平壌の敵が逃げ去った次第を申し上げる平壤賊遁形止狀
卽見都元帥金命元傳通平壤入窟之賊全數逃遁兵使及。天兵次第進去都巡察使李元翼馳報內夜中倭人自土窟全數逃去。天將曉來始覺甚怒我軍不爲候望而亦未卽發軍追逐午初始爲發軍出去當初我軍在城下兵使則結陣於牡丹峯之北左防禦使之軍在林原坪右防禦使之軍在含毬門外而中和祥原諸陣及曹好益之軍結陣於大同江越邊四面合勢中間李鎰因唐將之令與左右防禦使俱在含毬門外八日之戰先自含毬門入與賊相戰賊奔北我軍進至玄福站唐兵自七星門密德而下驅出我軍便不得在於城中李鎰之軍則有唐將一人率軍士四人監制進退而旣無譯官語言不得相通進退之際少違其意輙以劔背歐打使不得任意故我軍凡有所獲亦爲被奪云云但軍中之事制在主將不可全聽唐將號令而不爲指揮李鎰雖退陣於普通門外而若留防禦使一軍在詠歸樓近處遮遏南下之賊則不至於全然無獲而處置未免踈濶使籠中之兎得尋生路其爲痛心莫此爲甚黃海一路糧餉接濟事臣已屢爲移文本道且令傳通於京畿江原道官軍義兵使之紏合兵馬合勢勦捕而別無體察他道之命未敢擅便指揮只待。朝延處置
ただいま都元帥金命元の通文を見ますに、平壌の土窟に入っていた敵がことごとく逃げ去り、兵使と明の軍が次々に進んで行ったとのことです。
都巡察使李元翼の早馬の報せには、夜中に倭人が土窟からことごとく逃げ去ったのを、明の将は明け方になってようやく知り、我が軍が見張りをしなかったことをひどく怒り、また、すぐに兵を出して追うこともできず、昼になってようやく兵を出して行ったとございます。
初め我が軍が城の下にいたとき、兵使は牡丹峰の北に陣を張り、左防禦使の軍は林原坪にあり、右防禦使の軍は含毬門の外にあり、中和・祥原の諸陣と曺好益の軍は大同江の向こう岸に陣を張って、四面から力を合わせました。その間、李鎰は明の将の令に従って左右の防禦使とともに含毬門の外にあり、八日の戦いではまず含毬門から入って敵と戦い、敵は逃げ去りました。我が軍が玄福站まで進みましたところ、明の軍が七星門と密徳から下りてきて我が軍を追い出し、城の中にいられないようにしました。
李鎰の軍には明の将が一人、兵四人を率いて進退を監督しておりましたが、訳官がいないので言葉が互いに通じず、進み退く折にその意に少しでも違うと、すぐに剣の背で打って思うままにさせませんでした。そのため我が軍は得たものがあっても、みな奪われたとのことです。
ただ軍中の事は主将にかかっておりますから、明の将の号令ばかりにすべて従って指揮しないわけにはまいりません。李鎰が普通門の外へ退いて陣を張ったにせよ、もし防禦使の一軍を詠帰楼の近くに置いて南へ下る敵を遮っていたなら、まったく何も得られぬところまでは至らなかったでしょう。処置が粗略であることを免れず、籠の中の兎に生きる道を求めさせてしまいましたので、心の痛むことこれより甚しいものはございません。
黄海一路の兵糧を供給する事は、臣がすでにその道へ幾度も公文を送り、また京畿・江原道の官軍と義兵に伝え知らせて兵馬を取り集め、力を合わせて討ち捕らえさせました。しかし他の道を体察せよという命が別にございませんので、あえて勝手に指揮することはできず、ただ朝廷の処置を待っております。
夾注 1
底本は朝延であるが、朝廷の誤りと見る