いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻12 辰巳錄

明の将が我が将らを追い立てて追い撃てないようにした事を馳せ申し上げる状啓馳。啓。天將驅迫諸將使不得追擊狀

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 懲毖錄 · 柳成龍(リュ・ソンリョン) · 1633年刊行(壬辰倭乱の後に著す) · 段落 1 · 漢字 354字 · 朗読 2.8分

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻12 辰巳錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。

當初臣未病之日。天將入城之際分付諸將使高彥伯李時言金應瑞等從東道過江與利川府使邊應星合勢追擊李薲及全羅監司權慄等從西道過江與全羅兵使宣居怡及京畿左道官義兵合力追擊因通於忠淸慶尙等道使之約束軍兵一樣追擊不意。天將查大受以下各率其軍羅列漢江之南見有持弓矢捕賊形止者輒結縛亂打臣軍官司評李忠別率一隊亦在竹山地內洞里斬賊五級爲查大受軍人所望見首級則僅爲藏置而李忠爲查大受所敺打幾於重傷助防將洪季男亦爲查軍所傷使之自隨不能任意捕賊如李薲以下皆被拘執獨有李時言鄭希玄邊應星等從間道乘其不見擊斬遁歸之倭我國兵力固爲寡弱而爲。天兵中路搪塞使將士解體賊兵任意退歸其爲痛憤莫此爲甚臣固以此至於憂憤添疾而無如之何今則都元帥金命元已爲隨。天將南下而臣病重落後凡事不能料理伏枕垂死之中祗受。聖旨尤不勝悶痛摧隕之至卽以有。旨內辭緣急速移文於都元帥處

もともと臣が病む前、明の軍が都城へ入るころに、臣は諸将に言いつけて、高彦伯・李時言・金応瑞らは東の路から川を渡って利川府使辺応星と勢いを合わせて追い撃たせ、李薲と全羅監司権慄らは西の路から川を渡って全羅兵使宣居怡と京畿左道の官軍・義兵と力を合わせて追い撃たせました。続いて忠清・慶尚などの道へ通じて、兵を取り締まって一様に追い撃たせました。

思いがけず明の将査大受以下がそれぞれ兵を率いて漢江の南に並び立ち、弓と矢を持って敵を捕らえようとする気配が見えると、ただちに縛っておいて乱れ打ちました。臣の軍官である司評李忠が別に一隊を率いて竹山の地の内洞里で敵五級を斬りましたが、査大受の兵に見つけられて、斬った首はやっと隠しておき、李忠は査大受に打たれてほとんど大きく傷つくところでした。助防将洪季男も査大受の兵に傷つけられ、彼らに付き従わされて、思うままに敵を捕らえられませんでした。李薲以下もみな捕らえられ、ただ李時言・鄭希玄・辺応星らだけが抜け道から彼らの目を避けて、逃げ帰る倭賊を撃ち斬りました。

我が国の兵の力がまことに少なく弱いうえ、明の軍が中ほどの路を塞いで、将も兵も気が抜け、敵兵は思うままに退いて帰りましたので、痛ましく憤ろしいことがこれより甚しいものはありません。臣はこのために憂いと憤りで病まで加わりましたが、どうすることもできませんでした。

いま都元帥金命元はすでに明の将に従って南へ下り、臣は病が重くて後れ、あらゆる事を処理できません。枕に伏して死に向かう中で君の御旨を承りますので、いっそうやりきれず痛み、崩れそうな思いに堪えません。ただちに下された御旨の中の次第を急ぎ都元帥へ公文で送りました。