御旨を承った後、軍糧を調えた経緯を馳せ申し上げる状啓有。旨祇受後馳報糧料措置緣由狀
二月初九日右副承旨成貼有。旨書狀臣在東坡酒祗受凡糧料草若非本處積在則必須用力運轉及其期限然後可以接濟大軍如使轉輸不時則雖萬石之糓在於相望之地而軍行未免飢餓當初自開城以上非徒賊兵未退而一年焚蕩之餘公私殫竭更無辦出之路故自前年船運南方之糓置諸江華以待軍興其數至於數萬餘石若能先期整齊船隻收拾人夫聞大軍臨到以船輸泊于後西江而又以所收人夫登時運入至於芻草則一路亦無可辦之勢若預爲收取於延安江華通津豐德等處多聚公私船隻趁時輸到則似不至於狼狽而事未預措但於賊退一日之內招呼開城一府渙散之民奔走轉輸彼此不及一日二日之間軍已告飢馬已疲頓臨時雖竭心焦唇亦無奈何自平安道以來各官之中不能理事之狀開城府爲最其致。天將之責怒無足怪也今則戶曹判書李誠中與運糧使權徵兼留守李延馨留在開城府分戶曹判書朴忠侃留東坡檢察糧草而東坡則時方遺在米六千九百餘石豆二千一百六十餘石其自忠淸全羅道載船而來到者亦且數千餘石而平賊之期未知何日坐食之軍處處屯聚事勢悶迫罔知所措唐糧八萬石其數甚多卽今水路氷解船行無礙而大同江下流多有船隻急時收合別遣勤幹之人領來朝廷別爲善處
二月九日に右副承旨が書き下した御旨の書状を、臣が東坡において承りました。
およそ軍糧と秣は、その地に積んであるものでなければ、必ず力を入れて運び移し、期限に間に合わせてこそ大軍に供給することができます。もし運ぶのが時を失えば、一万石の穀が相望む地にあっても、行軍する兵は飢えを免れません。
初め開城より上は、敵兵が退いていないばかりでなく、一年焼け払われた後で官も民も尽き果て、改めて調え出す路がありませんでした。そこで昨年から南の穀を船で運んで江華に置き、軍の起こる時を待ちましたので、その数は数万余石に至ります。もし前もって船を整え人夫を集めておき、大軍が至ると聞いて船で後西江へ運び着け、また集めておいた人夫でただちに運び入れていれば、済んだことでした。秣はこの路でも調える術がありませんから、もし延安・江華・通津・豊徳などの地で前もって取り集め、官民の船を多く集めて時に間に合うように運んで来ていたなら、狼狽には至らなかったように思われます。
ところが事を前もって処置できず、敵が退いた一日のうちに開城一邑の散り乱れた民を呼び集めて忙しく運びましたが、あちらこちら及ばず、一日二日のうちに兵はすでに飢えを告げ、馬はすでに疲れ果てました。その時に臨んで心を焦がし唇が乾くほどにしても、どうすることもできませんでした。平安道より以来の諸邑のうち、事を治められなかったさまは開城府が最たるものでありますから、明の将の責めと怒りを招いたのも怪しむに足りません。
今は戸曹判書李誠中と運糧使権徴、兼留守李延馨が開城府に留まり、分戸曹判書朴忠侃が東坡に留まって軍糧と秣を検べております。東坡には今、残っている米が六千九百余石、豆が二千百六十余石で、忠清道と全羅道から船に載せて来たものも数千余石です。しかし敵を平らげる日はいつかわからないのに、座して食う兵が処々に集まっておりますから、事の勢いが差し迫って、措るべきところを知りません。
明の軍糧八万石はその数がはなはだ多いのですが、今、水路の氷が解けて船の行き来に障りがなく、大同江の下流に船が多くあります。急ぎ取り集め、勤勉で事をよくする人を別に遣わして率いて来させますよう、朝廷において別によく処してください。
夾注 2
二月二十一日
二月二十一日。
底本は李延馨である。同じころ開城方面の事を任された監司李廷馨と同一人である可能性がある。底本を突き合わせた後に定める。 ― 訳者