いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻6 辰巳錄
黄州牧使の金進寿が敵を捕らえた経緯と、明の軍を速やかに請う事を馳せて申し上げた状啓馳。啓黃州牧使金進壽捕賊緣由。及速請。天兵狀
懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻6 辰巳錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。
當日曉狀啓大槪沈遊擊往來釜山院與倭人接話辭緣及黃州牧使金進壽二十三日自鳳山來賊六百餘名內捕斬倭將二卒倭一奪馬五十餘匹卜物亦爲數多之由矣平行長答書及遊擊問答小錄親監後還送次監對輸送同决尾云遊擊自釜山下來曲折及問答之話更問得實緣由不爲幷錄云云似是唐人再送後未見其報而還今觀李元翼所通則尙無速進之意講解倭兵難保必成金進壽斬殺如此雖可慰喜生入之賊亦必數多考其日時則似是中和已報之賊而前頭之事亦爲可慮。天兵速請之擧。朝廷更加措置賊倭則連日如前出現卽爲還入
今朝の明け方の状啓の大筋は、沈遊撃が釜山院を往き来して倭人と言葉を交わした経緯と、黄州牧使の金進寿が二十三日に鳳山から来た敵六百余名のうち倭将二人と卒倭一人を捕らえ斬り、馬五十余匹を奪い、荷も数が多かったという経緯でした。
平行長の答書と、遊撃と交わした問答の小録は、自らご覧になった後にお返しくださるよう、照らし合わせて載せ上げ、同じ状啓の末に付けたと申します。遊撃が釜山院から下って来た経緯と問答した話を改めて問うて実を得た経緯は併せて記さなかったと申しますので、おそらく明の人を再び遣わした後、その回報を見ずに帰ったように思われます。
今、李元翼が通報したものを見ますと、まだ速やかに進む意がありません。倭兵と講和を議する事は、必ず成るとは保ちがたいのです。
金進寿がこのように斬り殺したことは慰めとなり喜ばしくはありますが、生きて入った敵も必ず数が多いでしょう。その日付と時刻を察しますと、おそらく中和からすでに報じた敵のように思われますので、これからの事もまた憂慮されます。
明の軍を速やかに請う事は、朝廷から改めて処置を加えてください。敵の倭は日ごとに前のように出て、すぐ再び入ります。
夾注 2
平行長は小西行長である。
卒倭 — 倭軍の卒兵である。