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顕学顯學

韓非子(韓非の書) 韓非子 · 韓非と後学 · 紀元前3世紀 · 段落 11 · 漢字 2,324字 · 朗読 9.3分

韓非子(韓非の書) 顯學 法家が一堂に集まった書である。商鞅の法と申不害の術と慎到の勢を、韓非が受け継いで一つに編んだ。人は善だから善なのではなく、悪をなしえないから善であると見て、君主が頼るべきは仁ではなく法と術と勢であると説く。 矛盾がここから出た。貫けない盾と貫けないものがない矛を一緒に売る楚の人の話で、堯と舜をともに称えることはできないことを示し、難勢でもう一度、仁と勢をめぐって同じたとえを挙げる。切り株を守って兎を待った宋の人(守株待兎)と、足を二度切られてはじめて玉と認められた和氏の璧も、この書の話である。 語ることの難しさを扱った説難には、龍の喉の下に逆さに生えた鱗の話がある。君主にもそのような鱗があり、触れれば死ぬというのだが、当の韓非自身が秦で獄に捕らわれて死んだ。 存韓には、韓非が秦王に奉った文と、そのすぐ後に李斯が「韓非は韓のために来た者なので、帰してはならない」と奉った文が並べて収められている。一人を死に追いやった文書が、その人の書に一緒に残った。

世之顯學,儒、墨也。儒之所至,孔丘也;墨之所至,墨翟也。自孔子之死也,有子張之儒,有子思之儒,有顔氏之儒,有孟氏之儒,有漆雕氏之儒,有仲良氏之儒,有孫氏之儒,有樂正氏之儒。自墨子之死也,有相里氏之墨,有相夫氏之墨,有鄧陵氏之墨。故孔、墨之後,儒分爲八,墨離爲三,取舍相反不同,而皆自謂真孔、墨。孔、墨不可復生,將誰使定世之學乎?孔子、墨子俱道堯、舜,而取舍不同,皆自謂真堯、舜。堯、舜不復生,將誰使定儒、墨之誠乎?殷、周七百餘歲,虞、夏二千餘歲,而不能定儒、墨之真;今乃欲審堯、舜之道於三千歲之前,意者其不可必乎!無參驗而必之者,愚也;弗能必而據之者,誣也。故明據先王,必定堯、舜者,非愚則誣也。愚誣之學,雜反之行,明主弗受也。

世に顕れた学は儒家と墨家である。儒家の極みは孔丘であり、墨家の極みは墨翟である。孔子が死んでから、子張の儒があり、子思の儒があり、顔氏の儒があり、孟氏の儒があり、漆雕氏の儒があり、仲良氏の儒があり、孫氏の儒があり、楽正氏の儒がある。墨子が死んでから、相里氏の墨があり、相夫氏の墨があり、鄧陵氏の墨がある。だから孔子と墨子の後、儒は八つに分かれ墨は三つに割れ、取捨が相反して同じでないのに、いずれも自ら真の孔子・墨子だと言う。孔子と墨子はもう生き返れないのだから、いったい誰に世の学を定めさせるのか。孔子と墨子はともに堯と舜を説いたのに取捨が同じでなく、いずれも自ら真の堯舜だと言う。堯と舜はもう生き返らないのだから、いったい誰に儒墨の真を定めさせるのか。殷と周が七百余年、虞と夏が二千余年あっても儒墨の真を定められない。いま三千年も前の堯舜の道を調べようとするのだから、思うに必ずしもできることではないのではないか。照らし合わせて確かめることなしに必ずそうだとするのは愚かさであり、必ずしも定められないのにそれを拠りどころにするのは偽りである。だから先王に明らかに拠るとして、必ず堯舜を定めると言う者は、愚かでなければ偽りである。愚かで偽りの学、入り混じって相反する行いは、賢明な君主は受け入れない。

墨者之葬也,冬日冬服,夏日夏服,桐棺三寸,服喪三月,世主以爲儉而禮之。儒者破家而葬,服喪三年,大毁扶杖,世主以爲孝而禮之。夫是墨子之儉,將非孔子之侈也;是孔子之孝,將非墨子之戾也。今孝、戾、侈、儉俱在儒、墨,而上兼禮之。漆雕之議,不色撓,不目逃,行曲則違於臧獲,行直則怒於諸侯,世主以爲廉而禮之。宋榮子之議,設不鬬爭,取不隨仇,不羞囹圄,見侮不辱,世主以爲寛而禮之。夫是漆雕之廉,將非宋榮之恕也;是宋榮之寛,將非漆雕之暴也。今寛、廉、恕、暴俱在二子,人主兼而禮之。自愚誣之學、雜反之辭爭,而人主俱聽之,故海内之士,言無定術,行無常議。夫冰炭不同器而久,寒暑不兼時而至,雜反之學不兩立而治。今兼聽雜學繆行同異之辭,安得無亂乎?聽行如此,其於治人又必然矣。

墨家の葬りは、冬の日には冬の衣、夏の日には夏の衣を着せ、桐の棺は三寸、喪に服するのは三月であり、世の主君はそれを倹しいとして礼遇する。儒家は家を破って葬り、喪に服するのは三年、大いにやせ衰えて杖にすがるので、世の主君はそれを孝だとして礼遇する。そもそも墨子の倹しさを是とするなら、孔子の奢りを非とせねばならず、孔子の孝を是とするなら、墨子の薄情を非とせねばならない。いま孝と薄情、奢りと倹しさがともに儒墨にあるのに、上は両方を礼遇する。漆雕の論は、顔色に屈せず目をそらさず、自分の行いが曲がっていれば奴僕にも譲り、自分の行いが直であれば諸侯にも怒るというもので、世の主君はそれを廉だとして礼遇する。宋栄子の論は、争わぬと決め、仇を追わぬと定め、牢に入ることを恥じず、侮られても辱めと思わぬというもので、世の主君はそれを寛だとして礼遇する。そもそも漆雕の廉を是とするなら、宋栄の恕を非とせねばならず、宋栄の寛を是とするなら、漆雕の荒さを非とせねばならない。いま寛と廉、恕と荒さがともにこの二人にあるのに、君主は両方を礼遇する。愚かで偽りの学、入り混じって相反する言葉が争い、しかも君主がそのすべてに耳を傾けるから、海内の士は言に定まった術がなく、行いに常の筋がない。そもそも氷と炭は同じ器に長く置けず、寒さと暑さは時を兼ねて至らない。入り混じって相反する学は、両立したまま治めることができない。いま入り混じった学、食い違った行い、同じとも異なるとも言う言葉を併せて聞くのだから、どうして乱れずにいられよう。聞くことと行うことがこうなのだから、人を治めることにおいてもまた必ずそうなるであろう。

今世之學士語治者,多曰:「與貧窮地以實無資。」今夫與人相若也,無豐年旁入之利而獨以完給者,非力則儉也。與人相若也,無饑饉、疾疚、禍罪之殃獨以貧窮者,非侈則墯也。侈而墯者貧,而力而儉者富。今上徵斂於富人以布施於貧家,是奪力儉而與侈墯也,而欲索民之疾作而節用,不可得也。

いま世の学ある士で治めを語る者は、しばしば「貧しく窮した者に地を与えて資のないのを満たせ」と言う。いま人と同じ条件で、豊年の余分な収入もなしに独り自力で足りている者は、力を尽くしているのでなければ倹しいのである。人と同じ条件で、飢饉も病も災いや罪の災難もなしに独り貧しく窮している者は、奢っているのでなければ怠けているのである。奢り怠ける者は貧しく、力を尽くし倹しい者は富む。いま上が富んだ人から取り立てて貧しい家に施せば、それは力を尽くし倹しい者から奪って奢り怠ける者に与えることである。それでいて民が勤めて働き用を節することを求めても、得られはしない。

今有人於此,義不入危城,不處軍旅,不以天下大利易其脛一毛,世主必從而禮之,貴其智而高其行,以爲輕物重生之士也。夫上所以陳良田大宅,設爵祿,所以易民死命也。今上尊貴輕物重生之士,而索民之出死而重殉上事,不可得也。藏書策,習談論,聚徒役,服文學而議說,世主必從而禮之,曰:「敬賢士,先王之道也。」夫吏之所稅,耕者也;而上之所養,學士也。耕者則重稅,學士則多賞,而索民之疾作而少言談,不可得也。立節參明,執操不侵,怨言過於耳,必隨之以劒,世主必從而禮之,以爲自好之士。夫斬首之勞不賞,而家鬬之勇尊顯,而索民之疾戰距敵而無私鬬,不可得也。國平則養儒俠,難至則用介士。所養者非所用,所用者非所養,此所以亂也。且夫人主於聽學也,若是其言,宜布之官而用其身;若非其言,宜去其身而息其端。今以爲是也,而弗布於官;以爲非也,而不息其端。是而不用,非而不息,亂亡之道也。

いまここに人があって、義として危うい城に入らず、軍に身を置かず、天下の大利と引き換えでも自分の脛の毛一本も渡さないとする。世の主君は必ずそれに従って礼遇し、その智を貴びその行いを高いとして、物を軽んじ生を重んじる士だと考える。そもそも上が良い田と大きな宅を並べ、爵禄を設けるのは、民の死をもって捧げる命と引き換えにするためである。いま上が物を軽んじ生を重んじる士を尊びながら、民が死をおして上の事に命を捧げることを重んじるよう求めても、得られはしない。書や文書を蔵し、談論を習い、徒党を集め、学問に身を入れて議論し説くとする。世の主君は必ずそれに従って礼遇し、「賢士を敬うのは先王の道だ」と言う。そもそも吏が税をかける相手は耕す者であり、上が養う相手は学ある士である。耕す者には税が重く、学ある士には賞が多い。それでいて民が勤めて働き弁舌を少なくすることを求めても、得られはしない。節を立てて明らかさを競い、操を守って侵されず、恨む言葉が耳を過ぎれば必ず剣で応じるとする。世の主君は必ずそれに従って礼遇し、自らを大切にする士だと考える。そもそも首を斬った労には賞がなく、家の喧嘩の勇が尊ばれ顕れる。それでいて民が勤めて戦い敵を防ぎ、私の喧嘩をしないことを求めても、得られはしない。国が平らかなときは儒者と俠を養い、難が至れば甲を着た兵を用いる。養った相手が用いる相手ではなく、用いる相手が養った相手ではない。これが乱れる理由である。しかもそもそも君主が学を聞くにあたっては、その言が是であれば、当然それを官に布いてその身を用いるべきであり、その言が非であれば、当然その身を退けてその端緒を止めるべきである。いま是としながら官に布かず、非としながらその端緒を止めない。是としながら用いず、非としながら止めないのは、乱れ滅びる道である。

澹臺子羽,君子之容也,仲尼幾而取之,與處久而行不稱其貌。宰予之辭,雅而文也,仲尼幾而取之,與處久而智不充其辯。故孔子曰:「以容取人乎,失之子羽;以言取人乎,失之宰予。」故以仲尼而智而有失實之聲。今之新辯濫乎宰予,而世主之聽眩乎仲尼,爲悅其言,因任其身,則焉得無失乎?是以魏任孟卯之辯,而有華下之患;趙任馬服之辯,而有長平之禍。此二者,任辯之失也。夫視鍛錫而察青黄,區冶不能以必劒;水擊鵠鴈,陸斷駒馬,則臧獲不疑鈍利。發齒吻形容,伯樂不能以必馬;授車就駕,而觀其末塗,則臧獲不疑駑良。觀容服,聽辭言,仲尼不能以必士;試之官職,課其功伐,則庸人不疑於愚智。故明主之吏,宰相必起於州部,猛將必發於卒伍。夫有功者必賞,則爵祿厚而愈勸;遷官襲級,則官職大而愈治。夫爵祿大而官職治,王之道也。

澹台子羽は君子の容姿であったので、仲尼は近づけて採ったが、ともに過ごすうちに行いがその容姿に見合わなかった。宰予の言葉は雅で文があったので、仲尼は近づけて採ったが、ともに過ごすうちに智がその弁を満たさなかった。だから孔子は言った。「容姿で人を採ったか。子羽で誤った。言で人を採ったか。宰予で誤った。」だから仲尼ほどの智でも、実を外した評判がある。いま新たに弁の立つ者は宰予より度を越し、世の主君の聞く力は仲尼より眩んでいる。その言を喜んでそのままその身に任せるのだから、どうして誤らずにいられよう。それゆえ魏は孟卯の弁に任せて華陽の下の患いを招き、趙は馬服の弁に任せて長平の禍を招いた。この二つは、弁に任せた誤りである。そもそも鍛えた鉄と錫を見て青や黄の色を調べても、区冶でも剣を断ずることはできない。だが水で鵠や雁を打ち、陸で駒や馬を断つなら、奴僕でも鈍いか鋭いかを疑わない。歯を開かせ口もとや姿を見ても、伯楽でも馬を断ずることはできない。だが車を与えて繋がせ、その道の終わりまで見るなら、奴僕でも駄馬か良馬かを疑わない。容姿と服を見、言葉を聞いても、仲尼でも士を断ずることはできない。だが官職で試し、その功を評するなら、凡人でも愚と智を疑わない。だから賢明な君主の吏では、宰相は必ず州や部から起こり、猛将は必ず兵卒の列から出る。そもそも功のある者が必ず賞されれば、爵禄は厚くていよいよ励みになる。官を移すのに等級を踏めば、官職は大きくていよいよ治まる。そもそも爵禄が大きく官職が治まることが、王の道である。

磐石千里,不可謂富;象人百萬,不可謂强。石非不大,數非不衆也,而不可謂富强者,磐不生粟,象人不可使距敵也。今商官技藝之士亦不墾而食,是地不墾,與磐石一貫也。儒俠毋軍勞,顯而榮者,則民不使,與象人同事也。夫知禍磐石象人,而不知禍商官儒俠爲不墾之地、不使之民,不知事類者也。

一枚岩が千里あっても、富んでいるとは言えない。木偶の人が百万あっても、強いとは言えない。石が大きくないのではなく、数が多くないのではないが、富強と言えないのは、一枚岩が粟を生ぜず、木偶の人に敵を防がせられないからである。いま商人や官に属する技芸の士も、開墾せずに食う。これは地が開墾されないということで、一枚岩と同じ筋である。儒者や俠が軍の労なしに顕れ栄えれば、民を使えない。木偶の人と同じことである。そもそも一枚岩と木偶の人の禍を知っていながら、商人や官や儒者や俠が開墾されない地となり使えない民となる禍を知らないのは、事の筋を知らない者である。

故敵國之君王雖說吾義,吾弗入貢而臣;關内之侯雖非吾行,吾必使執禽而朝。是故力多則人朝,力寡則朝於人,故明君務力。夫嚴家無悍虜,而慈母有敗子。吾以此知威勢之可以禁暴,而德厚之不足以止亂也。

だから敵国の君王がわが義を喜んでも、私は貢を納めて臣とはならない。関内の諸侯がわが行いを非としても、私は必ず禽を手にして朝廷に出させる。それゆえ力が多ければ人が朝し、力が少なければ人に朝する。だから賢明な君主は力に努める。そもそも厳しい家に荒い奴僕はおらず、慈しみ深い母に損なわれた子がある。私はこれによって、威と勢は暴を禁じうるが、徳の厚さは乱れを止めるに足りないことを知る。

夫聖人之治國,不恃人之爲吾善也,而用其不得爲非也。恃人之爲吾善也,境内不什數;用人不得爲非,一國可使齊。爲治者用衆而舍寡,故不務德而務法。夫必恃自直之箭,百世無矢;恃自圜之木,千世無輪矣。自直之箭,自圜之木,百世無有一,然而世皆乘車射禽者何也?隱栝之道用也。雖有不恃隱栝而有自直之箭、自圜之木,良工弗貴也。何則?乘者非一人,射者非一發也。不恃賞罰而恃自善之民,明主弗貴也。何則?國法不可失,而所治非一人也。故有術之君,不隨適然之善,而行必然之道。

そもそも聖人が国を治めるのは、人が自分のために善くなることを頼みにせず、その者が悪事をなしえないようにすることを用いる。人が自分のために善くなることを頼みにすれば、領内に十人も数えられない。人が悪事をなしえないようにすれば、一国を斉えることができる。治める者は多いほうを用いて少ないほうを捨てる。だから徳に努めず法に努める。そもそも必ず自ずとまっすぐな矢を頼みにすれば、百代のあいだ矢はなく、自ずと丸い木を頼みにすれば、千代のあいだ輪はない。自ずとまっすぐな矢、自ずと丸い木は、百代に一つもないのに、それでも世の人がみな車に乗り鳥を射るのはなぜか。矯め木の道を用いるからである。矯め木を頼みにせずとも自ずとまっすぐな矢や自ずと丸い木があったとしても、良い工人はそれを貴ばない。なぜか。乗る者は一人ではなく、射るのは一発ではないからである。賞罰を頼みにせず自ずと善い民を頼みにすることを、賢明な君主は貴ばない。なぜか。国の法を失ってはならず、治める相手は一人ではないからである。だから術のある君は、たまたまそうなった善に従わず、必ずそうなる道を行う。

今或謂人曰「使子必智而壽」,則世必以爲狂。夫智,性也;壽,命也。性命者,非所學於人也,而以人之所不能爲說人,此世之所以謂之爲狂也。謂之不能然,則是諭也,夫諭性也。以仁義教人,是以智與壽說也,有度之主弗受也。故善毛嗇、西施之美,無益吾面;用脂澤粉黛,則倍其初。言先王之仁義,無益於治;明吾法度,必吾賞罰者,亦國之脂澤粉黛也。故明主急其助而緩其頌,故不道仁義。

いまある者が人に「そなたを必ず智で長寿にしてやろう」と言えば、世は必ず狂っていると思う。そもそも智は性であり、長寿は命である。性と命は人から学ぶものではない。人のなしえないことで人に説くのだから、これが世が狂っていると言う理由である。それはできないと言うのなら、それは諭しであって、そもそも性を諭すことである。仁義で人を教えるのは、智と長寿で説くようなもので、度のある主君は受け入れない。だから毛嗇や西施の美しさを良しとしても、わが顔に益はない。脂や粉や眉墨を使えば、もとの倍にはなる。先王の仁義を説いても治めに益はない。わが法度を明らかにし、わが賞罰を必ず行うこと、それがまた国の脂や粉や眉墨である。だから賢明な君主はその助けになるものを急ぎ、その讃えを後回しにする。だから仁義を説かない。

今巫祝之祝人曰:「使若千秋萬歲。」千秋萬歲之聲括耳,而一日之壽無徵於人,此人所以簡巫祝也。今世儒者之說人主,不善今之所以爲治,而語已治之功;不審官法之事,不察姦邪之情,而皆道上古之傳譽、先王之成功。儒者飾辝曰:「聽吾言,則可以霸王。」此說者之巫祝,有度之主不受也。故明主舉實事,去無用,不道仁義者故,不聽學者之言。

いま巫祝が人のために祈って「そなたを千秋万歳ならしめたまえ」と言う。千秋万歳という声が耳を埋めるが、一日の寿命さえ人に現れた例はない。これが人が巫祝をおろそかに見る理由である。いま世の儒者が君主に説くとき、いま治めとなる元をよく語らずにすでに治まった功を語り、官と法の事を調べず、邪悪の実情を吟味せずに、みな上古の伝え聞きの誉れ、先王の成した功を語る。儒者は言葉を飾って「わが言を聞けば覇王となれる」と言う。これは説く者の巫祝であって、度のある主君は受け入れない。だから賢明な君主は実際の事を挙げ、役に立たぬものを捨て、仁義の理由を説かず、学者の言を聞かない。

今不知治者必曰:「得民之心。」欲得民之心而可以爲治,則是伊尹、管仲無所用也,將聽民而已矣。民智之不可用,猶嬰兒之心也。夫嬰兒不剔首則腹痛,不㨽痤則寖益。剔首、揊痤,必一人抱之,慈母治之,然猶啼呼不止,嬰兒子不知犯其所小苦、致其所大利也。今上急耕田墾草以厚民産也,而以上爲酷;脩刑重罰以爲禁邪也,而以上爲嚴;徵賦錢粟以實倉庫,且以救飢饉、備軍旅也,而以上爲貪;境内必知介而無私解,并力疾闘,所以禽虜也,而以上爲暴。此四者,所以治安也,而民不知悅也。夫求聖通之士者,爲民知之不足師用。昔禹決江濬河,而民聚瓦石;子産開畝樹桑,鄭人謗訾。禹利天下,子産存鄭人,皆以受謗,夫民智之不足用亦明矣。故舉士而求賢智,爲政而期適民,皆亂之端,未可與爲治也。

いま治めを知らない者は必ず「民の心を得よ」と言う。民の心を得ることで治めとなるのなら、伊尹や管仲は用いるところがなく、民の言うままにしていればよい。民の智が用いられないのは、幼児の心と同じである。そもそも幼児は頭を剃らなければ腹が痛み、瘡を破らなければ次第にひどくなる。頭を剃り瘡を破るには、必ず一人が抱え、慈しみ深い母が手を入れるが、それでも泣き叫ぶのをやめない。幼児は、その小さな苦しみを受けてその大きな利を得ることを知らないのである。いま上が田を耕し草を開くことを急ぐのは民の生産を厚くするためなのに、上を酷いとする。刑を整え罰を重くするのは邪を禁じるためなのに、上を厳しいとする。銭と粟を取り立てて倉庫を満たすのは、飢饉を救い軍旅に備えるためなのに、上を貪るとする。領内が必ず甲を知り私の免除なしに力を合わせて勤めて戦うのは、敵を捕らえるためなのに、上を暴とする。この四つは治まり安らぐ元なのに、民はそれを喜ぶことを知らない。そもそも聖で通じた士を求めるのは、民の智が師として用いるに足りないからである。昔、禹が江を切り河を浚えたとき、民は瓦や石を集めて投げた。子産が畝を開いて桑を植えたとき、鄭の人は謗った。禹は天下を利し、子産は鄭の人を生かしたのに、いずれも謗りを受けた。そもそも民の智が用いるに足りないこともまた明らかである。だから士を挙げるのに賢と智を求め、政を行うのに民に合うことを期するのは、いずれも乱れの端緒であって、ともに治めを行うことはできない。