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惠輪

海東高僧伝(海の東の国の高僧たちの伝) 海東高僧傳 · 覚訓 · 1215年 · 段落 1 · 漢字 183字 · 朗読 0.7分

海東高僧伝(海の東の国の高僧たちの伝) 全一巻 韓国に残る最も古い僧伝。覚訓が王の命を受けて1215年に著したので、三国遺事より六十六年早い。高句麗に初めて来た順道、百済へ渡った摩羅難陀、新羅で首が落ちると白い乳が噴き出したという厭髑、世俗五戒を授けた円光、そして那爛陀寺に留まりそこで生涯を終えた阿離耶跋摩と慧業まで、十八人の伝が収められている。真興王が源花を立て花郎を置いた経緯もここに記されている。

1恵輪 — 玄照に従って西に行き、十年留まる

釋惠輪。新羅人。梵名般若跋摩〔唐云惠甲〕自本國出家。翹心聖境。泛舶而凌閩越。涉步而屆長安。寒暑備受。艱危罄盡。奉勅隨玄照法師西行充侍。飛梯架險。既至西國。遍禮奇蹤。寓居菴摩羅波國信者寺淹住十載。近住次東邊。犍陀羅山茶寺貲產豐饒。供養飡設。餘莫加也。其北方胡僧往來者。皆住此寺。蜂屯雲集。各修法門。輪既善梵言。薄閑俱舍。來日尚在。年向四十矣。具如義淨三藏求法高僧傳中。

釈恵輪(しゃくえりん)は新羅の人である。梵語の名は般若跋摩(はんにゃばつま)〔唐の言葉で恵甲(えこう)〕である。自分の国で出家し、聖者の境地に心をまっすぐ向けた。船を出して閩(びん)と越(えつ)を越え、歩いて長安に至った。寒さと暑さをことごとく受け、難しさと危うさを味わい尽くした。

詔を奉じて玄照法師に従って西に行き、仕える役を務めた。梯(はしご)を飛ばして険しい所に架け渡し、西の国に至って奇(あや)しい跡をあまねく礼した。菴摩羅波国(あんまらはこく)の信者寺に寄り住んで十年留まった。近ごろはその東の端に住んでいるが、犍陀羅山茶寺(けんだらさんさじ)は財産が豊かで、供養し飯を整えることは他に及ぶ所がなかった。その北方の西域の僧で行き来する者はみなこの寺に留まり、蜂のように群れ雲のように集まって、それぞれ法門を修めた。

恵輪はすでに梵語に明るく、倶舎論(くしゃろん)にもひととおり通じていた。今日までなお健在で、年は四十に近い。くわしいことは義浄三蔵の『求法高僧伝』にあるとおりである。