本經訓
太清之始也,和順以寂漠,質真而素樸,閒靜而不躁,推移而無故,在內而合乎道,出外而調於義,發動而成于文,行快而便於物。其言略而循理,其行侻而順情,其心愉而不偽,其事素而不飾,是以不擇時日,不占卦兆,不謀所始,不議所終,安則止,激則行,通體於天地,同精於陰陽,一和於四時,明照於日月,與造化者相雌雄。是以天覆以德,地載以樂,四時不失其敘,風雨不降其虐,日月淑清而揚光,五星循軌而不失其行。當此之時,玄元至碭而運照,鳳麟至,著龜兆,甘露下,竹實滿,流黃出,而朱草生,機械詐偽莫藏於心。
太清の始めは、和して順い、静かに寂しく、質は真で素朴であり、閑かに静かで騒がず、移り進みながら作為がなく、内に在れば道に合い、外に出れば義に調い、発して動けば文を成し、行いがさわやかで物に便であった。その言葉は簡略でありながら理に循い、その行いは簡素でありながら情に順い、その心は楽しくありながら偽りがなく、その事は素朴でありながら飾らない。そのため時や日を択ばず、卦や兆を占わず、始めるところを謀らず、終わるところを議さず、安らかなら止まり、激すれば行き、体を天地に通じ、精を陰陽と同じくし、四季に一つに和し、日月に明るく照らされて、造化する者と互いに雌雄をなした。そのため天は徳によって覆い、地は楽しみによって載せ、四季はその序を失わず、風雨はその虐げを降さず、日月は清らかに澄んで光を揚げ、五星は軌に循ってその運行を失わなかった。このとき、玄元は至って広がってめぐり照らし、鳳と麟が至り、蓍と亀が兆を示し、甘露が降り、竹の実が満ち、硫黄が出、朱草が生え、機械や詐りや偽りが心に蔵れることはなかった。
逮至衰世,鐫山石,䤿金玉,擿蚌蜃,消銅鐵,而萬物不滋,刳胎殺夭,麒麟不遊,覆巢毀卵,鳳凰不翔,鑽燧取火,構木為台,焚林而田,竭澤而漁。人械不足,畜藏有餘,而萬物不繁兆,萌牙卵胎而不成者,處之太半矣。積壤而丘處,糞田而種穀,掘地而井飲,疏川而為利,築城而為固,拘獸以為畜,則陰陽繆戾,四時失敘,雷霆毀折,雹霰降虐,氛霧霜雪不霽,而萬物燋夭。災榛穢,聚埒畝,芟野菼,長苗秀,草木之句萌、銜華、戴實而死者,不可勝數。乃至夏屋宮駕,縣聯房植,橑簷榱題,雕琢刻鏤,喬枝菱阿,夫容芰荷,五采爭勝,流漫陸離,修掞曲挍,夭矯曾橈,芒繁紛挐,以相交持,公輸、王爾無所錯其剞𠜾削鋸,然猶未能澹人主之欲也。是以松柏箘露夏槁,江、河、三川絕而不流,夷羊在牧,飛蛩滿野,天旱地坼,鳳皇不下,句爪、居牙、戴色、出距之獸,於是鷙矣。民之專室蓬廬,無所歸宿,凍餓饑寒死者,相枕席也。及至分山川溪穀,使有壤界,計人多少眾寡,使有分數,築城掘池,設機械險阻以為備,飾職事,制服等,異貴賤,差賢不肖,經誹譽,行賞罰,則兵革興而分爭生,民之滅抑夭隱,虐殺不辜而刑誅無罪,於是生矣。天地之合和,陰陽之陶化萬物,皆乘人氣者也。
衰えた世に至って、山の石を鑽り、金や玉を彫り、蚌や蜃を掘り、銅や鉄を溶かしたので、万物は茂らず、胎を割き若いものを殺したので、麒麟は遊ばず、巣を覆し卵を壊したので、鳳凰は翔ばず、燧を鑽って火を取り、木を組んで台を作り、林を焼いて狩り、沢を涸らして漁った。人の器械は足らず、蓄え蔵めたものには余りがあったのに、万物は繁り兆さず、芽ばえ卵や胎となって成らないものが大半を占めた。土を積んで丘に住み、田に糞をやって穀を種き、地を掘って井の水を飲み、川を疏いて利とし、城を築いて固めとし、獣を囚えて畜としたので、陰陽は違い背き、四季は序を失い、雷霆は壊し折り、雹や霰は虐げを降し、靄や霧、霜や雪は晴れず、万物は焼けて若死にした。災いは藪を荒らし、畦と畝を集め、野の菼を刈り、苗を育てて花咲かせたので、草木が芽ばえ、花をつけ、実を戴いたまま死ぬものは数えきれなかった。大きな屋や宮の造りに至っては、連なる房や立てた柱、垂木や簷、榱や棟の端を彫り刻み、高い枝や菱の角、芙蓉や芰荷の形に、五つの彩りが競い勝ち、流れ乱れ、長く垂れ曲がり組み合い、撓み曲がり層をなしてうねり、こんもり繁り入り乱れて互いに支え合うので、公輸や王爾でもその彫刀や鋸を置くところがなかったが、それでもなお君主の欲を満たすことはできなかった。そのため松や柏や箘露が夏に枯れ、江・河・三川は絶えて流れず、夷羊が牧に在り、飛ぶ蝗が野に満ち、天は旱れ地は裂け、鳳皇は降りず、曲がった爪、牙、色を戴き蹴爪を出した獣が、そこで猛くなった。民はひと間の小屋や蓬の廬に帰り宿るところもなく、凍え飢え寒さに死んだ者が、互いを枕とし席としていた。山や川、谷や渓を分けて土の境を設け、人の多少を計って割り当てを設け、城を築き池を掘り、機械や険しい備えを設けて守りとし、職事を整え、服の等を制め、貴賤を異にし、賢と不肖を差別し、誹りと誉れを定め、賞罰を行うに至っては、兵革が興って分かれ争いが生じ、民が滅ぼされ抑えられ若死にし隠れ、罪なき者を虐げ殺し、罪なき者を刑し誅することが、そこで生じた。天地が合い和し、陰陽が万物を陶い化すことは、みな人の気に乗るものである。
是故上下離心,氣乃上蒸,君臣不和,五穀不為。距日冬至四十六日,天含和而未降,地懷氣而未揚,陰陽儲與,呼吸浸潭,包裹風俗,斟酌萬殊,旁薄眾宜,以相嘔咐醞釀,而成育群生。是故春肅秋榮,冬雷夏霜,皆賊氣之所生。由此觀之,天地宇宙,一人之身也;六合之內,一人之制也。是故明於性者,天地不能脅也;審于符者,怪物不能惑也。故聖人者,由近知遠,而萬殊為一。古之人同氣於天地,與一世而優遊。當此之時,無慶賀之利,刑罰之威,禮義廉恥不設,毀譽仁鄙不立,而萬民莫相侵欺暴虐,猶在於混冥之中。逮至衰世,人眾財寡,事力勞而養不足,於是忿爭生,是以貴仁。仁鄙不齊,比周朋黨,設詐諝,懷機械巧故之心,而性失矣,是以貴義。陰陽之情,莫不有血氣之感,男女群居雜處而無別,是以貴禮。性命之情,淫而相脅,以不得已則不和,是以貴樂。
そのため上と下が心を離せば、気は上へ蒸し、君と臣が和さなければ、五穀は実らない。冬至から四十六日を隔てて、天は和を含みながらまだ降さず、地は気を懐きながらまだ揚げず、陰陽はためらい、呼吸して浸み渡り、風俗を包みこみ、万の異なるものを斟み量り、諸々の適いにあまねく満ちて、互いに温め醸して、群れ生きるものを成し育てる。そのため春に縮み秋に花咲き、冬に雷が鳴り夏に霜が降るのは、みな賊なる気が生んだものである。これから見れば、天地宇宙は一人の身であり、六合の内は一人の制めである。そのため性に明るい者は天地でも脅せず、符を審らかにした者は怪しい物でも惑わせない。だから聖人は近くによって遠くを知り、万の異なるものが一つとなる。古の人は天地と気を同じくし、ひとつの世とともにゆるやかに遊んだ。このとき、慶びと賀の利も刑罰の威もなく、礼儀や廉恥は設けられず、謗りと誉れ、仁と鄙しさは立てられなかったのに、万民は互いに侵し欺き暴れ虐げることがなく、なお混じり暗いなかに在った。衰えた世に至って、人は多く財は少なく、事と力は労しても養いは足らなかったので、そこで怒り争いが生じ、それで仁を貴んだ。仁と鄙しさが揃わず、党を組み朋党をなし、詐りと策を設け、機械や巧みな作意の心を懐いて、性が失われたので、それで義を貴んだ。陰陽の情には血気の感じがないものはなく、男女が群れ居り混じり処って別がなかったので、それで礼を貴んだ。性命の情が溢れて互いに脅し、やむを得なくなれば和さないので、それで楽を貴んだ。
是故仁義禮樂者,可以救敗,而非通治之至也。夫仁者,所以救爭也;義者,所以救失也;禮者,所以救淫也;樂者,所以救憂也。神明定於天下,而心反其初;心反其初,而民心善;民心善而天地陰陽從而包之,則財足而人澹矣;貪鄙忿爭不得生焉。由此觀之,則仁義不用矣。道德定于天下而民純樸,則目不營於色,耳不淫於聲,坐俳而歌謠,被發而浮游,雖有毛嬙、西施之色,不知說也。掉羽、武象,不知樂也,淫諝無別,不得生焉。由此觀之,禮樂不用也。是故德衰然後仁生,行沮然後義立,和失然後聲調,禮淫然後容飾。是故知神明然後知道德之不足為也,知道德然後知仁義之不足行也。知仁義然後知禮樂之不足修也。
そのため仁義や礼楽は、敗れを救うことはできるが、通じた治めの極みではない。そもそも仁は争いを救うゆえのものであり、義は失いを救うゆえのものであり、礼は溢れを救うゆえのものであり、楽は憂いを救うゆえのものである。神明が天下に定まれば心はその初めへ返り、心がその初めへ返れば民の心は善くなり、民の心が善くなって天地と陰陽が従ってこれを包めば、財は足って人は淡々とし、貪りや鄙しさ、怒りや争いが生じえない。これから見れば、仁義は用いられない。道徳が天下に定まって民が純朴になれば、目は色に営まず、耳は声に溺れず、坐って戯れ歌い、髪をほどいて浮かび遊ぶので、たとえ毛嬙や西施の美しさがあっても、喜ぶことを知らない。掉羽や武象の舞楽も、楽しむことを知らないので、溢れや策、別のなさが生じえない。これから見れば、礼楽は用いられない。そのため徳が衰えてから仁が生じ、行いが塞がってから義が立ち、和が失われてから声が調えられ、礼が溢れてから姿が飾られる。そのため神明を知ってから道徳が為すに足らないことを知り、道徳を知ってから仁義が行うに足らないことを知り、仁義を知ってから礼楽が修めるに足らないことを知る。
今背其本而求其末,釋其要而索之於詳,未可與言至也。
いまその本に背いてその末を求め、その要を捨てて細かいところに探すのであれば、ともに極みを語ることはできない。
天地之大,可以矩表識也;星月之行,可以曆推得也;雷震之聲,可以鼓鐘寫也。風雨之變,可以音律知也。是故大可睹者,可得而量也;明可見者,可得而蔽也;聲可聞者,可得而調也;色可察者,可得而別也。夫至大,天地弗能含也;至微,神明弗能領也。及至建律曆,別五色,異清濁,味甘苦,則樸散而為器矣。立仁義,修禮樂,則德遷而為偽矣。及偽之生也,飾智以驚愚,設詐以巧上,天下有能持之者,有能治之者也。昔者蒼頡作書,而天雨粟,鬼夜哭;伯益作井,而龍登玄雲,神棲昆侖;能愈多而德愈薄矣。故周鼎著倕,使銜其指,以明大巧之不可為也。故至人之治也,心與神處,形與性調,靜而體德,動而理通。隨自然之性而緣不得已之化,洞然無為而天下自和,憺然無欲而民自樸,無𧝞祥而民不夭,不忿爭而養足,兼包海內,澤及後世,不知為之誰何。
天地の大きさも矩と表によって識ることができ、星や月の運行も暦によって推して得ることができ、雷の声も鼓や鐘によって写すことができ、風雨の変わりようも音律によって知ることができる。そのため大きくても見られるものは量ることができ、明るくても見られるものは覆うことができ、声として聞けるものは調えることができ、色として察せられるものは別けることができる。そもそも至って大きいものは天地でも含むことができず、至って微かなものは神明でも統べることができない。律暦を建て、五色を別け、清濁を異にし、甘さ苦さを味わうに至っては、朴が散って器となる。仁義を立て、礼楽を修めれば、徳が移って偽りとなる。偽りが生じるに及んでは、知を飾って愚かな者を驚かし、詐りを設けて上を巧みに操るので、天下には保ちうる者があり、治めうる者がある。かつて蒼頡が文字を作ると、天は粟を雨降らせ、鬼は夜に哭き、伯益が井を作ると、龍は玄い雲へ登り、神は崑崙に棲んだ。能が多くなるほど徳は薄くなるのである。だから周の鼎に倕を鋳て、その指を銜ませ、大いなる巧みが為してはならないものだと明らかにした。だから至人の治めようは、心が神とともに居り、形が性と調い、静かなときは徳を体とし、動くときは理が通じる。自然の性に随い、やむを得ない変化に縁って、がらんとして無為であるのに天下は自ずと和し、淡々として無欲であるのに民は自ずと朴になり、災いや祥しを示さなくても民は若死にせず、怒り争わなくても養いは足り、海内をあわせ包み、恵みは後世に及ぶのに、それを為したのが誰なのかを知らない。
是故生無號,死無諡,實不聚而名不立,施者不德,受者不讓,德交歸焉。而莫之充忍也。故德之所總,道弗能害也;智之所不知,辯弗能解也。不言之辯,不道之道,若或通焉,謂之天府。取焉而不損,酌焉而不竭,莫知其所由出,是謂瑤光。瑤光者,資糧萬物者也,振困窮,補不足,則名生,興利除害,伐亂禁暴,則功成。世無災害,雖神無所施其德,上下和輯,雖賢無所立其功。昔容成氏之時,道路雁行列處,托嬰兒于巢上,置餘糧於畮首,虎豹可尾,虺蛇可蹍,而不知其所由然。逮至堯之時,十日並出,焦禾稼,殺草木,而民無所食。猰貐、鑿齒、九嬰、大風、封豨、修蛇皆為民害。堯乃使羿誅鑿齒于疇華之野,殺九嬰于凶水之上,繳大風於青丘之澤,上射十日而下殺猰貐,斷修蛇於洞庭,禽封豨于桑林,萬民皆喜,置堯以為天子。於是天下廣狹、險易、遠近,始有道裡。舜之時,共工振滔洪水,以薄空桑,龍門未開,呂梁未發,江、淮通流,四海溟涬,民皆上丘陵,赴樹木。舜乃使禹疏三江五湖,辟開伊闕,導廛澗,平通溝陸,流注東海,鴻水漏,九州幹,萬民皆寧其性,是以稱堯舜以為聖。晚世之時,帝有桀、紂,為旋室、瑤台、象廊、玉床,紂為肉圃、酒池,燎焚天下之財,罷苦萬民之力,刳諫者,剔孕婦,攘天下,虐百姓,於是湯乃以革車三百乘,伐桀于南巢,放之夏台,武王四卒三千,破紂牧野,殺之于宣室,天下甯定,百姓和集。
そのため生きて号がなく、死して諡がなく、実は集まらず名は立たず、施す者は徳としようとせず、受ける者は辞そうとせず、徳は互いに帰する。それでいて、それを満たし我慢する者がない。だから徳が総べるところは道でも害せず、知が知らないところは弁でも解けない。語らない弁、道といわぬ道が、もし通じるならば、これを天の府という。取っても損なわれず、酌んでも尽きず、それがどこから出るのかを知る者がない。これを瑶光という。瑶光とは万物に糧を資するものであって、困り窮まった者を振い救い、足らないものを補えば名が生じ、利を興して害を除き、乱を伐ち暴を禁じれば功が成る。世に災害がなければ、たとえ神でもその徳を施すところがなく、上下が和し睦めば、たとえ賢者でもその功を立てるところがない。かつて容成氏の時には、道には雁のように列をなして居り、嬰児を巣の上に托し、余った糧を畝の端に置き、虎や豹の尾を踏め、虺や蛇を踏めたが、なぜそうなのかを知らなかった。堯の時に至って、十の日が並んで出、禾や作物を焦がし、草木を殺したので、民に食べるものがなかった。猰貐・鑿歯・九嬰・大風・封豨・修蛇はみな民の害となった。堯はそこで羿に、鑿歯を疇華の野で誅し、九嬰を凶水の上で殺し、大風を青丘の沢で繳で捕え、上は十の日を射て下は猰貐を殺し、修蛇を洞庭で断ち、封豨を桑林で捕えさせたので、万民はみな喜んで、堯を立てて天子とした。そこで天下の広狭・険易・遠近に、はじめて道の里数ができた。舜の時に、共工が洪水を振い溢れさせて空桑に迫り、龍門はまだ開かれず、呂梁はまだ発かれず、江と淮は通じて流れ、四海はぼうぼうと広がり、民はみな丘陵に上り、樹木へ駆けた。舜はそこで禹に、三江と五湖を疏き、伊闕を開き、廛と澗を導き、溝と陸を平らに通じて東海へ流し注がせたので、大水は漏れ、九州は乾き、万民はみなその性を寧んじた。それで堯と舜を称えて聖とするのである。末の世の時、帝に桀と紂があって、旋室・瑶台・象の廊・玉の床を作り、紂は肉の圃と酒の池を作り、天下の財を焼き、万民の力を疲れさせ苦しめ、諫める者を割き、孕んだ婦を裂き、天下を奪い、民を虐げた。そこで湯は革車三百乗によって桀を南巣で伐ち、夏台へ放ち、武王は士卒三千で紂を牧野に破り、宣室で殺したので、天下は寧らかに定まり、民は和し睦んだ。
是以稱湯、武之賢。由此觀之,有賢聖之名者,必遭亂世之患也。今至人生亂世之中,含德懷道,拘無窮之智,鉗口寢說,遂不言而死者眾矣。然天下莫知貴其不言也。故道可道,非常道;名可名,非常名。著于竹帛,鏤于金石,可傳於人者,其粗也。五帝三王,殊事而同指,異路而同歸。晚世學者,不知道之所一體,德之所總要,取成之跡,相與危坐而說之,鼓歌而舞之,故博學多聞,而不免於惑。詩雲:「不敢暴虎,不敢馮河。人知其一,不知其他。」此之謂也。
それで湯と武の賢を称える。これから見れば、賢や聖の名を持つ者は、必ず乱れた世の患いに遭っている。いま至人が乱れた世のなかに生まれ、徳を含み道を懐き、窮まりなき知を閉じ込め、口を閉ざし説を寝かせて、ついに語らずに死ぬ者が多い。それでも天下はその語らないことを貴ぶことを知らない。だから道として道えるものは常の道ではなく、名として名づけられるものは常の名ではない。竹や帛に著し、金や石に鏤め、人に伝えられるものは、その粗いところである。五帝と三王は、事を異にしながら指すところを同じくし、路を異にしながら帰るところを同じくした。末の世の学ぶ者は、道が一体となるところ、徳が総べる要を知らず、成った跡を取って、互いに畏まって坐ってそれを説き、鼓を打ち歌って舞うので、博く学び多く聞いても、惑いを免れない。『詩』にいう。「敢えて虎を素手で打たず、敢えて河を歩いて渡らない。人はその一つを知って、その他を知らない。」これをいったのである。
帝者,體太一;王者,法陰陽;霸者,則四時,君者,用六律。秉太一者,牢籠天地,彈厭山川,含吐陰陽,伸曳四時,紀綱八極,經緯六合,覆露照導,普氾無私;蠉飛蠕動,莫不仰德而生。陰陽者,承天地之和,形萬殊之體,含氣化物,以成埒類,贏縮卷舒,淪於不測,終始虛滿,轉于無原。四時者,春生夏長,秋收冬藏,取予有節,出入有時,開闔張歙,不失其敘,喜怒剛柔,不離其理。六律者,生之與殺也,賞之與罰也,予之與奪也,非此無道也;故謹於權衡準繩,審乎輕重,足以治其境內矣。是故體太一者,明於天地之情,通于道德之倫,聰明耀於日月,精神通於萬物,動靜調於陰陽,喜怒和於四時,德澤施于方外,名聲傳於後世。法陰陽者,德與天地參,明與日月並,精與鬼神總,戴圓履方,抱表懷繩,內能治身,外能得人,發號施令,天下莫不從風。則四時者,柔而不脆,剛而不鞼,寬而不肆,肅而不悖,優柔委從,以養群類,其德含愚而容不肖,無所私愛。用六律者,伐亂禁暴,進賢而退不肖,扶撥以為正,壞險以為平,矯枉以為直,明於禁舍開閉之道,乘時因勢,以服役人心也。帝者體陰陽則侵,王者法四時則削,霸者節六律則辱,君者失準繩則廢。故小而行大,則滔窕而不親;大而行小,則狹隘而不容。貴賤不失其體而天下治矣。天愛其精,地愛其平,人愛其情。天之精,日月星辰雷電風雨也;地之平,水火金木土也;人之情,思慮聰明喜怒也。故閉四關,止五遁,則與道淪。是故神明藏於無形,精神反於至真,則目明而不以視,耳聰而不以聽,心條達而不以思慮,委而弗為,和而弗矜,冥性命之情,而智故不得襍焉。精泄於目,則其視明;在於耳,則其聽聰;留於口,則其言當;集於心,則其慮通。故閉四關則身無患,百節莫苑,莫死莫生,莫虛莫盈,是謂真人。
帝は太一を体とし、王は陰陽に法り、覇者は四季に則り、君は六律を用いる。太一を執る者は、天地を檻に入れ、山川を押さえ、陰陽を含み吐き、四季を伸べ引き、八つの極を綱紀とし、六合を経緯として、覆い露わし照らし導き、あまねくゆきわたって私がない。飛び回り蠢くものも、徳を仰いで生きないものはない。陰陽は、天地の和を承け、万の異なるものの体を形づくり、気を含んで物を化し、たぐいを成し、溢れ縮み巻き広げ、測れないものに沈み、終始に虚しく満ちて、源なきところにめぐる。四季は、春に生じ夏に長じ、秋に収め冬に蔵め、取ることと与えることに節があり、出入りに時があり、開き閉じ張り縮めてその序を失わず、喜怒剛柔がその理を離れない。六律は、生かすことと殺すこと、賞することと罰すること、与えることと奪うことであって、これなしには道がない。だから権・衡・準・縄に謹み、軽重を審らかにすれば、その境内を治めるに足る。そのため太一を体とする者は、天地の情に明るく、道徳の倫に通じ、聡明は日月より輝き、精神は万物に通じ、動と静は陰陽に調い、喜怒は四季に和し、徳の恵みは方の外に施され、名声は後世に伝わる。陰陽に法る者は、徳は天地と参わり、明るさは日月と並び、精は鬼神と総べ、円いものを戴き方なるものを踏み、表を抱き縄を懐き、内では身を治めることができ、外では人を得ることができ、号を発し令を施せば、天下は風のように従わないものがない。四季に則る者は、柔らかくあって脆くなく、剛くあって折れず、寛やかであって放たず、厳かであって背かず、ゆるやかに柔らかく委ね従って、諸々のたぐいを養うので、その徳は愚かな者を含み不肖な者を容れて、私して愛するところがない。六律を用いる者は、乱を伐ち暴を禁じ、賢を進めて不肖を退け、ねじれたものを支えて正しくし、険しいものを崩して平らにし、曲がったものを矯めて直くし、禁じ放し開き閉ざす道に明るく、時に乗り勢いに因って、人の心を服させ役する。帝が陰陽を体とすれば侵され、王が四季に法れば削られ、覇者が六律に節すれば辱められ、君が準と縄を失えば廃れる。だから小さいのに大きいことを行えば、だぶついて親しまれず、大きいのに小さいことを行えば、狭くて容れられない。貴賤がその体を失わなければ天下は治まる。天はその精を愛しみ、地はその平らかさを愛しみ、人はその情を愛しむ。天の精は日・月・星・雷・電・風・雨であり、地の平らかさは水・火・金・木・土であり、人の情は思い巡らし・聡明・喜怒である。だから四つの関を閉ざし、五つの遁れを止めれば、道とともに沈む。そのため神明が形なきものに蔵れ、精神が至上の真へ返れば、目は明るくても視ず、耳は聡くても聴かず、心は条理をもって達しても思い巡らさず、委ねて為さず、和して誇らず、性命の情に暗んで、知と作為が混じりえない。精が目に漏れればその視ることは明るく、耳に在ればその聴くことは聡く、口に留まればその言葉は当たり、心に集まればその思いは通じる。だから四つの関を閉ざせば身に患いがなく、百の節は病まず、死ぬこともなく生きることもなく、虚しくなることもなく満ちることもない。これを真人という。
凡亂之所由生者,皆在流遁。流遁之所生者五:大構駕,興宮室,延樓棧道,雞棲井幹,檦枺欂櫨,以相支持,木巧之飾,盤紆刻儼,嬴鏤雕琢,詭文回波,淌遊瀷淢,菱杼紾抱,芒繁亂澤,巧偽紛挐,以相摧錯,此遁於木也。鑿汙池之深,肆畛崖之遠,來溪穀之流,飾曲岸之際,積牒旋石,以純修碕,抑淢怒瀨,以揚激波,曲拂邅回,以像湡浯,益樹蓮菱,以食鱉魚,鴻鵠鷫鸘,稻粱饒餘,龍舟鷁首,浮吹以娛,此遁于水也。高築城郭,設樹險阻,崇台榭之隆,侈苑囿之大,以窮要妙之望,魏闕之高,上際青雲,大廈曾加,擬于昆侖,修為牆垣,甬道相連,殘高增下,積土為山,接徑曆遠,直道夷險,終日馳鶩而無跡蹈之患,此遁於土也。大鐘鼎,美重器,華蟲疏鏤,以相繆紾,寢兕伏虎,蟠龍連組,焜昱錯眩,照耀輝煌,偃蹇寥糾,曲成文章,雕琢之飾,鍛錫文鐃,乍晦乍明,抑微滅瑕,霜文沈居,若簟籧篨,纏錦經冘,似數而疏,此遁于金也。煎熬焚炙,調齊和之適,以窮荊、吳甘酸之變,焚林而獵,燒燎大木,鼓橐吹埵,以銷銅鐵,靡流堅鍛,無厭足目,山無峻幹,林無柘梓,燎木以為炭,燔草而為灰,野莽白素,不得其時,上掩天光,下殄地財,此遁於火也。此五者,一足以亡天下矣。
およそ乱れが由って生じるところは、みな流れ遁れることに在る。流れ遁れることが生じるのは五つある。大きく組み架け、宮室を興し、楼を延べ棧道を架け、鶏の棲や井の欄、柱や枡で互いに支え、木の巧みさの飾りで、蟠りくねり厳かに刻み、溢れるほど鏤め彫り、怪しい文様、めぐる波、流れる水、溢れる溝、菱の葉、杼、よじれた抱き、こんもり繁り乱れた艶、巧みな偽りが入り乱れて、互いに崩し交じらせる。これが木に遁れることである。汚れた池の深さを掘り、畦や崖の遠さを延べ、谷川の流れを引き入れ、曲がった岸の際を飾り、石を重ね積み石をめぐらして曲がった水際をもっぱら修め、溝を抑え瀬を怒らせて激しい波を揚げ、曲がりうねらせて湡や浯に似せ、蓮や菱を増し植えて鼈や魚を養い、鴻や鵠、鷫や鸘に稲や粱を余るほど与え、龍の舟や鷁の舳先で浮かび吹いて娯しむ。これが水に遁れることである。城郭を高く築き、険しい備えを設け立て、台や榭の高さを崇くし、苑や囿の大きさを奢り、要にして妙なる眺めを窮め、魏闕の高さは上は青雲に接し、大きな廈は層を重ねて崑崙に擬え、牆や垣を長く修め、甬道が互いに連なり、高いところを削って低いところを増し、土を積んで山とし、径を接いで遠くを経、まっすぐな道が険しさを平らにして、一日じゅう馳せても足を踏み外す患いがない。これが土に遁れることである。鐘や鼎を大きくし、重い器を美しくし、華やかな虫を疏き鏤めて互いによじり合わせ、寝た兕、伏せた虎、蟠る龍が連なり組み、きらめき交じり眩み、照り輝き、そびえ絡まり、曲がって文のあやを成し、彫り刻む飾り、錫を鍛えた文様の鐃は、ふと暗くふと明るく、微かなものを抑え瑕を消し、霜の文様が沈んで居て、簟や籧篨のようであり、錦を纏い縦糸を渡し、密そうで疎い。これが金に遁れることである。煎り焼き炙り、調味の適いを整えて荊や呉の甘さ酸さの変わりを窮め、林を焼いて猟り、大きな木を焼き、鞴を鼓し吹き口を吹いて銅や鉄を溶かし、堅いものを磨り鍛え、目に飽き足ることがないので、山に高い幹はなく、林に柘や梓はなく、木を焼いて炭とし、草を焚いて灰とし、野の草は白く枯れてその時を得ず、上は天の光を覆い、下は地の財を尽くす。これが火に遁れることである。この五つは、一つだけでも天下を亡ぼすに足る。
是故古者明堂之制,下之潤濕弗能及,上之霧露弗能入,四方之風弗能襲;土事不文,木工不斫,金器不鏤;衣無隅差之削,冠無觚蠃之理;堂大足以周旋理文,靜潔足以享上帝、禮鬼神,以示民知儉節。夫聲色五味,遠國珍怪,瑰異奇物,足以變心易志,搖盪精神,感動血氣者,不可勝計也。夫天地之生財也,本不過五。聖人節五行,則治不荒。凡人之性,心和欲得則樂,樂斯動,動斯蹈,蹈斯蕩,蕩斯歌,歌斯舞,歌舞節則禽獸跳矣。人之性,心有憂喪則悲,悲則哀,哀斯憤,憤斯怒,怒斯動,動則手足不靜。人之性有侵犯則怒,怒則血充,血充則氣激,氣激則發怒,發怒則有所釋憾矣。故鐘鼓管簫,幹鏚羽旄,所以飾喜也;衰絰苴杖,哭踴有節,所以飾哀也;兵革羽旄,金鼓斧鉞,所以飾怒也。必有其質,乃為之文。古者聖人在上,政教平,仁愛洽,上下同心,君臣輯睦,衣食有餘,家給人足,父慈子孝,兄良弟順,生者不怨,死者不恨,天下和洽,人得其願。
そのため古の明堂の制めは、下の湿りが及ぶことができず、上の霧や露が入ることができず、四方の風が襲うことができなかった。土の仕事に文様をつけず、木の工は削らず、金の器は鏤めず、衣には隅を落とす仕立てがなく、冠には角張った筋目がなく、堂の大きさは巡りめぐって文を理めるに足り、静かで清らかなことは上帝を享け鬼神を礼するに足って、民に倹しい節度を知らせ示した。そもそも声や色、五味、遠い国の珍しく怪しいもの、大きく異なり奇しい物で、心を変え志を易え、精神を揺り動かし、血気を感じ動かすに足るものは、数えきれない。そもそも天地が財を生むことは、もともと五つを越えない。聖人が五行を節すれば、治めは荒れない。およそ人の性は、心が和して欲するものを得れば楽しく、楽しければ動き、動けば踏み、踏めば揺れ、揺れれば歌い、歌えば舞う。歌と舞が節されれば禽獣さえ跳ねる。人の性は、心に憂いや喪があれば悲しく、悲しければ哀しみ、哀しめば憤り、憤れば怒り、怒れば動き、動けば手足が静まらない。人の性は、侵され犯されれば怒り、怒れば血が充ち、血が充ちれば気が激し、気が激せば怒りを発し、怒りを発すれば恨みを晴らすところがある。だから鐘・鼓・管・簫、干・鏚・羽・旄は喜びを飾るゆえのものであり、衰・絰・苴・杖、哭と踊に節があるのは哀しみを飾るゆえのものであり、兵・革・羽・旄、金・鼓・斧・鉞は怒りを飾るゆえのものである。必ずその質があってこそ、その文を施す。古、聖人が上に在って、政と教えは平らかで、仁と愛はゆきわたり、上下は心を同じくし、君臣は和し睦み、衣食に余りがあり、家ごとに足り人ごとに満ち、父は慈しみ子は孝し、兄は良く弟は順い、生きている者は怨まず、死んだ者は恨まず、天下は和しゆきわたって、人はその願いを得た。
夫人相樂,無所發貺,故聖人為之作樂以和節之。末世之政,田漁重稅,關市急征,澤梁畢禁,網罟無所布,耒耜無以設,民力竭於徭役,財用殫於會賦,居者無食,行者無糧,老者不養,死者不葬,贅妻鬻子,以給上求,猶弗能澹,愚夫蠢婦皆有流連之心,悽愴之志,乃使始為之撞大鐘,擊鳴鼓,吹竽笙,彈琴瑟,失樂之本矣。古者上求薄而民用給,君施其德,臣盡其忠,父行其慈,子竭其孝,各致其愛而無憾恨其間。夫三年之喪,非強而致之,聽樂不樂,食旨不甘,思慕之心,未能絕也。晚世風流俗敗,嗜欲多,禮義廢,君臣相欺,父子相疑,怨尤充胸,思心盡亡,被衰戴絰,戲笑其中,雖致之三年,失喪之本也。古者天子一畿,諸侯一同,各守其分,不得相侵,有不行王道者,暴虐萬民,爭地侵壤,亂政犯禁,召之不至,令之不行,禁之不止,誨之不變,乃舉兵而伐之,戮其君,易其党,封其墓,類其社,卜其子孫以代之。晚世務廣地侵壤,並兼無已,舉不義之兵,伐無罪之國,殺不辜之民,絕先聖之後,大國出攻,小國城守,驅人之牛馬,傒人之子女,毀人之宗廟,遷人之重寶,血流千里,暴骸滿野,以澹貪主之欲,非兵之所為生也。
そもそも人が互いに楽しんでも、それを発する手立てがないので、聖人はそのために楽を作って和し節した。末の世の政は、田や漁に重い税をかけ、関や市に急いで徴し、沢や梁をすべて禁じるので、網を張るところがなく、耒や耜を据えるところがなく、民の力は徭役に尽き、財の用は賦に尽き、居る者に食がなく、行く者に糧がなく、老いた者は養われず、死んだ者は葬られず、妻を質に入れ子を売って上の求めに供えても、なお満たすことができず、愚かな夫も鈍い妻もみな流れさすらう心、悲しみ痛む志を抱いているのに、そこでようやく大きな鐘を撞かせ、鳴る鼓を撃たせ、竽や笙を吹かせ、琴や瑟を弾かせる。楽の本を失ったのである。古は上の求めが薄くて民の用は足り、君はその徳を施し、臣はその忠を尽くし、父はその慈しみを行い、子はその孝を尽くし、それぞれその愛を致してそのあいだに恨みがなかった。そもそも三年の喪は、無理に強いてそうさせるのではなく、楽を聴いても楽しくなく、旨いものを食べても甘くなく、思い慕う心を絶つことができないからである。末の世には風が流れ俗が敗れ、嗜みと欲が多く、礼儀は廃れ、君と臣は互いに欺き、父と子は互いに疑い、怨みと咎めが胸に充ち、思い慕う心はすべて失せ、衰を被り絰を戴いたまま、そのなかで戯れ笑う。たとえ三年に至らせても、喪の本を失っているのである。古、天子は一畿、諸侯は一同で、それぞれその分を守って互いに侵すことができず、王道を行わない者があって、万民を暴虐し、地を争い土を侵し、政を乱し禁を犯し、召しても至らず、令しても行わず、禁じても止まず、教えても変わらなければ、そこで兵を挙げてこれを伐ち、その君を戮し、その党を替え、その墓を封じ、その社を類し、その子孫を卜って代わらせた。末の世には地を広げ土を侵すことに務め、併せ兼ねることに止まりがなく、不義の兵を挙げ、罪なき国を伐ち、罪なき民を殺し、先の聖の後を絶ち、大国は出て攻め、小国は城を守り、人の牛馬を駆り、人の子女を繋ぎ、人の宗廟を壊し、人の重い宝を移し、血は千里に流れ、露わな骸は野に満ちて、貪る主の欲を満たす。兵が生まれたゆえんではない。
故兵者,所以討暴,非所以為暴也;樂者,所以致和,非所以為淫也;喪者,所以盡哀,非所以為偽也。故事親有道矣,而愛為務;朝廷有容矣,而敬為上;處喪有禮矣,而哀為主;用兵有術矣,而義為本。本立而道行,本傷而道廢。
だから兵は暴れるものを討つゆえのものであって、暴れるためのものではない。楽は和を致すゆえのものであって、溺れるためのものではない。喪は哀しみを尽くすゆえのものであって、偽るためのものではない。だから親に事えるには道があるが、愛が務めとなり、朝廷には姿があるが、敬が上となり、喪に居るには礼があるが、哀しみが主となり、兵を用いるには術があるが、義が本となる。本が立てば道は行われ、本が傷めば道は廃れる。