いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻13 辰巳錄

病の後、南へ下ることを申し上げる状啓病後南下狀

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 懲毖錄 · 柳成龍(リュ・ソンリョン) · 1633年刊行(壬辰倭乱の後に著す) · 段落 1 · 漢字 259字 · 朗読 2.3分

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻13 辰巳錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。

臣久病之餘元氣憊敗不能出門戶今月十八日始奉審于松山十九日與諸宰會議狀。啓伏念臣冒受重任時未遞免討賊方急適因狗馬之疾初不得與都元師一時南下留滯累月罪戾益積今雖氣力如此而南方事勢日急一日不敢頃到自安今日朝往辭提督則提督使通事傳言凡事應自料理但愼勿輕易也臣且聞提督出牌文欲西還與右相俞泓請少駐䇿應南邊之事提督答曰境內無賊然後我當還去云臣聞劉綎兵十三日自尙州南下駱參將等亦皆率兵以去萬一與我兵合勢水陸幷進則庶可蕩滅殘寇於海上以復不共一天之讎而諸將相持已久尙無消息臣不得已扶曳下去欲觀其勢今日提督他餘所言應在右相俞泓狀。啓臣不爲具狀

臣は長く病んだ後で元気が疲れ崩れ、門の外へ出られませんでした。今月十八日にようやく松山を察し、十九日に諸宰と集まって議して状啓を上げました。

伏して思いますに、臣は重い任を忝けなく受けてまだ代えられていないのに、敵を討つ事がまさに急です。たまたま取るに足らぬ病のためにもともと都元帥と同じ時に南へ下れず、幾月も留まって罪がいっそう積みました。いま気力はこのようでありますが、南方の形勢が日ごとに急でありますから、あえて一刻もみずから安らかではいられません。

今日の朝、行って提督に辞しますと、提督は通事に、「あらゆる事はみずから計って処せ。ただ謹んで軽々しくするな」と伝えさせました。臣はまた聞きますに、提督が牌文を出して西へ帰ろうとしているとのことです。右議政兪泓とともに少し留まって南の辺の事に応ずることを請いますと、提督は答えて、「境内に敵がなくなった後に、わたしはまさに帰ろう」と申しました。

臣が聞きますに、劉綎の兵が十三日に尚州から南へ下り、駱参将らもみな兵を率いて行ったとのことです。もし我が兵と勢いを合わせて水陸ともに進むなら、ほぼ海の上で残った賊を掃き尽くして、一つの天をともにできぬ仇を報いられるでしょう。ところが諸将が互いに持ち合ってすでに久しいのに、まだ消息がありません。臣はやむなく身を引きずって下って行き、その形勢を見ようと思います。今日提督が申したそのほかのことは、当然右議政兪泓の状啓にあるでしょうから、臣は具えて記しません。

夾注 2

六月二十日

六月二十日。

底本は頃到であるが、頃刻の誤りと見る