いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻14 辰巳錄

明軍が蔚山を攻め、賊と相対して持ちこたえる事を急ぎ申し上げる上申状馳。啓天兵進攻蔚山與賊相持狀

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 懲毖錄 · 柳成龍(リュ・ソンリョン) · 1633年刊行(壬辰倭乱の後に著す) · 段落 1 · 漢字 169字 · 朗読 1.4分

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻14 辰巳錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。

昨日臣軍官具希信回自蔚山說稱。天兵共我軍攻打賊內城城甚堅險大炮不能撞破賊從城上孔穴多放鳥銃。天兵及我軍多爲損傷經理鳴金退軍方講求攻城之䇿倭船自西生浦數十餘隻浮泊海中爲相救之狀。天將分軍橫截海口使不得下陸云云今日午後又聞陳遊擊乘夜攻城爲賊丸所傷以調病事與出慶州而自昨日天氣微陰今日自未末東風連吹雨勢漸多至夜未霽軍士露處原野必有沾濕凍傷之患甚可憂慮

昨日、臣の軍官具希信が蔚山から帰って申しますには、「明軍が我が軍と共に賊の内城を攻め立てましたが、城がはなはだ堅く険しく、大砲でも突き破ることができませんでした。賊が城の上の穴から鳥銃を多く放ちましたので、明軍と我が軍が多く傷つき、經理が鉦を鳴らして軍を退かせ、今まさに城を攻める策を講じています。倭の船が西生浦から数十余隻、海中に浮かび泊まって互いに救おうとする様を見せますので、明の將が軍を分けて海の口を横から断ち、陸に下りられないようにしました」とのことでした。

今日の昼過ぎにまた聞きますに、陳遊擊が夜に乗じて城を攻め、賊の弾に傷ついて、病を養う事で慶州へ出て来たとのことです。

昨日から空が少し曇り、今日は未の末から東風が続いて吹き、雨脚が次第に強まって、夜に至るまで晴れません。軍士は野原に身をさらしていますので、必ず濡れて凍え傷つく憂いがあるでしょう。はなはだ憂慮されます。