いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻12 辰巳錄

兵を集めて習わせることを請い、ついで任を代えていただくことを乞う状啓請募兵鍊習因乞遞免狀

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 懲毖錄 · 柳成龍(リュ・ソンリョン) · 1633年刊行(壬辰倭乱の後に著す) · 段落 1 · 漢字 603字 · 朗読 5.4分

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻12 辰巳錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。

臣卽見金命元所通狀。啓草慶尙道之事極爲危迫賊謀兇逆難測不勝寒心兼之慶尙左右道經年兵火飢饉赤地人民死亡略盡白骨蔽野不幸而右道則兵使連殞監司又逝人心無所維繫防備等事無望措置種種可虞至於如此臣雖在病中而晝夜憂迫不知所出昨日唐將駱參將來問臣疾因爲暫留亦甚念此自經略以下皆有不滿之語以爲提督今已撤兵將回而倭賊尙留不去提督之意或欲留馬軍在此鎭守然馬軍若留則其獘與倭賊等地方難支南將中皆無可留者而兵亦離家甚久皆不願留惟劉綎兵新到而其人乃我親屬雖未知欲留與否然留此則有益須速馳。啓於國王或移咨經略提督區處可也云留兵之事必爲大獘而賊兵未退則恐亦難已况南方之兵素善禦倭其操鍊敎習必爲我國久遠之利然此則非臣愚所能預料其利害惟在。朝廷百分商量急速善處而已今日備賊之事一刻急於一刻抄擇伶俐之軍分配。天將傳習兵事器械乃是第一件事而賊退已過一月一無施措前日駱參將抄率平安道軍百名而其軍私自訴乞不久還去臣近與參將議於城中募得火炮匠十餘人年少可敎者三十餘人今日爲始送于參將處使之學習但必資以糧料然後可以無散故欲除出城中賊窟落庭米給料此後應募之人必不止此。朝廷早爲事目別擇將帥二人分爲左右隊領之日夜訓鍊而又連續加抄外方精勇之人次次傳習如臣前日所陳庶有成效若又悠悠都不濟事臣之病勢則大勢少减而元氣大敗一室之內杖而後起至於精神志慮益甚顚錯軍國重事决難料理而痛念國事伏欲輿病南下氣力難任罪無所逃臣意必須。朝廷早爲處置或代以他大臣經理東南以赴事機之急然後庶無後悔

臣がただちに金命元が送って来た状啓の草案を見ますと、慶尚道の事がきわめて危うく差し迫り、敵の謀が凶くて計りがたく、心が冷えることに堪えません。加えて慶尚の左右道は年を越して兵火と凶作で地が赤く焼け、民がほとんどみな死に、白い骨が野を覆っております。不幸にも右道は兵使が続いて死に、監司も世を去って人心が繋がる所がなく、防ぎ守る事などは処する見込みがありませんので、種々気がかりなことがこの有様に至りました。臣は病の中にありますが、夜も昼も憂え差し迫って、出る所を知りません。

昨日、明の将駱参将が臣の病を問いに来てしばらく留まりましたが、彼もこれをはなはだ憂えました。経略以下がみな満ち足りない言葉があると申して、「提督はいますでに兵を収めて帰ろうとしているのに、倭賊はまだ留まって行かない。提督の意は、あるいは騎兵をここに留め置いて陣を張って守らせようというのだ。しかし騎兵がもし留まれば、その弊は倭賊と同じで、地方が堪えがたい。南の将のうちには留まるべき者がなく、兵も家を離れてはなはだ久しいので、みな留まることを願わない。ただ劉綎の兵が新しく至り、その人はわたしの親族である。留まろうとするかはわからないが、ここに留まれば益があるだろう。ぜひ速やかに国王へ馳せ申し上げるか、経略と提督へ咨文を送って処されるのがよい」と申しました。

兵を留める事は必ず大きな弊となります。しかし敵兵が退いておりませんから、やはりやめがたいのではないかと恐れます。ましてや南方の兵はもとより倭を防ぐことに長けておりますから、それを操り鍛え教えることは、必ず我が国の長く遠い利となるでしょう。しかしこれは愚かな臣がその利害を前もって計るところではありませんから、ただ朝廷が百たび計って急ぎよく処するかにかかっているだけです。

今日、敵に備える事は一刻が一刻より急です。賢く機転のきく兵を選んで明の将へ分け属させ、軍の事と武器と器械を伝え習わせるのが、まさに第一の事です。ところが敵が退いてからすでに一月が過ぎても、一つも設け処した事がありません。先日、駱参将が平安道の兵百名を選んで率いましたが、その兵が私かにみずから訴え乞い、久しからずして帰りました。臣はこのごろ参将と議して、城の中で火砲の匠十余人と、年が若く教えられる者三十余人を集め得て、今日から参将の所へ送って学び習わせました。ただ必ず糧で助けた後にこそ散らないでしょうから、城の中の敵の巣窟に落ちて残った米を割き出して手当として与えようと思います。この後、募りに応ずる人が必ずここに止まらないでしょうから、朝廷が早く条目を作り、別に将二人を選んで左右の隊に分けて率いさせ、夜も昼も訓練させ、また続いて外方の精しく勇ましい人を加えて選び、順々に伝え習わせられれば、臣が先日申し述べたとおり、ほぼ効があるでしょう。もしまたぼんやりと放っておけば、まったく事を成せません。

臣の病の勢いは大きな勢いが少し減りましたが、元気が大きく崩れて、一間の内でも杖をついた後にようやく起きます。精神と思いについてはいっそう甚しく転び乱れて、軍と国の重い事をけっして処理しがたいのです。国の事を痛ましく思って、病んだ身を車に載せて南へ下ろうとしますが、気力が堪えがたいので、罪を逃れる所がありません。臣の意は、必ず朝廷が早く処置して、あるいは他の大臣に代えて東南を掌り治めさせ、急な機に臨ませた後にこそ、ほぼ後に悔いがないだろうということです。