いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻12 辰巳錄

軍功を申し上げる状啓馳。啓軍功狀

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 懲毖錄 · 柳成龍(リュ・ソンリョン) · 1633年刊行(壬辰倭乱の後に著す) · 段落 1 · 漢字 285字 · 朗読 2.5分

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻12 辰巳錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。

臣軍官韓士立率西江瓮幕軍人李千福等十餘名往探龍山賊陣所在欲爲乘夜火攻之計已悉形勢而緣沈遊擊等方在其處不敢下手本月十四日李千福等遇賊於外城山斬首一級射殺十餘名十五日又戰於外城山韓士立等斬頭一級射殺九名十七日又遇賊於外城山賊兵二百餘名我軍十四人突入亂射賊奔北而去李千福等射殺又十餘名其餘射中者甚多近日我軍無不思奮爭先擊賊賊氣亦衰見輒奔北而緣唐將往來禁約賊兵不出而我軍亦不敢薄戰城下只待。天兵入城之日少復窮天之讎豈意。天將終與此賊講解至於抑勒我軍不得報復十七日周弘謨等拿致成泳于軍中查究捕倭何人者實因韓士立等城山之戰而然也我國兵力寡弱不能自振而欲倚賴。天兵終至於此憤痛欲死而無如之何

臣の軍官韓士立が西江の瓮幕の軍人李千福ら十数名を率いて龍山の敵陣のある所を察しに行き、夜に乗じて火で撃つ謀を立てようとしてすでに形勢をすべて知り得ましたが、沈遊撃らがまさにその地におりますので、あえて手を下せませんでした。

今月十四日、李千福らが外城山で敵に遇って首一級を斬り、十数名を射殺しました。十五日にはまた外城山で戦い、韓士立らが首一級を斬り、九名を射殺しました。十七日にはまた外城山で敵に遇いましたが、敵兵は二百余名で我が兵は十四人でしたのに、飛び込んで乱れ射ますと敵は逃げ散りました。李千福らがまた十数名を射殺し、そのほか矢に当たった者もはなはだ多かったのです。

このごろ我が兵は奮い立って先を争って敵を撃つことを思わぬ者がなく、敵の気もまた衰えて、見るだけですぐに逃げます。しかし明の将が往き来して禁じ縛りますので、敵兵が出ず、我が兵もあえて城の下へ迫って戦えないまま、ただ明の軍が城へ入る日に、天に届く仇をいくぶんでも報いることを待つばかりでした。

どうして明の将がついにこの敵と和を結び、我が兵を抑えつけて仇を報いられないようにすると思いましたでしょうか。十七日に周弘謨らが成泳を軍中へ捕らえて行って、倭を捕らえた者が誰かを調べたのは、まことに韓士立らが外城山で戦った事のためです。

我が国は兵の力が少なく弱くてみずから振るい立てず、明の軍に拠ろうとして、ついにこの有様に至りました。憤ろしく痛ましくて死にたいのですが、どうすることもできません。

夾注 1

同月

同じ月。