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八説八說

韓非子(韓非の書) 韓非子 · 韓非と後学 · 紀元前3世紀 · 段落 12 · 漢字 1,945字 · 朗読 7.8分

韓非子(韓非の書) 八說 法家が一堂に集まった書である。商鞅の法と申不害の術と慎到の勢を、韓非が受け継いで一つに編んだ。人は善だから善なのではなく、悪をなしえないから善であると見て、君主が頼るべきは仁ではなく法と術と勢であると説く。 矛盾がここから出た。貫けない盾と貫けないものがない矛を一緒に売る楚の人の話で、堯と舜をともに称えることはできないことを示し、難勢でもう一度、仁と勢をめぐって同じたとえを挙げる。切り株を守って兎を待った宋の人(守株待兎)と、足を二度切られてはじめて玉と認められた和氏の璧も、この書の話である。 語ることの難しさを扱った説難には、龍の喉の下に逆さに生えた鱗の話がある。君主にもそのような鱗があり、触れれば死ぬというのだが、当の韓非自身が秦で獄に捕らわれて死んだ。 存韓には、韓非が秦王に奉った文と、そのすぐ後に李斯が「韓非は韓のために来た者なので、帰してはならない」と奉った文が並べて収められている。一人を死に追いやった文書が、その人の書に一緒に残った。

爲故人行私謂之「不弃」,以公財分施謂之「仁人」,輕祿重身謂之「君子」,枉法曲親謂之「有行」,弃官寵交謂之「有俠」,離世遁上謂之「高傲」,交爭逆令謂之「剛材」,行惠取衆謂之「得民」。不弃者,吏有姦也;仁人者,公財損也;君子者,民難使也;有行者,法制毁也;有俠者,官職曠也;高傲者,民不事也;剛材者,令不行也;得民者,君上孤也。此八者,匹夫之私譽,人主之大敗也。反此八者,匹夫之私毁,人主之公利也。人主不察社稷之利害,而用匹夫之私譽,索國之無危亂,不可得矣。

旧友のために私を行うのを「見捨てない」と言い、公の財を分け与えるのを「仁の人」と言い、禄を軽んじ身を重んじるのを「君子」と言い、法を曲げて親しい者に撓むのを「行いがある」と言い、官を捨てて交わりをいとおしむのを「俠がある」と言い、世を離れて上から逃れるのを「高く超然としている」と言い、争って令に逆らうのを「剛の材」と言い、恵みを施して衆を得るのを「民を得た」と言う。見捨てない者は、官吏に邪があることである。仁の人は、公の財が減ることである。君子は、民が使いにくくなることである。行いがある者は、法制が崩れることである。俠がある者は、官職が空くことである。高く超然とした者は、民が務めなくなることである。剛の材は、令が行われなくなることである。民を得た者は、君上が孤立することである。この八つは、匹夫の私の誉れであり、君主の大きな失敗である。この八つを裏返せば、匹夫の私の謗りであり、君主の公の利である。君主が社稷の利害を吟味せず、匹夫の私の誉れを用いながら、国に危うさも乱れもないことを求めても、得られはしない。

任人以事,存亡治亂之機也,無術以任人,無所任而不敗。人君之所任,非辯智則修潔也。任人者,使有勢也。智士者未必信也,爲多其智,因惑其信也。以智士之計,處乘勢之資而爲其私急,則君必欺焉。爲智者之不可信也,故任修士者,使斷事也。修士者未必智,爲潔其身、因惑其智。以愚人之所惽,處治事之官而爲其所然,則事必亂矣。故無術以用人,任智則君欺,任修則君事亂,此無術之患也。明君之道,賤德議貴,下必坐上,決誠以參,聽無門户,故智者不得詐欺。計功而行賞,程能而授事,察端而觀失,有過者罪,有能者得,故愚者不任事。智者不敢欺,愚者不得斷,則事無失矣。

人に事を任せることは、存亡と治乱の要である。術なしに人に任せれば、任せるものがことごとく崩れる。人の君が任せる相手は、弁と智のある者か、身を修めて潔い者である。人に任せるとは、勢を持たせることである。智のある士は必ずしも信があるわけではないのに、その智が多いことで、君はその信までも惑わされる。智ある士の計で、勢に乗る資力の場に身を置いて自分の私を急げば、君は必ず欺かれる。智ある者は信じられないとして、身を修めた士に任せて事を断じさせる。身を修めた士は必ずしも智があるわけではないのに、その身が潔いことで、君はその智までも惑わされる。愚かな人が暗いところで、事を治める官に身を置いて自分が正しいと思うままに行えば、事は必ず乱れる。だから術なしに人を用いれば、智ある者に任せて君は欺かれ、身を修めた者に任せて君の事は乱れる。これが術のない弊害である。賢明な君主の道は、徳を賤しみ貴さを論じ、下は必ず上に連座し、誠を照らし合わせることで断じ、聞くことに特定の門戸がない。だから智ある者も偽り欺くことができない。功を数えて賞を行い、能を測って事を授け、端緒を調べて失を見る。過ちのある者は罪し、能のある者は得る。だから愚かな者は事を任されない。智ある者があえて欺かず、愚かな者が断じられなければ、事に失はない。

察士然後能知之,不可以爲令,夫民不盡察。賢者然後能行之,不可以爲法,夫民不盡賢。楊朱、墨翟,天下之所察也,干世亂而卒不決,雖察而不可以爲官職之令。鮑焦、華角,天下之所賢也,鮑焦木枯,華角赴河,雖賢不可以爲耕戰之士。故人主之所察,智士盡其辯焉;人主之所尊,能士能盡其行焉。今世主察無用之辯,尊遠功之行,索國之富強,不可得也。博習辯智如孔、墨,孔、墨不耕耨,則國何得焉?修孝寡欲如曾、史,曾、史不戰攻,則國何利焉?匹夫有私便,人主有公利。不作而養足,不仕而名顯,此私便也;息文學而明法度,塞私便而一功勞,此公利也。錯法以道民也,而又貴文學,則民之所師法也疑;賞功以勸民也,而又尊行修,則民之産利也惰。夫貴文學以疑法,尊行修以貳功,索國之富強,不可得也。

よく吟味する士でなければ分からないものは、令とすることができない。民はみなが吟味できるわけではない。賢者でなければ行えないものは、法とすることができない。民はみなが賢いわけではない。楊朱と墨翟は天下が吟味に長けると認める者であるが、世の乱れに遭いながらついに決着をつけられなかった。吟味に長けていても、官職の令とすることはできない。鮑焦と華角は天下が賢と認める者であるが、鮑焦は木のように枯れて死に、華角は河に身を投げた。賢であっても、耕し戦う士とすることはできない。だから君主が吟味するところには智ある士がその弁を尽くし、君主が尊ぶところには能ある士がその行いを尽くす。いま世の主君が役に立たぬ弁を吟味し、功から遠い行いを尊びながら国の富強を求めても、得られはしない。博く修め弁と智があることが孔子や墨子のようであっても、孔子や墨子が耕し草を取らなければ、国は何を得るのか。孝を修め欲が少ないことが曾参や史鰌のようであっても、曾参や史鰌が戦い攻めなければ、国は何を利するのか。匹夫には私の便があり、君主には公の利がある。働かずに養いが足り、仕えずに名が顕れるのは私の便である。学問を止めて法度を明らかにし、私の便を塞いで功と労を一つにするのは公の利である。法を立てて民を導くのに、そのうえ学問を貴べば、民が師とし倣うべきものが疑わしくなる。功に賞を与えて民を励ますのに、そのうえ行いを修めることを尊べば、民は利を生むことに怠ける。そもそも学問を貴んで法を疑わしくし、行いを修めることを尊んで功を二つにしながら国の富強を求めても、得られはしない。

搢笏干戚,不適有方鐵銛;登降周旋,不逮日中奏百;《貍首》射侯,不當強弩趨發;干城距衝,不若堙穴伏櫜。古人亟於德,中世逐於智,當今爭於力。古者寡事而備簡,樸陋而不盡,故有珧銚而推車者。古者人寡而相親,物多而輕利易讓,故有揖讓而傳天下者。然則行揖讓,高慈惠,而道仁厚,皆推政也。處多事之時,用寡士之器,非智者之備也;當大爭之世,而循揖讓之軌,非聖人之治也。故智者不乘推車,聖人不行推政也。

笏を挿し盾と斧を執るのは、角のある鉄の刃先に及ばない。昇り降りし旋回する礼は、真昼に百度進むことに及ばない。『貍首』に合わせて的を射るのは、強い弩を速く射ることに当たらない。盾と城で衝車を防ぐのは、穴を埋め袋を負って伏せることに及ばない。古の人は徳に急ぎ、中ほどの世は智を追い、今は力を争う。古は事が少なく備えも簡素で、素朴で粗く行き届かなかった。だから貝の鍬で車を押す者もあった。古は人が少なくて互いに親しく、物が多くて利を軽んじ譲りやすかった。だから揖し譲って天下を伝えた者もあった。それなら揖し譲ることを行い、慈しみと恵みを高くし、仁と厚さを説くのは、みな押し車の政である。事の多い時にあって事の少ない時の器を用いるのは、智ある者の備えではない。大いに争う世に当たって揖し譲る軌道に沿うのは、聖人の治めではない。だから智ある者は押し車に乗らず、聖人は押し車の政を行わない。

法所以制事,事所以名功也。法有立而有難,權其難而事成,則立之;事成而有害,權其害而功多,則爲之。無難之法,無害之功,天下無有也。是以拔千丈之都,敗十萬之衆,死傷者軍之乘,甲兵折挫,士卒死傷,而賀戰勝得地者,出其小害、計其大利也。夫沐者有弃髪,除者傷血肉。爲人見其難,因釋其業,是無術之士也。先聖有言曰:「規有摩而水有波,我欲更之,無奈之何!」此通權之言也。是以說有必立而曠於實者,言有辭拙而急於用者。故聖人不求無害之言,而務無易之事。人之不事衡石者,非貞廉而遠利也,石不能爲人多少,衡不能爲人輕重,求索不能得,故人不事也。明主之國,官不敢枉法,吏不敢爲私利,貨賂不行,是境内之事盡如衡石也。此其臣有姦者必知,知者必誅。是以有道之主,不求清潔之吏,而務必知之術也。

法は事を制する元であり、事は功に名を与える元である。法に立てるものがあれば難がある。その難をはかって事が成るなら、それを立てる。事が成れば害がある。その害をはかって功が多いなら、それを行う。難のない法、害のない功は、天下にありはしない。それゆえ千丈の都を抜き十万の衆を破るとき、死傷する者は軍の幾重にもなり、甲や兵器は折れ砕け、兵卒は死傷するのに、それでも戦に勝って地を得たことを祝うのは、その小さな害を差し出してその大きな利を計算するからである。そもそも髪を洗う者には抜ける髪があり、治療する者は血肉を傷つける。人がその難を見て、そのまま業を放り出せば、それは術のない士である。先の聖人がこう言った。「コンパスには磨れがあり、水には波がある。私が変えようとしても、どうしようもない。」これは権に通じた言である。それゆえ説には必ず立つが実から遠いものがあり、言には言い回しが拙いが用に急なものがある。だから聖人は害のない言を求めず、変えようのない事に努める。人が秤や分銅を相手にしないのは、貞で廉で利を遠ざけるからではない。分銅は人のために多くも少なくもできず、秤は人のために軽くも重くもできず、求めても得られないから、人は相手にしないのである。賢明な君主の国では、官はあえて法を曲げず、吏はあえて私の利を図らず、賄賂は行われない。これは領内の事がすべて秤と分銅のようだということである。その臣に邪な者があれば必ず知られ、知られれば必ず誅される。それゆえ道のある主君は、清く潔い吏を求めず、必ず知りうる術に努める。

慈母之於弱子也,愛不可爲前。然而弱子有僻行,使之隨師;有惡病,使之事醫。不隨師則陷於刑,不事醫則疑於死。慈母雖愛,無益於振刑救死,則存子者非愛也。子母之性,愛也;臣主之權,筴也。母不能以愛存家,君安能以愛持國?明主者通於富强,則可以得欲矣。故謹於聽治,富强之法也。明其法禁,察其謀計。法明則内無變亂之患,計得則外無死虜之禍。故存國者,非仁義也。仁者,慈惠而輕財者也;暴者,心毅而易誅者也。慈惠則不忍,輕財則好與。心毅則憎心見於下,易誅則妄殺加於人。不忍則罰多宥赦,好與則賞多無功。憎心見則下怨其上,妄誅則民將背叛。故仁人在位,下肆而輕犯禁法,偷幸而望於上;暴人在位,則法令妄而臣主乖,民怨而亂心生。故曰:仁暴者,皆亡國者也。

慈しみ深い母が弱い子に対して、愛に勝るものはない。それでも弱い子に偏った行いがあれば師に従わせ、悪い病があれば医者に診させる。師に従わなければ刑に陥り、医者に診させなければ死に近づく。慈しみ深い母がいとおしんでも、刑を振り払い死を救うのに益はない。子を生かすのは愛ではない。子と母の性は愛であり、臣と主のはかりは策である。母が愛で家を保てないのに、君がどうして愛で国を保てよう。賢明な君主は富強に通じれば、望むものを得られる。だから慎んで治めに耳を傾けることが、富強の法である。その法と禁を明らかにし、その謀と計を吟味する。法が明らかであれば内に変事と乱れの患いがなく、計が当たれば外に死と捕囚の禍がない。だから国を保つのは仁義ではない。仁の者は慈しみ恵み深く財を軽んじる者であり、暴の者は心が激しく誅を軽んじる者である。慈しみ恵み深ければ忍びなくなり、財を軽んじれば与えることを好む。心が激しければ憎む心が下に見え、誅を軽んじれば当てのない殺しが人に加わる。忍びなくなれば罰に赦しや大目が多くなり、与えることを好めば賞に功のない者が多くなる。憎む心が見えれば下はその上を恨み、当てもなく誅せば民はやがて背き叛く。だから言う、仁も暴も、いずれも国を滅ぼすものである。

不能具美食而勸餓人飯,不爲能活餓者也;不能辟草生粟而勸貸施賞賜,不能爲富民者也。今學者之言也,不務本作而好末事,知道虚聖以說民,此勸飯之說。勸飯之說,明主不受也。

良い食を用意できないのに飢えた人に飯を食えと勧めるのは、飢えた者を生かせることではない。草を開いて粟を生やせないのに、貸し与え施し賞を与えることを勧めるのは、民を富ませられることではない。いま学者の言は、根本の働きに努めず末の事を好み、空しく聖らしい道を知って民に説く。これは飯を勧める説である。飯を勧める説は、賢明な君主は受け入れない。

書約而弟子辯,法省而民訟簡,是以聖人之書必著論,明主之法必詳盡事。盡思慮,揣得失,智者之所難也;無思無慮,挈前言而責後功,愚者之所易也。明主慮愚者之所易,不責智者之所難,故智慮力勞不用而國治也。

書が簡略であれば弟子は言い争い、法が省かれていれば民の訴えは頻りになる。それゆえ聖人の書は必ず論を顕し、賢明な君主の法は必ず事を詳しく尽くす。思いを尽くし得失をはかることは智ある者でも難しいところであり、思いも考えもなしに前の言を取り押さえて後の功を責めることは愚かな者でも容易なところである。賢明な君主は愚かな者でも容易なところを考え、智ある者でも難しいところを責めない。だから智と考えと力の労を用いずして国は治まる。

酸甘鹹淡,不以口斷而決於宰尹,則廚人輕君而重於宰尹矣。上下清濁,不以耳斷而決於樂正,則瞽工輕君而重於樂正矣。治國是非,不以術斷而決於寵人,則臣下輕君而重於寵人矣。人主不親觀聽,而制斷在下,託食於國者也。

酸い・甘い・塩辛い・淡いを自分の口で断ぜずに料理頭に決めさせれば、料理人は君を軽んじて料理頭を重んじる。音の高低と清濁を自分の耳で断ぜずに楽正に決めさせれば、目の見えない楽人は君を軽んじて楽正を重んじる。国の治めの是非を術で断ぜずに寵愛する者に決めさせれば、臣下は君を軽んじて寵愛する者を重んじる。君主が自ら見聞きせず、制と断が下にあるのなら、それは国に食を寄せている者である。

夾注 1

底本は瞽工なので、目の見えない楽人と訳した。 ― 訳者

使人不衣不食而不饑不寒,又不惡死,則無事上之意。意欲不宰於君,則不可使也。今生殺之柄在大臣,而主令得行者,未嘗有也。虎豹必不用其爪牙而與鼷鼠同威,萬金之家必不用其富厚而與監門同資。有土之君,說人不能利,惡人不能害,索人欲畏重己,不可得也。

人を、着なくても食べなくても飢えず寒がらず、そのうえ死を憎まないようにさせれば、上に仕える気持ちはなくなる。意と欲が君に握られていなければ、使うことはできない。いま生殺の権柄が大臣にあって、主君の令が行われたことは、いまだかつてない。虎や豹が必ずその爪と牙を使わなければ、鼷鼠と威が同じになり、万金の家が必ずその富と厚みを使わなければ、門番と資力が同じになる。土地を持つ君が、人を喜んでも利してやれず、人を憎んでも害を加えられないのに、人が自分を畏れ重んじることを求めても、得られはしない。

人臣肆意陳欲曰俠,人主肆意陳欲曰亂;人臣輕上曰驕,人主輕下曰暴。行理同實,下以受譽,上以得非。人臣大得,人主大亡。

臣下が意を恣にし欲を並べるのを俠と言い、君主が意を恣にし欲を並べるのを乱と言う。臣下が上を軽んじるのを驕と言い、君主が下を軽んじるのを暴と言う。行いの理も実も同じなのに、下はそれで誉れを受け、上はそれで非を得る。臣下は大いに得、君主は大いに失う。

明主之國,有貴臣,無重臣。貴臣者,爵尊而官大也;重臣者,言聽而力多者也。明主之國,遷官襲級,官爵受功,故有貴臣。言不度行而有僞,必誅,故無重臣也。

賢明な君主の国には貴い臣があり、権勢の重い臣はいない。貴い臣とは爵が尊く官が大きい者であり、権勢の重い臣とは言が聞かれ力が多い者である。賢明な君主の国では、官を移すには等級を踏み、官爵は功によって受ける。だから貴い臣がある。言が行いに合わず偽りがあれば必ず誅される。だから権勢の重い臣はいない。