脩務訓
或曰:「無為者,寂然無聲,漠然不動,引之不來,推之不往。如此者,乃得道之像。」吾以為不然。嘗試問之矣:「若夫神農、堯、舜、禹、湯,可謂聖人乎?」有論者必不能廢。以五聖觀之,則莫得無為,明矣。古者,民茹草飲水,采樹木之實,食蠃蠬之肉。時多疾病毒傷之害,於是神農乃始教民播種五穀,相土地宜,燥濕肥墝高下,嘗百草之滋味,水泉之甘苦,令民知所辟就。當此之時,一日而遇七十毒。堯立孝慈仁愛,使民如子弟。西教沃民,東至黑齒,北撫幽都,南道交趾。放讙兜於崇山,竄三苗于三危,流共工於幽州,殛鯀於羽山。舜作室,築牆茨屋,辟地樹穀,令民皆知去岩穴,各有家室。南征三苗,道死蒼梧。禹沐浴霪雨,櫛扶風,決江疏河,鑿龍門,辟伊闕,修彭蠡之防,乘四載,隨山刊木,平治水土,定千八百國。湯夙興夜寐,以致聰明,輕賦薄斂,以寬民氓,布德施惠,以振困窮,吊死問疾,以養孤孀。百姓親附,政令流行,乃整兵鳴條,困夏南巢,譙以其過,放之曆山。此五聖者,天下之盛主,勞形盡慮,為民興利除害而不懈。奉一爵酒不知於色,挈一石之尊則白汗交流,又況贏天下之憂,而海內事者乎?其重於尊亦遠也!且夫聖人者,不恥身之賤,而愧道之不行;不憂命之短,而憂百姓之窮。是故禹之為水,以身解于陽盱之河。湯旱,以身禱于桑山之林。聖人憂民,如此其明也,而稱以「無為」,豈不悖哉!
ある人はいう。「無為とは、静まって声なく、漠として動かず、引いても来ず、押しても行かない。こういうものこそ、道を得た姿である。」わたしはそうは思わない。試しに問うてみよう。「神農・堯・舜・禹・湯のような人は、聖人といえるだろうか。」異を立てる者があっても、必ずこれを否とはできない。この五人の聖人によって見れば、無為ではありえなかったことは明らかである。昔、民は草を食べ水を飲み、木の実を採り、螺や蚌の肉を食べていた。病や毒に傷つけられる害が多かったので、そこで神農がはじめて民に五穀を播き植えることを教え、土地のふさわしさ、乾湿・肥痩・高低を見比べ、百草の味や泉の甘さ苦さを味わって、民に避けるべきもの、取るべきものを知らせた。このとき、一日に七十の毒に当たった。堯は孝と慈、仁と愛を立て、民を子や弟のように扱った。西では沃民を教え、東は黒歯に至り、北は幽都を撫で、南は交趾に道を通した。讙兜を崇山に追い、三苗を三危に押しやり、共工を幽州に流し、鯀を羽山で誅した。舜は家を建て、壁を築き屋根を葺き、土地を開いて穀を植え、民にみな岩穴を離れてそれぞれ家をもつことを知らせた。南に三苗を征し、道中、蒼梧で死んだ。禹は長雨で髪を洗い、吹く風で髪を梳り、江を切り河を疏き、龍門を鑿ち、伊闕を開き、彭蠡の堤を修め、四つの乗り物を乗りつぎ、山に沿って木を伐り、水と土を平らげ治め、千八百の国を定めた。湯は早く起き夜更けに寝て聡明さを行き届かせ、賦を軽くし取り立てを薄くして民をゆるやかにし、徳を広め恵みを施して困り窮した者を立ち直らせ、死者を弔い病者を見舞って孤児や寡婦を養った。民が親しく付き、政令が行き渡ると、兵を整えて鳴条で戦い、夏を南巣で追い詰め、その過ちを責めて歴山に追放した。この五人の聖人は天下の盛んな主だが、身を労し思いを尽くして、民のために利を興し害を除いて怠らなかった。一杯の酒を捧げるくらいでは顔色に出ないが、一石の樽を持ち上げれば白い汗が流れ落ちる。まして天下の憂いを背負い、海内のことを取りしきるならどうだろう。その重さは樽よりはるかに重い。そもそも聖人は、身が賤しいことを恥じず、道が行われないことを恥じる。命が短いことを憂えず、民が窮することを憂える。だから禹は水を治めるにあたって、身をもって陽盱の河で祈り解いた。湯は旱のとき、身をもって桑山の林で祈った。聖人が民を憂えることはこれほどはっきりしているのに、それを「無為」と呼ぶのは、筋が通らないではないか。
且古之立帝王者,非以奉養其欲也;聖人踐位者,非以逸樂其身也。為天下強掩弱,眾暴寡,詐欺愚,勇侵怯,懷知而不以相教,積財而不以相分,故立天子以齊一之。為一人聰明而不足以遍照海內,故立三公九卿以輔翼之。絕國殊俗、僻遠幽間之處,不能被德承澤,故立諸侯以教誨之。是以地無不任,時無不應,官無隱事,國無遺利。所以衣寒食饑,養老弱而息勞倦也。若以布衣徒步之人觀之,則伊尹負鼎而幹湯,呂望鼓刀而入周,百里奚轉鬻,管仲束縛,孔子無黔𥥍,墨子無暖席。是以聖人不高山,不廣河,蒙恥辱以幹世主,非以貪祿慕位,欲事起天下利,而除萬民之害。蓋聞傳書曰:「神農憔悴,堯瘦臞,舜黴黑,禹胼胝。」由此觀之,則聖人之憂勞百姓甚矣。故自天子以下至於庶人,四胑不動,思慮不用,事治求澹者,未之聞也。
また、昔、帝王を立てたのは、その欲を養い満たすためではない。聖人が位に就いたのは、その身を安らかに楽しませるためではない。天下で強い者が弱い者を押さえ、多い者が少ない者を乱暴に扱い、偽る者が愚かな者を欺き、勇ましい者が臆病な者を侵し、知を抱えて互いに教えず、財を積んで互いに分けない。だから天子を立ててこれを一つにそろえた。一人の聡明さでは海内をすべて照らすに足りない。だから三公九卿を立てて助けさせた。遠く隔たった国や風俗の違うところ、辺りの遠く奥まったところには徳も恵みも及ばない。だから諸侯を立てて教え導かせた。こうして土地は使われないところがなく、時は応じないことがなく、官に隠れた仕事がなく、国に取り残された利がない。寒い者に着せ、飢えた者に食べさせ、老いた者と弱い者を養い、疲れた者を休ませるためである。もし布衣で歩く人として見れば、伊尹は鼎を背負って湯に仕え、呂望は刀を叩いて周に入り、百里奚は転々と売られ、管仲は縛られ、孔子は竈が黒くなる間もなく、墨子は席が温まる間もなかった。だから聖人は山を高いとせず、河を広いとせず、恥辱をかぶって世の主に近づくが、それは禄を貪り位を慕うためではなく、天下の利を興し、万民の害を除くことを仕事にしようとするからである。伝わる書に「神農はやつれ、堯は痩せ細り、舜は黒く日焼けし、禹は手足に胼胝ができた」とあると聞く。これで見れば、聖人が民のために憂え労することはひどいものである。だから天子から下は庶人に至るまで、四肢を動かさず、思いめぐらしも使わずに、事が治まり求めが満たされた者は、聞いたことがない。
夫地勢,水東流,人必事焉,然後水潦得穀行。禾稼春生,人必加功焉,故五穀得遂長。聽其自流,待其自生,則鯀、禹之功不立,而后稷之智不用。若吾所謂無為者,私志不得入公道,嗜欲不得枉正術,循理而舉事,因資而立,權自然之勢,而曲故不得容者,事成而身弗伐,功立而名弗有,非謂其感而不應,攻而不動者。若夫以火熯井,以淮灌山,此用己而背自然,故謂之有為。若夫水之用舟,沙之用鳩,泥之用輴,山之用蔂,夏瀆而冬陂,因高為田,因下為池,此非吾所謂為之。聖人之從事也,殊體而合於理,其所由異路而同歸,其存危定傾若一,志不忘於欲利人也。何以明之?昔者楚欲攻宋,墨子聞而悼之,自魯趨而十日十夜,足重趼而不休息,裂衣裳裹足,至於郢,見楚王。曰:「臣聞大王舉兵將攻宋,計必得宋而後攻之乎?亡其苦眾勞民,頓兵挫銳,負天下以不義之名,而不得咫尺之地,猶且攻之乎?」王曰:「必不得宋,又且為不義,曷為攻之!」墨子曰:「臣見大王之必傷義而不得宋。」王曰:「公輸,天下之巧士,作雲梯之械,設以攻宋,曷為弗取!」墨子曰:「令公輸設攻,臣請守之。」於是公輸般設攻宋之械,墨子設守宋之備,九攻而墨子九卻之,弗能入。於是乃偃兵,輟不攻宋。段干木辭祿而處家,魏文侯過其閭而軾之。其仆曰:「君何為軾?」文侯曰:「段干木在,是以軾。」其仆曰:「段干木布衣之士,君軾其閭,不已甚乎?」文侯曰:「段干木不趨勢利,懷君子之道,隱處窮巷,聲施千里,寡人敢勿軾乎!段干木光於德,寡人光於勢;段干木富於義,寡人富於財。勢不若德尊,財不若義高。干木雖以己易寡人不為。吾日悠慚於影,子何以輕之哉!」其後秦將起兵伐魏,司馬庾諫曰:「段干木賢者,其君禮之,天下莫不知,諸侯莫不聞,舉兵伐之,無乃妨於義乎!」於是秦乃偃兵,輟不攻魏。
地の勢いでは水は東に流れるが、人が必ず手を加えてはじめて、水は谷筋を通って流れる。禾や稼は春に生えるが、人が必ず手をかけるので、五穀は育ちきることができる。ひとりでに流れるのに任せ、ひとりでに生えるのを待っていては、鯀や禹の功は立たず、后稷の知恵は使われない。わたしがいう無為とは、私の志が公の道に入れず、嗜みや欲が正しい術を曲げられず、理に従って事を起こし、資によって立て、自然の勢いをはかって、曲がった古い手だてが容れられず、事が成っても身が誇らず、功が立っても名を持たないことである。感じても応じず、打たれても動かないということではない。火で井戸を乾かし、淮の水で山に水を引くのは、自分を押し通して自然に背くことで、だからこれを有為という。水には舟を用い、砂には鳩を用い、泥には輴を用い、山にはもっこを用い、夏には溝を掘り冬には堤を築き、高いところによって田とし、低いところによって池とする。これはわたしがいう「為す」ではない。聖人が事に当たるのは、体を異にしながら理にかない、その通る道は違っていても帰るところは同じで、危うさを救い傾きを定めることは一つであって、志は人を利することを忘れない。何でそれを明らかにするか。昔、楚が宋を攻めようとした。墨子はそれを聞いて痛み、魯から十日十夜走って、足に幾重も胼胝ができても休まず、衣を裂いて足を包んで郢に至り、楚王に会った。こういった。「わたくしは、大王が兵を挙げて宋を攻めようとしておられると聞きました。お見込みでは、必ず宋を得られると見て攻めるのでしょうか。それとも、兵と民を疲れさせ、武器を鈍らせ鋭さを挫き、天下に不義の名を負いながら、咫尺の土地も得られないのに、それでも攻めるのでしょうか。」王はいった。「必ず宋を得られず、しかも不義になるというなら、どうして攻めよう。」墨子はいった。「わたくしには、大王が必ず義を損ない、宋を得られないと見えます。」王はいった。「公輸は天下の巧みな者で、雲梯の仕掛けを作った。それで宋を攻めれば、どうして取れないことがあろう。」墨子はいった。「公輸に攻めさせてください。わたくしが守りをお引き受けします。」そこで公輸般が宋を攻める仕掛けを構え、墨子が宋を守る備えを構え、九度攻めて墨子が九度これを退け、入ることができなかった。そこで兵を伏せ、宋を攻めるのをやめた。段干木が禄を辞して家にいたとき、魏の文侯はその里を通りかかって車の前板に敬礼した。従者がいった。「君はなぜ礼をされるのですか。」文侯はいった。「段干木がいる。だから礼をするのだ。」従者がいった。「段干木は布衣の士です。君がその里に礼をされるのは、やりすぎではありませんか。」文侯はいった。「段干木は勢いや利に走らず、君子の道を抱いて、狭い巷に隠れて住みながら、その名は千里に広がっている。わたしがどうして礼をしないでいられよう。段干木は徳で輝き、わたしは勢いで輝く。段干木は義に富み、わたしは財に富む。勢いは徳の尊さに及ばず、財は義の高さに及ばない。干木は、自分をわたしと取り替えようといわれても、しないだろう。わたしは日々、自分の影に恥じている。おまえがどうして彼を軽んじられよう。」その後、秦の将が兵を起こして魏を討とうとしたとき、司馬庾が諫めていった。「段干木は賢者で、その君が礼遇していることは天下に知らない者がなく、諸侯に聞かない者がありません。兵を挙げてこれを討てば、義を妨げることになりませんか。」そこで秦は兵を伏せ、魏を攻めるのをやめた。
夫墨子跌蹄而趨千里,以存楚、宋;段干木闔門不出,以安秦、魏。夫行與止也,其勢相反,而皆可以存國,此所謂異路而同歸者也。今夫救火者,汲水而趨之,或以甕瓴,或以盆盂,其方員銳橢不同,盛水各異,其於滅火鈞也。故秦、楚、燕、魏之歌也,異轉而皆樂;九夷八狄之哭也,殊聲而皆悲;一也。夫歌者,樂之徵也;哭者,悲之效也。憤于中則應於外,故在所以感。夫聖人之心,日夜不忘於欲利人,其澤之所及者,效亦大矣。
墨子は踵を裂いて千里を走って、楚と宋を残した。段干木は門を閉じて出ず、秦と魏を安らかにした。行くことと止まることは、勢いが互いに反するが、どちらも国を残しえた。これがいわゆる道を異にして帰るところを同じくするということである。いま火を消そうとする者が水を汲んで駆けつけるのに、甕や瓴を使う者もあり、盆や盂を使う者もあって、その方円や尖り長さも同じでなく、入る水もそれぞれ違うが、火を消すことでは等しい。だから秦・楚・燕・魏の歌は、節回しが違ってもどれも楽しく、九夷八狄の泣き声は、声が違ってもどれも悲しい。一つなのである。歌は楽しさのしるしであり、泣くことは悲しみの現れである。内に込み上げれば外に応じるので、何に感じるかにかかっている。聖人の心は、日夜、人を利することを忘れないので、その恵みの及ぶところも、現れ方はまた大きい。
世俗廢衰,而非學者多。「人性各有所修短,若魚之躍,若鵲之駁,此自然者,不可損益。」吾以為不然。夫魚者躍,鵲者駁也,猶人馬之為人馬,筋骨形體,所受於天,不可變。以此論之,則不類矣。夫馬之為草駒之時,跳躍揚蹄,翹尾而走,人不能制,齧咋足以噆肌碎骨,蹶蹄足以破顱陷匈;及至圉人擾之,良禦教之,掩以衡扼,連以轡銜,則雖歷險超塹弗敢辭。故其形之為馬,馬不可化;其可駕禦,教之所為也。馬,聾蟲也,而可以通氣志,猶待教而成,又況人乎!且夫身正性善,發憤而成仁,帽憑而為義,性命可說,不待學問而合於道者,堯、舜、文王也;沉湎耽荒,不可教以道,不可喻以德,嚴父弗能正,賢師不能化者,丹朱、商均也。曼頰皓齒,形誇骨佳,不待脂粉芳澤而性可說者,西施、陽文也;啳𦝢哆噅,籧蒢戚施,雖粉白黛黑弗能為美者,嫫母、仳倠也。夫上不及堯、舜,下不及商均,美不及西施,惡不若嫫母,此教訓之所諭也,而芳澤之所施。且子有弑父者,然而天下莫疏其子,何也?愛父者眾也。儒有邪辟者,而先王之道不廢,何也?其行之者多也。今以為學者之有過而非學者,則是以一飽之故,絕穀不食,以一蹪之難,輟足不行,惑也。
世の習いが衰えて、学ぶことを否とする者が多い。「人の性にはそれぞれ長短があって、魚が跳ね、鵲が斑であるようなもので、これは自然のことだから、減らしも増やしもできない。」わたしはそうは思わない。魚が跳ね、鵲が斑であるのは、人や馬が人や馬であるのと同じで、筋骨も形も体も天から受けたもので、変えられない。これで論ずるなら、同じ類の話ではない。馬が草野の仔馬であるうちは、跳ね回り蹄を上げ、尾を立てて走り、人には制せられない。噬めば肉を裂き骨を砕くほどであり、蹄で蹴れば頭蓋を割り胸をつぶすほどである。それが馬飼いに馴らされ、良い御者に教えられ、衡や扼をかけ、手綱と轡でつなげば、険しいところを歩き濠を越えることさえ拒まなくなる。だから、その形が馬であることは変えられないが、車につないで御せるようになるのは、教えのすることである。馬は耳の聞こえない虫のようなものだが、気も志も通わせられ、やはり教えを待って成る。まして人ならなおさらである。身が正しく性が善く、憤りを発して仁を成し、励んで義をなし、性も命も喜ばしく、学問を待たずに道にかなっているのは、堯・舜・文王である。溺れ耽りすさんで、道で教えることもできず、徳で諭すこともできず、厳しい父にも正せず、賢い師にも感化できないのは、丹朱・商均である。頬はなめらかに歯は白く、姿は誇らしく骨柄も美しく、脂粉や芳しい油を待たずに、そのままで喜ばしいのは、西施・陽文である。目がゆがみ口が曲がり、背が曲がって、白粉や眉墨でも美しくできないのは、嫫母・仳倠である。上は堯や舜に及ばず、下は商均ほどでもなく、美しさは西施に及ばず、醜さは嫫母ほどでもない。こういう者こそ、教えが諭す相手であり、芳しい油が施される相手である。それに、子で父を殺す者があっても、天下はその「子」というものを疎んじない。なぜか。父を愛する者が多いからである。儒に邪で偏った者があっても、先王の道は廃れない。なぜか。それを行う者が多いからである。いま、学ぶ者に過ちがあるからといって学ぶ者を否とするなら、それは一度腹をこわしたからといって穀を断って食べず、一度つまずいたからといって足を止めて歩かないようなもので、惑っている。
今有良馬,不待策錣而行,駑馬,雖兩錣之不能進,為此不用策錣而禦,則愚矣。夫怯夫操利劍,擊則不能斷,刺則不能入,及至勇武攘卷一搗,則摺肋傷幹,為此棄幹將、鏌邪而以手戰,則悖矣。所謂言者,齊於眾而同於俗。今不稱九天之頂,則言黃泉之底,是兩末之端議,何可以公論乎!夫橘柚冬生,而人曰冬死,死者眾;薺麥夏死,人曰夏生,生者眾。江、河之回曲,亦時有南北者,而人謂江、河東流;攝提鎮星日月東行,而人謂星辰日月西移者;以大氐為本。胡人有知利者,而人謂之駤;越人有重遲者,而人謂之訬;以多者名之。若夫堯眉八彩,九竅通洞,而公正無私,一言而萬民齊;舜二瞳子,是謂重明,作事成法,出言成章;禹耳參漏,是謂大通,興利除害,疏河決江;文王四乳,是謂大仁,天下所歸,百姓所親;皋陶馬喙,是謂至信,決獄明白,察於人情;禹生於石;契生於卵;史皇產而能書;羿左臂修而善射。若此九賢者,千歲而一出,猶繼踵而生。今無五聖之天奉,四俊之才難,欲棄學而循性,是謂猶釋船欲蹍水也。
いま良い馬がいれば、鞭や錣を待たずに歩く。駑馬は、二本の錣でも進ませられない。だからといって鞭や錣を使わずに御するなら、愚かである。臆病な男が鋭い剣を手にすれば、打っても断てず、刺しても入らないが、勇ましい武人が袖をまくって一撃すれば、肋を折り胴を痛める。だからといって干将や鏌邪を捨てて手で戦うなら、筋が通らない。いわゆる言葉というものは、多くの人と等しく、俗に同じである。いま九天の頂を言わなければ黄泉の底を言うというのでは、両方の端の極論であって、どうして公正な論といえよう。橘や柚は冬に実るが、人が冬は死ぬというのは、死ぬものが多いからである。薺や麦は夏に枯れるが、人が夏は生えるというのは、生えるものが多いからである。江や河の曲がりは、ときに南や北へ向かうところもあるが、人は江や河は東に流れるという。攝提や鎮星、日や月は東へ行くが、人は星辰や日月が西に移るという。おおよそを本とするからである。胡の人に利を知る者はいるが、人はこれを鈍いという。越の人に重く遅い者はいるが、人はこれを軽はずみという。多いほうで名づけるからである。堯は眉が八色で、九つの竅が通り、公正で私なく、一言で万民がそろった。舜は瞳が二つで、これを重明といい、事をなせば法となり、言葉を出せば章となった。禹は耳に三つの孔があり、これを大通といい、利を興し害を除き、河を疏き江を切った。文王は乳が四つあり、これを大仁といい、天下が帰し、民が親しんだ。皋陶は口が馬のようで、これを至信といい、訴えを裁くことが明白で、人の情を見きわめた。禹は石から生まれ、契は卵から生まれ、史皇は生まれてすぐ書けた。羿は左の腕が長くてよく射た。このような九人の賢者は、千年に一人出るはずなのに、踵を接するように生まれた。いま五聖のような天からの授かりもなく、四人の俊才のような才も難しいのに、学を捨てて性のままに従おうというのは、舟を捨てて水の上を歩こうとするようなものだ。
夫純鉤、魚腸之始下型,擊則不能斷,刺則不能入,及加之以砥礪,摩其鋒鍔,則水斷龍舟,陸剸犀甲。明鏡之始下型,矇然未見形容,及其粉以玄錫,摩以白旃,鬢眉微豪,可得而察。夫學,亦人之砥錫也,而謂學無益者,所以論之過。知者之所短,不若愚者之所修;賢者之所不足,不若眾人之有餘。何以知其然?夫宋畫吳冶,刻刑鏤法,亂修曲出,其為微妙,堯、舜之聖不能及。蔡之幼女,衛之稚質,梱纂組,雜奇彩,抑墨質,揚赤文,禹、湯之智不能逮。夫天之所覆,地之所載,包於六合之內,托於宇宙之間,陰陽之所生,血氣之精,含牙戴角,前爪後距,奮翼攫肆,蚑行蟯動之蟲,喜而合,怒而鬥,見利而就,避害而去,其情一也。雖所好惡,其與人無以異。然其爪牙雖利,筋骨雖強,不免制於人者,知不能相通,才力不能相一也。各有其自然之勢,無稟受於外,故力竭功沮。
純鉤や魚腸が鋳型から出たばかりのときは、打っても断てず、刺しても入らないが、砥石をかけ、その刃先を研げば、水では龍の舟を断ち、陸では犀の鎧を切る。明るい鏡が鋳型から出たばかりのときは、ぼんやりして姿も見えないが、黒い錫で磨き、白い毛氈で擦れば、鬢や眉の細い毛まで見分けられる。学も人にとっての砥石や錫である。それを、学は益がないというのは、その論じ方が行き過ぎているからである。知恵のある者の短いところは、愚かな者のすぐれたところに及ばない。賢い者の足りないところは、多くの人の余りあるところに及ばない。どうしてそうだと分かるか。宋の絵師や呉の鍛冶が形を刻み模様を彫り、入り乱れて抜きん出、曲がりくねって現れる、その微妙さは、堯や舜の聖でも及べない。蔡の幼い娘や衛の若い者が、組紐を編み、珍しい彩りを混ぜ、黒い地を抑えて赤い文を際立たせるのは、禹や湯の知恵でも追いつけない。天が覆うもの、地が載せるもので、六合の内に包まれ、宇宙の間に託され、陰陽が生み、血と気の精として、牙をふくみ角を戴き、前に爪があり後に蹴爪があり、翼を振るい掴みかかり、蚑い動き蠕く虫まで、喜べば交わり、怒れば争い、利を見れば向かい、害を避けて去る。その情は一つである。好き嫌いも、人と違うところがない。それなのに、その爪や牙がいくら鋭く、筋骨がいくら強くても、人に制されるのを免れないのは、知を互いに通わせられず、才と力を一つにできないからである。それぞれ自分の自然の勢いだけがあって、外から受けるものがないので、力は尽きて功は阻まれる。
夫雁順風,以愛氣力,銜蘆而翔,以備矰弋。螘知為垤,獾貉為曲穴,虎豹有茂草,野彘有艽莦,槎櫛堀虛,連比以像宮室,陰以防雨,景以蔽日。此亦鳥獸之所以知求合於其所利。今使人生於辟陋之國,長於窮櫩漏室之下,長無兄弟,少無父母,目未嘗見禮節,耳未嘗聞先古,獨守專室而不出門,使其性雖不愚,然其知者必寡矣。昔者,蒼頡作書,容成造曆,胡曹為衣,后稷耕稼,儀狄作酒,奚仲為車,此六人者,皆有神明之道,聖智之跡,故人作一事而遺後世,非能一人而獨兼有之。各悉其知,貴其所欲達,遂為天下備。今使六子者易事,而明弗能見者何?萬物至眾,而知不足以奄之。周室以後,無六子之賢,而皆修其業;當世之人,無一人之才,而知其六賢之道者何?教順施續,而知能流通。由此觀之,學不可已,明矣!
雁は風に従って気力を惜しみ、葦をくわえて飛んで矰や弋に備える。蟻は塚を作ることを知り、獾や貉は曲がった穴を作り、虎や豹には茂った草があり、野猪には寝床があって、枝を組み窪みを掘り、並べつないで宮室に似せ、陰で雨を防ぎ、覆いで日を遮る。これも鳥獣が自分の利にかなうものを求めることを知っているということである。いま人を、辺りの狭い国に生まれさせ、狭い軒と漏る家の下で育てさせ、育っても兄弟がなく、幼くして父母がなく、目はまだ礼節を見たことがなく、耳はまだ古いことを聞いたことがなく、ひとり一室を守って門も出ないようにすれば、その性が愚かでなくても、その知るところは必ず少ないだろう。昔、蒼頡が書を作り、容成が暦を造り、胡曹が衣を作り、后稷が耕して植え、儀狄が酒を作り、奚仲が車を作った。この六人にはみな神明の道、聖知の跡がある。だから人はそれぞれ一つの事をなして後の世に残したのであって、一人がすべてを兼ね備えられたのではない。それぞれその知を尽くし、行き着きたいところを貴んで、ついに天下の備えとなった。いまこの六人に仕事を取り替えさせたら、明るさも見通せないのはなぜか。万物はきわめて多く、知ではそれを覆いきれないからである。周室より後には六人のような賢さはないのに、だれもがその業を修めている。当世の人には一人分の才もないのに、その六人の賢者の道を知っているのはなぜか。教えが順に施されて続き、知が流れ通うからである。これで見れば、学はやめられないことが明らかである。
今夫盲者目不能別晝夜,分白黑,然而搏琴撫弦,參彈複徽,攫援摽拂,手若蔑蒙,不失一弦。使未嘗鼓瑟者,雖有離朱之明,攫掇之捷,猶不能屈伸其指。何則?服習積貫之所致。故弓待檠而後能調,劍待砥而後能利。玉堅無敵,鏤以為獸,首尾成形,礛諸之功。木直中繩,揉以為輪,其曲中規,檃括之力。唐碧堅忍之類,猶可刻鏤,揉以成器用,又況心意乎!且夫精神滑淖纖微,倏忽變化,與物推移,雲蒸風行,在所設施。君子有能精搖摩監,砥礪其才,自試神明,覽物之博,通物之壅,觀始卒之端,見無外之境,以逍遙仿佯於塵埃之外,超然獨立,卓然離世,此聖人之所以游心。若此而不能,間居靜思,鼓琴讀書,追觀上古及賢大夫,學問講辯,日以自娛,蘇援世事,分白黑利害,籌策得失,以觀禍福,設儀立度,可以為法則,窮道本末,究事之情,立是廢非,明示後人,死有遺業,生有榮名。如此者,人才之所能逮。然而莫能至焉者,偷慢懈惰,多不暇日之故。夫瘠地之民多有心力者,勞也;沃地之民多不才者,饒也。由此觀之,知人無務,不若愚而好學。自人君公卿至於庶人,不自強而功成者,天下未之有也。《詩》雲:「日就月將,學有緝熙于光明。」此之謂也。名可務立,功可強成,故君子積志委正,以趣明師,勵節亢高,以絕世俗。
目の見えない者は、目で昼夜を分け白黒を見分けられないが、琴を抱えて弦を押さえ、弾き、徽を押さえ直し、掴み、引き、打ち、はじくさまは、手がかすんで見えるほどで、一本の弦も外さない。瑟を弾いたことのない者は、離朱のような目の明るさ、掴み取るような素早さがあっても、やはり指を曲げ伸ばすことさえできない。なぜか。慣れ習い、積み重ねてきたことがもたらすのである。だから弓は擏を待ってはじめて調えられ、剣は砥を待ってはじめて鋭くなる。玉は堅くて敵うものがないが、彫って獣にし、頭と尾が形をなすのは、砥石の功である。木は直くて墨縄に合うが、撓めて輪にし、その曲がりが規に合うのは、檃や括の力である。唐碧のように堅く靭いものでも彫り刻み、撓めて器として使えるのだから、まして心や意ならなおさらである。精神はなめらかで微かで、たちまち変化し、物とともに移り、雲のように立ち風のように行き、どう向けるかにかかっている。君子が精しく磨き照らし、その才を研ぎ、自ら神明を試し、物の広さを見渡し、物の塞がりを通し、始めと終わりの糸口を見、外のない境を見て、塵の外を逍遥しさまよい、超然と独り立ち、卓然と世を離れることができる。これが聖人が心を遊ばせるやり方である。もしそうできなければ、静かに暮らして静かに思い、琴を弾き書を読み、上古や賢い大夫を遡って眺め、学び問い論じ弁じて、日々自ら楽しみ、世の事を引き寄せて白黒と利害を分け、得失を算木で量って禍福を見、儀を設け度を立てて法則となしうるようにし、道の本末を究め、事の実情を究め、是を立て非を廃して後の人に明らかに示せば、死んでは残した業があり、生きては栄えある名がある。こういうことは、人の才が及びうるところである。それでも至れる者がないのは、怠けなまけて、日が足りないという口実が多いからである。やせた土地の民に心と力のある者が多いのは、苦労するからである。肥えた土地の民に才のない者が多いのは、豊かだからである。これで見れば、知恵があって努めないのは、愚かでも学を好むのに及ばない。君や公卿から庶人まで、自ら強く努めずに功を成した者は、天下にいない。『詩』に「日に就き月に将み、学は緝熙して光明に至る」という。これをいうのである。名は努めて立てられ、功は強いて成せる。だから君子は志を積み正しさに身を委ね、明るい師のもとへ向かい、節を励まし高さを張って、世俗と絶つ。
何以明之?昔者南榮疇恥聖道之獨亡於己,身淬霜露,敕蹻趹,跋涉山川,冒蒙荊棘,百舍重跰,不敢休息,南見老聃。受教一言,精神曉泠,純聞條達,欣然七日不食,如饗太牢,是以明照四海,名施後世,達略天地,察分秋豪,稱譽葉語,至今不休。此所謂名可強立者。吳與楚戰,莫囂大心撫其禦之手曰:「今日距強敵,犯白刃,蒙矢石,戰而身死,卒勝民治,全我社稷,可以庶幾乎?」遂入不返,決腹斷頭,不旋踵運軌而死。申包胥竭筋力以赴嚴敵,伏屍流血,不過一卒之才,不如約身卑辭,求于諸侯。於是乃贏糧跣走,跋涉穀行,上峭山,赴深溪,游川水,犯津關,躐蒙籠,蹶沙石,蹠達膝曾繭重胝,七日七夜,至於秦庭。鶴跱而不食,晝吟宵哭,面若死灰,顏色黴墨,涕液交集,以見秦王。曰:「吳為封豨修蛇,蠶食上國,虐始于楚。寡君失社稷,越在草茅,百姓離散,夫婦男女,不遑啟處,使下臣告急。」秦王乃發車千乘,步卒七萬,屬之子虎,逾塞而東,擊吳濁水之上,果大破之,以存楚國。烈藏廟堂,著於憲法。此功之可強成者也。夫七尺之形,心知憂愁勞苦,膚知疾痛寒暑,人情一也。聖人知時之難得,務可趣也,苦身勞形,焦心怖肝,不避煩難,不違危殆。蓋聞子發之戰,進如激矢,合如雷電,解如風雨,員之中規,方之中矩,破敵陷陳,莫能壅禦,澤戰必克,攻城必下。彼非輕身而樂死,務在於前,遺利於後,故名立而不墮。此身強而成功者也。是故田者不強,囷倉不盈;官禦不厲,心意不精;將相不強,功烈不成;侯王懈惰,後世無名。《詩》雲:「我馬唯騏,六轡如絲。載馳載驅,周爰諮謨。」以言人之有所務也。
何でそれを明らかにするか。昔、南栄疇は聖人の道が自分にだけないことを恥じ、身は霜露に濡れ、草鞋を履いて山や川を越え、茨をかぶり、百舎を重ねて胼胝だらけになっても休もうとせず、南へ行って老聃に会った。一言の教えを受けると、精神は晴れ涼しく、純粋に聞き入って筋が通り、喜ばしさに七日食べなくても太牢を饗されたようだった。こうして四海を明るく照らし、名は後の世に伝わり、天地を通じて治め、秋の毛の分かれ目まで見きわめ、その誉れと語りは今に至るまで絶えない。これがいわゆる名を強いて立てられるということである。呉と楚が戦ったとき、莫囂の大心は御者の手を撫でていった。「今日、強敵に当たり、白刃を踏み、矢石をかぶり、戦って身は死んでも、兵が勝ち民が治まり、我が社稷を全うできるなら、それで十分だろうか。」そのまま入って帰らず、腹を裂かれ首を断たれ、踵を返し車を回すこともなく死んだ。申包胥は筋力を尽くして厳しい敵に向かい、屍を伏せ血を流しても、一人の兵の働きにすぎず、身を低くし言葉をへりくだらせて諸侯に救いを求めるのに及ばない。そこで糧を背負って裸足で走り、谷を越えて行き、険しい山に上り、深い谷に下り、川を泳ぎ、渡し場や関を越え、茨を踏み、砂や石につまずき、足の裏は膝まで届くほど幾重にも胼胝だらけになって、七日七夜で秦の庭に至った。鶴のように立ったまま食べず、昼は呻き夜は泣き、顔は死灰のようで、顔色は黴のように黒く、涙と鼻水が入りまじったまま、秦王に会った。こういった。「呉が大きな猪や長い蛇となって上の国々を蚕食し、その虐げは楚から始まりました。わが君は社稷を失い、草むらに身を落とし、民は散り、夫婦も男女も落ち着いて住む暇がありません。それで下臣をつかわして急を申し上げます。」秦王はそこで車千乗、歩兵七万を出して子虎に属させ、塞を越えて東へ向かい、濁水のほとりで呉を撃ち、果たして大いに破って楚国を残した。その功の激しさは廟堂に蔵され、憲法に記された。これが功を強いて成せるということである。七尺の身で、心は憂いや苦労を知り、肌は痛みや寒暑を知る。人の情は一つである。聖人は時が得がたく、努めれば向かえることを知って、身を苦しめ形を労し、心を焦がし肝を震わせ、煩わしさや難しさを避けず、危うさを拒まない。聞くところでは、子発の戦いは、進むことは激しい矢のようで、合わさることは雷電のようで、解けることは風雨のようで、円は規に合い方は矩に合い、敵を破り陣を陥れて、防げる者がなく、沢で戦えば必ず勝ち、城を攻めれば必ず落ちた。彼は身を軽んじて死を楽しんだのではなく、努めることを先にして利を後に残したので、名が立って落ちなかった。これが身を励まして功を成したということである。だから田を耕す者が励まなければ倉は満たず、官に仕える者が自分を研がなければ心と意は精しくならず、将や相が励まなければ功も功績も成らず、侯や王が怠れば後の世に名が残らない。『詩』に「我が馬は騏、六つの手綱は糸のよう。走らせ駆けさせ、あまねく尋ねて謀る」という。人に努めるべきものがあることをいうのである。
通於物者,不可驚以怪;喻於道者,不可動以奇;察於辭者,不可耀以名;審於形者,不可遯以狀。世俗之人,多尊古而賤今,故為道者必托之于神農、黃帝而後能入說。亂世暗主,高遠其所從來,因而貴之。為學者蔽于論而尊其所聞,相與危坐而稱之,正領而誦之。此見是非之分不明。夫無規矩,雖奚仲不能以定方圓;無準繩,雖魯般不能定曲直。是故鍾子期死而伯牙絕弦破琴,知世莫賞也;惠施死而莊子寢說言,見世莫可為語者也。夫項讬七歲為孔子師,孔子有以聽其言也。以年之少,為閭丈人說,救敲不給,何道之能明也?
物に通じた者は怪しいことで驚かされず、道に諭された者は奇なことで動かされず、言葉を見きわめた者は名で輝かされず、形を見きわめた者は姿で逃げられない。世俗の人は、おおむね古を尊び今を賤しむ。だから道を説く者は、必ずそれを神農や黄帝に託してはじめて説を受け入れられる。乱れた世の暗い主は、その由来を高く遠くして、そのために貴ぶ。学ぶ者も論に覆われて、聞いたことを尊び、互いにかしこまって座ってそれを称え、襟を正して唱える。これは是非の分かれ目を見るのが明らかでないのである。規や矩がなければ、奚仲でも方や円を定められない。準や縄がなければ、魯般でも曲直を定められない。だから鍾子期が死ぬと伯牙は弦を断ち琴を壊した。世に賞する者がないと知ったからである。恵施が死ぬと荘子は説くのをやめた。世に語り合える者がないと見たからである。項託が七歳で孔子の師となったのは、孔子にその言葉を聴く耳があったからである。年の若さで里の長老に説こうとすれば、叩かれるのを防ぐのさえ間に合わない。どんな道を明らかにできよう。
昔者,謝子見於秦惠王,惠王說之,以問唐姑梁,唐姑梁曰:「謝子,山東辯士,固權說以取少主。」惠王因藏怒而待之。後日複見,逆而弗聽也。非其說異也,所以聽者易。夫以徵為羽,非弦之罪;以苦為甘,非味之過。楚國有烹猴而召其鄰人,以為狗羹也,而甘之。後聞其猴也,據地而吐之,盡寫其食。此未始知味者也。邯鄲師有出新曲者,讬之李奇,諸人皆爭學之。後知其非也,而皆棄其曲,此未始知音者也。鄙人有得玉璞者,喜其狀,以為寶而藏之。以示人,人以為石也,因而棄之。此未始知玉者也。故有符於中,則貴是而同今古;無以聽其說,則所從來者遠而貴之耳。此和氏之所以泣血于荊山之下。
昔、謝子が秦の恵王に会った。恵王は喜んで、唐姑梁に尋ねた。唐姑梁はいった。「謝子は山東の弁士で、もとより巧みな説で若い君の心を取るのです。」恵王はそれで怒りを含んで待った。後の日にまた会ったが、逆らって聴かなかった。その説が変わったのではなく、聴く者が変わったのである。徴を羽と取るのは弦の罪ではない。苦いものを甘いと取るのは味の過ちではない。楚に猿を煮て隣の人を招いた者があり、その人は犬の羹だと思って甘く食べた。後にそれが猿だと聞くと、地に手をついて吐き、食べたものをすべて出した。これはまだ味を知らない者である。邯鄲の楽師に新しい曲を作った者があり、それを李奇の作に託したので、人々はみな争って習った。後にそうでないと知って、みなその曲を捨てた。これはまだ音を知らない者である。鄙びた人に玉の原石を手に入れた者があり、その姿を喜んで宝として蔵った。人に見せたところ、人が石だといったので、それで捨ててしまった。これはまだ玉を知らない者である。だから胸のうちに合うものがあれば、正しいものを貴んで今も古も同じに見る。その説を聴く耳がなければ、由来の遠いものを貴ぶだけである。これが和氏が荊山の下で血の涙を流したわけである。
今劍或絕側羸文,齧缺卷銋,而稱以頂襄之劍,則貴人爭帶之;琴或撥刺枉橈,闊解漏越,而稱為楚莊之琴,側室爭鼓之。苗山之鋋,羊頭之銷,雖水斷龍舟,陸剸兕甲,莫之服帶。山桐之琴,澗梓之腹,雖鳴廉修營,唐牙莫之鼓也。通人則不然。服劍者期於銛利,而不期於墨陽、莫邪;乘馬者期於千里,而不期於驊騮、綠耳;鼓琴者期於鳴廉修營,而不期於濫肋、號鍾;誦《詩》、《書》者期於通道略物,而不期於《洪範》、《商頌》。聖人見是非,若白黑之於目辨,清濁之於耳聽。眾人則不然。中無主以受之,譬若遺腹子之上隴,以禮哭泣之,而無所歸心。故夫孿子之相似者,唯其母能知之;玉石之相類者,唯良工能識之;書傳之微者,惟聖人能論之。今取新聖人書,名之孔、墨,則弟子句指而受者必眾矣。故美人者,非必西施之種;通士者,不必孔、墨之類。曉然意有所通於物,故作書以喻意,以為知者也。誠得清明之士,執玄鑒於心,照物明白,不為古今易意,攄書明指以示之,雖闔棺亦不恨矣。
いま、剣が側が切れ文がやつれ、刃が欠けて曲がっていても、頂襄の剣だといわれれば、貴人は争って帯びる。琴が反り歪み、合わせ目が粗く音が漏れても、楚の荘王の琴だといわれれば、脇の部屋で争って弾く。苗山の鋋や羊頭の銷は、水では龍の舟を断ち、陸では兕の鎧を切るのに、だれも身につけない。山の桐の琴、谷の梓の胴は、清らかに長く鳴っても、唐牙でさえ弾かない。物に通じた人はそうではない。剣を帯びる者は鋭さを期して、墨陽や莫邪を期さない。馬に乗る者は千里を期して、驊騮や緑耳を期さない。琴を弾く者は清らかで長い鳴りを期して、濫肋や号鍾を期さない。『詩』や『書』を唱える者は道に通じ物を治めることを期して、『洪範』や『商頌』を期さない。聖人が是非を見るのは、白と黒を目が見分け、清と濁を耳が聴き分けるようなものである。多くの人はそうではない。胸のうちに主がないまま受け取るので、たとえれば遺腹の子が墓の丘に上って、礼どおりに泣いても、心の帰るところがないようなものだ。双子の似ているのは、その母だけが見分けられる。玉と石が似ているのは、良い工だけが見分けられる。書物や伝えの微かなところは、聖人だけが論じられる。いま新しい聖人の書を取って、孔子や墨子の名を付ければ、一句ずつ指でたどって受け取る弟子は必ず多いだろう。だから美しい人は必ず西施の血筋ではなく、通じた士は必ず孔子や墨子の類ではない。はっきりと意が物に通じるところがあるから、書を作って意を諭し、分かる者とするのである。本当に清く明るい士を得て、心に玄なる鑑を執り、物を照らして明白に見、今か古かで考えを変えないなら、書を広げて指すところを明らかにして示そう。そうなれば棺を閉じても悔いはない。
昔晉平公令官為鍾。鍾成,而示師曠。師曠曰:「鍾音不調。」平公曰:「寡人以示工,工皆以為調。而以為不調,何也?」師曠曰:「使後世無知音者則已,若有知音者,必知鍾之不調。」故師曠之欲善調鍾也,以為後之有知音者也。三代與我同行,五伯與我齊智,彼獨有聖智之實,我曾無有閭裏之聞,窮巷之知者何?彼並身而立節,我誕謾而悠忽。今夫毛嬙、西施,天下之美人,若使之銜腐鼠,蒙蝟皮,衣豹裘,帶死蛇,則布衣韋帶之人過者,莫不左右睥睨而掩鼻。嘗試使之施芳澤,正娥眉,設笄珥,衣阿錫,曳齊紈,粉白黛黑,佩玉環,揄步,雜芝若,籠蒙目視,冶由笑,目流眺,口曾撓,奇牙出,𩉇酺搖,則雖王公大人,有嚴志頡頏之行者,無不憚悇癢心而悅其色矣。今以中人之才,蒙愚惑之智,被污辱之行,無本業所修,方術所務,焉得無有睥面掩鼻之容哉!
昔、晋の平公が役人に鐘を作らせた。鐘ができて、師曠に見せた。師曠はいった。「鐘の音は調っていません。」平公はいった。「わたしが工に見せたら、工はみな調っているという。それを調っていないというのはなぜか。」師曠はいった。「後の世に音の分かる者がいなければそれまでですが、もし音の分かる者がいれば、必ず鐘が調っていないと分かるでしょう。」師曠が鐘をよく調えようとしたのは、後に音の分かる者がいると考えたからである。三代の人も自分と同じように行い、五伯も自分と同じ知恵をもっていたのに、彼らだけに聖知の実があって、自分には里に知られることもなく、狭い巷での知られようもないのはなぜか。彼らは身を打ち込んで節を立て、自分は偽りなまけてぼんやり過ごしたからである。いま毛嬙や西施は天下の美人だが、もし腐った鼠をくわえさせ、蝟の皮をかぶらせ、豹の皮衣を着せ、死んだ蛇を帯にさせれば、布衣に革帯の人でも通りかかれば、左右に横目を使って鼻を覆わない者はない。試しに芳しい油を塗らせ、美しい眉を整え、簪や耳飾りを添え、阿の薄絹を着せ、斉の紈を引き、白粉と眉墨を施し、玉の環を佩びさせ、しとやかに歩かせ、芝や若の香を混ぜ、ぼんやりと目を遣り、艶やかに笑い、目で流し見、口をすぼめ、歯をちらりと見せ、笑窪を揺らさせれば、王公大人で厳しい志と張り合う行いのある者でも、心が騒いでその美しさを喜ばない者はない。いま中ほどの才で、愚かで惑った知恵をかぶり、汚れ辱められた行いを身にまとい、本の業に修めたものも方術に努めたものもなければ、どうして横目を使われ鼻を覆われる姿を免れられよう。
今鼓舞者,繞身若環,曾撓摩地,扶旋猗那,動容轉曲,便媚擬神。身若秋藥被風,發若結旌,騁馳若騖;木熙者,舉梧檟,據句枉,蝯自縱,好茂葉,龍夭矯,燕枝拘,援豐條,舞扶疏,龍從鳥集,搏援攫肆,蔑蒙踴躍。且夫觀者莫不為之損心酸足,彼乃始徐行微笑,被衣修擢。夫鼓舞者非柔縱,而木熙者非眇勁,淹浸漬漸摩使然也。是故生木之長,莫見其益,有時而修;砥礪靡堅,莫見其損,有時而薄。藜藿之生,蠕蠕然日加數寸,不可以為櫨棟;楩楠豫章之生也,七年而後知,故可以為棺舟。夫事有易成者名小,難成者功大。君子修美,雖未有利,福將在後至。故《詩》雲:「日就月將,學有緝熙于光明。」此之謂也。
いま鼓を打って舞う者は、身をめぐらせば環のようで、屈んで地を擦り、支えて回りしなやかに揺れ、姿を動かし節を転じて、しとやかな美しさは神を思わせる。身は秋の芍薬が風を受けるようで、髪は結んだ旗のようで、走るさまは駆けるようである。木で技を見せる者は、梧や檟の枝を取り、曲がったところに掴まり、猿のように身を放ち、茂った葉を好み、龍のようにたわみ、燕のように枝に掛かり、豊かな枝を引き、枝葉の間で舞い、龍のように連なり鳥のように集まり、掴み引き掴みかかり、かすむように跳ねる。見る者はだれも、気をもみ足を縮めないではいられないのに、彼らはそこでようやくゆっくり歩き、かすかに笑い、衣を着て身を伸ばす。鼓を打って舞う者がもともと柔らかくしなやかだったのではなく、木で技を見せる者がもともと細く強かったのではない。浸し潤し、少しずつ磨いてそうなったのである。だから生きた木が伸びるのは、増える様子は見えないが、やがて長くなる。砥石が堅いものを磨るのは、減る様子は見えないが、やがて薄くなる。藜や藿が生えるのは、うごめくように日に数寸も伸びるが、櫨や棟にはできない。楩や楠や豫章が生えるのは、七年たってやっと分かるが、だから棺や舟にできる。事には成しやすいものは名が小さく、成しにくいものは功が大きい。君子が美を修めれば、まだ利がなくても、福は後から来る。だから『詩』に「日に就き月に将み、学は緝熙して光明に至る」という。これをいうのである。