いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻13 辰巳錄

軍威県監柳澈をそのまま留めることを請う状啓請軍威縣監柳澈仍任狀

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 懲毖錄 · 柳成龍(リュ・ソンリョン) · 1633年刊行(壬辰倭乱の後に著す) · 段落 1 · 漢字 268字 · 朗読 2.4分

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻13 辰巳錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。

臣行到軍威有縣民洪軸等三十餘人聯名呈狀內縣監柳澈本以慈詳愷悌之人專以奉公恤民爲事變生之後不離境土當賊據本邑之日定將抄卒設伏要路捕斬射殺不知其數賊退後卽入官家收聚餘糓一以爲軍糧一以救飢民親持糓物出入村落至誠賑活民賴得生者甚多一境男女莫不愛戴雖於餓饉癘疫之餘形息僅存而。天兵支待軍糧輸運之役爭先酬應不敢違令今聞與巡察使相避當爲遞去當此艱難蕩敗之日若失縣監則孑遺殘民萬無生活之路云云臣自前素聞柳澈善於居官今見民情參以物論果非虛請當此調度支待百役叢集之時善治守令不可輕遞道內賊兵猶在平時相避之法不可太拘柳澈姑爲仍任以慰一縣民情且除迎送之獘似爲便當

臣が軍威に至りますと、邑の民洪軸ら三十余人が名を連ねて上げた書がございました。その書に、県監柳澈はもとより細やかで和やかな人で、もっぱら公を奉じ民を恤むことを務めとしておりました。変が起きた後も邑の地を離れず、敵が本邑を占めた日には将を定め兵を選んで肝要な路に伏兵を置き、捕らえ斬り射殺したものがその数もわかりません。敵が退いた後はただちに官家へ入って残った穀を取り集め、一つは軍糧とし、一つは飢えた民を救い、みずから穀を持って村々に出入りして至誠をもって賑わし生かしましたので、民でそれに力を得て生きた者がはなはだ多いのです。一帯の男女で愛し慕わない者がありません。飢えと流行り病の後で有様がやっと保たれているだけですのに、明の軍の賄いと軍糧を運ぶ役に先を争って応じ、あえて令に違いませんでした。いま聞きますに、巡察使と相避に当たって代えられて行くことになったとのことです。この難しく崩れ果てた時に、もし県監を失えば、孤り残った民はまったく生きる路がありません、とございました。

臣は以前から柳澈が官にあってよく治めると聞いておりましたが、いま民の意を見て諸々の評と比べますと、果たして空言ではありませんでした。この軍糧の調達と賄いなど、あらゆる役が押し寄せる時に、よく治める守令を軽々しく代えることはできません。道内に敵兵がまだおりますから、平時の相避の法にあまり縛られることはできません。柳澈をひとまずそのまま留めて一邑の民の意を慰め、また迎え送る弊を除くのが便利で当然かと思われます。

夾注 1

相避 ― 親族や縁のある者が互いに関わる職に一緒に就けないようにした法である。