いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻13 辰巳錄
松山に安置した玉体を奉審して馳せ来て申し上げる状啓松山所安。靖陵玉體奉審後馳。啓狀
懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻13 辰巳錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。
臣於前日。宣靖陵奉審時病未進參今月十八日始隨諸宰之後奉審松山所安。玉體則頭面上毛髮盡脫皮骨粘槁自脛以下肉盡骨在大槪顯是年久之體而胷腹及背則皮厚而堅凝不見骨節胷上甚高背後左邊肩甲有穴痕一大一小相距一分許所見惟此耳其他皆不可辨伏念此乃變中之極變辨別少差則事不忍言臣後生味識罔極之中不敢輕議如何惟在更加精審參以。陵上形止幷搜索近陵處古塚破壞與否多般訪求或爲神明所佑萬一有得實之望
臣は先日、宣陵と靖陵を奉審するとき、病で参り加われませんでした。今月十八日にようやく諸宰臣の後に従って、松山に安置した玉体を奉審しました。
頭と顔の上の毛はみな抜け、皮と骨が貼りついて乾き、脛より下は肉が尽きて骨だけが残っておりました。おおよそ年が久しい体であることが明らかです。胸と腹と背は皮が厚く固く凝って骨の節が見えず、胸の上がはなはだ高かったのです。背の後ろの左側の肩の骨に穴の跡があり、一つは大きく一つは小さく、互いに一分ほど離れておりました。見たものはただこれだけで、そのほかはみな見分けられませんでした。
伏して思いますに、これは変の中の極まった変です。見分けることが少しでも食い違えば、事はとても口にできません。臣は後に生まれた者で知るところがなく、果てしない思いの中であえて軽々しく議せません。ただ改めていっそう精しく察し、陵の上の有様と比べ、あわせて陵の近い所の古い塚が壊されたかどうかを探り、いろいろに尋ね求めれば、あるいは神明が助けてくださって、万に一つでも実を得る望みがあるでしょう。
夾注 1
八月
八月。