いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻10 辰巳錄

我が軍の糧が尽きた理由を申し上げ、残った民を寛やかに恤まれることを請う馳。啓我軍糧盡緣由且請寬恤遺民狀

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 懲毖錄 · 柳成龍(リュ・ソンリョン) · 1633年刊行(壬辰倭乱の後に著す) · 段落 1 · 漢字 686字 · 朗読 5.7分

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻10 辰巳錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。

忠淸道助防將洪季男牒呈內陣中自備軍糧百餘石在新昌地山寺督運御史以。天兵支待全數封閉他無餉士之路士皆潰散陽竹之賊倍前鴟張而助防將處於賊兵要衝之地散軍獨在束手無策不勝悶慮云云義僧將惟政牒報內於黃海道僧人處募得軍糧若干石而檢察使御史盡數封閉軍人無路繼餉云云。天兵糧餉雖重而若於未及進兵之前我國軍兵先爲潰散使賊兵深入墜突於後則雖有大軍追到而何及於事乎凡事所當參詳彼此輕重之勢周遍處置然後可無狼狽之事而近日奉。命及該掌之官一諉於天兵之糧遠近公私之糓盡取錙銖無復餘儲他餘官家所用及救民耕種之事已無可言至於本國軍糧全無辦出之計處處潰散無可奈何如江原道伊川平康鐵原安峽之糓旣無贏餘故防禦使李時言鄭希玄助防將朴名賢成川判官朴震男之軍雖自北道出來而逃散殆盡餘存者飢餓困極不可成軍而京城以東焚蕩殺掠之賊不可遮截矣李薲所率之軍當初有三千六百餘名而京畿亦不酬應軍糧至於七八日盡爲飢疲幾盡散亡死者三十餘人馬之倒損六百餘匹不復自立不得已附合於全羅巡察使之陣晚雖除出唐糧略略支給皆已病困面如藍鬼而爲無用之軍矣漢江以南京畿左道之糓不計種子盡皆備數於。天兵之糧而軍無可食擧皆潰散故賊兵散出攻怯於數百里之內殺掠無數而無一人出禦左道不可爲矣忠淸道沿路一帶必須嚴兵把截要害且戰且守然後可以禦賊而如洪季男者亦以無食散軍則他何可望今日事勢潰裂百出首尾心腹不相顧護可爲寒心切骨傳聞黃海道以及江華等處括粟之令急於星火軍官無識之輩遍歷閭𨶒雖無斗升之米而勒定責出呼哭盈路不可忍聞云此亦雖出於不得已當此民心潰散之際亦當少有斟酌使公私兩濟如其自願募納者外飢民下戶少加寬恤以示國家愛民之意則所失不多而爲益甚大敢乞。朝廷十分參詳指揮毋令有難處之患

忠清道の助防将洪季男が差し出した牒呈に申しますに、「陣中でみずから調えた軍糧百余石が新昌の地の山寺にありましたが、督運御史が明の軍を賄うといってみな封じて止めました。ほかに兵を食わせる路がなく、兵はみな崩れ散りました。陽智と竹山の敵は前より倍して荒れ回るのに、助防将は敵兵の要衝の地にあって、兵は散り独り残り、手を縛られたまま策がありませんので、悩ましく気がかりなことに堪えません」とございました。

義僧将惟政が差し出した牒報に申しますに、「黄海道の僧たちから軍糧を幾石か集め得ましたのに、検察使と御史がみな封じて止めたので、兵に続けて食わせる路がありません」とございました。

明の軍の軍糧は重いものではあります。しかしもし兵が進む前に我が国の兵がまず崩れ散って、敵兵が深く入り込んで後ろから衝き入ることになれば、たとえ大軍が後から至っても、何の事に間に合いましょうか。およそ事は、まさにあちらこちらの重さ軽さの勢いを計って行き渡るよう処置した後にこそ、狼狽する事がなくなりましょう。

ところがこのごろ命を承った官も掌る官も、一様に明の軍の糧に言い寄せて、遠近の官民の穀を一粒まで取り尽くし、改めて残ったものがありません。そのほか官家で用いるものや、民を救い畑を耕す事は、もう言うべくもありません。我が国の軍糧については、まったく調え出す計策がなく、処々で崩れ散っておりますので、どうすることもできません。

江原道の伊川・平康・鉄原・安峡の穀のようなものは、すでに残っておりません。ですから防禦使李時言と鄭希玄、助防将朴名賢、成川判官朴震男の兵は、北道から出て来たとはいえ逃げ散ってほとんど尽き、残った者も飢えて疲れることが極まり、軍を成すことができません。京城の東で焼き、殺し、掠める敵を遮り截つことができません。

李薲が率いた兵は、もともと三千六百余名でした。ところが京畿でも軍糧を供えないので、七日八日に至るまでみな飢えて疲れ、ほとんどみな散り逃げ、死んだ者が三十余人、馬は倒れ傷んだものが六百余匹で、もう自ら立つことができません。やむなく全羅巡察使の陣に附けました。遅れながらも明の糧を割き出していくぶん分け与えましたが、みなすでに病み疲れて顔が藍色の鬼のようでありますから、用をなさない軍となりました。

漢江以南、京畿左道の穀は、種まで数に入れず、みな明の軍の糧として数を満たしました。兵は食べるものがなく、ことごとく崩れ散りました。ですから敵兵が散り出て数百里のうちを攻め脅かし、殺し掠めることが数知れないのに、一人も出て防ぐ者がありませんので、左道はどうすることもできなくなりました。

忠清道の沿道一帯は、必ず兵を厳しくして要害を遮り、戦いながら守った後にこそ敵を防げます。ところが洪季男のような者も食べるものがなくて兵を散らしましたから、ほかに何を望みましょうか。今日の形勢は崩れ裂けることが百様に出て、首と尾、胸と腹が互いに顧み護りませんので、骨に徹するほど寒心に堪えません。

伝え聞きますに、黄海道と江華などの地に粟を掻き集めよという命が、流れ星の火より急だとのことです。無知な軍官の輩が村々をあまねく回り、一斗一升の米もないのに無理に割り当てて出せと責め立てますので、泣き叫ぶ声が路に満ちて、とても聞くに堪えないとのことです。

これもまたやむを得ぬところから出たものです。しかし民の心が崩れ散るこの時に当たっては、やはりいくぶんは計って、官も民もともに渡れるようにしなければなりません。みずから願って納める者のほかは、飢えた民と貧しい家を少し寛やかに恤み、国が民を愛しむ意を示すなら、失うものは多くなく、益はきわめて大きいでしょう。あえて願いますに、朝廷において十分計って指揮され、処しがたい患いのないようにしてください。

夾注 1

三月十日

三月十日。