明の軍が安州を過ぎた事と、牛と酒を予め備えて明の軍を饋う事を申し上げた状啓天兵過安州事及預備牛酒犒餉。天兵狀
天兵本月十五日自嘉山曉發到安州不入城從晴川江直向肅川一路糧餉支供之事自安州以南尤甚蕩敗恐無以成形適宣傳官愼德容調發甑山咸從之糓八百二十石及調度使洪世恭調發熙川雲山博川寧邊价川等處之糓五百六十九石俱到安州唐兵過去後盡發州內見在民夫及除出戰用不關老殘軍及時負戴追及於肅川俵給軍糧後今方輸送順安者三百四十餘石足以支數日之糧其未足者陸續輸送牙山倉米三百石移載甑山船隻令回泊于三和廣梁龍岡三和等官米豆八百餘石幷令回泊廣梁幸若。天兵收復平壤而渡江追躡則將以此糓接之第念。天兵出來後因事力窘竭尙未一擧犒軍之禮其於國體極爲未安萬一得成大功蕩平兇賊而還則宴慰犒賞之事當從優厚以答其勤臣與調度使等相議欲於平壤安州定州義州四處爲之所入雜物大槩參商則一處各酒千餘盆牛二十餘頭猪羊鷄狗從其所得措備各以近處郡邑幷定預辦其中又定差使員使之次知檢察行移知委此事於國家事體關重且。天兵旣已救活我國百萬生靈之命則其所以報答者不容不盡雖有小弊有不暇顧况酒千餘盆不過米三十石以此計之則幷定各官一處所出僅五六石而足可辦出惟牛隻則本道頗稀貴故慮或難辦令民間自願備納者限年復戶免役或他論賞如此湊合可以成禮但義州則。大駕所駐其禮似當盛於他邑宴餉後唐將以下贈給禮幣亦令該曹預爲磨鍊準備使無臨時窘乏之患
明の軍が本月十五日に嘉山から明け方に発って安州に至りましたが、城に入らず、清川江に沿ってまっすぐ粛川へ向かいました。一つの路の糧を給する事は、安州以南がいっそう甚しく崩れていて、形を成せないのではないかと恐れます。ちょうど宣伝官の愼徳容が甑山・咸従の穀八百二十石を、調度使の洪世恭が熙川・雲山・博川・寧辺・价川などの地の穀五百六十九石を調え発して、みな安州に至りました。明の軍が過ぎ去った後、邑の中に在る人夫と、戦いに用いない老い弱った軍をすべて出して、時に合わせて負い戴いて粛川まで追いつき、軍糧を分け与えました。今、順安へ運び送るものが三百四十余石ですから数日の糧は十分に給するに足り、足りないものは相次いで運び送ります。
牙山倉の米三百石は甑山の船に移し載せて三和の広梁へ回して泊めさせ、龍岡・三和などの邑の米と豆八百余石も併せて広梁へ回して泊めさせました。幸いに明の軍が平壌を取り戻して江を渡り追い迫れば、この穀で給しようと思います。
ただ思いますに、明の軍が出て来た後、事と力が尽きてまだ一度も軍を饋う礼を行えませんでしたので、国の体面にひどく心苦しいことです。もし大きな功を成して凶い敵を掃き平らげて帰れば、宴で慰め賞を与える事を当然厚くして、その労に答えるべきです。臣は調度使らと互いに議して、平壌・安州・定州・義州の四か所で行おうと思います。要る雑物をおおよそ量りますと、一か所にそれぞれ酒千余盆と牛二十頭ばかりで、猪・羊・鶏・犬は得られるままに備えます。それぞれ近い邑を併せ定めて予め弁えさせ、そのうちにまた差使員を定めて掌り検察させるよう、公文を送って知らせました。
この事は国の体面にかかわることが重く、また明の軍がすでに我が国の百万の生霊の命を救い活かしましたので、報い答えるところを尽くさないわけにはいきません。小さな弊があっても顧みる余裕はありません。まして酒千余盆は米三十石に過ぎませんので、これで数えれば、併せ定めた各邑が一か所に出すものはわずか五、六石ですから、十分に弁じ出せます。ただ牛はこの道にはなかなか稀で貴く、弁じがたいかと憂えますので、民間で自ら願って備え納める者には年を限って戸の役を免じ、あるいは別に賞を論じさせました。このように寄せ合わせれば礼を成すことができます。
ただ義州は大駕の留まられる所ですから、その礼は当然ほかの邑より盛んであるべきように思われます。宴の後に明の将以下に贈る礼幣も、該当の曹に予め磨り鍊えて準備させ、時に臨んで窮し乏しくなる憂いがないようにしてください。
夾注 1
七月十七日
七月十七日。