敵の間諜の金順良を捕らえて安州に囚えた事を申し上げた状啓獲賊諜金順良囚安州狀
臣於前月十八日送傳令于舟師大將有指揮事日久而不爲還繳臣怪之移文推詰則已於二十二日從右防禦使處具公文送還云而中間無去處因次次推問則公文捧受出來之人乃三和水軍金順良自言公文及傳令納于肅川元帥處又受祕密關子而去路中逢一人偕入平壤城中賊將見公文裂破留二日持牛隻刈草於城外因爲逃還云其說荒唐臣捉致眼前令嚴杖數度而問之順良供招云順良七月被擄入城因爲往來城中與三和官奴莫同及平壤私奴徐漢龍芿叱福交結其類四十餘人皆爲賊所使自初出入詗察我國事情凡列陣中無不往來周流順安尤多往來安州義州等處亦有往來之人順良初自右防禦使處受傳命及公交直人平壤倭將見公文裂破傳令則受置其處因賞給徐漢龍等紬五疋順良牛一隻更令入來徐漢龍約於初十日間出來探事云云邇來凡我國動靜賊無不先知至於山川形勢道里迃直行軍日期亦無不知固疑奸民爲之耳目今聞順良之言賊間無遠不布極可寒心今幸因事發露招辭現出之人方秘密設策期於購捕所謂芿叱福者亦於數日前被捉於右防禦使伏兵處與順良對辨則以爲此是往來之人與順良姑爲堅囚於安州以待追後捕捉之人憑詰得情計料因卽密通諸陣使之嚴加譏察事係關重先爲馳。啓
臣は去る月の十八日に舟師の大将へ伝令を送り、指揮すべき事がありました。日が久しくなっても返し納めませんので、臣が怪しんで移文して詰め問いますと、すでに二十二日に右防禦使から公文を具えて返し送ったと申しますのに、途中で行った先がありませんでした。
続いて次々に推し問いますと、公文を受け取って出て来た人はすなわち三和の水軍の金順良でした。自ら申しますに「公文と伝令を粛川の元帥の居る所へ納め、また秘密の関子を受けて行ったが、路で一人に遇って共に平壌城の中に入ると、敵の将が公文を見て裂き捨てた。二日留まった後、牛を引いて城の外で草を刈っていて、そのまま逃げ帰った」と申しましたが、その話が荒唐でした。臣が目の前に捕らえ入れ、厳しく幾度か杖を打って問いますと、順良が自ら伏して申しました。
「順良は七月に捕らえられて城に入り、そのまま城の中を往き来しました。三和の官奴の莫同と平壌の私奴の徐漢龍・芿叱福と交わり結んだその輩四十余人がみな敵に使われ、初めから出入りして我が国の事情を窺い察しました。およそ並び立つ陣のうち往き来しない所がなく、順安を遍く回っていっそう多く往き来し、安州・義州などの地にも往き来する人があります。
順良が初めに右防禦使から伝令と公文を受けてまっすぐ平壌に入りますと、倭将が公文を見て裂き、伝令はその地に受け置きました。続いて徐漢龍らに紬五疋を、順良に牛一頭を賞として与え、改めて入って来させ、徐漢龍は初十日頃に出て来て事を窺うと約束しました。」
近ごろ、およそ我が国の動静を敵が先に知らなかったことがなく、山川の形勢と路の遠近、軍の行く日付に至るまでまた知らないものがありませんので、まことに奸い民がその耳と目になったのだろうと疑いました。今、順良の話を聞きますと、敵の間諜が遠いといって布かれていない所がありませんので、至って寒心すべきことです。
今、幸いに事によって露れましたので、供招に出た人は、まさに密かに計策を設けて必ず賞を懸けて捕らえようと思います。いわゆる芿叱福という者も幾日か前に右防禦使の伏兵した所で捕らえられましたが、順良と向かい合わせて明らかにしますと、この人が往き来していた者であると申しました。順良と共にまず安州に固く囚えて、後に捕らえる人を待ち、憑り拠って詰めて実情を得る計りです。そこでただちに諸陣に密かに通じて厳しく譏り察させました。事が重大なことにかかわりますので、まず馳せて申し上げます。
夾注 1
十二月
十二月。
數日後斬順良於安州城外梟首示眾自是其黨驚散未久。天兵渡江而賊不知兵至使平好官出迎沈遊擊爲查大受所擒翌日進圍平壤得以成功如賊問尙在而預爲之備則事未可知間諜之有關於兵機如此
幾日か後、順良を安州の城の外で斬り、首を梟けて衆に示した。これより その輩は驚いて散った。ほどなく明の軍が江を渡ったが、敵は軍の至ったことを知らず、平好官を出して沈遊撃を迎えさせ、査大受に捕らえられた。翌日、進んで平壌を囲み、功を成すことができた。もし敵の間諜がそのまま在って予め備えていたなら、事はどうなったか分からなかった。間諜が兵の機にかかわることは、このようである。