもそも賢明な君主が国を治めるのは、その勢に任せる。勢を害されることがなければ、天下を強くしてもどうすることもできないのだから、まして孟嘗君や芒卯や韓や魏が私をどうできよう。その勢を害されうるのなら、如耳や魏斉のような不肖の者や韓や魏でもやはり害することができる。それなら害されるか侵されないかは、自分を頼みにすることにあるだけで、何を問う必要があろう。自ら侵されようがないことを頼みにするなら、強いか弱いかをどうして択ぶのか。失は自分を頼みにせずに「どうすればよいか」と問うたことにある。侵されずにいるのは運がよいだけである。申子が言った。「数で失っておいて信に求めるのは、疑わしい。」それが昭王を言うのである。智伯は度がなく、韓康子や魏宣子に従って水を注いでその国を滅ぼそうと図った。これが智伯の国が滅び身が死に、頭が酒杯にされた理由である。いま昭王はそこで初めと比べてどちらが強いかを問うたのだから、水をかけられる患いを怖れたのであろうか。側近はいても韓と魏の二人ではないのだから、どこに肘と足のことがあろう。それなのに中期が「軽んじるな」と言ったのは、空言である。しかも中期の官は琴と瑟である。弦が調わず弾き方が明らかでないことが中期の任であり、これが中期が昭王に仕えるところである。中期がその任をよく果たしてさえ昭王を満足させられないのに、知らないことに手を出したのだから、当てがないのではないか。側近が「初めより弱い」「及ばない」と答えたのはよいが、「まったくそのとおりです」と言ったのは諂いである。申子が言った。「治めは官を越えず、知っていても言わない。」いま中期は知らないのに、そのうえ物を言った。だから言う、昭王の問いに失があり、側近と中期の答えにはいずれも過ちがある。
管子曰:「見其可,說之有證;見其不可,惡之有形。賞罰信於所見,雖所不見,其敢爲之乎?見其可,說之無證;見其不可,惡之無形。賞罰不信於所見,而求所不見之外,不可得也。」
管子が言った。「よいところを見れば、喜ぶのに証がある。よくないところを見れば、憎むのに形がある。賞罰が見えるところで信があれば、見えないところであっても、あえてそれをするだろうか。よいところを見ても喜ぶのに証がなく、よくないところを見ても憎むのに形がない。賞罰が見えるところで信がないのに、見えない外のところに求めても、得られはしない。」
或曰:廣廷嚴居,衆人之所肅也;宴室獨處,曾、史之所僈也。觀人之所肅,非行情也。且君上者,臣下之所爲飾也。好惡在所見,臣下之飾姦物以愚其君,必也。明不能燭遠姦,見隱微,而待之以觀飾行,定賞罰,不亦弊乎?
ある者はこう言う。広い庭と厳めしい場は、人々が身を正すところである。宴の部屋や独りでいるところは、曾参や史鰌でも気を緩めるところである。人が身を正すところを見るのは、その実情を見ることではない。しかも君上とは、臣下が飾り立てる相手である。好悪が見えるところにあれば、臣下が邪なことを飾り立ててその君を愚かにするのは、必然である。明が遠い邪を照らし隠れた微かなものを見ることができないのに、飾られた行いを見て賞罰を定めようとするのは、やはり覆われるのではないか。
管子曰:「言於室,滿於室;言於堂,滿於堂,是謂天下王。」
管子が言った。「部屋で言えば部屋いっぱいに満ち、堂で言えば堂いっぱいに満ちる。これを天下の王という。」
或曰:管仲之所謂言室滿室、言堂滿堂者,非特謂遊戲飲食之言也,必謂大物也。人主之大物,非法則術也。法者,編著之圖籍,設之於官府,而布之於百姓者也。術者,藏之於𦙄中,以偶衆端而潜御羣臣者也。故法莫如顯,而術不欲見。是以明主言法,則境内卑賤莫不聞知也,不獨滿於堂;用術,則親受近習莫之得聞也,不得滿室。而管子猶曰「言於室滿室,言於堂滿堂」,非法術之言也。
ある者はこう言う。管仲のいわゆる部屋で言えば部屋に満ち堂で言えば堂に満ちるというのは、ただ遊びや飲食の言を言うのではなく、必ず大事を言うのである。君主の大事とは、法でなければ術である。法とは、文書に編んで記し、官府に置いて百姓に布くものである。術とは、胸の内に蔵して多くの端を照らし合わせ、ひそかに臣下を御するものである。だから法は顕れるに越したことはなく、術は現れることを望まない。それゆえ賢明な君主が法を言えば、領内の身分の低い者まで聞いて知らぬ者はなく、ただ堂に満ちるだけではない。術を用いれば、親しく寵を受け身近に馴れた者でさえ聞くことができず、部屋に満ちることもない。それなのに管子が「部屋で言えば部屋に満ち、堂で言えば堂に満ちる」と言ったのは、法術の言ではない。