いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻15 軍門謄錄

黃海道の巡察使と所江の僉使に送った文移黃海道巡察使所江僉使文

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 懲毖錄 · 柳成龍(リュ・ソンリョン) · 1633年刊行(壬辰倭乱の後に著す) · 段落 1 · 漢字 320字 · 朗読 2.7分

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻15 軍門謄錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。

興鹽利以佐國用歷代已行之䇿古人以鹽爲國之大寶而敎民方便使蕩敗之處變爲殷富之地者非一二矣。中朝別置煑鹽軍定爲稅入之規其爲法甚密而許多軍餉皆倚辦於此我國邊海產鹽之地不爲不多而盡歸私用當此軍需乏缺之時坐失大利誠爲可惜本道瓮津海州鹽盆最多於他處今欲就此別設鹽場而除出七浦應入水軍隨力煑取又令所江僉使專力句管使之弊不及民而得鹽優多一邊建置鹽倉於兎山三省臺近處將所煑鹽石陸續運入儲峙每鹽貴之時許民平價來糶則旁近山郡之民皆便於得鹽而官家得粟亦多矣應行事意本道各別詳細磨度回報以憑究處而已曾排設公私鹽盆凡幾坐鹽軍凡幾名一年稅入凡幾石亦一一知數牒報且當春節盛煮之時若除入防軍士助糧米而貿鹽納倉以爲許民貿食之資則無別煮之擧而得鹽亦不貲矣此等曲折亦參商回報以憑處置

塩の利を起こして国の用を助けることは、歴代すでに行った策である。昔の人は塩を国の大きな宝として民に方便を教え、崩れ果てた所を豊かに富んだ地に変えたことが一つ二つではない。明の朝廷は別に塩を焼く軍を置いて税に入れる規を定めたが、その法がはなはだ密で、多くの軍糧をみなこれに依って調えている。我が国は海辺に塩の出る地が多くないわけではないが、みな私かな用に帰してしまうので、この軍需の乏しい時に当たって座して大きな利を失っており、まことに惜しいことである。

本道の瓮津と海州は塩の釜がほかの所より最も多いので、今ここに就いて別に塩場を設け、七つの浦に入るべき水軍を除き出して力に応じて焼き取らせ、また所江の僉使に力を専らにして受け持たせ、弊が民に及ばないようにしながら塩を十分に多く得させようと思う。一方で、兎山の三省臺の近い所に塩倉を建てて、焼いた塩の石を引き続き運び入れて積み置き、塩の貴い時ごとに民に平らな値で来て買うことを許せば、近くの山郡の民はみな塩を得るのに便宜であり、官家が得る穀もまた多いであろう。

行うべき事の趣旨は、本道が格別に詳しく計って回報し、究めて処理する拠りどころとせよ。そして、すでに設け置いた公私の塩の釜が合わせて何か所、塩を焼く軍が合わせて何名、一年に税として入るものが合わせて何石かもまた、一つ一つ数を知って報せ。また春の季節の盛んに焼く時に当たって、もし辺を守りに入る軍士を除いて軍糧の米を助け与え、塩を買って倉に入れ、民が買って食う資とするならば、別に焼く挙がなくとも塩を得ることがまた少なくないであろう。このような曲折もまた参酌して回報し、処置する拠りどころとせよ。

夾注 1

十一月二十日

十一月二十日