いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻6 辰巳錄

平壌の敵の勢いを申し上げた状啓馳。啓平壤賊勢狀

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 懲毖錄 · 柳成龍(リュ・ソンリョン) · 1633年刊行(壬辰倭乱の後に著す) · 段落 1 · 漢字 153字 · 朗読 1.3分

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻6 辰巳錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。

臣到控江亭路逢潰散之卒絡繹於道問其緣由則昨日夕時賊自王城灘偷渡兵使李潤德先走江上諸陣兵皆潰散云極爲驚駭平壤城中若被圍則外無援兵事甚危迫且土兵可用之士如皆散去唐兵雖來形勢不接難以成功義州宣川等處逃散之卒臣令軍官時方招集他路散出之兵願分定朝官急期收召悉赴於唐人來到之處而。行在所駐處亦從長計議急速處置庶無迫逼之患

臣が控江亭に至りますと、崩れ散った軍卒が路に絶えず続いておりました。その経緯を問いますと、「昨日の夕べ、敵が王城灘から密かに渡ると、兵使の李潤徳が先に走り去り、江辺の諸陣の軍がみな崩れ散った」と申しますので、ひどく驚かれます。

平壌城が囲まれれば、外に援けの兵がなく、事はひどく危うく迫ります。また土兵のうち用いるに足る士がみな散り去れば、明の軍が来ても形勢が繋がらず、功を成しがたいのです。

義州と宣川などの地で逃げ散った軍卒は、臣が軍官に今、招き集めさせております。他の路へ散り出た軍は、朝廷の官員を分け定めて急ぎ収め招き、すべて明の人の至る所へ赴かせてくださるよう望みます。行在所の留まられる所でも良い方に議して急ぎ処置されれば、ひたひたと追い迫られる憂いはなくなるでしょう。

夾注 1

六月十六日久在嘉山控江亭時。大駕次博川

六月十六日。嘉山の控江亭に長く留まっていた時で、大駕は博川におられた。