いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻13 辰巳錄

慶尚道の敵の勢いが危急でありますから、その理由を具えて速やかに明の朝廷へ申し上げることを請う状啓慶尙道賊勢危急請速具由。奏聞。天朝狀

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 懲毖錄 · 柳成龍(リュ・ソンリョン) · 1633年刊行(壬辰倭乱の後に著す) · 段落 1 · 漢字 409字 · 朗読 3.3分

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻13 辰巳錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。

當初賊兵自京城退遁之時臣之愚識已恐盤據於慶尙道更逞兇毒到今事勢日益危迫佯以講和之說籠絡。天將而東侵西掠惟意自如晋州旣陷一道更無保守之處若慶州又有此變則嶺南之事將無着手處嶺南旣不能保則江原忠淸全羅道將次第瓦解而大事去矣自沈惟敬挾倭將偕行之後道路傳說不勝藉藉或以爲請以漢江分南北其說可駭不可形諸口舌臣在陜川時義兵將鄭仁弘以牛酒犒慰。天兵劉總兵語諸仁弘曰倭奴與沈惟散偕行欲以漢江以北爲中國以南爲倭地。天朝豈爲聽許萬一許之則汝國當何以爲之云云仁弘親聞其說而傳於臣臣始知道路之言亦有所自不勝駭愕痛心之至臣竊慮凶賊旣以巧計誘弄。天將而。天兵屯守一年師老糧匱其勢將不日潰散我國竭生靈之膏血殫八道之財力支待大兵勢亦日就困竭是賊坐以長策困之而後乘其獘誠可痛哭流涕宋經略與提督既不可與論議惟望。朝廷更加商量具此事情急急。奏聞於。天朝使無意外之患况倭賊若據南道將以舟楫出於西海陸路更爲長驅必爲中國無窮之禍非但爲我國之不幸此等事情亦當明白具。奏幷爲十分從長善處

初め敵兵が京城から退き逃げたとき、臣の愚かな見るところでも、すでに慶尚道に蟠り拠って改めて凶い毒を振るうのではないかと恐れましたが、いま形勢が日ごとにいっそう危うく差し迫っております。偽って和を講ずるという言葉で明の将を絡め取り、東を侵し西を掠めることを思うままにしております。晋州がすでに落ちて、一つの道に改めて守り抜ける所がありません。もし慶州にまたこのような変があれば、嶺南の事は手を付ける所がなくなるでしょうし、嶺南を保てなければ江原・忠清・全羅道が順々に崩れて、大事は去ります。

沈惟敬が倭将を挟んでともに行った後、路に流れる噂が騒がしいこと限りありません。あるものは、漢江で南北を分けることを請うたと申しますが、その言葉は驚くべきもので、口に上せることさえできません。臣が陜川にいたとき、義兵将鄭仁弘が牛と酒で明の軍を労いましたが、劉総兵が鄭仁弘に申して、「倭奴が沈惟敬とともに行き、漢江の北は中国の地、南は倭の地としようとしている。明の朝廷がどうして聞き入れようか。もし許したなら、お前の国はどうするのか」と申しました。鄭仁弘がその言葉を直に聞いて臣に伝えました。臣ははじめて路に流れる言葉にも理由があることを知り、驚きと痛みの思いに堪えませんでした。

臣が密かに憂えますに、凶い敵がすでに巧みな謀で明の将を誘い弄んでおりますが、明の軍は一年陣を張って守って兵が疲れ糧が尽き、その勢いは日ならずして崩れ散るでしょう。我が国は民の脂と血を搾り、八道の財の力を尽くして大軍を賄っておりますから、形勢もまた日ごとに窮します。これは敵が座したまま長い謀で我らを疲れさせた後、その破れに乗じようとするものでありますから、まことに痛哭して涙を流すべき事です。

宋経略と提督とはすでに議することができませんから、ただ願いますに、朝廷において改めて計り、この事情を具えて急ぎ明の朝廷へ申し上げ、思いがけぬ憂いのないようにしてください。ましてや倭賊が南道を占め、船で西海へ出て陸の路で改めて遠く駆けるなら、必ず中国に限りない禍となるでしょうから、我が国だけの不幸ではありません。このような事情もまさに明らかに具えて申し上げ、あわせて十分に遠くを見てよく処してください。

夾注 2

七月

七月。

底本は「沈惟散」であるが、前の文の沈惟敬と同じ人であるから、その誤りと見る。