いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻4 芹曝集
弘文館の箚子に回答して申し上げる啓弘文舘箚子回。啓
懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻4 芹曝集 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。
弘文舘箚論中請留正使京城一款已爲。啓請發落矣其餘所謂京師八方之根本。廟社在此臣民在此何可每委而去之云云者尤爲切要於救時之策昔汴京淪於賊藪胡騎四面充斥而宗澤三呼過河張浚請進駐建康以繫中原之望古之忠臣義士其所以爲國諜者不過如此良以天下之勢不進則退三軍萬姓之心瞻繫於一人之進退若以根本爲不守之計則枝葉何所庇覆至於遷國圖存之說出於一時之倉卒非可遵行而爲例儒臣所陳深得古人獻忠之義自。上更可體念而策勵群臣以起四方之心以振中興之業不勝幸甚
弘文館の箚子が論じた中で、正使を都に留めることを請うた一条は、すでに申し上げて処分を請いました。
その残り、いわゆる「都は八方の本であり、宗廟社稷がここにあり、臣と民がここにいるのに、どうして常に捨てて去れようか」と言ったものは、時局を救う計りごとにいっそう切実で要となるものです。昔、宋の都の汴京が敵の巣に落ち、胡の騎兵が四方に満ちていた時、宗澤は三たび川を渡れと叫び、張浚は江南の建康に進んで留まり、中原の民が望む心を引き留めることを請いました。昔の忠臣義士が国のために計ったことは、これに過ぎるものではありませんでした。まことに天下の形勢は、進まなければ退くものであり、三軍と万民の心は、一人の進退に仰いでかかっているからです。もし本を守らないと決めるなら、枝と葉はどこに覆われるでしょうか。国を移して生き延びることを計るという話に至っては、一時の急な間に出たものですから、従って行って先例とすべきものではありません。
弘文館の臣たちが申し上げたところは、昔の人が忠を捧げた意を深く得ています。上から改めて御自ら心に留められ、諸臣を鞭打ち励まして四方の心を起こし、中興の業を奮い立たせられるなら、この上なく幸いでございます。
夾注 1
丙申四月
丙申の年四月。