いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻12 辰巳錄
病で南へ下れないことを申し上げる状啓病未南下狀
懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻12 辰巳錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。
臣積傷氣血自前月二十四日得病危重二十餘日不省人事昨日爲始稍省人事尙未擧頭生死難知浮橋則前以驪州牧使金億秋京畿水使李蘋差定造排今已畢造大軍已爲盡渡漢江戶曹判書李誠中以粮餉事隨大軍南下督運饋餉等事必已接濟無闕他餘事臣病勢如此不能料理以有。旨辭緣移文俞泓臣身受重任危病如此差復未有期限此處及東南事勢日益危急而百不料理臥病垂死非徒臣私計悶迫其於公事亦甚狼狽敢望。朝廷速差他人使得幹理其任以便公私
臣は気血が長く傷み、先月二十四日から病を得て危うく重く、二十日あまり人の事がわかりませんでした。昨日から少し正気が戻りましたが、まだ頭を上げられませんので、死ぬか生きるかを知りがたいのです。
舟橋は先に驪州牧使金億秋と京畿水使李蘋を定めて造り並べさせましたが、今すでに造り終え、大軍はすでに漢江をみな渡りました。戸曹判書李誠中が軍糧の事で大軍に従って南へ下りましたので、運ぶのを督し、食わせる事などは必ずすでに続けて供えて欠けがないでしょう。そのほかの事は、臣の病の勢いがこうであって処理できませんので、下された御旨の次第を兪泓へ公文で送りました。
臣は身に重い任を受けていながら、危うい病がこうであって治る期限がありません。この地と東南の形勢は日ごとに危急でありますのに、何も処理できないまま病み臥して死に向かっておりますので、ひとり臣の私事がやりきれないだけでなく、国の事にもはなはだ狼狽です。あえて願いますに、朝廷は速やかに他の人を定めてその任を掌り治めさせ、官も私もともに都合よくしてください。
夾注 1
五月十五日
五月十五日。