序
《懲毖錄》者何?記亂後事也。其在亂前者,徃徃亦記,所以本其始也。鳴呼!壬辰之禍,慘矣!浹旬之間,三都失守,八方瓦解,乘輿播越,其得有今日,天也。亦由祖宗,仁厚之澤,固結於民,而思漢之心未已,聖上事大之誠,感動皇極,而存邢之師屢出。不然則殆矣。《詩》曰:「予其懲,而毖後患。」此《懲毖錄》所以作也。若余者以無似,受國重任於流離板蕩之際,危不持,㒹不扶,罪死無赦。尙視息田畝間,苟延性命,豈非寬典。憂悸稍定,每念前日事,未嘗不惶愧靡容。乃於閑中,粗述其耳目所逮者,自壬辰至戊戌,總若于言,因以狀啓疏文移及雜錄,附其後。雖無可觀者,亦皆當日事迹,故不能去,旣以寓畎畝惓惓願忠之意,又以著愚臣報國無狀之罪云。
『懲毖録』とは何か。乱の後の事を記したものである。乱の前にあった事もときおり記しておいたが、その始まりを明らかにしようとしてである。
ああ、壬辰の年の禍はいたましいものであった。十日あまりのあいだに三つの都を守れず、八方が崩れ落ち、王の車が都を去って落ちのびた。それでもなお今日があるのは天の意である。また祖宗の仁深く厚い恵みが民にかたく結ばれていて、漢を慕うように国を忘れぬ心がやまず、王が大国に仕えた誠が皇帝を動かして、邢の国を存えさせた昔の事のように救援の軍がたびたび出たからである。そうでなかったなら危ういところであった。『詩経』に「わたしは過ぎた事に懲りて、後の患いを慎む」とあるが、これが『懲毖録』を作った理由である。
わたしのような者は、取るに足らぬ身で国が揺れ漂っていた時に国の重い任を受けながら、危ういものを支えられず、倒れるものを扶けられなかったのであるから、死んでもその罪は赦されない。それでもなお田畑のあいだで息をつき、かりそめに命をつないでいる。どうして寛やかな恩典でないことがあろうか。恐れと驚きが少し収まってからは、過ぎた日の事を思うたびに恐れ入り恥じて身の置き所がなかった。そこで閑かなうちに、わたしの耳と目の及んだところを粗く述べたので、壬辰の年から戊戌の年まで、あわせていくばくかの言葉となった。続いて状啓と上疏と行き交った公文と雑録をその後に付けた。見るべきものはないが、これもみなその日の跡であるから捨てることができなかった。これによって田畑に退いてもひたすら忠を願った意を寄せ、また愚かな臣が国に報いられなかった罪を明らかにしようとするのである。
夾注 2
思漢之心 — 漢が滅びた後も旧い民が漢を慕ったという昔の事になぞらえた言葉である。― 訳者
存邢之師 — 斉の桓公が、夷狄に滅ぼされかけた邢の国を存えさせた春秋時代の昔の事である。ここでは明の救援軍を指す。― 訳者