いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻6 辰巳錄

我が軍が進んで戦って勝った事と、軍の物を運び送った事を馳せて申し上げた状啓馳。啓我軍進戰得捷軍物輸送狀

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 懲毖錄 · 柳成龍(リュ・ソンリョン) · 1633年刊行(壬辰倭乱の後に著す) · 段落 1 · 漢字 175字 · 朗読 1.6分

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻6 辰巳錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。

昨日狀啓後續承所通皆是接戰節次而賊倭兩路突出無數放砲之由己悉於李元翼狀啓矣其後更通內終日酣戰日暮時罷戰明日又進是計倭奴多數死傷我軍中丸及死者當隨後抄報姑以所見記之中丸不至重傷者二十七名死者數名云云臣軍官權滉等馳告內酉時罷戰我軍還到釜山院結陣而自始戰以來我軍力戰得捷莫若今日云云彼我所傷雖未及細知而大槪得捷分明姑爲慰幸臣所領軍物三更初一運未明時一運輸送

昨日、状啓を上げた後に相次いで受けた通報はみな向かい合って戦った次第ですが、敵の倭が二つの路から不意に出て無数に砲を放った経緯は、すでに李元翼の状啓に具えてあります。

その後、改めて来た通報には、終日たけなわに戦い、日の暮れる時に戦いを罷め、明日また進む計りであり、倭奴は死し傷ついた者が多く、我が軍のうち丸に当たった者と死んだ者は当然後から選んで報ずるが、まず見たとおりを記すと申し、丸に当たったが重傷に至らなかった者が二十七名、死んだ者が数名とありました。

臣の軍官の権滉らが馳せ来て告げて、酉の刻に戦いを罷め、我が軍は釜山院へ帰って陣を結び、初めて戦って以来、我が軍が力を尽くして戦って勝ったことは今日ほどの日がないと申しました。

彼我の傷ついた数はまだ詳しく分かりませんが、おおよそ勝ったことは明らかですので、まずは慰めとなり幸いです。

臣が率いる軍の物は、三更の初めに一度、夜の明ける前に一度、運び送りました。

夾注 2

八月十四日

八月十四日。

底本は己であるが、已の誤りと見る。