いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻8 辰巳錄

明の軍が平壌を攻める様子と、安州牧使を替えることを申し上げる馳。啓天兵進攻平壤形止及請罷安州牧使李民覺代以林仲樑狀

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 懲毖錄 · 柳成龍(リュ・ソンリョン) · 1633年刊行(壬辰倭乱の後に著す) · 段落 1 · 漢字 250字 · 朗読 2.3分

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻8 辰巳錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。

昨日。天兵與我軍進屯平壤城外十里日晚進兵城下初昏賊從密德出兵來戰。天兵多發火炮賊不支退入城中。天兵欲於今曉入城取我軍前日所造長梯于順安而去利鈍之形時未詳知若曠日持久則糧草接濟之事極爲悶迫唐糧輸運事依前日狀。啓急速措置俾令及期當此事急之際沿道守令多不得人以此百事皆不措置安州牧使李民覺本以疎懦昏殘且緣多病不能治官號令不行於下人臣從前每欲。啓罷而多事之際不欲遞易新舊且慮代者亦不得人留連至今今則决不可留請別擇文武中有計慮勤幹可任之人不分晝夜馳送臣昨招林仲樑探問中和事觀其爲人足可任事姑以此人爲之兼治守城之事恐爲便當

昨日、明の軍が我が軍と共に進んで平壌城の外十里に陣を結び、日の暮れる頃に城の下へ兵を進めました。宵の初めに敵が密徳から兵を出して来て戦いましたが、明の軍が火砲を多く放ちますと、敵は支えきれず城の中へ退きました。明の軍が今朝の明け方に城へ入ろうとして、我が軍が先の日に順安で造った長い梯を持って行きました。勝ち負けの形勢はまだ詳しく分かりません。

もし日を引いて長くなれば、糧と草を給する事が ひどく切迫します。明の糧を運び送る事は先の日に上げた状啓のとおり急ぎ処置され、期に及ばせてください。

このように事の急な時に、路沿いの邑の守令が宜しい人を得られない所が多く、諸事がすべて処されておりません。安州牧使の李民覚はもともと粗略で柔弱、暗く衰えている上に病が多く、邑を治められず、号令が下の人に行われません。臣は先から常に申し上げて替えようと思いましたが、事の多い時に守令を新たに替えたくなく、また代わる者も宜しい人を得られないのではないかと憂えて、今まで引き延ばして来ました。今は決してそのままにはできません。

文武のうち慮りがあって勤め幹く、任せるに足る人を別に択んで、昼夜を分けず馳せ遣わしてください。臣は昨日、林仲樑を招いて中和の事を問うてみましたが、その人柄を見ますと事を任せるに足ります。まずこの人とし、城を守る事を兼ねて治めさせれば、便宜で当然であるように思われます。

夾注 1

正月七日

正月七日。