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惠業

海東高僧伝(海の東の国の高僧たちの伝) 海東高僧傳 · 覚訓 · 1215年 · 段落 1 · 漢字 181字 · 朗読 0.7分

海東高僧伝(海の東の国の高僧たちの伝) 全一巻 韓国に残る最も古い僧伝。覚訓が王の命を受けて1215年に著したので、三国遺事より六十六年早い。高句麗に初めて来た順道、百済へ渡った摩羅難陀、新羅で首が落ちると白い乳が噴き出したという厭髑、世俗五戒を授けた円光、そして那爛陀寺に留まりそこで生涯を終えた阿離耶跋摩と慧業まで、十八人の伝が収められている。真興王が源花を立て花郎を置いた経緯もここに記されている。

1恵業 — 仏の歯の木の下で写し取る

釋惠業。器局冲深。氣度凝深。巉巖容儀。戌削風骨。直辭邊壤。遽入中華。遂於貞觀年中往遊西域。涉流沙之廣漠。登雪嶺之嶔岑。每以清暉啟曙。即潛伏幽林。皓月淪霄。乃崩波永路。輕生徇法。志切宣通。遂往菩提寺。觀禮聖蹤。又於那爛陀寺。寄跡棲真久之請讀淨名經。因撿唐本。淹通綸貫。梁論下記云。在佛齒樹下。新羅僧惠業寫記。傳云。業終于是寺。年將六十餘矣。所寫梵本竝在那爛陀寺焉。

釈恵業(しゃくえごう)は、器量が空(むな)しく深く、気概と度量は凝(こ)り固まって深かった。そびえ立つような身のこなしで、削り出したような風骨であった。まっすぐに辺境の地に別れを告げ、ただちに中華に入った。

ついに貞観の年間に西域へ赴き、流れる砂の広い沙漠を渡り、雪に覆われた嶺(みね)の険しい峰に登った。常に清らかな光が夜明けを開くと、すぐ深い林に身を隠し、白い月が空に沈むと、波を分けて遠い道を行った。命を軽んじて法に従い、志は広く宣べることに切であった。

ついに菩提寺に行って聖者の跡を仰ぎ礼(らい)した。また那爛陀寺に跡を寄せ、真(まこと)に棲(す)むこと久しくして、『維摩経』を読むことを願い、これによって唐の本を調べ、あまねく貫き通した。『梁論』の下に書かれた文に「仏の歯の木の下で、新羅の僧恵業が写し記す」とある。

伝えるところでは、恵業はこの寺で世を終え、年は六十余りになっていたという。写し書いた梵語の本は、あわせて那爛陀寺にある。