いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻6 辰巳錄
従事官の辛慶晋を遣わして行在所にご機嫌を伺った状啓遣從事官辛慶晉起居。行在狀
懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻6 辰巳錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。
臣今日在安州謹具狀。啓一道幷唐官林世祿所傳遼東咨文令從事官辛慶晉馳赴。行在于寧邊同日申時慶晉還言。大駕已離寧邊道路傳說未定處所不得已還來云臣北向痛泣五內震裂卽當隨赴。行在但遼東咨文必須劃卽回答付送于唐人還去之時事甚急迫不可遲緩更令辛慶晋尋問進去前封書狀幷爲上送因以候問。起居
臣は今日、安州に在って謹んで状啓一通を具え、併せて明の官員の林世祿が伝えた遼東の咨文を従事官の辛慶晋に与え、寧辺の行在所へ馳せ赴かせました。同じ日の申の刻に慶晋が帰って「大駕はすでに寧辺を離れられ、路に伝わる話では留まられる所が定まっておりませんので、やむを得ず帰って来ました」と申しました。臣は北に向かって痛み泣き、五臓が裂けるようです。
すぐに行在所へ従い赴くべきですが、遼東の咨文は必ずただちに回答して明の人が帰る時に付け送らねばなりませんので、事がひどく急迫で緩められません。改めて辛慶晋に尋ね問うて進ませ、さきに封じた書状も併せて上げ送り、続いてご機嫌をお伺いいたします。
夾注 1
壬辰六月十四日
壬辰の年六月十四日。