敵兵が全羅監司権慄の陣を侵し、敗れて退いた事を急ぎ申し上げる状啓馳。啓賊兵犯全羅監司權慄陣敗退狀
他餘事前已狀。啓天兵尙留開城府臣以料理軍事欲與元帥金命元相議處置來到東坡本月十二日午時李薲馳報內京中賊多出陽川犯全羅巡察使權慄駐軍之處時方接戰云云臣前到臨津令各陣及義兵急速馳救十三日曉頭李薲馳報內倭賊三衛出來一衛持白旗一衛持紅旗一衛持黑旗圍抱接戰良久三衛皆爲我軍所敗死者甚多遁出又據義兵將禹性傳馳報賊兵來犯全羅陣聞報卽時分軍繼援又自率舟師水陸繼援次發去云云近日賊兵自平壤敗歸之後不敢出入已久而。天兵久不前進賊又生心連日出没漢江以南其數尤多不勝痛心。天將之意雖未詳知當初碧蹄輕進不利一向退縮每諉以天晴路乾則當進云而懼賊在城中者甚多近日體探之人還自城中者多言賊兵幾盡出去。天將欲於數日後進兵適有譯官吳廷福者十餘日前自江華來謁。天將因請自爲體探挾唐人一名同行久未還來昨日始爲來到徑自入見天將言賊兵之在城中者無慮三四萬且言陪臣等使我言賊少而今以實告當得罪云。天將甚信其說更停進兵之計且留廷福在側以防得罪此輩情狀極爲叵測徐當觀勢處置糧餉則南方船運今始來到東坡站下到泊者米八千餘石豆三千餘石足爲六七日之需而今方南方之糓連續來到糧餉粗繼若能及時進兵賊兵不無望風退北之理而。天將之意亦無速前之計臣與接待等官苦口力陳到此再三呈文只言不滅倭寇無退歸之理愼勿致疑云云而觀其處置則有退無進百計乖張罔知攸措
そのほかの事は先にすでに状啓で申し上げました。明の軍はまだ開城府に留まっており、臣は軍の事を計って都元帥金命元と議して処置しようと東坡へ参りました。
今月十二日の昼、巡辺使李薲が馳せ来て告げるに、「京城の敵が多く陽川へ出て、全羅巡察使権慄が軍を留めた所を侵し、今まさに相まじえて戦っている」と申しました。臣は先に臨津へ至り、諸陣と義兵に急ぎ馳せて救えと命じました。
十三日の明け方、巡辺使李薲が告げるに、「倭賊が三手に分かれて出て来て、一手は白い旗、一手は赤い旗、一手は黒い旗を立てて囲み、久しく相まじえて戦ったが、三手ともみな我が軍に敗れ、死んだ者がはなはだ多く、逃げ去った」と申しました。また義兵将禹性伝が告げたところによれば、敵兵が全羅道の陣を攻めに来るという知らせを聞き、ただちに軍を分けて続いて救わせ、またみずから水軍を率いて水陸より続いて救いに発ったとのことです。
このごろ敵兵は平壌で敗れて帰った後、あえて出入りしないことが久しかったのに、明の軍が長く進まないので、敵は改めて心を起こし、日ごとに漢江の南に現れ、その数はいっそう多くなりました。心の痛むことに堪えません。
明の将の意は詳しく知ることができませんが、初め碧蹄で軽々しく進んで勝てなかった後はひたすら縮こまり、常に「空が晴れて道が乾けば、まさに進もう」と延ばしながらも、城中に敵がはなはだ多いことを恐れております。このごろ城中から帰った偵察の者たちは、敵兵がほとんど出て行ったと多く申しますので、明の将は数日後に兵を出そうとしておりました。
たまたま訳官呉廷福という者が十日ばかり前に江華から来て明の将に会い、みずから偵察することを請い、明の人一人を連れて共に行き、長く帰って来なかったのが、昨日になってようやく至りました。まっすぐ明の将に入って会い、城中にいる敵兵はおよそ三、四万だと申し、また「この国の臣らがわたしに敵が少ないと言わせたのに、今ありのままに告げるから罪を得るであろう」と申しました。明の将はその言葉をはなはだ信じて、改めて兵を出す計策を止め、また呉廷福を傍らに置いて罪を受けるのを防いでやりましたので、この輩の心根はきわめて測りがたいものです。ゆるゆると形勢を見て処置いたします。
軍糧は、南から船で運んだものが今ようやく東坡の渡し場の下に至り、着いたものが米八千余石と豆三千余石でありますから、六、七日分は足ります。今、南の穀が続いて来ておりますので、軍糧はまずまず続いております。もし時を失わずに兵を出せば、敵兵が風を望むだけで逃げ去らぬ理もありませんのに、明の将の意はまた速やかに進む計策がありません。
臣は接待の官らとともに口が擦り切れるほど力を尽くして申し述べ、ここへ来て二、三度文を呈して、ただ「倭寇を滅ぼさずに退き帰る理はございませんから、どうぞ疑われませぬよう」と申しました。しかしその処置を見れば、退くことばかりあって進むことがなく、あらゆる計策が食い違いますので、措るべきところを知りません。