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齊俗訓

淮南子(淮南の学士たちの書) 淮南子 · 劉安と文客たち · 紀元前139年頃 · 段落 27 · 漢字 7,780字 · 朗読 31.1分

淮南子(淮南の学士たちの書) 漢の淮南王・劉安が文客たちとともに編んだ書である。道徳経・荘子・列子に続く道家の四番目の位置に置かれるが、一人の声ではなく、幾つもの手が分けて書いた百科に近い。天と地の枠組み(天文・地形・時則)、人の精神と治め、兵法と箴言までを一つの家に全部入れてある。 嫦娥が西王母の不死の薬を盗んで月へ逃げたという話が初めて記されたところが覧冥訓である。今に伝わる月の神話の根がここの一行である。 説山訓と説林訓の二篇は短い箴言を次々に並べており、道応訓は物語五十五段のそれぞれを「ゆえに老子が言うには」で結ぶ。古い話を道徳経の句に一つずつ合わせてみたことになる。 時則訓は東方の果てを「碣石山を過ぎ、朝鮮を過ぎる」と定め、人間訓は秦の始皇が長い城を築いて「東は朝鮮に結んだ」と記す。漢の初めに朝鮮がどのあたりと考えられていたかを示す二箇所である。

率性而行謂之道,得其天性謂之德。性失然後貴仁,道失然後貴義。是故仁義立而道德遷矣,禮樂飾則純樸散矣,是非形則百姓眩矣,珠玉尊則天下爭矣。凡此四者,衰世之造也,末世之用也。夫禮者,所以別尊卑,異貴賤;義者,所以合君臣、父子、兄弟、夫妻、朋友之際也。今世之為禮者,恭敬而忮;為義者,布施而德;君臣以相非,骨肉以生怨,則失禮義之本也,故搆而多責。夫水積則生相食之魚,土積則生自淫之獸,禮義飾則生偽匿之本。夫吹灰而欲無眯,涉水而欲無濡,不可得也。古者,民童蒙不知東西,貌不羨乎情,而言不溢乎行。其衣致煖而無文,其兵戈銖而無刃,其歌樂而無轉,其哭哀而無聲。鑿井而飲,耕田而食。無所施其美,亦不求得。親戚不相毀譽,朋友不相怨德。及至禮義之生,貨財之貴,而詐偽萌興,非譽相紛,怨德並行,於是乃有曾參、孝己之美,而生盜跖、莊蹻之邪。

性に率って行うことを道といい、その天の性を得ることを徳という。性を失ってから仁を貴び、道を失ってから義を貴ぶ。そのため仁義が立って道徳が移り、礼楽が飾られて純朴が散り、是非が形をなして民が眩み、珠や玉が尊ばれて天下が争った。およそこの四つは衰えた世が造ったものであり、末の世が用いるものである。そもそも礼は尊卑を別け貴賤を異にするゆえのものであり、義は君臣・父子・兄弟・夫妻・朋友の境を合わせるゆえのものである。いまの世で礼を行う者は恭しくしながら妬み、義を行う者は施しながら徳としようとし、君臣は互いを非とし、骨肉は怨みを生む。礼義の本を失っているので、もつれて責めが多い。そもそも水が積もれば互いを食う魚が生じ、土が積もれば自ら溢れる獣が生じ、礼義が飾られれば偽り隠す本が生じる。そもそも灰を吹いて目に入るまいと願い、水を渉って濡れまいと願っても、思い通りにはならない。古、民は幼くおぼろで東西も知らず、姿は情を越えず、言葉は行いを溢れなかった。その衣は暖かさを成しながら文様がなく、その兵や戈は鈍くて刃がなく、その歌は楽しくても抑揚がなく、その哭は哀しくても声を立てなかった。井を穿って飲み、田を耕して食べた。その美しさを施すところがなく、また得ようとも求めなかった。親戚は互いに謗り誉めず、朋友は互いに怨み徳としなかった。礼義が生じ、貨財が貴ばれるに及んで、詐りと偽りが芽ばえ興り、非と誉れが互いに紛れ、怨みと徳がともに行われた。そこで曾参や孝己の美しさがあり、盗跖や荘蹻の邪さが生じた。

故有大路龍旂,羽蓋垂緌,結駟連騎,則必有穿窬拊楗、抽箕踰備之姦;有詭文繁繡,弱緆羅紈,必有菅屩跐踦,短褐不完者。故高下之相傾也,短脩之相形也,亦明矣。夫蝦蟆為鶉,水蠆為𧐟莣,皆生非其類,唯聖人知其化。夫胡人見黂,不知其可以為布也;越人見毳,不知其可以為旃也。故不通於物者,難與言化。昔太公望、周公旦受封而相見,太公問周公曰:「何以治魯?」周公曰:「尊尊親親。」太公曰:「魯從此弱矣!」周公問太公曰:「何以治齊?」太公曰:「舉賢而上功。」周公曰:「後世必有劫殺之君!」其後,齊日以大,至於霸,二十四世而田氏代之;魯日以削,至三十二世而亡。故易曰:「履霜,堅冰至。」聖人之見終始微言!

だから大きな車、龍の旗、羽の蓋、垂れた纓、四頭立てと連なる騎があれば、必ず壁を穿ち楗を叩き、箕を抜き備えを越える奸がある。奇しい文様や繁い繡、薄い縑や羅や紈があれば、必ず菅の履で足を引きずり、短い褐の衣が満足でない者がある。だから高低が互いを傾け、短長が互いを形づくることも、また明らかである。そもそも蝦蟆が鶉となり、水蠆が蜻蛉となるのは、みなそのたぐいでないところから生じるので、ただ聖人だけがその変化を知る。そもそも胡の人は麻の実を見てもそれが布にできることを知らず、越の人は毳を見てもそれが旃にできることを知らない。だから物に通じていない者とは、変化を語りがたい。かつて太公望と周公旦が封を受けて互いに会ったとき、太公が周公に問うた。「何によって魯を治めるのか。」周公はこういった。「尊い者を尊び、親しい者を親しむ。」太公はこういった。「魯はこれから弱くなろう。」周公が太公に問うた。「何によって斉を治めるのか。」太公はこういった。「賢を挙げ功を上とする。」周公はこういった。「後の世に必ず脅し殺す君が出よう。」その後、斉は日ごとに大きくなって覇に至ったが、二十四代で田氏がこれに代わり、魯は日ごとに削られて、三十二代で亡んだ。だから『易』にいう。「霜を履めば、堅い氷が至る。」聖人が終わりと始めを微かな言葉のうちに見たのである。

故糟丘生乎象箸,炮烙生乎熱斗。子路撜溺而受牛謝,孔子曰:「魯國必好救人於患。」子贛贖人而不受金於府,孔子曰:「魯國不復贖人矣。」子路受而勸德,子贛讓而止善。孔子之明,以小知大,以近知遠,通於論者也。由此觀之,廉有所在,而不可公行也。故行齊於俗,可隨也;事周於能,易為也。矜偽以惑世,伉行以違眾,聖人不以為民俗。廣廈闊屋,連闥通房,人之所安也,鳥入之而憂。高山險阻,深林叢薄,虎豹之所樂也,人入之而畏。川谷通原,積水重泉,黿鼉之所便也,人入之而死。咸池、承雲,九韶、六英,人之所樂也,鳥獸聞之而驚。深谿峭岸,峻木尋枝,猿狖之所樂也,人上之而慄。形殊性詭,所以為樂者乃所以為哀,所以為安者乃所以為危也。乃至天地之所覆載,日月之所照誋,使各便其性,安其居,處其宜,為其能。

だから糟の丘は象牙の箸から生じ、炮烙は熱した斗から生じた。子路が溺れた者を引き上げて牛を謝礼に受けると、孔子はこういった。「魯の国は必ず患いのなかから人を救うことを好むようになる。」子贛が人を贖って府から金を受けないと、孔子はこういった。「魯の国はもう人を贖わなくなる。」子路は受けて徳を勧め、子贛は辞して善を止めた。孔子の明るさは、小さなものによって大きなものを知り、近いものによって遠いものを知る、論に通じた者である。これから見れば、清廉さにも在るべき所があって、おおやけに行ってよいものではない。だから行いが俗に揃っていれば従えるし、事が能に適っていれば為しやすい。偽りを誇って世を惑わし、行いを高くして多数に違うことは、聖人は民の俗としない。広い廈や闊い屋、連なる門や通じた房は人が安らぐところだが、鳥が入れば憂える。高い山や険しい所、深い林や藪は虎や豹が楽しむところだが、人が入れば畏れる。川や谷、通じた源、積んだ水や重なる泉は黿や鼉が便とするところだが、人が入れば死ぬ。咸池・承雲・九韶・六英は人が楽しむところだが、鳥獣が聞けば驚く。深い谿や切り立った岸、高い木や長い枝は猿が楽しむところだが、人が上れば慄く。形が殊なり性が違うので、楽しみとなるゆえのものがそのまま哀しみとなるゆえのものであり、安らぎとなるゆえのものがそのまま危うさとなるゆえのものである。天地が覆い載せるところ、日月が照らすところのすべてに至るまで、それぞれその性に便であり、その居に安らぎ、その適うところに処り、その能ずることを為すようにさせる。

故愚者有所脩,智者有所不足;柱不可以摘齒,筐不可以持屋;馬不可以服重,牛不可以追速;鉛不可以為刀,銅不可以為弩;鐵不可以為舟,木不可以為釜。各用之於其所適,施之於其所宜,即萬物一齊,而無由相過。夫明鏡便於照形,其於以函食,不如簞;犧牛粹毛,宜於廟牲,其於以致雨,不若黑蜧。由此觀之,物無貴賤。因其所貴而貴之,物無不貴也;因其所賤而賤之,物無不賤也。夫玉璞不厭厚,角䚩不厭薄;漆不厭黑,粉不厭白。此四者相反也,所急則均,其用一也。今之裘與蓑,孰急?見雨則裘不用,升堂則蓑不御,此代為常者也。譬若舟、車、楯、肆、窮廬,故有所宜也。故老子曰「不上賢」者,言不致魚於木,沉鳥於淵。

だから愚かな者にも修めたところがあり、知ある者にも足らないところがある。柱で歯をつつくことはできず、筐で屋を支えることはできず、馬に重い荷を負わせることはできず、牛に速さを追わせることはできず、鉛で刀を作ることはできず、銅で弩を作ることはできず、鉄で舟を作ることはできず、木で釜を作ることはできない。それぞれ適うところに用い、宜しいところに施せば、万物は等しく揃って、互いに過ぎるすべがない。そもそも明るい鏡は形を照らすのに便だが、それで食べ物を入れるには竹の器に及ばない。犠牛の純らかな毛は廟の牲に適うが、それで雨を招くには黒い蜧に及ばない。これから見れば、物に貴賤はない。その貴いところに因って貴べば、物に貴くないものはなく、その賤しいところに因って賤しめば、物に賤しくないものはない。そもそも玉の璞は厚いことを厭わず、角の簪は薄いことを厭わず、漆は黒いことを厭わず、粉は白いことを厭わない。この四つは互いに反対だが、急ぎとされることは均しく、その用は一つである。いま皮衣と蓑では、どちらが急か。雨になれば皮衣は用いられず、堂に上がれば蓑は使われない。これは交替で常となるものである。たとえば舟・車・楯・店・窮廬のようなもので、もともと宜しいところがある。だから老子がいう「賢を上とせず」とは、魚を木に至らせず、鳥を淵に沈めないことをいうのである。

故堯之治天下也,舜為司徒,契為司馬,禹為司空,后稷為大田師,奚仲為工。其導萬民也,水處者漁,山處者木,谷處者牧,陸處者農。地宜其事,事宜其械,械宜其用,用宜其人。澤皋織網,陵阪耕田,得以所有易所無,以所工易所拙,是故離叛者寡,而聽從者眾。譬若播棋丸於地,員者走澤,方者處高,各從其所安,夫有何上下焉!若風之遇簫,忽然感之,各以清濁應矣。夫猿狖得茂木,不舍而穴;狟貉得埵防,弗去而緣;物莫避其所利而就其所害。是故鄰國相望,雞狗之音相聞,而足跡不接諸侯之境,車軌不結千里之外者,皆各得其所安。故亂國若盛,治國若虛,亡國若不足,存國若有餘。虛者非無人也,皆守其職也;盛者非多人也,皆徼於末也;有餘者非多財也,欲節事寡也;不足者非無貨也,民躁而費多也。

だから堯が天下を治めたとき、舜が司徒となり、契が司馬となり、禹が司空となり、后稷が大田師となり、奚仲が工となった。万民を導くとき、水に住む者は漁り、山に住む者は木を採り、谷に住む者は牧い、陸に住む者は農んだ。地はその事に宜しく、事はその械に宜しく、械はその用に宜しく、用はその人に宜しかった。沢や皋で網を織り、陵や阪で田を耕し、有るものによって無いものを易え、巧みなものによって拙いものを易えることを得たので、離れ叛く者は少なく、聴き従う者が多かった。たとえば碁石を地に撒くようなもので、丸いものは低い所へ転がり、方なものは高い所に留まり、それぞれ安らぐところに従う。そこにどんな上下があろうか。風が簫に出会うようなもので、ふっと感じれば、それぞれ清濁で応じる。そもそも猿は茂った木を得れば、それを捨てて穴に住まず、狟や貉は土手を得れば、それを去って登らない。物はその利するところを避けてその害するところへ就くことはない。そのため隣国が互いに見え、鶏や犬の声が互いに聞こえても、足跡が諸侯の境に接せず、車の轍が千里の外に結ばれないのは、みなそれぞれ安らぐところを得ているからである。だから乱れた国は盛んなようであり、治まった国は虚しいようであり、亡ぶ国は足らないようであり、存る国は余りがあるようである。虚しいとは人がいないのではなく、みなその職を守っているのである。盛んとは人が多いのではなく、みな末を求めているのである。余りがあるとは財が多いのではなく、欲が節され事が少ないのである。足らないとは貨がないのではなく、民が騒がしく費が多いのである。

故先王之法籍,非所作也,其所因也。其禁誅,非所為也,其所守也。凡以物治物者不以物,以睦;治睦者不以睦,以人;治人者不以人,以君;治君者不以君,以欲;治欲者不以欲,以性;治性者不於性,以德;治德者不以德,以道。原人之性,蕪濊而不得清明者,物或堁之也。羌、氐、僰、翟,嬰兒生皆同聲,及其長也,雖重象狄騠,不能通其言,教俗殊也。今三月嬰兒,生而徙國,則不能知其故俗。由此觀之,衣服禮俗者,非人之性也,所受於外也。夫竹之性浮,殘以為牒,束而投之水,則沉,失其體也。金之性沉,託之於舟上則浮,勢有所支也。夫素之質白,染之以涅則黑;縑之性黃,染之以丹則赤。人之性無邪,久湛於俗則易。易而忘本,合於若性。

だから先王の法や籍は作ったものではなく、因ったものである。その禁や誅は為したものではなく、守ったものである。およそ物によって物を治める者は物によらずに睦みによる。睦みを治める者は睦みによらずに人による。人を治める者は人によらずに君による。君を治める者は君によらずに欲による。欲を治める者は欲によらずに性による。性を治める者は性においてせずに徳による。徳を治める者は徳によらずに道による。人の性を推せば、荒れ汚れて清らかな明るさを得られないのは、物が塵を着けるからである。羌・氐・僰・翟は、嬰児が生まれたときはみな同じ声なのに、成長するに及んでは、たとえ幾重に通訳してもその言葉を通じることができない。教えと俗が異なるからである。いま三月の嬰児が生まれて国を移れば、その元の俗を知ることができない。これから見れば、衣服や礼俗は人の性ではなく、外から受けたものである。そもそも竹の性は浮くが、裂いて札にし、束ねて水に投げれば沈む。その体を失ったからである。金の性は沈むが、これを舟の上に託せば浮く。勢いに支えるものがあるからである。そもそも素の質は白いが、涅で染めれば黒く、縑の性は黄だが、丹で染めれば赤い。人の性に邪はないが、長く俗に浸れば易わる。易わって本を忘れれば、性のようなものに合う。

故日月欲明,浮雲蓋之;河水欲清,沙石濊之;人性欲平,嗜欲害之。惟聖人能遺物而反己。夫乘舟而惑者,不知東西,見斗極則寤矣。夫性,亦人之斗極也。有以自見也,則不失物之情;無以自見,則動而惑營。譬若隴西之游,愈躁愈沉。孔子謂顏回曰:「吾服汝也忘,而汝服於我也亦忘。雖然,汝雖忘乎,吾猶有不忘者存。」孔子知其本也。夫縱欲而失性,動未嘗正也,以治身則危,以治國則亂,以入軍則破。是故不聞道者,無以反性。故古之聖王,能得諸己,故令行禁止,名傳後世,德施四海。是故凡將舉事,必先平意清神。神清意平,物乃可正。若璽之抑埴,正與之正,傾與之傾。故堯之舉舜也,決之於目;桓公之取甯戚也,斷之於耳而已矣。為是釋術數而任耳目,其亂必甚矣。

だから日や月は明るくありたいのに浮雲が覆い、河の水は清くありたいのに砂や石が汚し、人の性は平らかでありたいのに嗜みと欲が害する。ただ聖人だけが物を捨てて自分に返ることができる。そもそも舟に乗って惑った者は東西が分からないが、斗と極を見れば覚める。そもそも性もまた人の斗と極である。自ら見ることがあれば物の情を失わず、自ら見ることがなければ動いて惑い迷う。たとえば隴西の泳ぎのようで、焦るほど沈む。孔子は顔回にこういった。「私がおまえに服することも忘れ、おまえが私に服することも忘れた。しかし、おまえが忘れたとしても、私にはなお忘れないものが残っている。」孔子はその本を知っていたのである。そもそも欲を放って性を失えば、動くことがいまだ正しかったことがなく、それで身を治めれば危うく、国を治めれば乱れ、軍に入れば破れる。そのため道を聞かない者は、性に返るすべがない。だから古の聖王は自分において得ることができたので、令が行われ禁が守られ、名が後の世に伝わり、徳が四海に施された。そのため、およそ事を起こそうとするなら、必ずまず意を平らかにし神を清くする。神が清く意が平らかであれば、物は正しくなりうる。璽が粘土を押すようなもので、正しければそれも正しく、傾いていればそれも傾く。だから堯が舜を挙げたのは目において決め、桓公が甯戚を取ったのは耳において断じただけである。これによって術や数を捨てて耳目に任せれば、その乱れは必ず甚しい。

夫耳目之可以斷也,反情性也;聽失於誹譽,而目淫於采色,而欲得事正,則難矣。夫載哀者聞歌聲而泣,載樂者見哭者而笑。哀可樂者,笑可哀者,載使然也,是故貴虛。故水擊則波興,氣亂則智昏。智昏不可以為政,波水不可以為平。故聖王執一而勿失,萬物之情既矣,四夷九州服矣。夫一者至貴,無適於天下。聖人託於無適,故民命繫矣。為仁者必以哀樂論之,為義者必以取予明之。目所見不過十里,而欲遍照海內之民,哀樂弗能給也。無天下之委財,而欲遍澹萬民,利不能足也。且喜怒哀樂,有感而自然者也。故哭之發於口,涕之出於目,此皆憤於中而形於外者也。譬若水之下流,煙之上尋也,夫有孰推之者!

そもそも耳目によって断じうるのは、情と性に返ることによってである。聴くことが謗りと誉れにおいて失われ、目が彩りの色に溺れていながら、事が正しくなることを得ようとすれば、難しい。そもそも哀しみを載せた者は歌声を聞いて泣き、楽しみを載せた者は哭く者を見て笑う。哀しいものを楽しみ、笑うべきものを哀しむのは、載せたものがそうさせるのだから、それゆえ虚を貴ぶ。だから水を打てば波が興り、気が乱れれば知が昏む。知が昏めば政を為せず、波立つ水で平らかさを測れない。だから聖王は一を執って失わないので、万物の情は尽き、四夷と九州が服する。そもそも一は至って貴く、天下にそれに敵うものがない。聖人は敵うものなきものに託すので、民の命が繋がれる。仁を為す者は必ず哀しみと楽しみによってそれを論じ、義を為す者は必ず取ることと与えることによってそれを明らかにする。目が見るところは十里を越えないのに、海内の民をあまねく照らそうとすれば、哀しみと楽しみでは足りない。天下の集めた財がないまま万民をあまねく満たそうとすれば、利では足りない。また喜怒哀楽は、感じるものがあって自ずとそうなるものである。だから哭が口から発し、涕が目から出るのは、みな内で憤って外に形をなしたものである。たとえば水が下へ流れ、煙が上へ尋ねるようなもので、誰がそれを推すだろうか。

故強哭者雖病不哀,強親者雖笑不和。情發於中而聲應於外,故釐負羈之壺餐,愈於晉獻公之垂棘;趙宣孟之束脯,賢於智伯之大鐘。故禮豐不足以效愛,而誠心可以懷遠。故公西華之養親也,若與朋友處,曾參之養親也,若事嚴主烈君,其于養,一也。故胡人彈骨,越人契臂,中國歃血也,所由各異,其於信,一也。三苗髽首,羌人括領,中國冠笄,越人劗鬋,其於服,一也。帝顓頊之法,婦人不辟男子於路者,拂之於四達之衢,今之國都,男女切踦,肩摩於道,其於俗,一也。故四夷之禮不同,皆尊其主而愛其親,敬其兄;獫狁之俗相反,皆慈其子而嚴其上。夫鳥飛成行,獸處成群,有孰教之!故魯國服儒者之禮,行孔子之術,地削名卑,不能親近來遠。越王句踐劗髮文身,無皮弁搢笏之服,拘罷拒折之容,然而勝夫差於五湖,南面而霸天下,泗上十二諸侯皆率九夷以朝。胡、貉、匈奴之國,縱體拖髮,箕倨反言,而國不亡者,未必無禮也。楚莊王裾衣博袍,令行乎天下,遂霸諸侯。晉文君大布之衣,牂羊之裘,韋以帶劍,威立於海內。豈必鄒、魯之禮之謂禮乎!

だから無理に哭く者は、たとえ病んでも哀しくなく、無理に親しむ者は、たとえ笑っても和さない。情が内から発して声が外に応じるので、釐負羈の壺の飯は晋の献公の垂棘に優り、趙宣孟の束ねた脯は智伯の大きな鐘より賢い。だから礼が豊かであっても愛を表すには足らず、誠の心は遠い者を懐けることができる。だから公西華が親を養うさまは朋友と居るようであり、曾参が親を養うさまは厳しい主、烈しい君に事えるようであったが、養うことにおいては一つである。だから胡の人は骨を弾き、越の人は腕に刻み、中国は血を啜る。由るところはそれぞれ異なるが、信においては一つである。三苗は髪を束ね、羌の人は領を括り、中国は冠と笄をつけ、越の人は髪を剃る。服においては一つである。帝顓頊の法では、婦人が路で男子を避けなければ、四つ辻で払われたが、いまの国都では男女が足を触れ合い、肩が路で擦れる。俗においては一つである。だから四夷の礼は同じでないが、みなその主を尊びその親を愛しその兄を敬い、獫狁の俗は正反対だが、みなその子を慈しみその上を厳しくする。そもそも鳥が飛べば行を成し、獣が居れば群を成す。誰がこれを教えたろうか。だから魯の国は儒者の礼を身につけ孔子の術を行ったが、地は削られ名は卑しくなり、近い者を親しみ遠い者を来させることができなかった。越王句踐は髪を剃り身に文を彫り、皮の弁や笏を挿す服も、屈み折れる姿もなかったが、夫差を五湖で勝ち、南面して天下に覇たり、泗水のほとりの十二の諸侯がみな九夷を率いて朝した。胡・貉・匈奴の国は、体を放ち髪を垂らし、箕のように座り言葉を逆さにするが、国が亡びないのは、必ずしも礼がないからではない。楚の荘王は裾の衣と広い袍で、令は天下に行われ、ついに諸侯に覇たった。晋の文君は粗い布の衣、牝羊の皮衣に、韋で剣を帯びて、威は海内に立った。どうして必ず鄒や魯の礼だけを礼というだろうか。

是故入其國者從其俗,入其家者避其諱,不犯禁而入,不忤逆而進,雖之夷狄徒裸之國,結軌乎遠方之外,而無所困矣。禮者,實之文也;仁者,恩之效也。故禮因人情而為之節文,而仁發恲以見容。禮不過實,仁不溢恩也,治世之道也。夫三年之喪,是強人所不及也,而以偽輔情也。三月之服,是絕哀而迫切之性也。夫儒、墨不原人情之終始,而務以行相反之制,五縗之服。悲哀抱於情,葬薶稱於養,不強人之所不能為,不絕人之所能已,度量不失於適,誹譽無所由生。古者,非不知繁升降槃還之禮也,蹀采齊、肆夏之容也,以為曠日煩民而無所用,故制禮足以佐實喻意而已矣。古者,非不能陳鐘鼓,盛筦簫,揚干戚,奮羽旄,以為費財亂政,制樂足以合歡宣意而已,喜不羨於音。非不能竭國麋民,虛府殫財,含珠鱗施,綸組節束,追送死也,以為窮民絕業而無益於槁骨腐肉也,故葬薶足以收斂蓋藏而已。

そのためその国に入る者はその俗に従い、その家に入る者はその諱を避け、禁を犯さずに入り、逆らわずに進めば、たとえ夷狄や裸の国へ行き、遠い地方の外に車を繋いでも、困るところがない。礼は実の文であり、仁は恩の現れである。だから礼は人の情に因って節と文をなし、仁は溢れ発して姿に見える。礼が実を過ぎず、仁が恩を溢れないことが、治まる世の道である。そもそも三年の喪は、人が及ばないところを無理にさせ、偽りによって情を輔けるものである。三月の服は、哀しみを絶って性を追い立てるものである。そもそも儒と墨は人の情の終始に本づかずに、互いに反対の制め、五つの衰の服を行うことに務める。悲しみと哀しみが情に抱かれ、葬り埋めることが養いに称い、人の為しえないことを無理にさせず、人の止めうることを絶たず、度と量が適いを失わなければ、謗りと誉れが由って生じるところがない。古は、煩わしい昇り降りや巡りめぐる礼、采齊や肆夏の歩みを知らなかったのではなく、日を費やし民を煩わせて用いるところがないと思ったので、礼を制めることは実を佐け意を喻えるに足るだけにした。古は、鐘や鼓を陳べ、筦や簫を盛んにし、干や戚を揚げ、羽や旄を奮うことができなかったのではなく、財を費やし政を乱すと思ったので、楽を制めることは歓びを合わせ意を宣べるに足るだけにし、喜びが音に溢れなかった。国を尽くし民を枯らし、府を虚しくし財を尽くして、珠を含ませ鱗のように玉を施し、紐で節々を束ねて死者を追い送ることができなかったのではなく、民を窮まらせ業を絶って、枯れた骨、腐った肉に益がないと思ったので、葬り埋めることは収め斂め覆い蔵めるに足るだけにした。

昔舜葬蒼梧,市不變其肆;禹葬會稽之山,農不易其畝;明乎生死之分,通乎侈儉之適者也。亂國則不然,言與行相悖,情與貌相反,禮飾以煩,樂優以淫,崇死以害生,久喪以招行,是以風俗濁於世,而誹譽萌於朝,是故聖人廢而不用也。義者,循理而行宜也;禮者,體情制文者也。義者宜也,禮者體也。昔有扈氏為義而亡,知義而不知宜也;魯治禮而削,知禮而不知體也。有虞氏之祀,其社用土,祀中霤,葬成畝,其樂咸池、承雲、九韶,其服尚黃。夏后氏,其社用松,祀戶,葬牆置翣,其樂夏籥、九成、六佾、六列、六英,其服尚青。殷人之禮,其社用石,祀門,葬樹松,其樂大濩、晨露,其服尚白。周人之禮,其社用栗,祀灶,葬樹柏,其樂大武、三象、棘下,其服尚赤。禮樂相詭,服制相反,然而皆不失親疏之恩,上下之倫。

かつて舜が蒼梧に葬られたとき、市はその店を変えず、禹が会稽の山に葬られたとき、農はその畝を易えなかった。生死の分かれに明るく、奢りと倹しさの適いに通じた者である。乱れた国はそうではない。言葉と行いは互いに背き、情と貌は互いに反し、礼は煩わしさで飾られ、楽は溢れで余らされ、死を崇めて生を害し、喪を長くして行いを売る。それゆえ俗は世において濁り、謗りと誉れは朝で芽ばえる。そのため聖人は廃して用いない。義は理に循って宜しさを行うことであり、礼は情を体として文を制めることである。義とは宜しさであり、礼とは体である。かつて有扈氏は義を行って亡んだ。義を知って宜しさを知らなかったのである。魯は礼を治めて削られた。礼を知って体を知らなかったのである。有虞氏の祀りは、その社に土を用い、中霤を祀り、葬りに畝を成し、その楽は咸池・承雲・九韶で、その服は黄を尚んだ。夏后氏は、その社に松を用い、戸を祀り、葬りに牆をめぐらし翣を立て、その楽は夏籥・九成・六佾・六列・六英で、その服は青を尚んだ。殷の人の礼は、その社に石を用い、門を祀り、葬りに松を植え、その楽は大濩・晨露で、その服は白を尚んだ。周の人の礼は、その社に栗を用い、灶を祀り、葬りに柏を植え、その楽は大武・三象・棘下で、その服は赤を尚んだ。礼楽は互いに違い、服の制めは互いに反するが、どれも親疏の恩、上下の倫を失わなかった。

今握一君之法籍,以非傳代之俗,譬由膠柱而調瑟也。故明主制禮義而為衣,分節行而為帶。衣足以覆形,從典墳,虛循撓,便身體,適行步,不務於奇麗之容,隅眥之削。帶足以結紐收衽,束牢連固,不亟於為文句疏短之□。故制禮義,行至德,而不拘於儒墨。所謂明者,非謂其見彼也,自見而已。所謂聰者,非謂聞彼也,自聞而已。所謂達者,非謂知彼也,自知而已。是故身者,道之所託,身得則道得矣。道之得也,以視則明,以聽則聰,以言則公,以行則從。故聖人裁制物也,猶工匠之斲削鑿枘也,宰庖之切割分別也,曲得其宜而不折傷。拙工則不然,大則塞而不入,小則窕而不周,動於心,枝於手,而愈醜。夫聖人之斲削物也,剖之判之,離之散之;已淫已失,復揆以一;既出其根,復歸其門;已雕已琢,還反於樸。合而為道德,離而為儀表。其轉入玄冥,其散應無形。禮義節行,又何以窮至治之本哉!世之明事者,多離道德之本,曰禮義足以治天下,此未可與言術也。

いま一人の君の法や籍を握って、代を伝えてきた俗を非とするのは、たとえば琴柱を膠で止めて瑟を調えるようなものである。だから明るい主は礼義を制めて衣とし、節や行を分けて帯とする。衣は形を覆うに足りて、典や墳に従い、虚ろにたわみに循い、身体を便にし、歩みに適うようにして、奇しく麗しい姿や隅を落とす仕立てに務めない。帯は紐を結び衽を収め、束ね固め繋ぎ固めるに足りて、文や句、疏く短い□を作ることに急がない。だから礼義を制め、至徳を行って、儒や墨に拘われない。いわゆる明るさとは、あちらを見ることをいうのではなく、自ら見ることだけである。いわゆる聡さとは、あちらを聞くことをいうのではなく、自ら聞くことだけである。いわゆる達することとは、あちらを知ることをいうのではなく、自ら知ることだけである。そのため身は道が託されるところであって、身を得れば道を得る。道を得れば、視れば明るく、聴けば聡く、語れば公らかで、行えば従われる。だから聖人が物を裁き制めることは、工匠が削り鑿ち枘を作るようであり、宰や庖が切り割き分けるようであって、曲がりごとにその宜しさを得て、折り傷めない。拙い工はそうではなく、大きければ塞がって入らず、小さければ緩んであまねく及ばず、心で動き手で狂って、ますます醜い。そもそも聖人が物を削ることは、割き判け、離し散らし、溢れ失われれば、また一によって測り、その根から出てしまえば、またその門へ帰らせ、彫り刻んでしまえば、また朴へ返す。合わせれば道徳となり、離せば儀表となる。それが転じて玄冥に入り、散じて形なきものに応じる。礼義や節や行が、どうして至上の治めの本を窮めうるだろうか。世の事に明るい者は、しばしば道徳の本を離れて、礼義で天下を治めるに足るという。これはともに術を語ることができない。

所謂禮義者,五帝三王之法籍風俗,一世之跡也。譬若芻狗土龍之始成,文以青黃,絹以綺繡,纏以朱絲,尸祝袀袨,大夫端冕以送迎之。及其已用之後,則壤土草薊而已,夫有孰貴之!故當舜之時,有苗不服,於是舜修政偃兵,執干戚而舞之。禹之時,天下大雨,禹令民聚土積薪,擇丘陵而處之。武王伐紂,載尸而行,海內未定,故不為三年之喪始。禹遭洪水之患,陂塘之事,故朝死而暮葬。此皆聖人之所以應時耦變,見形而施宜者也。今之修干戚而笑钁插,知三年非一日,是從牛非馬,以徵笑羽也。以此應化,無以異於彈一絃而會棘下。夫以一世之變,欲以耦化應時,譬猶冬被葛而夏被裘。夫一儀不可以百發,一衣不可以出歲。儀必應乎高下,衣必適乎寒暑。

いわゆる礼義とは、五帝三王の法や籍、風俗であって、ひとつの世の跡である。たとえば芻の狗や土の龍ができたばかりのときは、青や黄で文様をつけ、綺や繡で包み、朱の糸で纏い、尸祝は黒い礼服を着、大夫は端の服と冕で迎え送る。それがすでに用いられた後になれば、土くれと草の屑にすぎず、誰がこれを貴ぶだろうか。だから舜の時に有苗が服さなかったとき、舜は政を修め兵を伏せて、干と戚を執って舞った。禹の時に天下に大雨が降ったとき、禹は民に土を集め薪を積ませ、丘陵を択んでそこに居らせた。武王が紂を伐つとき、尸を載せて行き、海内がまだ定まっていなかったので、三年の喪をせずに始めた。禹は洪水の患いと堤や塘の事に遭ったので、朝に死んで夕べに葬った。これはみな聖人が時に応じ変化に組み、形を見て宜しさを施したものである。いま干と戚を修めて鋤や鋤先を笑い、三年を知って一日を非とするのは、牛に従って馬を非とすることであり、徴によって羽を笑うことである。これによって変化に応じるのは、一本の弦を弾いて棘下に合わせるのと変わらない。そもそもひとつの世の変わりようによって、変化に組み時に応じようとするのは、たとえば冬に葛を被って夏に皮衣を被るようなものである。そもそもひとつの基準で百度射ることはできず、ひとつの衣で年を越すことはできない。基準は必ず高低に応じ、衣は必ず寒暑に適わなければならない。

是故世異則事變,時移則俗易。故聖人論世而立法,隨時而舉事。尚古之王,封於泰山,禪於梁父,七十餘聖,法度不同,非務相反也,時世異也。是故不法其已成之法,而法其所以為法。所以為法者,與化推移者也。夫能與化推移為人者,至貴在焉爾。故狐梁之歌可隨也,其所以歌者不可為也;聖人之法可觀也,其所以作法不可原也;辯士言可聽也,其所以言不可形也。淳均之劍不可愛也,而歐冶之巧可貴也。今夫王喬、赤誦子,吹嘔呼吸,吐故內新,遺形去智,抱素反真,以游玄眇,上通雲天。今欲學其道,不得其養氣處神,而放其一吐一吸,時詘時伸,其不能乘雲升假亦明矣。五帝三王,輕天下,細萬物,齊死生,同變化,抱大聖之心,以鏡萬物之情,上與神明為友,下與造化為人。

そのため世が異なれば事は変わり、時が移れば俗は易わる。だから聖人は世を論じて法を立て、時に随って事を起こす。古の王は泰山に封じ梁父に禅ったが、七十余りの聖で法度は同じでなかった。互いに反することに務めたのではなく、時と世が異なったのである。そのためすでに成った法に法らず、それが法となったゆえのものに法る。法となったゆえのものは、変化とともに移るものである。そもそも変化とともに移って人となりうるところに、至って貴いものが在る。だから狐梁の歌は従えても、それが歌となったゆえのものは為しえず、聖人の法は観られても、それが法を作ったゆえのものは推しえず、弁士の言葉は聴けても、それが語ったゆえのものは形にできない。淳均の剣は愛しむほどのものではないが、歐冶の巧みさは貴ぶに足る。いま王喬や赤誦子は、吹き吐き息をして、古いものを吐き新しいものを納め、形を捨て知を去り、素を抱き真へ返って、玄妙なところに遊び、上は雲の天に通じる。いまその道を学ぼうとして、その気を養い神を置くことを得ないまま、その一吐一吸、時に屈み時に伸びることを倣っても、雲に乗って天へ昇れないことは明らかである。五帝三王は天下を軽んじ、万物を細かいものとし、死生を等しくし、変化を同じくし、大いなる聖の心を抱いて万物の情を鏡とし、上は神明と友となり、下は造化と人となった。

今欲學其道,不得其清明玄聖,而守其法籍憲令,不能為治亦明矣。故曰:「得十利劍,不若得歐冶之巧;得百走馬,不若得伯樂之數。」樸至大者無形狀,道至眇者無度量,故天之圓也不得規,地之方也不得矩。往古來今謂之宙,四方上下謂之宇,道在其間,而莫知其所。故其見不遠者,不可與語大;其智不閎者,不可與論至。昔者馮夷得道,以潛大川;鉗且得道,以處昆侖。扁鵲以治病;造父以御馬,羿以之射,倕以之斲,所為者各異,而所道者一也。夫稟道以通物者,無以相非也。譬若同陂而溉田,其受水均也。今屠牛而烹其肉,或以為酸,或以為甘,煎熬燎炙,齊味萬方,其本一牛之體。伐楩柟豫樟而剖梨之,或為棺槨,或為柱梁,披斷撥檖,所用萬方,然一木之樸也。

いまその道を学ぼうとして、その清らかに明るく玄かに聖らかであることを得ないまま、その法や籍、憲や令を守っても、治めを為せないことは明らかである。だからこういう。「十本の利い剣を得ることは、歐冶の巧みさを得ることに及ばない。百頭の走る馬を得ることは、伯楽の数を得ることに及ばない。」朴が至って大きいものには形も状もなく、道が至って妙なるものには度も量もない。だから天の円さは規では得られず、地の方さは矩では得られない。往く古と来る今を宙といい、四方上下を宇という。道はそのあいだに在るのに、その在る所を知る者がない。だからその見ることが遠くない者とは、ともに大きさを語れず、その知が広くない者とは、ともに極みを論じられない。かつて馮夷は道を得て大きな川に潜み、鉗且は道を得て崑崙に居った。扁鵲はそれで病を治め、造父はそれで馬を御し、羿はそれで射、倕はそれで削った。為すところはそれぞれ異なるが、由るところは一つである。そもそも道を受けて物に通じた者は、互いを非とすることがない。たとえば同じ堤から田に水を引くようなもので、受ける水は均しい。いま牛を屠ってその肉を烹るとき、あるものは酸くし、あるものは甘くし、煎り炒め焼き炙って、味を調えることは万様だが、その本は一頭の牛の体である。楩や柟、豫樟を伐って割き裂けば、あるものは棺や槨となり、あるものは柱や梁となり、裂き断ち割き削って、用いるところは万様だが、一本の木の朴である。

故百家之言,指奏相反,其合道一體也。譬若絲竹金石之會樂同也,其曲家異而不失於體。伯樂、韓風、秦牙、管青,所相各異,其知馬一也。故三皇五帝,法籍殊方,其得民心均也。故湯入夏而用其法,武王入殷而行其禮,桀、紂之所以亡,而湯、武之所以為治。故剞劂銷鋸陳,非良工不能以制木;鑪橐埵坊設,非巧冶不能以冶金。屠牛吐一朝解九牛,而刀以剃毛;庖丁用刀十九年,而刀如新剖硎。何則?游乎眾虛之閒。若夫規矩鉤繩者,此巧之具也,而非所以巧也。故瑟無絃,雖師文不能以成曲;徒絃,則不能悲。故絃,悲之具也,而非所以為悲也。若夫工匠之為連鐖、運開、陰閉、眩錯,入於冥冥之眇,神調之極,游乎心手眾虛之閒,而莫與物為際者,父不能以教子。瞽師之放意相物,寫神愈舞,而形乎絃者,兄不能以喻弟。

だから百家の言葉は、指すところが互いに反するが、道に合うことにおいては一体である。たとえば糸・竹・金・石が楽に会することが同じであるようなもので、その曲は家ごとに異なっても体において失わない。伯楽・韓風・秦牙・管青は、相するところがそれぞれ異なるが、馬を知ることは一つである。だから三皇五帝は、法や籍が方を異にしたが、民の心を得ることは均しい。だから湯は夏に入ってその法を用い、武王は殷に入ってその礼を行った。桀と紂が亡んだゆえんであり、湯と武が治めとなったゆえんである。だから剞や劂、鉋や鋸が並んでいても、良い工でなければ木を制めることができず、炉や鞴、吹き口や鋳型が設けられていても、巧みな冶でなければ金を扱うことができない。屠牛吐はひと朝で九頭の牛を解きながら、刀で毛を剃れるほどであり、庖丁は刀を十九年用いながら、刀は新たに砥石から出たようであった。なぜか。多くの虚のあいだに遊んだからである。あの規・矩・鉤・縄は巧みさの道具であって、巧みであるゆえのものではない。だから瑟に弦がなければ、たとえ師文でも曲を成せず、弦だけでは悲しませられない。だから弦は悲しみの道具であって、悲しみとなるゆえのものではない。あの工匠が連なる鐖、めぐる開き、隠れた閉じ、眩む交じりを作って、暗く暗い妙なるものに入り、神が調う極みとして、心と手と多くの虚のあいだに遊んで、物と境を成さないところは、父でも子に教えられない。瞽の楽師が意を放って物を相し、神を写してますます舞い、弦に形をなすところは、兄でも弟に喻えられない。

今夫為平者準也,為直者繩也。若夫不在於繩準之中,可以平直者,此不共之術也。故叩宮而宮應,彈角而角動,此同音之相應也。其於五音無所比,而二十五絃皆應,此不傳之道也。故蕭條者,形之君;而寂寞者,音之主也。天下是非無所定,世各是其所是而非其所非,所謂是與非各異,皆自是而非人。由此觀之,事有合於己者,而未始有是也;有忤於心者,而未始有非也。故求是者,非求道理也,求合於己者也;去非者,非批邪施也,去忤於心者也。忤於我,未必不合於人也;合於我,未必不非於俗也。至是之是無非,至非之非無是,此真是非也。若夫是於此而非於彼,非於此而是於彼者,此之謂一是一非也。此一是非,隅曲也;夫一是非,宇宙也。

いま平らかさを作るものは準であり、まっすぐさを作るものは縄である。あの縄や準のなかにないまま、平らかにまっすぐにしうるものは、ともにできない術である。だから宮を叩けば宮が応じ、角を弾けば角が動く。これは同じ音が互いに応じることである。それが五音のどれにも比べられないのに、二十五本の弦がみな応じる。これは伝えられない道である。だから蕭条としたものは形の君であり、寂寞としたものは音の主である。天下の是非には定まったところがなく、世はそれぞれ自分が是とするものを是とし、自分が非とするものを非とする。いわゆる是と非はそれぞれ異なるが、どれも自分を是として人を非とする。これから見れば、事に自分に合うものがあっても、いまだ是であったことはなく、心に逆らうものがあっても、いまだ非であったことはない。だから是を求める者は道理を求めるのではなく、自分に合うものを求めるのである。非を去る者は邪なものを打つのではなく、心に逆らうものを去るのである。私に逆らっても、必ずしも人に合わないわけではなく、私に合っても、必ずしも俗に非でないわけではない。至上の是の是には非がなく、至上の非の非には是がない。これが真の是非である。あのこちらで是でありあちらで非であり、こちらで非でありあちらで是であるものは、これを一つの是、一つの非という。この一つの是非は隅の曲がりであり、あの一なる是非は宇宙である。

今吾欲擇是而居之,擇非而去之,不知世之所謂是非者,不知孰是孰非。老子曰:「治大國若烹小鮮。」為寬裕者曰勿數撓,為刻削者曰致其鹹酸而已矣。晉平公出言而不當,師曠舉琴而撞之,跌衽宮壁。左右欲塗之,平公曰:「舍之!以此為寡人失。」孔子聞之曰:「平公非不痛其體也,欲來諫者也。」韓子聞之曰:「群臣失禮而弗誅,是縱過也。有以也夫,平公之不霸也!」故賓有見人於宓子者,賓出,宓子曰:「子之賓獨有三過:望我而笑,是攓也。談語而不稱師,是返也。交淺而言深,是亂也。」賓曰:「望君而笑,是公也。談語而不稱師,是通也。交淺而言深,是忠也。」故賓之容一體也,或以為君子,或以為小人,所自視之異也。

いま私は是を択んでそこに居り、非を択んで去ろうとしても、世のいう是非を知らないので、どちらが是でどちらが非か分からない。老子はこういった。「大国を治めることは小魚を烹るよう。」寛やかな者はしばしば掻き回すなといい、刻薄な者はその鹹さ酸さを致すだけだという。晋の平公が言葉を出して当たらなかったとき、師曠が琴を挙げて打ちかかると、平公は倒れて衽が宮の壁に当たった。左右が壁を塗り直そうとすると、平公はこういった。「そのままにせよ。これを寡人の失としよう。」孔子はこれを聞いてこういった。「平公はその体が痛くなかったのではなく、諫める者を来させようとしたのだ。」韓子はこれを聞いてこういった。「群臣が礼を失って誅さないのは、過ちを放つことである。わけがあるのだな、平公が覇たらなかったのは。」また、賓客として宓子に人を会わせた者があった。賓客が出てゆくと、宓子はこういった。「あなたの賓客には三つの過ちがある。私を望んで笑うのは傲りである。語って師を称えないのは背きである。交わりが浅いのに言葉が深いのは乱れである。」賓客はこういった。「君を望んで笑うのは公らかさです。語って師を称えないのは通じていることです。交わりが浅いのに言葉が深いのは忠です。」だから賓客の姿は一つの体なのに、あるときは君子とされ、あるときは小人とされる。自ら視るところが異なるからである。

故趣舍合,即言忠而益親;身疏,即謀當而見疑。親母為其子治扢禿,而血流至耳,見者以為其愛之至也;使在於繼母,則過者以為嫉也。事之情一也,所從觀者異也。從城上視牛如羊,視羊如豕,所居高也。窺面於盤水則員,於杯則隋。面形不變其故,有所員、有所隋者,所自窺之異也。今吾雖欲正身而待物,庸遽知世之所自窺我者乎!若轉化而與世競走,譬猶逃雨也,無之而不濡。常欲在於虛,則有不能為虛矣;若夫不為虛而自虛者,此所慕而不能致也。故通於道者,如車軸,不運於己,而與轂致千里,轉無窮之原也。不通於道者,若迷惑,告以東西南北,所居聆聆,一曲而辟,然忽不得,復迷惑也。故終身隸於人,辟若俔之見風也,無須臾之閒定矣。

だから趣と舍が合えば、言葉は忠としてますます親しまれ、身が疎ければ、謀りが当たっても疑われる。実の母がその子の頭の瘡を治して血が耳まで流れれば、見る者はその愛の至りだと思うが、継母においてであれば、過ぎる者は嫉みだと思う。事の情は一つなのに、従って観る者が異なるのである。城の上から牛を視れば羊のようで、羊を視れば豕のようなのは、居る所が高いからである。盤の水に顔を覗けば円く、杯では細長い。顔の形はもとのままなのに、円く見えるところ、細長く見えるところがあるのは、自ら覗くものが異なるからである。いま私がたとえ身を正して物を待とうとしても、どうして世が自ら私を覗くところを知りえよう。もし転じ変わって世と競い走れば、たとえば雨を逃れるようなもので、どこへ行っても濡れないことがない。常に虚に在ろうとすれば、虚を為しえないことがある。あの虚を為さずに自ずと虚である者は、慕っても至りえないところである。だから道に通じた者は、車の軸のようで、自分では運らないのに轂とともに千里に至り、窮まりなき源においてめぐる。道に通じない者は、惑ったようで、東西南北を告げられてもその場でははっきりしているが、ひとつ曲がればふっと分からなくなって、また惑う。だから生涯にわたって人に隷するのは、たとえば風見が風に向かうようなもので、しばらくも定まることがない。

故聖人體道反性,不化以待化,則幾於免矣。治世之體易守也,其事易為也,其禮易行也,其責易償也。是以人不兼官,官不兼事,士農工商,鄉別州異。是故農與農言力,士與士言行,工與工言巧,商與商言數。是以士無遺行,農無廢功,工無苦事,商無折貨,各安其性,不得相干。故伊尹之興土功也,修脛者使之跖钁,強脊者使之負土,眇者使之準,傴者使之塗,各有所宜,而人性齊矣。胡人便於馬,越人便於舟,異形殊類,易事而悖,失處而賤,得勢而貴。聖人總而用之,其數一也。夫先知遠見,達視千里,人才之隆也,而治世不以責於民。博聞強志,口辯辭給,人智之美也,而明主不以求於下。敖世輕物,不汙於俗,士之伉行也,而治世不以為民化。神機陰閉,剞劂無跡,人巧之妙也,而治世不以為民業。

だから聖人は道を体とし性に返り、化さないことによって化を待つので、免れることに近い。治まる世の体は守りやすく、その事は為しやすく、その礼は行いやすく、その責めは償いやすい。それゆえ人は官を兼ねず、官は事を兼ねず、士・農・工・商は郷を別け州を異にする。そのため農は農と力を語り、士は士と行いを語り、工は工と巧みを語り、商は商と数を語る。それゆえ士に遺した行いはなく、農に廃れた功はなく、工に苦しい事はなく、商に折った貨はなく、それぞれその性に安らいで、互いに干渉しえない。だから伊尹が土の工を起こしたとき、脛の長い者には鋤を踏ませ、背の強い者には土を負わせ、片目の者には水準を見させ、背の曲がった者には塗らせた。それぞれ宜しいところがあって、人の性は揃った。胡の人は馬に便であり、越の人は舟に便である。形を異にしたぐいを殊にするので、事を取り替えれば背き、所を失えば賤しく、勢いを得れば貴い。聖人は総べて用いるので、その数は一つである。そもそも先に知り遠くを見、千里を見通すことは人の才の高さだが、治まる世はそれを民に責めない。博く聞き強く記し、口が弁じ言葉が達者なことは人の知の美しさだが、明るい主はそれを下に求めない。世に傲り物を軽んじ、俗に汚れないことは士の高い行いだが、治まる世はそれを民の教化としない。神なる機が隠れ閉じ、剞や劂に跡がないことは人の巧みさの妙だが、治まる世はそれを民の業としない。

故萇弘、師曠,先知禍福,言無遺策,而不可與眾同職也;公孫龍折辯抗辭,別同異,離堅白,不可與眾同道也;北人無擇非舜而自投清泠之淵,不可以為世儀;魯般、墨子以木為鳶而飛之,三日不集,而不可使為工也。故高不可及者,不可以為人量;行不可逮者,不可以為國俗。夫挈輕重不失銖兩,聖人弗用,而縣之乎銓衡;視高下不差尺寸,明主弗任,而求之乎浣準。何則?人才不可專用,而度量可世傳也。故國治可與愚守也,而軍制可與權用也。夫待騕褭飛兔而駕之,則世莫乘車;待西施、毛嬙而為配,則終身不家矣。然非待古之英俊,而人自足者,因所有而並用之。夫騏驥千里,一日而通;駑馬十舍,旬亦至之。由是觀之,人材不足專恃,而道術可公行也。亂世之法,高為量而罪不及,重為任而罰不勝,危為禁而誅不敢。民困於三責,則飾智而詐上,犯邪而干免。

だから萇弘や師曠は禍福を先に知って言葉に遺した策がなかったが、人々と職を同じくすることはできない。公孫龍は弁を折り言葉を競って同異を別け堅白を離したが、人々と道を同じくすることはできない。北人無択は舜を非として自ら清泠の淵に身を投げたが、世の儀とすることはできない。魯般や墨子は木で鳶を作って飛ばし、三日降りなかったが、工とすることはできない。だから高くて及べない者は人の量とすることができず、行いが追えない者は国の俗とすることができない。そもそも軽重を挈げて銖や両を外さないことは聖人は用いず、銓や衡に懸ける。高低を視て尺や寸を違えないことは明るい主は任せず、水準に求める。なぜか。人の才はもっぱら用いることができないが、度量は代を伝えうるからである。だから国の治めは愚かな者とともに守れるし、軍の制めは権によって用いうる。そもそも騕褭や飛兔を待って駕そうとすれば、世に車に乗る者はなく、西施や毛嬙を待って配とすれば、生涯家を成せない。それでも古の英俊を待たずに人が自ら足るのは、有るものに因ってあわせ用いるからである。そもそも騏驥は千里を一日で通じ、駑馬は十舎を十日でやはり至る。これから見れば、人の才はもっぱら恃むに足らず、道の術は公らかに行いうる。乱れた世の法は、量を高くして罪が及ばず、任を重くして罰が堪えられず、禁を危うくして誅が敢えてできない。民が三つの責めに困れば、知を飾って上を欺き、邪を犯して免れようとする。

故雖峭法嚴刑,不能禁其姦。何者?力不足也。故諺曰:「鳥窮則噣,獸窮則□,人窮則詐。」此之謂也。道德之論,譬猶日月也,江南河北不能易其指,馳鶩千里不能易其處。趨舍禮俗,猶室宅之居也,東家謂之西家,西家謂之東家,雖皋陶為之理,不能定其處。故趨舍同,誹譽在俗;意行鈞,窮達在時。湯、武之累行積善,可及也;其遭桀、紂之世,天授也。今有湯、武之意,而無桀、紂之時,而欲成霸王之業,亦不幾矣。昔武王執戈秉鉞以伐紂勝殷,搢笏杖殳以臨朝。武王既沒,殷民叛之,周公踐東宮,履乘石,攝天子之位,負扆而朝諸侯,放蔡叔,誅管叔,克殷殘商,祀文王于明堂,七年而致政成王。夫武王先武而後文,非意變也,以應時也;周公放兄誅弟,非不仁也,以匡亂也。

だからたとえ峻しい法と厳しい刑でも、その奸を禁じられない。なぜか。力が足らないからである。だから諺にいう。「鳥が窮まれば啄み、獣が窮まれば□し、人が窮まれば詐る。」これをいったのである。道徳の論は、たとえば日や月のようなもので、江南や河北がその指すところを易えられず、千里を馳せてもその所を易えられない。趣と舍、礼と俗は、家や宅の居どころのようなもので、東の家は西の家といい、西の家は東の家という。たとえ皋陶が理めても、その所を定められない。だから趣と舍が同じでも、謗りと誉れは俗に在り、意と行いが均しくても、窮まることと達することは時に在る。湯や武が行いを重ね善を積んだことは及べるが、桀や紂の世に遭ったことは天が授けたものである。いま湯や武の意があっても桀や紂の時がないのに、覇王の業を成そうとするのは、やはり見込みがない。かつて武王は戈を執り鉞を持って紂を伐ち殷に勝ち、笏を挿し殳に杖ついて朝に臨んだ。武王が没すると殷の民が叛いたので、周公は東宮を踏み、乗石を履み、天子の位を摂り、扉を背にして諸侯を朝させ、蔡叔を放ち、管叔を誅し、殷に克ち商を残し、文王を明堂に祀り、七年で政を成王に致した。そもそも武王が武を先にして文を後にしたのは意が変わったのではなく、時に応じたのである。周公が兄を放ち弟を誅したのは不仁ではなく、乱を匡したのである。

故事周於世則功成,務合於時則名立。昔齊桓公合諸侯以乘車,退誅於國以斧鉞;晉文公合諸侯以革車,退行於國以禮義。桓公前柔而後剛,文公前剛而後柔,然而令行乎天下,權制諸侯鈞者,審於勢之變也。顏闔,魯君欲相之,而不肯,使人以幣先焉,鑿培而遁之,為天下顯武。使遇商鞅、申不害,刑及三族,又況身乎!世多稱古之人而高其行,並世有與同者而弗知貴也,非才下也,時弗宜也。故六騏驥、四駃騠,以濟江河,不若窾木便者,處世然也。是故立功之人,簡於行而謹於時。今世俗之人,以功成為賢,以勝患為智,以遭難為愚,以死節為戇,吾以為各致其所極而已。王子比干非不知箕子被髮佯狂以免其身也,然而樂直行盡忠以死節,故不為也。伯夷、叔齊非不能受祿任官以致其功也,然而樂離世伉行以絕眾,故不務也。許由、善卷非不能撫天下、寧海內以德民也,然而羞以物滑和,故弗受也。豫讓、要離非不知樂家室、安妻子以偷生也,然而樂推誠行,必以死主,故不留也。

だから事が世にあまねく及べば功が成り、務めが時に合えば名が立つ。かつて斉の桓公は乗車によって諸侯を会し、退いて国では斧や鉞によって誅した。晋の文公は革車によって諸侯を会し、退いて国では礼義を行った。桓公は前に柔らかく後に剛く、文公は前に剛く後に柔らかかったが、令が天下に行われ、権によって諸侯を制めることが均しかったのは、勢いの変わりを審らかにしていたからである。顔闔は、魯の君が相にしようとしたが肯わず、人を遣って幣を先に届けさせると、垣を穿って遁れ、天下の顕れた武となった。もし商鞅や申不害に遇っていたら、刑は三族に及んだであろう。まして身ならなおさらである。世はしばしば古の人を称えてその行いを高くするが、世を並べて同じ者があってもそれを貴ぶことを知らない。才が低いからではなく、時が宜しくないからである。だから六頭の騏驥、四頭の駃騠で江や河を渡るのは、空の木が便であることに及ばない。世に処ることはそういうものである。そのため功を立てる人は、行いに簡らかで時に慎む。いまの世俗の人は、功が成ることを賢とし、患いに勝つことを知とし、難に遭うことを愚とし、節に死ぬことを愚直とするが、私はそれぞれその極まるところを致したにすぎないと思う。王子比干は、箕子が髪を解き狂ったふりをしてその身を免れたことを知らなかったのではないが、まっすぐに行い忠を尽くして節に死ぬことを楽しんだので、そうしなかった。伯夷と叔齊は、禄を受け官に任じてその功を致すことができなかったのではないが、世を離れ行いを高くして人々と絶つことを楽しんだので、務めなかった。許由と善卷は、天下を撫で海内を寧んじて民に徳たることができなかったのではないが、物によって和を乱すことを羞じたので、受けなかった。豫讓と要離は、家室を楽しみ妻子を安らげて生に偸むことを知らなかったのではないが、誠を推して行い、必ず主のために死ぬことを楽しんだので、留まらなかった。

今從箕子視比干,則愚矣;從比干視箕子,則卑矣;從管、晏視伯夷,則戇矣;從伯夷視管、晏,則貪矣。趨舍相非,嗜欲相反,而各樂其務,將誰使正之?曾子曰:「擊舟水中,鳥聞之而高翔,魚聞之而淵藏。」故所趨各異,而皆得所便。故惠子從車百乘以過孟諸,莊子見之,棄其餘魚。鵜胡飲水數斗而不足,鱔鮪入口若露而死,智伯有三晉而欲不澹,林類、榮啟期衣若縣衰而意不慊。由此觀之,則趣行各異,何以相非也!夫重生者不以利害己,立節者見難不苟免,貪祿者見利不顧身,而好名者非義不苟得。此相為論,譬猶冰炭鉤繩也,何時而合!若以聖人為之中,則兼覆而并之,未有可是非者也。夫飛鳥主巢,狐狸主穴,巢者巢成而得棲焉,穴者穴成而得宿焉。趨舍行義,亦人之所棲宿也,各樂其所安,致其所蹠,謂之成人。

いま箕子から比干を視れば愚かであり、比干から箕子を視れば卑しく、管や晏から伯夷を視れば愚直であり、伯夷から管や晏を視れば貪っている。趣と舍は互いを非とし、嗜みと欲は互いに反するのに、それぞれその務めを楽しむ。いったい誰にこれを正させるのか。曾子はこういった。「舟を水のなかで叩けば、鳥は聞いて高く翔び、魚は聞いて淵に蔵れる。」だから趨るところはそれぞれ異なっても、みな便なところを得る。だから惠子が車百乗を従えて孟諸を過ぎると、荘子はこれを見て余った魚を棄てた。鵜胡は水を数斗飲んでも足らず、鱔や鮪は口に入るものが露ほどでも死に、智伯は三晋を有っても欲が満たされず、林類や榮啟期は衣が懸けた蓑のようでも意が欠けなかった。これから見れば、趣と行いはそれぞれ異なるのだから、何によって互いを非としよう。そもそも生を重んじる者は利によって自分を害さず、節を立てる者は難を見ていいかげんに免れず、禄を貪る者は利を見て身を顧みず、名を好む者は義でなければいいかげんに得ない。これを互いに論じ合うことは、たとえば氷と炭、鉤と縄のようなもので、いつ合うだろうか。もし聖人を中とすれば、兼ねて覆いあわせるので、是非とすべきものがない。そもそも飛ぶ鳥は巣を主とし、狐や狸は穴を主とする。巣を作る者は巣が成って棲むことを得、穴を掘る者は穴が成って宿ることを得る。趣と舍、行いと義もまた人が棲み宿るところであって、それぞれ安らぐところを楽しみ、その踏むところを致すのを、成った人という。

故以道論者,總而齊之。治國之道,上無苛令,官無煩治,士無偽行,工無淫巧,其事經而不擾,其器完而不飾。亂世則不然。為行者相揭以高,為禮者相矜以偽,車輿極於雕琢,器用逐於刻鏤,求貨者爭難得以為寶,詆文者處煩撓以為慧,爭為佹辯,久稽而不訣,無益于治。工為奇器,歷歲而後成,不周於用。故神農之法曰:「丈夫丁壯而不耕,天下有受其飢者。婦人當年而不織,天下有受其寒者。」故身自耕,妻親織,以為天下先。其導民也,不貴難得之貨,不器無用之物。是故其耕不強者,無以養生;其織不強者,無以揜形;有餘不足,各歸其身。衣食饒溢,姦邪不生,安樂無事而天下均平,故孔丘、曾參無所施其善,孟賁、成荊無所行其威。衰世之俗,以其知巧詐偽,飾眾無用,貴遠方之貨,珍難得之財,不積於養生之具。澆天下之淳,析天下之樸,牿服馬牛以為牢。滑亂萬民,以清為濁,性命飛揚,皆亂以營。貞信漫瀾,人失其情性。於是,乃有翡翠犀象、黼黻文章以亂其目,芻豢黍梁、荊吳芬馨以嚂其口,鐘鼓管簫、絲竹金石以淫其耳,趨舍行義、禮節謗議以營其心。於是,百姓糜沸豪亂,暮行逐利,煩挐澆淺,法與義相非,行與利相反。

だから道によって論ずる者は、総べてこれを等しくする。国を治める道は、上に苛い令がなく、官に煩わしい治めがなく、士に偽りの行いがなく、工に溢れた巧みがなく、その事は経として乱れず、その器は完くして飾らない。乱れた世はそうではない。行いを為す者は互いに高さで引き上げ合い、礼を為す者は互いに偽りで誇り合い、車は彫り刻むことに極まり、器の用は刻み鏤めることを追い、貨を求める者は得がたいものを争って宝とし、文を詆る者は煩わしく掻き乱すところに居って慧とし、競って奇しい弁をなし、長く留まって決さないので、治めに益がない。工は奇しい器を作り、年を越してから成るが、用にあまねく及ばない。だから神農の法にいう。「丈夫が壮んな年で耕さなければ、天下にその飢えを受ける者がある。婦人が年頃で織らなければ、天下にその寒さを受ける者がある。」だからみずから耕し、妻がみずから織って、天下の先となった。民を導くとき、得がたい貨を貴ばず、用のない物を器としなかった。そのためその耕しに励まない者は生を養うすべがなく、その織りに励まない者は形を覆うすべがなく、余りと足らなさがそれぞれその身に帰した。衣食が饒く溢れて、奸邪が生じず、安らかに楽しく事がなくて天下は均しく平らかであったので、孔丘や曾参もその善を施すところがなく、孟賁や成荊もその威を行うところがなかった。衰えた世の俗は、その知と巧み、詐りと偽りによって多くの用のないものを飾り、遠い地方の貨を貴び、得がたい財を珍とし、生を養う備えに積まない。天下の淳らかさを薄め、天下の朴を割き、馬や牛に枷をはめ繋いで囲いとする。万民を滑らせ乱し、清らかなものを濁りとし、性命は飛び散り、みな乱れて営む。貞と信は崩れ流れ、人はその情と性を失う。そこで翡翠や犀や象、黼黻や文のあやによってその目を乱し、芻豢や黍や粱、荊や呉の香りによってその口を貪らせ、鐘や鼓、管や簫、糸・竹・金・石によってその耳を溺れさせ、趣と舍、行いと義、礼節と謗り議によってその心を営ませる。そこで民は沸き立ち乱れ、夕べまで駆けて利を追い、煩わしくもつれ薄く浅くなり、法と義は互いを非とし、行いと利は互いに反する。

雖十管仲,弗能治也。且富人則車輿衣纂錦,馬飾傅旄象,帷幕茵席,綺繡絛組,青黃相錯,不可為象;貧人則夏被褐帶索,含菽飲水以充腸,以支暑熱,冬則羊裘解札,短褐不掩形,而煬灶口;故其為編戶齊民無以異,然貧富之相去也,猶人君與僕虜,不足以論之。夫乘奇技、偽邪施者,自足乎一世之閒;守正修理、不苟得者,不免乎飢寒之患;而欲民之去末反本,由是發其原而壅其流也。夫雕琢刻鏤,傷農事者也;錦繡纂組,害女工者也。農事廢,女工傷,則飢之本而寒之原也。夫飢寒並至,能不犯法干誅者,古今之未聞也。故仕鄙在時不在行,利害在命不在智。夫敗軍之卒,勇武遁逃,將不能止也;勝軍之陳,怯者死行,懼不能走也。

たとえ十人の管仲でも治められない。また富んだ人は車や衣が纂や錦で、馬の飾りに旄や象牙をつけ、帷幕や茵や席は綺や繡、絛や組で、青と黄が交じり合って象ることもできない。貧しい人は夏に褐を被り縄を帯とし、豆を含み水を飲んで腸を充たし、暑さを支え、冬には羊の皮衣が解けほつれ、短い褐の衣は形を覆えず、灶の口で火にあたる。だからその編戸の民であることには違いがないのに、貧富の隔たりは人の君と僕や虜のようで、論ずるに足らない。そもそも奇しい技に乗り、偽りや邪を施す者は、ひとつの世のあいだで自ら足り、正しさを守り理を修め、いいかげんに得ない者は、飢えと寒さの患いを免れない。それでいて民に末を去って本へ返ることを望むのは、その源を発きながらその流れを塞ぐことである。そもそも彫り刻み鏤めることは農の事を傷め、錦や繡、纂や組は女の工を害する。農の事が廃れ、女の工が傷めば、飢えの本であり寒さの源である。そもそも飢えと寒さがともに至って、法を犯し誅を犯さずにいられたことは、古今に聞いたことがない。だから仕えることと鄙しいことは時に在って行いに在らず、利害は命に在って知に在らない。そもそも敗れた軍の卒は、勇武な者でも遁げるので、将も止められず、勝った軍の陣は、怯えた者でも隊列で死ぬので、懼れても走れない。

故江河決,沉一鄉,父子兄弟相遺而走,爭升陵阪,上高丘,輕足先升,不能相顧也;世樂志平,見鄰國之人溺,尚猶哀之,又況親戚乎!故身安則恩及鄰國,志為之滅;身危則忘其親戚,而人不能解也。游者不能拯溺,手足有所急也;灼者不能救火,身體有所痛也。夫民有餘即讓,不足則爭。讓則禮義生,爭則暴亂起。扣門求水,莫弗與者,所饒足也;林中不賣薪,湖上不鬻魚,所有餘也。故物豐則欲省,求澹則爭止。秦王之時,或人葅子,利不足也;劉氏持政,獨夫收孤,財有餘也。故世治則小人守政,而利不能誘也;世亂則君子為姦,而法弗能禁也。

だから江や河が決れてひとつの郷が沈めば、父子兄弟が互いを捨てて走り、丘や阪に上ることを争い、高い丘に上って、足の軽い者が先に上り、互いを顧みることができない。世が楽しく志が平らかであれば、隣国の人が溺れるのを見てもなお哀しむ。まして親戚ならなおさらである。だから身が安らげば恩は隣国に及び、志はそのために滅され、身が危うければその親戚を忘れて、人が解くこともできない。泳ぐ者が溺れた者を救えないのは、手足に急なことがあるからであり、火傷を負った者が火を救えないのは、身体に痛むところがあるからである。そもそも民は余りがあれば譲り、足らなければ争う。譲れば礼義が生じ、争えば暴れと乱れが起こる。門を叩いて水を求めれば、与えない者がないのは、饒く足るものだからである。林のなかで薪を売らず、湖の上で魚を売らないのは、余りがあるものだからである。だから物が豊かであれば欲は省かれ、求めが満たされれば争いは止む。秦王の時に、人が子を漬けた者があったのは、利が足らなかったからである。劉氏が政を持って、独り身の男が孤児を収めたのは、財に余りがあったからである。だから世が治まれば小人が政を守っても利が誘うことができず、世が乱れれば君子が奸を為しても法が禁じることができない。