いにしえの文 › 韓非子(韓非の書)

難二

韓非子(韓非の書) 韓非子 · 韓非と後学 · 紀元前3世紀 · 段落 15 · 漢字 2,740字 · 朗読 11.0分

韓非子(韓非の書) 法家が一堂に集まった書である。商鞅の法と申不害の術と慎到の勢を、韓非が受け継いで一つに編んだ。人は善だから善なのではなく、悪をなしえないから善であると見て、君主が頼るべきは仁ではなく法と術と勢であると説く。 矛盾がここから出た。貫けない盾と貫けないものがない矛を一緒に売る楚の人の話で、堯と舜をともに称えることはできないことを示し、難勢でもう一度、仁と勢をめぐって同じたとえを挙げる。切り株を守って兎を待った宋の人(守株待兎)と、足を二度切られてはじめて玉と認められた和氏の璧も、この書の話である。 語ることの難しさを扱った説難には、龍の喉の下に逆さに生えた鱗の話がある。君主にもそのような鱗があり、触れれば死ぬというのだが、当の韓非自身が秦で獄に捕らわれて死んだ。 存韓には、韓非が秦王に奉った文と、そのすぐ後に李斯が「韓非は韓のために来た者なので、帰してはならない」と奉った文が並べて収められている。一人を死に追いやった文書が、その人の書に一緒に残った。

景公過晏子,曰:「子宮小,近市,請徙子家豫章之圃。」晏子再拜而辭曰:「且嬰家貧,待市食,而朝暮趨之,不可以遠。」景公笑曰:「子家習市,識貴賤乎?」是時景公繁於刑。晏子對曰:「踴貴而屨賤。」景公曰:「何故?」對曰:「刑多也。」景公造然變色曰:「寡人其暴乎!」於是損刑五。

景公が晏子の家に立ち寄って言った。「そなたの家は狭く、市に近い。そなたの家を予章の菜園に移すことにしたい。」晏子は二度拝して辞し、言った。「嬰の家は貧しく、市に頼って食べております。朝夕そこへ通いますので、遠ざけることはできません。」景公は笑って言った。「そなたの家は市に馴染んでいるのだから、物の高い安いを知っているか。」このとき景公は刑を多く行っていた。晏子が答えた。「義足が高く、履が安いのです。」景公が言った。「どういう理由か。」答えて言った。「刑が多いからです。」景公は顔色を変えて言った。「寡人は荒かったのだな。」そこで刑を五つ減らした。

或曰:晏子之貴踴,非其誠也,欲便辭以止多刑也。此不察治之患也。夫刑當無多,不當無少。無以不當聞,而以太多說,無術之患也。敗軍之誅以千百數,猶北不止;即治亂之刑如恐不勝,而姦尚不盡。今晏子不察其當否,而以太多爲說,不亦妄乎?夫惜草茅者耗禾穗,惠盜賊者傷良民。今緩刑罰,行寛惠,是利姦邪而害善人也,此非所以爲治也。

ある者はこう言う。晏子が義足が高いと言ったのは、その本当のところではなく、都合のよい言い方で刑の多いことをやめさせようとしたのである。これは治めを吟味していない弊害である。そもそも刑は当を得ていれば多すぎることはなく、当を得ていなければ少なすぎることはない。当を得ていないことで申し上げず、多すぎることで説くのは、術のない弊害である。敗軍を誅することが千や百を数えても、それでも敗走は止まらない。乱れを治める刑は追いつかないかと恐れるほどでも、邪はまだ尽きない。いま晏子はそれが当を得ているかどうかを吟味せず、多すぎることを言い立てる。やはり当てがないのではないか。そもそも雑草を惜しむ者は稲の穂を損ない、盗賊に恵みをかける者は良民を傷つける。いま刑罰を緩め、寛やかな恵みを行うのは、邪悪な者を利して善い人を害することであり、これは治めとなる道ではない。

齊桓公飲酒醉,遺其冠,恥之,三日不朝。管仲曰:「此有國之恥也,公胡其不雪之以政?」公曰:「胡其善!」因發倉囷賜貧窮,論囹圄出薄罪。處三日而民歌之曰:「公胡不復遺冠乎!」

斉の桓公が酒を飲んで酔い、その冠をなくして恥じ、三日朝廷に出なかった。管仲が言った。「これは国を持つ者の恥です。公はどうしてそれを政で洗い流されないのですか。」公が言った。「それはよい。」そこで倉を開いて貧しく窮した者に施し、牢を調べて軽い罪の者を出した。三日経つと民が歌った。「公はどうしてまた冠をなくされないのか。」

或曰:管仲雪桓公之恥於小人,而生桓公之恥於君子矣。使桓公發倉囷而賜貧窮,論囹圄而出薄罪,非義也,不可以雪恥;使之而義也,桓公宿義,須遺冠而後行之,則是桓公行義非爲遺冠也?是雖雪遺冠之恥於小人,而亦生遺義之恥於君子矣。且夫發囷倉而賜貧窮者,是賞無功也;論囹圄而出薄罪者,是不誅過也。夫賞無功,則民偷幸而望於上;不誅過,則民不懲而易爲非。此亂之本也,安可以雪恥哉?

ある者はこう言う。管仲は桓公の恥を小人に対しては洗い流したが、桓公の恥を君子に対しては生じさせた。桓公が倉を開いて貧しく窮した者に施し、牢を調べて軽い罪の者を出すことが義でないなら、それで恥を洗い流すことはできない。それが義であるなら、桓公は義を寝かせておいて、冠をなくすのを待ってから行ったのであって、桓公が義を行ったのは冠をなくしたためではないか。これは冠をなくした恥を小人に対しては洗い流しても、義を放っておいた恥を君子に対しては生じさせたのである。しかもそもそも倉を開いて貧しく窮した者に施すのは、功のない者に賞を与えることである。牢を調べて軽い罪の者を出すのは、過ちを誅さないことである。そもそも功のない者に賞を与えれば、民はまぐれを当て込んで上に期待する。過ちを誅さなければ、民は懲りずに容易に悪を行う。これは乱れの根本である。どうして恥を洗い流せよう。

昔者文王侵盂、克莒、舉酆,三舉事而紂惡之。文王乃懼,請入洛西之地、赤壤之國方千里,以請解炮烙之刑。天下皆說。仲尼聞之,曰:「仁哉,文王!輕千里之國而請解炮烙之刑。智哉,文王!出千里之地而得天下之心。」

昔、文王が盂を侵し、莒に勝ち、酆を攻め取った。三度事を起こしたので紂が憎んだ。文王はそこで恐れ、洛の西の地、赤土の国、四方千里を差し出して、炮烙の刑を解くことを願った。天下はみな喜んだ。仲尼がこれを聞いて言った。「仁であるな、文王は。千里の国を軽んじて炮烙の刑を解くことを願った。智であるな、文王は。千里の地を出して天下の心を得た。」

或曰:仲尼以文王爲智也,不亦過乎?夫智者,知禍難之地而辟之者也,是以身不及於患也。使文王所以見惡於紂者,以其不得人心耶,則雖索人心以解惡可也。紂以其大得人心而惡之,己又輕地以收人心,是重見疑也,固其所以桎梏、囚於羑里也。鄭長者有言:「體道,無爲無見也。」此最宜於文王矣,不使人疑之也。仲尼以文王爲智,未及此論也。

ある者はこう言う。仲尼が文王を智とするのは、やはり行き過ぎではないか。そもそも智の者とは、禍と難の場を知ってそれを避ける者であり、それゆえ身は患いに及ばない。もし文王が紂に憎まれた理由が、人の心を得ていなかったことにあるのなら、人の心を求めて憎しみを解くのもよい。だが紂は彼が人の心を大いに得ていたから憎んだのである。それなのに彼はさらに地を軽んじて人の心を集めた。これは疑いを重ねて受けることであり、もとより足枷をはめられ羑里に囚われた理由である。鄭の長者にこういう言葉がある。「道を身とし、無為であって現れない。」これこそ文王に最もふさわしく、人に疑わせないやり方である。仲尼が文王を智とするのは、この論に及んでいない。

晉平公問叔向曰:「昔者齊桓公九合諸侯,一匡天下,不識臣之力也,君之力也?」叔向對曰:「管仲善制割,賔胥無善削縫,隰朋善純緣,衣成,君舉而服之。亦臣之力也,君何力之有?」師曠伏琴而笑之。公曰:「太師奚笑也?」師曠對曰:「臣笑叔向之對君也。凡爲人臣者,猶炮宰和五味而進之君。君弗食,孰敢强之也?臣請譬之:君者壤地也,臣者草木也。必壤地美,然後草木碩大。亦君之力也,臣何力之有?」

晋の平公が叔向に問うた。「昔、斉の桓公は九度諸侯を集め、一度天下を正したが、それは臣の力なのか君の力なのか、分からない。」叔向が答えた。「管仲が裁つのに巧みで、賓胥無が切って縫うのに巧みで、隰朋が縁を取るのに巧みで、衣ができあがると、君はそれを取って着ただけです。やはり臣の力であって、君に何の力がありましょう。」師曠が琴に伏せて笑った。公が言った。「太師はどうして笑うのか。」師曠が答えた。「臣は叔向が君にお答えしたことを笑うのです。そもそも人の臣たる者は、料理人が五味を調えて君に差し上げるようなものです。君が召し上がらなければ、誰があえて強いましょう。臣にたとえさせてください。君は土地であり、臣は草木です。必ず土地が良くあってはじめて草木は大きく育ちます。やはり君の力であって、臣に何の力がありましょう。」

或曰:叔向、師曠之對,皆偏辭也。夫一匡天下,九合諸侯,美之大者也,非專君之力也,又非專臣之力也。昔者宮之奇在虞,僖負羈在曹,二臣之智,言中事,發中功,虞、曹俱亡者,何也?此有其臣而無其君者也。且蹇叔處干而干亡,處秦而秦霸,非蹇叔愚於干而智於秦也,此有君與無君也。向曰「臣之力也」,不然矣。昔者桓公宮中二市,婦閭二百,披髪而御婦人。得管仲,爲五伯長;失管仲、得竪刁而身死,蟲流出户不葬。以爲非臣之力也,且不以管仲爲霸;以爲君之力屯,且不以竪刁爲亂。昔者晉文公慕於齊女而亡歸,咎犯極諫,故使反晉國。故桓公以管仲合,文公以舅犯霸,而師曠曰「君之力也」,又不然矣。凡五霸所以能成功名於天下者,必君臣俱有力焉。故曰:叔向、師曠之對,皆偏辭也。

ある者はこう言う。叔向と師曠の答えは、どちらも一方に偏った言である。そもそも一度天下を正し九度諸侯を集めたことは、美しさの大きなものであって、もっぱら君の力でもなく、またもっぱら臣の力でもない。昔、宮之奇が虞にあり、僖負羈が曹にあって、二人の臣の智は、言えば事に当たり、動けば功に当たったのに、虞も曹もともに滅んだのはなぜか。これはその臣はあってもその君がなかったからである。しかも蹇叔が干にいたときには干が滅び、秦にいたときには秦が覇者となった。蹇叔が干では愚かで秦では智であったのではなく、これは君があるかないかである。叔向が「臣の力だ」と言うのは、そうではない。昔、桓公は宮中に市が二つ、女の小路が二百もあり、髪を解いて婦人を連れていた。管仲を得て五覇の長となり、管仲を失って竪刁を得て身は死に、蛆が戸の外に流れ出るまで葬られなかった。臣の力ではないとするなら、管仲によって覇者となったのでもないことになる。君の力ばかりとするなら、竪刁によって乱れたのでもないことになる。昔、晋の文公は斉の女に心を奪われて帰ることを忘れたが、咎犯が諫めきったので晋の国に帰ることができた。だから桓公は管仲によって諸侯を集め、文公は舅犯によって覇者となったのである。それなのに師曠が「君の力だ」と言うのは、これもまたそうではない。そもそも五覇が天下に功と名を成しえた理由は、必ず君と臣の双方に力があったからである。だから言う、叔向と師曠の答えは、どちらも一方に偏った言である。

齊桓公之時,晉客至,有司請禮。桓公曰「告仲父」者三。而優笑曰:「易哉,爲君!一曰仲父,二曰仲父。」桓公曰:「吾聞君人者勞於索人,佚於使人。吾得仲父已難矣,得仲父之後,何爲不易乎哉?」

斉の桓公の時、晋の客が来て、担当の役人が礼のしかたを願い出た。桓公は「仲父に告げよ」と三度言った。芸人が笑って言った。「気楽なものだ、君というのは。一度目も仲父、二度目も仲父。」桓公が言った。「私はこう聞いている。人の上に立つ者は人を探すのに労し、人を使うのに安らかである、と。私が仲父を得るのはすでに難しかった。仲父を得た後に、どうして気楽でないことがあろうか。」

或曰:桓公之所應優,非君人者之言也。桓公以君人爲勞於索人,何索人爲勞哉?伊尹自以爲宰干湯,百里奚自以爲虜干穆公。虜,所辱也;宰,所羞也。蒙羞辱而接君上,賢者之憂世急也。然則君人者無逆賢而已矣,索賢不爲人主難。且官職,所以任賢也;爵祿,所以賞功也。設官職,陳爵祿,而士自至,君人者奚其勞哉?使人又非所佚也。人主雖使人,必以度量凖之,以刑名參之;以事遇於法則行,不遇於法則止;功當其言則賞,不當則誅。以刑名收臣,以度量凖下,此不可釋也,君人者焉佚哉?

ある者はこう言う。桓公が芸人に応じた言は、人の上に立つ者の言ではない。桓公は君であることを人を探すのに労することだと考えたが、どうして人を探すのが労であろう。伊尹は自ら料理人となって湯に近づき、百里奚は自ら捕虜となって穆公に近づいた。捕虜は辱められるものであり、料理人は恥とされるものである。恥と辱を被ってでも君上に接したのは、賢者が世を憂える気持ちが急だったからである。それなら人の上に立つ者は賢者を拒まないだけでよく、賢者を探すことは君主にとって難しいことではない。しかも官職は賢者に任せるためのものであり、爵禄は功に賞を与えるためのものである。官職を設け爵禄を並べておけば士は自ら来る。人の上に立つ者に何の労があろう。人を使うこともまた安らかなものではない。君主が人を使うにしても、必ず度量でそれを測り、形と名で照らし合わせ、事が法に合えば行わせ、法に合わなければ止め、功がその言に当たれば賞し、当たらなければ誅する。形と名で臣を掴み、度量で下を測る。これは手放すことができない。人の上に立つ者にどうして安らかさがあろう。

索人不勞,使人不佚,而桓公曰「勞於索人,佚於使人」者,不然。且桓公得管仲又不難。管仲不死其君而歸桓公,鮑叔輕官讓能而任之,桓公得管仲又不難,明矣。已得管仲之後,奚遽易哉?管仲非周公旦。周公旦假爲天子七年,成王壯,授之以政,非爲天下計也,爲其職也。夫不奪子而行天下者,必不背死君而事其讎;背死君而事其讎者,必不難奪子而行天下;不難奪子而行天下者,必不難奪其君國矣。管仲,公子糾之臣也,謀殺桓公而不能,其君死而臣桓公,管仲之取舍非周公旦,可知也。若使管仲大賢也,且爲湯、武。湯、武,桀、紂之臣也;桀、紂作亂,湯、武奪之。今桓公以易居其上,是以桀、紂之行居湯、武之上,桓公危矣。若使管仲不肖人也,且爲田常。田常,簡公之臣也,而弑其君。今桓公以易居其上,是以簡公之易居田常之上也,桓公又危矣。管仲非周公旦以明矣,然爲湯、武與田常,未可知也。爲湯、武,有桀、紂之危;爲田、常,有簡公之亂也。已得仲父之後,桓公奚遽易哉?若使桓公之任管仲,必知不欺己也,是知不欺主之臣也。然雖知不欺主之臣,今桓公以任管仲之專借竪刁、易牙,蟲流出户而不葬,桓公不知臣欺主與不欺主已明矣,而任臣如彼其專也,故曰:桓公闇主。

人を探すのは労でなく、人を使うのは安らかでないのに、桓公が「人を探すのに労し、人を使うのに安らかだ」と言ったのは、そうではない。しかも桓公が管仲を得るのもまた難しくなかった。管仲はその君のために死なずに桓公に帰し、鮑叔は官を軽んじて能ある者に譲ってこれに任せた。桓公が管仲を得るのが難しくなかったことは明らかである。すでに管仲を得た後に、どうしてすぐ気楽であろう。管仲は周公旦ではない。周公旦は七年のあいだ天子の代わりを務め、成王が壮年になると政を授けた。天下のために計ったのではなく、その職分だったのである。そもそも子から奪わずに天下を行った者は、必ず死んだ君に背いてその仇に仕えない。死んだ君に背いてその仇に仕える者は、必ず子から奪って天下を行うことを難しがらない。子から奪って天下を行うことを難しがらない者は、必ずその君の国を奪うことを難しがらない。管仲は公子糾の臣であり、桓公を殺すことを謀って果たせず、その君が死ぬと桓公に臣として仕えた。管仲の取捨が周公旦のものでないことは分かる。もし管仲が大いに賢であるなら、やがて湯や武王のようになるだろう。湯と武王は桀と紂の臣であり、桀と紂が乱を起こすと湯と武王がこれを奪った。いま桓公は気楽だと言ってその上にいる。これは桀紂の行いで湯武の上にいることであり、桓公は危うい。もし管仲が不肖の人であるなら、やがて田常のようになるだろう。田常は簡公の臣であって、その君を殺した。いま桓公は気楽だと言ってその上にいる。これは簡公の気楽さで田常の上にいることであり、桓公はまた危うい。管仲が周公旦でないことは明らかだが、湯武となるか田常となるかは分からない。湯武となれば桀紂の危うさがあり、田常となれば簡公の乱れがある。すでに仲父を得た後に、桓公はどうしてすぐ気楽であろう。もし桓公が管仲に任せたのは必ず自分を欺かないと知っていたからだというのなら、それは主君を欺かない臣を見分けられるということである。しかし主君を欺かない臣を見分けられたとしても、いま桓公は管仲に任せたのと同じほど専一に竪刁と易牙に委ね、蛆が戸の外に流れ出るまで葬られなかった。桓公が臣が主君を欺くか欺かないかを見分けられなかったことはすでに明らかであるのに、臣に任せることはあれほど専一であった。だから言う、桓公は暗い君主である。

李克治中山,苦陘令上計而入多。李克曰:「語言辨,聽之說,不度於義,謂之窕言。無山林澤谷之利而入多者,謂之窕貨。君子不聽窕言,不受窕貨。子姑免矣。」

李克が中山を治めていたとき、苦陘の令が会計を上げたが、収入が多かった。李克が言った。「言葉が巧みで、聞いて心地よいが、義で測っていないものを、度を越した言という。山林や沢谷の利がないのに収入が多いものを、度を越した財という。君子は度を越した言を聞かず、度を越した財を受け取らない。そなたはしばらく退がれ。」

或曰:李子設辭曰:「夫言語辨,聽之說,不度於義者,謂之窕言。」辯在言者,說在聽者,言非聽者也。所謂不度於義,非謂聽者,必謂所聽也。聽者,非小人則君子也。小人無義,必不能度之義也;君子度之義,必不肯說也。夫曰「言語辯,聽之說,不度於義」者,必不誠之言也。入多之爲窕貨也,未可遠行也。李子之姦弗蚤禁,使至於計,是遂過也。無術以知而入多,入多者,穰也,雖倍入,將奈何?舉事慎陰陽之和,種樹節四時之適,無早晚之失、寒温之災,則入多。不以小功妨大務,不以私欲害人事,丈夫盡於耕農,婦人力於織紝,則入多。務於畜養之理,察於土地之宜,六畜遂,五穀殖,則入多。明於權計,審於地形、舟車、機械之利,用力少,致功大,則入多。利商市關梁之行,能以所有致所無,客商歸之,外貨留之,儉於財用,節於衣食,宮室器械周於資用,不事玩好,則入多。入多,皆人爲也。若天事,風雨時,寒温適,土地不加大,而有豐年之功,則入多。人事、天功二物者皆入多,非山林澤谷之利也。夫無山林澤谷之利入多,因謂之窕貨者,無術之言也。

ある者はこう言う。李子は言を立てて「そもそも言葉が巧みで、聞いて心地よいが、義で測っていないものを、度を越した言という」と言った。巧みさは言う者にあり、心地よさは聞く者にあり、言は聞く者ではない。いわゆる義で測っていないというのは、聞く者を言うのではなく、必ず聞かれる内容を言うのである。聞く者は小人でなければ君子である。小人には義がないから、必ずそれを義で測ることができない。君子はそれを義で測るから、必ず心地よいとは思わない。そもそも「言葉が巧みで、聞いて心地よいが、義で測っていない」というのは、必ず誠のない言である。収入が多いことを度を越した財とするのは、遠くまで押し通せる論ではない。李子はその邪を早く禁じず、会計の段まで至らせた。これは過ちを成したのである。術もないのに知ったつもりで収入が多いと言うが、収入が多いのは豊作である。倍の収入があったとして、どうしようというのか。事を起こすのに陰陽の調和を慎み、植え育てるのに四季の適を守って、早すぎ遅すぎの失も寒暖の災いもなければ、収入は多い。小さな功で大きな務めを妨げず、私の欲で人の仕事を害さず、男は耕作に力を尽くし、女は機織りに励めば、収入は多い。家畜を養う理に努め、土地の適性をよく調べ、六畜が育ち五穀が実れば、収入は多い。はかりと計算に明るく、地形や舟車や機械の利をよく調べ、力を少なく使って功を大きく成せば、収入は多い。市や関所や橋の行き来を便にし、あるもので無いものを呼び込み、行商が集まり外の財が留まるようにし、財の使い方に倹しく、衣食に節度があり、住まいや器具が用に行き渡って、玩び物を事としなければ、収入は多い。収入が多いのはみな人のなすことである。天の働きで言えば、風雨が時を得、寒暖が適って、土地が広がらなくても豊年の功があれば、収入は多い。人の仕事と天の功の二つがいずれも収入を多くするのであって、山林や沢谷の利ではない。そもそも山林や沢谷の利がないのに収入が多いからといって、それを度を越した財と言うのは、術のない言である。

趙簡子圍衛之郛郭,犀楯、犀櫓,立於矢石之所不及,鼓之而士不起。簡子投枹曰:「烏乎!吾之士數弊也。」行人燭過免胄而對曰:「臣聞之:亦有君之不能耳,士無弊者。昔者吾先君獻公并國十七,服國三十八,戰十有二勝,是民之用也。獻公沒,惠公即位,淫衍暴亂,身好玉女,秦人恣侵,去絳十七里,亦是人之用也。惠公沒,文公授之,圍衛,取鄴,城濮之戰,五敗荊人,取尊名於天下,亦此人之用也。亦有君不能耳,士無弊也。」簡子乃去楯、櫓,立矢石之所及,鼓之而士乘之,戰大勝。簡子曰:「與吾得革車千乘,不如聞行人燭過之一言也。」

趙の簡子が衛の外郭を囲み、犀皮の盾と大盾を連ねて矢石の届かぬところに立ち、鼓を打ったが兵は立ち上がらなかった。簡子は撥を投げて言った。「ああ、わが兵はたびたび疲れきったか。」行人の燭過が兜を外して答えた。「臣はこう聞いております。ただ君が能くないということがあるだけで、疲れきった兵というものはない、と。昔、わが先君の献公は十七の国を併せ、三十八の国を服し、戦って十二度勝ちました。これはこの民を用いたのです。献公が没して恵公が即位し、淫らで荒く乱れ、自ら女を好んだので、秦の人が恣に侵して絳から十七里のところまで来ました。これもまたこの人々を用いたのです。恵公が没して文公が継ぎ、衛を囲んで鄴を取り、城濮の戦で楚の人を五度破り、天下に尊い名を得ました。これもまたこの人々を用いたのです。やはり君が能くないということがあるだけで、兵が疲れきったのではありません。」簡子はそこで盾と大盾を捨て、矢石の届くところに立って鼓を打つと、兵は城壁に上がり、戦って大いに勝った。簡子が言った。「革車千乗を得るよりも、行人燭過の一言を聞くほうがよい。」

或曰:行人未有以說也,乃道惠公以此人是敗,文公以此人是霸,未見所以用人也。簡子未可以速去盾、櫓也。嚴親在圍,輕犯矢石,孝子之所以愛親也。孝子愛親,百數之一也。今以爲身處危而人尚可戰,是以百族之子於上皆若孝子之愛親也,是行人之誣也。好利惡害,夫人之所有也。賞厚而信,人輕敵矣;刑重而必,夫人不北矣。長行徇上,數百不一人;喜利畏罪,人莫不然。將衆者不出乎莫不然之數,而道乎百無一人之行,行人未知用衆之道也。

ある者はこう言う。行人は何も説いていない。恵公はこの人々で敗れ、文公はこの人々で覇者となったと語っただけで、人を用いる道は示していない。簡子は盾と大盾を急いで捨ててよいものではなかった。厳しい親が囲みの中にあれば、矢石を軽んじて身をさらすのは、孝子が親をいとおしむがゆえである。孝子が親をいとおしむのは、百人に一人である。いま身が危ういところに置かれれば人はそれでも戦えるとするのは、百の氏族の子が上に対してみな孝子が親をいとおしむようであるとすることで、これは行人の偽りである。利を好み害を憎むのは、そもそも人に備わるものである。賞が厚く信があれば人は敵を軽んじ、刑が重く必ず行われれば人は敗走しない。行いを全うして上のために死ぬのは数百人に一人もおらず、利を喜び罪を恐れるのは人として誰もがそうである。衆を率いる者が、誰もがそうであるという数を離れて、百人に一人もない行いを説く。行人は衆を用いる道を知らなかったのである。