いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻5 芹曝集

全羅道に兵と農、要害を遮る事を申し付けることを申し上げる啓分付全羅道兵農及把截險要。啓

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 懲毖錄 · 柳成龍(リュ・ソンリョン) · 1633年刊行(壬辰倭乱の後に著す) · 段落 1 · 漢字 396字 · 朗読 3.5分

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻5 芹曝集 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。

全羅監司書狀據司。啓目貼連。啓下云云湖南右道接連慶尙道一帶把截要害之處必有緊歇。朝廷難以遙制當任本道處置俾無疎虞而方此耕作方急之時若不趁時播種則賊雖未至而人民之生路斷絕極爲可盧故今日之計當便戰守與農作一樣區處不可偏廢賊兵時無西犯之狀宜寧等處且有駐軍雖其前頭利鈍有不可預料而六十峙等處許多把截軍兵坐而相望失其農時殊非得計惟當定將分付堅授約束暫許歸農聞變卽時刻期聚待違者勿論將卒一以軍令從事三令五申知委施行險阨把截亦有其策如不得堅築城堡多設器械以禦奔衝則於林藪茂密崖谷隱僻之處挾道設計伺其賊來處處發射而又爲疑兵山谷應聲不測多少則賊雖衆必不敢容易踰越所謂步兵入林則不可制者是也往時劉克良把截竹嶺盡伐山頭之木使之兀兀而以其木役民排設短栅有同防水之狀見者皆笑其齟齬而竹嶺形勢因此不如前月之深昧不測以克良之曉事而計慮未及如此况於他將乎今此設險處亦不可不知此意幷爲枚擧移文于忠淸道監司尹承勳全羅道監司李延馣處何如

全羅監司の書状により、備辺司が啓目を具え、その書状を添えて上げましたところ、そのままお下しになりました。

湖南右道が慶尚道と接し連なる一帯に、遮り断つべき要害の所には必ず緊しい所と緩い所があります。朝廷が遠くから制しがたいので、当然その道に任せて処置させ、粗略がないようにすべきです。今、田を耕すことがまさに急な時に、もし時に乗じて種を播かなければ、敵が至らなくても民の生きる路が絶たれますから、極めて憂慮されます。ですから今日の計策は、当然、戦い守る事と農作とを一様に慮って処し、いずれか一方を廃することはできません。

敵兵は今、西を侵す気配がなく、宜寧などの地にはまた留まる軍があります。たとえこれから事の利不利を予め計りがたくても、六十峙などの地で多くの軍兵が遮り断つといって座したまま互いに眺め、農時を失うのは、まったく良い計策ではありません。ただ将を定めて申し付け、約束を固く授けてしばらく農に帰ることを許し、変を聞けばすぐ期限を定めて集まり待たせ、違う者は将と卒を選ばず一様に軍令で処することを、重ね重ね諭し知らせて施行させてください。

険しい所を遮り断つことにも計策があります。もし城と堡を固く築き器械を多く設けて駆け寄るのを防げないのであれば、林が茂り崖と谷の奥まった所に、路を挟んで計りごとを設け、敵の来るのを窺って所々で射かけ、また疑兵を置いて山谷が声に応じて多少を測れないようにすれば、敵がたとえ多くても、必ず容易には越えられないでしょう。いわゆる、歩兵が林に入れば制することができないというのがこれです。

先日、劉克良が竹嶺を遮り断つ時、山の頂の木をすべて伐って丸裸にし、その木で民を使って低い木柵を並べ立て、水を防ぐような形になったので、見る者はみなその食い違いを笑いました。そして竹嶺の形勢は、これによって先の日のように深く暗く測りがたかったものに及ばなくなりました。劉克良のように事を知る者でも、思慮の及ばないことがこのようでした。まして他の将ならなおさらです。今、険しい所を設ける場でも、この意を知らぬわけにはいきません。

併せて一つ一つ挙げて、忠清道監司の尹承勲と全羅道監司の李延馣に公文を送るのはいかがでしょうか。

夾注 1

底本は李延馣である。ふつう李廷馣と記される人と見られる。底本を突き合わせて見た後に定める。 ― 訳者