いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻6 辰巳錄
明の軍が平壌を攻めて不利となり、史遊撃が戦って死んだ事を申し上げた状啓天兵進攻平壤不利史遊擊戰死狀
懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻6 辰巳錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。
昨日唐兵進勦倭賊終日佇待吉語忽聞先鋒史遊擊爲鐵丸所傷以死唐兵連續退來極爲驚駭之際夜半祖總兵王參將立馬城外招通事朴義儉語之曰今日我軍入城多殺倭寇而不意史遊擊身死我軍亦多死亡俺等欲仍留更爲勦捕而矢盡火炮亦盡故不得已退軍當與楊總兵更調兵馬多數出來傳語宰相撫定人心勿爲搖動津頭浮橋亦勿少動以待之俺等遲不過三四日當更來本欲入城留宿而此處糧餉不敷故不爲入宿今日當到定州因馳去云他餘事當隨後狀。啓此甚緊急消息故敢此先爲馳。啓
昨日、明の軍が進んで倭賊を討ちましたので、終日、良い知らせを立って待っておりました。ところが突然、先鋒の史遊撃が鉄丸に当たって死んだという話が聞こえ、明の軍が相次いで退いて来ましたので、ひどく驚き恐れていた折でした。
夜半に祖総兵と王参将が城の外に馬を立て、通事の朴義儉を招いて申しました。「今日、我が軍が城に入って倭寇を多く殺したが、思わぬことに史遊撃が死し、我が軍にも死んだ者が多い。我らはそのまま留まって再び討とうとしたが、矢が尽き火砲も尽きたので、やむを得ず軍を退いた。当然、楊総兵と共に改めて兵馬を調え発して多くの数で出て来るから、宰相に言葉を伝えて人心を撫で定め、揺れ動かないようにせよ。渡しの浮橋も少しも動かさずに待て。我らは遅くとも三、四日のうちに必ず再び来る。もともと城に入って泊まろうとしたが、この地の糧が足りないので入って泊まらない。今日は定州に至るであろう。」そしてそのまま馳せ去りました。
そのほかの事は、当然、後から状啓で申し上げます。これは非常に緊急な知らせですので、あえてこのようにまず馳せて申し上げます。
夾注 1
十八日
十八日。