婆娑城を修め設けるほかに、改めて楊根の山城を処置することを請う状啓請修設婆娑城外更爲措置楊根山城狀
卽見備邊司行移云云夫婆娑一城雖在上流而各處關防津渡路徑之雜出者豈可以一城而盡爲防塞乎壬辰之變賊陷忠州分兵北上一運由驪州淸心樓前渡涉其時元豪率數百之兵把截江北數日而賊兵不得徑渡婆娑城在驪州利川之間其所形勢相連可以控制者只此數邑而已若論其遠勢則必須堅守忠州又以重兵留屯原州而與鳥竹兩嶺之勢相爲輔車然後婆娑之勢始固矣婆娑以下又有要害必守之地楊根南山正當沙灘而過此則迷原之路加平之路月溪之路皆從此分出若賊過原州由婆娑之後直向楊根則惟此處爲可控扼臣今行登此山審察形勢則其山非徒關於守灘上與婆娑相對下與芙蓉相望直當江邊諸路之會實一形勝之地故責令楊根郡守崔輔臣漸次措置栅壘爲屯守之計距此十餘里又有咸公山城在龍門山上四面斗絕又是天險可爲一境老弱避亂藏糓之所故幷爲分付措置大槪畿甸遺民百役叢集瘡痍困頓之狀不可忍見防守禦賊之事雖出於生道役民而役巨民殘如蟻聚垤難望成就於時月之間極爲痛悶忠州原州措置等事則各令其道當事之臣申勅擧行俾無緩不及事之患矣
いま備辺司から送られた移文を見ますと、かくかくでございました。およそ婆娑城の一つが上流にあるとはいえ、処々の関所と渡しと細い路が乱れて出ているのを、どうして一つの城ですべて塞げましょうか。
壬辰の年の変に、敵が忠州を落として兵を分けて北へ上るとき、一手は驪州を過ぎて清心楼の前から渡りました。その時、元豪が数百の兵を率いて川の北を遮り截ちましたので、幾日か敵兵がまっすぐ渡れませんでした。婆娑城は驪州と利川の間にあって、その形勢が互いに連なって押さえられる所は、ただこの二つ三つの邑だけです。その遠い勢いを論ずれば、必ず忠州を固く守り、また重い兵で原州に留まって陣を張らせ、鳥嶺と竹嶺の二つの嶺の勢いと互いに車の添え木と輪のようになった後にこそ、婆娑の勢いがはじめて固まるでしょう。
婆娑より下にもまた要害で必ず守るべき地があります。楊根の南山はまさに沙灘に接しており、ここを過ぎれば迷原の路と加平の路と月渓の路がみなここから分かれ出ます。もし敵が原州を過ぎて婆娑の後ろから、まっすぐ楊根へ向かえば、ただこの所が遮り抑えられるのです。
臣が今回の路でこの山に登って形勢を察しますと、その山は瀬を守るのに関わるだけでなく、上は婆娑と向かい合い、下は芙蓉と望み合い、まさに川辺の諸々の路が集まる所に当たって、まことに一つの形勝の地です。ですから楊根郡守崔輔臣に責めを負わせて、次第に木柵と塁を処して陣を張って守る計策とさせました。
ここから十余里離れた所にまた咸公山城が龍門山の上にあって、四面が切り立って断たれ、やはり天が成した険しい所でありますから、一帯の老人と子どもが乱を避け穀を隠す場所となるに足りますので、あわせて処するよう言いつけました。
おおよそ畿内に残った民へあらゆる役が押し寄せて、傷つき疲れた有様をとても見るに堪えません。防ぎ守り敵を防ぐ事は、生かす道から民を使うところから出たものではありますが、工役は大きく民は弱くて、蟻が蟻塚に集まるようでありますから、幾月かのうちに成ることを望みがたく、きわめて痛ましくやりきれません。
忠州と原州を処置する類の事は、それぞれその道の事を任された臣へ重ねて諭して行わせ、遅れて事に間に合わない憂いのないようにしてください。
夾注 2
形勝 ― 地の勢いが優れて要となる所を指す。
移文 ― 役所同士で遣り取りする公文である。