湖西と湖南の形勢が危急でありますから、計って処置されることを急ぎ申し上げる馳。啓兩湖事勢危迫參酌處置狀
此處。天將粮料大槪前已馳。啓今據戶曹判書李誠中分戶曹判書朴忠侃所報米豆幾至四萬餘石。天兵糧餉稍可支吾至於馬草時方陸續輸運當初提督退兵非因糧乏一事只緣碧蹄輕進蹉跌轉輾至此坐失機會眞可痛心臣又有所慮者兩湖幸未盡經兵火頗緩於他道而自前年調度諸役皆出於此且李洸崔遠之軍中道潰散盡失糧資督運未已其他義兵官軍作弊侵徵割剝公私無有紀極民力殫竭蓄儲蕩盡尤甚於被兵之處傳聞忠淸道黃澗永同淸州等地四無人烟但聞風水之聲而自忠州以上之賊殺掠甚於秋冬大抵賊雖因大軍在西不卽遽向而雄據京邑更事漢江以南乘其空虛衝突於兩湖之境則將何以禦之假使棄城還歸而糧盡之賊欲取郡邑餘糓以爲行資亂出搶掠勢所宜有今南方之勢極爲危迫而。天兵支待軍糧盡在於稷山之間其他糧草輸運來在路傍者已多爲賊所掠不徒此也京畿郡縣初聞。天兵之至只以支供爲急盡忘備賊之事右道各官守令如果川抱川仁川富平南陽通津盡數分定差使員棄其官守盡率一境之人奔走諸處至如義兵聚合之人亦稱天兵支待運糧負草散軍獨處不復以討賊爲心臣竊深憂之急速行移于京畿左巡察使成泳令約束左道軍兵且傳通義兵合勢把截而往復遷延已經旬朔前月十七日以後漢江以南賊勢愈盛抱川衿川果川水原近處無不焚蕩人民駭散雖有全羅兵使宣居怡居守秃城僅僅自保其他更無邀截之軍加以軍食匱乏京畿郡邑些少之糓已爲竭取無餘雖欲調兵禦賊而飢羸困頓朝夕將盡之民何用於戰陣臣之初意曾已慮此故。天兵糧料則只以南邊船運之糓益以唐糧數萬餘石庶幾支待而至於江原道京畿之糓則姑未盡取以爲我國軍需此計未行今到無可奈何之地徒爲罔措京畿左監司成泳才器劣弱識慮不長不足以當事於危迫之際近日處置未免疎漏左道之事尤甚可慮而顧難得人以代則亦不足以濟事故臣姑未敢請遞。朝廷更加商量處置忠淸道牙山等處倉糓則本道巡察使許頊馳報內御史姜籤竭取轉輸更無餘儲極爲可悶云臣意此處軍糧略已措辦兩湖之糓雖不可不運而亦當稍存贏餘以備不虞之用似爲便當若兩湖板蕩軍民潰散而不可復收賊兵乘虛掩其無備則國家根本之寄更在何地此等曲折更令該司十分商量處置
この地の明の将と軍の糧の事情は、おおよそ先にすでに急ぎ申し上げました。いま戸曹判書李誠中と分戸曹判書朴忠侃が報せたところによれば、米と豆がほぼ四万余石に至ります。明の軍の軍糧はまずまず支えられ、馬の秣は今、続けて運んでおります。
もともと提督が兵を退いたのは糧が足りなかったからではありません。ただ碧蹄で軽々しく進んで足を踏み外したせいで、あちらこちら転がってここまで至り、座したまま機会を失いましたので、まことに痛ましく存じます。
臣にはまた心にかかることがございます。湖西と湖南は幸いに兵火をすべて経ておらず、他の道よりかなり良い方でした。しかし昨年からあらゆる調達と賦役がみなここから出ており、また李洸と崔遠の兵が道の途中で崩れ散って軍糧も物資もみな失ったのに、運ばせるのを責め立てることはやみません。そのほか義兵や官軍が弊を作って勝手に取り立て、肉を削ぐように奪い、官も民も限りというものがありません。民の力は尽き、蓄えは洗うように失せて、かえって兵火を受けた所より甚しいのです。
伝え聞きますに、忠清道の黄澗・永同・清州などの地は四方に人の煙がなく、ただ風の音と水の音だけが聞こえるとのことです。そして忠州より上の敵は、殺し掠めることが昨年の秋や冬より甚しいのです。
おおよそ敵は、大軍が西にあるゆえにただちにそちらへ向かうことはしませんが、京城に拠って再び漢江以南に手をつけ、その隙に乗じて湖西・湖南の境へ衝き入ってくれば、これから何をもって防ぎましょうか。たとえ城を捨てて帰るとしても、糧の尽きた敵が邑に残った穀を取って道中の糧にしようと乱れ出て掠めることは、形勢として当然ありうることです。
今、南の形勢はきわめて危急です。ところが明の軍を賄う軍糧はみな稷山の近くにあり、そのほか運ぶ途中で路傍に置かれた糧と秣は、すでに敵に奪われたものが多いのです。
こればかりではありません。京畿の邑々は、初め明の軍が来ると聞いて、ただ賄う事だけを急と思い、敵を防ぐ事はすっかり忘れました。右道の各邑の守令である果川・抱川・仁川・富平・南陽・通津は、みな別の役に差し出されて、自分の邑を守る務めを捨て、一帯の人をみな引き連れてあちらこちら走り回ります。ひいては義兵として集まった人までも、明の軍を賄うと称して糧を運び秣を背負いますので、兵は散って独り残り、もう敵を討つことに心を向けません。
臣は謹んでこれを深く憂えます。急ぎ京畿左巡察使成泳へ公文を送って左道の兵を取り締まらせ、また義兵へ知らせて力を合わせて路を遮らせました。しかし往き来して引き延ばす間に、すでに一月が過ぎました。
先月十七日の後、漢江以南の敵の勢いはいっそう盛んで、抱川・衿川・果川・水原の近くは焼かれない所がなく、民は驚いて散りました。全羅兵使宣居怡が禿城を守っておりますが、やっと自分の身を保つばかりで、そのほかには改めて迎え截つ兵がありません。加えて軍糧が乏しく、京畿の邑のわずかな穀まですでに底をつくほど取って、残ったものがありません。たとえ兵を選んで敵を防ごうとしても、飢えて痩せ疲れて朝夕に息の絶えそうな民を、戦陣において何に用いましょうか。
臣の初めの意は、早くからこれを憂えておりました。ですから明の軍の糧は、ただ南の海の路から運んだ穀に明の糧数万余石を加えて賄おうとし、江原道と京畿の穀はまだすべて取らずに我が国の軍需としようと思いました。この計策が行われず、今はどうすることもできない境に至って、ただ為す術がないばかりです。
京畿左監司成泳は才も器も及ばず、識見も思慮も長くなく、危急の折に事を任せるには足りません。このごろ処決が粗漏であることを免れませんので、左道の事がいっそう甚しく気がかりです。しかし顧みますに代わる人を得がたく、やはり事を済すには足りませんので、臣はまだあえて代えることを請いません。朝廷において改めて計って処置してください。
忠清道の牙山などの地の倉の穀は、その道の巡察使許頊が急ぎ報せたところに、「御史姜籤が底をつくほど取って運び去り、改めて残ったものがないので、きわめて悩ましい」とございました。
臣の考えますに、この地の軍糧はおおよそすでに調えました。湖西と湖南の穀を運ばないわけにはまいりませんが、やはりいくぶん残しておいて思いがけぬ用に備えるのが便利かと思われます。もし湖西と湖南が崩れて兵も民も散り、改めて集められなくなり、敵兵が隙に乗じて備えのない所を襲うなら、国の本を託す所が、改めてどこにありましょうか。このような曲折を、改めて該当の司に十分計って処置させてください。
夾注 3
癸巳三月十日在東坡
癸巳の年三月十日、東坡で。
差使員 ― 国の事があるときに別に選んで遣わした官人である。
京畿左巡察使と京畿左監司は同じ一人、成泳である。