軍糧を運ぶ弊を申し上げる状啓陳運糧之獘狀
臣竊詳軍糧散失有三獘處置有三難而繼粟之䇿乃其第一急務也當初嶺南賊勢未退之日湖南軍糧輸到嶺路方俟賊遁而星州亂民假作倭形聲言賊至不意突出負戴之人擧皆驚散亂民恣意偷取散失之數幾至三百石此則臣未到前事也卽今各官徵還見偷之數矣頃日晉州旣陷賊向溯南聲息甚急湖南軍糧輸至雲峯南原任實之間者其數亦多而將其糓物或委棄道路或徑還其家若其旣入嶺界未至站所者則到處拘留接餉。天兵而事出倉皇文簿錯亂不可准信今方文移兩南監司推覈散失俵給之數矣大抵湖南各官軍糧輸運之時計其田結人馬之數准給軍糧付之監官色吏之手盤桓中路耗費萬端而及聞虛警潰散遺失如前所陳此乃軍糧在路散失之一獘也臣意後運軍糧輸運時則或以剛明守令或以秩高軍官分路定差使員各官受出時一一計給約日到境上點閱領納于站所則可無在路散失之獘矣湖南軍糧到站後即欲畢捧積峙一處而嶺南無倉厫人力可以藏守且一應刷馬事資軍糧載持馬一捧之後則必皆逃還不得已分授納者各自守直以到站先後逐日散料隨其畢散始聽選歸已成各站規例而日月旣久糧食自絕偷竊不已防奸無路或有恣行買賣者隨現痛治一二石耗欠則典賣牛馬卽加徵納而至於十石之外則各令本官分徵一族其畢徵輸納邈不可期矣至於劉吳諸將所駐處則軍兵自有元數散料時可無濫授之獘而各站無將留兵及道路往來哨卒自書帖字任意加數或有一人一馬而至於十者又持大斗自爲斗量散料官欲辨正濫帖猥量之事則橫加鞭箠莫敢誰何任其自取以有限軍糧何能塞其無窮之欲乎此乃軍糧到站散失之一獘也臣意典守偷竊之糓則遲速間本國地方官句當徵欠而天兵濫費之獘非臣等所能糾正且經理提督三將標下則劉吳號令亦不能禁抑自。朝廷下書于接伴使使得出提督禁標榜示嶺路則庶有畏戢之望矣大軍一帶分設站所儲峙紅料而頃日右道賊勢緊急遼將四五員自尙州移駐居昌咸陽劉吳兩將自海平大丘移駐陜川草溪自各站移送之糧不下千石或至軍前或在中路參錯於百里間而今又遽還本站分布之糧一朝還運其勢末由數少軍糧耗散於移來移去之日者不知其幾而糧料易絕專由於此此乃軍糧移來移去散失之一獘也臣意此則臣與地方官參究去處終當推還其數而備達移來移出散失之獘者欲其。朝廷洞知糧料遷移自就耗損之意也軍糧大米則不久將絕豆子則各站遺在通計萬餘石露積空地今已四月不蔽雨水腐朽太半誠爲可惜欲令嶺南守令看護則湖南納者必不受其檢勅而溯南守令則四五站只有一二員分守爲難此乃軍糧處置之一攤也臣意近觀賊勢進退。天兵去留納置一處以本官守令看護而湖南納者皆令還送其中尤其腐朽不合軍糧者則依前狀。啓各站飢民斟酌分賑宜當矣轉餉軍食會計爲重自有該曹掌之臣則自初隨其糧料有無督運繼餉而已一自戶曹判書病逝所率算員等散歸京城該曹文簿亦不分明臣只以各站用下遺在之數略加打算而前後扺捂取實爲難此乃軍糧處置之一難也臣意戶曹堂上郞廳中率筭員急速下送將兩南該曹元定及用下遺在之數一一會計俾無國糓耗散之獘宜當矣千里轉運自至欠縮旣有欠縮則不得不生徵當此公私俱竭之日刻期生徵則人不堪命若或少緩則徵欠無期生徵伸縮而民生休戚繫之伸縮得中公私兩便最是難處此乃軍糧處置之一難也臣意。朝廷令兩南監司各別留意使隨生徵便民生不至失業國糓不至欠縮宜當矣臣請以繼粟之策繼之今日賊勢不可以日月期賊勢未退則。天兵不還當初所備數月之糧今已罄矣繼粟之䇿一刻爲急而。朝廷未有指敎方伯未有處分督運一小臣徒自煎悶束手何爲爲今之計秋日尙晚早糓已登嶺南左右道付種處或以貢物作米或以田稅引納而又從以空名帖多般募粟則隨所得多少而可以添補軍食此事必須身自巡歷留連措置可得就緒而臣則急於劉吳轉餉不得暫離大路左右監司方因賊勢計不暇及臣誠痛悶焉前春督運宣傳官二員來在左右道而受。命有限界號令不遍且武官不能彈壓亦不爲有無於調度矣朝廷速爲處置調皮督運一時幷擧同力措置則彼此兩便而大事可濟矣自轉運使遞還戶曹判書病逝以來臣有意陳達而惶恐不敢有所云云今則賊勢如是糧絕如是左右上下道路絕遠未及周旋又如是謹此味死以。啓
臣が密かに察しますに、軍糧が散り失せることに三つの弊があり、処置することに三つの難しさがあり、穀を継ぐ計策がそのうち第一に急な務めです。
もともと嶺南の敵の勢いが退かなかったとき、湖南の軍糧を嶺の路まで運んで置き、敵が逃げるのを待っておりました。ところが星州の乱れた民が倭賊の姿を偽り装い、敵が来ると叫んで思いがけず突き出ましたので、背負い頭に載せて行った人々がみな驚いて散りました。乱れた民が思うままに盗み取って失った数がほぼ三百石に至りました。これは臣が至る前の事であり、いま各邑で盗まれた数を取り立てております。
先日、晋州がすでに落ちて敵が溯南へ向かい、知らせがはなはだ急であったとき、湖南の軍糧として雲峯・南原・任実の間へ運んで来たものがその数もまた多かったのです。ところがその穀物を、おりおり路に捨て、おりおり勝手に自分の家へ帰りもしました。すでに嶺南の境へ入ったが站所に至らなかったものは、至る所で留め置いて明の軍に食わせましたが、事が慌ただしい中で出たので文書が乱れて信じられません。いままさに二つの道の監司へ文を移して、散り失せた数と分け与えた数を問い詰めております。
およそ湖南の各邑が軍糧を運ぶとき、その田結と人馬の数を計って軍糧を出し与え、監官と色吏の手に委ねますので、路の途中でためらって万様に減り、虚しい警報を聞けば崩れ散って、先に申し述べたように失います。これが軍糧が路で散り失せる一つの弊です。
臣の意では、後に軍糧を運ぶときは、おりおり剛く明らかな守令、おりおり位の高い軍官で路を分けて差使員を定め、各邑で受け出すとき一つ一つ計って与え、日を定めて境に至って点検し、站所へ納めさせれば、路で散り失せる弊がなくなるでしょう。
湖南の軍糧が站所に至った後は、ただちにすべて収めて一か所に積んでおこうと思いますが、嶺南には蔵め守れる倉も人の力もありません。また一度刷馬する事は軍糧を元手としますが、運んで来た馬は一度納めた後には必ずみな逃げ帰ります。やむなく納めた者に分け任せてそれぞれみずから守らせ、站所に至った前後に従って日ごとに食う分を分け与え、すべて分け終わった後にようやく選んで帰らせますので、すでに駅ごとの定まった例となりました。しかし日が久しくなれば糧がおのずから絶え、盗むことをやめず、奸しさを防ぐ路がありません。おりおり勝手に売り買いする者があれば現れるたびに痛く治め、一、二石が減れば牛や馬を売ってただちに取り立て、十石を越えればそれぞれ本邑に一族へ分けて取り立てさせますが、すべて取り立てて納めることは遥かに期しがたいのです。
劉・呉の諸将が留まる所では軍兵におのずから定まった数があって、食う分を分け与えるときに過分に与える弊がありません。しかし駅ごとに将のないまま留まる兵と、路を往き来する斥候の兵卒が、みずから受け取る帖を書いて思うままに数を加え、おりおり人一人に馬一匹なのに十に至る者があります。また大きな枡を持ってみずから量りますので、分を分け与える官が水増しした帖やみだりな枡量りの事を正そうとすれば、やみくもに鞭を加えても誰もあえて何も言えず、思うままに取るに任せます。限りある軍糧で、どうしてその限りない欲を塞げましょうか。これが軍糧が站所に至った後に散り失せる一つの弊です。
臣の意では、掌り守りながら盗んだ穀は遅くとも早くとも我が国の地方官が掌って減った分を取り立てるでしょうが、明の軍がみだりに使う弊は臣らが正せるところではありません。また経理と提督の下の三将の標下の兵は、劉・呉の号令でも抑え禁じられません。朝廷から接伴使へ書を下して、提督から禁ずる標を得て出させ、嶺の路に掲げさせれば、かなり恐れてやめる望みがあるでしょう。
大軍が一つの帯のように並ぶ所に站所を分け設けて糧料を積んでおきました。ところが先日、右道の敵の勢いが緊急で、遼東の将四、五人が尚州から居昌と咸陽へ移り駐まり、劉・呉の二将が海平と大丘から陜川と草渓へ移り駐まりました。駅ごとに移し送った糧が千石を下らず、おりおり軍の前に至り、おりおり路の途中にあって、百里の間に入り混じりました。ところがいままたにわかにもとの駅へ帰りますので、分け布いた糧を一朝にして戻して運ぼうとしても、その勢いはなし得る路がありません。数少ない軍糧が移って来て移って行く日に減り散ったものがどれほどかわかりませんから、糧料がたやすく絶えるのはもっぱらこのためです。これが軍糧が移って来て移って行く間に散り失せる一つの弊です。
臣の意では、これは臣が地方官とともに行き先を問い詰めて、ついにまさにその数を探して戻しましょう。移って来て移って出て散り失せる弊を具えて申し上げるのは、朝廷が、糧料が移り動くだけでもおのずから減り損じる意を明らかに知られるようにしたいからです。
軍糧のうち白い米は久しからずしてやがて絶えるでしょうし、豆は駅ごとに残ったものが合わせて一万余石でありますが、空き地に露わに積んで今や四か月、雨水を防げずに半ば以上腐りましたので、まことに惜しまれます。嶺南の守令に見守らせようとすれば、湖南で納めた者が必ずその取り締まりを受けないでしょうし、溯南の守令は四、五の駅にただ一、二人だけでありますから、分けて守ることが難しいのです。これが軍糧を処置する一つの難しさです。
臣の意では、このごろの敵の勢いの進み退きと明の軍の去り留まりを見て一か所に納めて置き、本邑の守令に見守らせ、湖南で納めた者はみな帰し送らせてください。そのうちいっそう腐って軍糧に合わないものは、先に上げた状啓のとおり、駅ごとに飢えた民へ計って分け与えて賑恤するのが当然です。
軍糧を移して兵を食わせる事は会計が重く、おのずから該当の曹が掌るところがあり、臣は初めから糧料のあるなしに従って運ぶのを督して継ぎ食わせただけです。戸曹判書が病で世を去った後、率いていた算員らが散って京城へ帰り、該当の曹の文書もまた明らかでありません。臣はただ駅ごとに使った分と残った数でおおよそ計るばかりでありますから、前後が食い違って実を捉えがたいのです。これが軍糧を処置する一つの難しさです。
臣の意では、戸曹の堂上と郎庁のうちから算員を率いて急ぎ下し送られ、二つの道で該当の曹がもともと定めた数と、使った分と残った数を一つ一つ会計して、国の穀が減り散る弊がないようにするのが当然です。
千里を運び移せばおのずから足らなくなり、すでに足らないことがあれば生徴しないわけにはまいりません。官も私もみな乾いたこの時に、日を定めて生徴すれば人が命に堪えられず、おりおり少し緩めれば減った分を取り立てる期がありません。生徴を緩めるか締めるかに民の生き死にがかかっておりますから、緩めると締めるが当を得れば官も私もともに都合がよいのです。これが最も処しがたいところであり、軍糧を処置する一つの難しさです。
臣の意では、朝廷が二つの道の監司に格別に意を留めさせ、形勢に従って生徴しつつ民を安らかにさせ、民の暮らしが生業を失うに至らず、国の穀が足らなくなるに至らないようにするのが当然です。
臣は穀を継ぐ計策を続けて申し上げます。今日の敵の勢いは日や月で期することができません。敵の勢いが退かなければ明の軍は帰らないでしょうに、もともと備えた数か月の糧は、いますでに尽きました。穀を継ぐ計策が一時も急でありますのに、朝廷から指し示されたものがなく、方伯には処分したものがありませんので、運ぶのを督する一人の小さな臣がひたすらみずから焦がれるばかりで、手を縛って何ができましょうか。
いまの計策としては、秋の日がまだ遅くなく、早い穀はすでに熟しましたから、嶺南の左右道の種を蒔いた所で、おりおり貢物を米に換え、おりおり田税を引き入れて受け、またそれに続けて空名帖でいろいろに穀を集めれば、得る多少に従って軍糧に加えることができましょう。この事は必ずみずからあまねく回って留まって処してこそ糸口を掴めますが、臣は劉・呉へ糧を移す事が急でしばらくも大きな路を離れられず、左右道の監司はまさに敵の勢いのためにそこまで計る暇がありませんので、臣はまことに痛ましくやりきれません。
去る春に督運の宣伝官二人が左右道へ来ておりますが、受けた命に限りがあって号令があまねく及ばず、また武官であるために押さえ抑えられず、調達においてあってもないのと同じです。朝廷において速やかに処置され、調達と督運を一時にあわせて行わせ、力を同じくして処させれば、あちらこちらがともに都合よく、大きな事を救えましょう。
転運使が代わって帰り、戸曹判書が病で世を去って以来、臣は申し上げる意がありましたが、恐れ畏んであえて何も申せませんでした。いまは敵の勢いがこのようで、糧が絶えたことがこのようで、左右と上下に路が遠く、あまねく世話できないことがまたこのようでありますから、謹んでここに死を冒して申し上げます。
夾注 6
底本は「儲峙紅料」であるが、「紅」は「糧」の誤りと見て糧料と読む。
底本は「處置之一攤」であるが、「攤」は「難」の誤りと見て難しさと読む。
底本は「調皮督運」であるが、「皮」は「度」の誤りと見て調度と読む。
底本は「味死以啓」であるが、「味」は「昧」の誤りと見て死を冒してと読む。
糧料 ― 兵に供える糧である。
生徴 ― 失われたものを民から改めて取り立てる事である。