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京畿の巡察使と左右の防禦使に送った文移京畿巡察使左右防禦使文

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 懲毖錄 · 柳成龍(リュ・ソンリョン) · 1633年刊行(壬辰倭乱の後に著す) · 段落 1 · 漢字 676字 · 朗読 5.6分

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻16 軍門謄錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。

近自亂離以後民心不定少有警報無論虛實輒皆驚駭老幼奔波不知所適往往死於土賊塡於溝壑雖幸而得生者一離鄕士資糧殫竭得食無路餓死於山谷之間不能接濟其勢將盡死亡而後已極爲寒心原其所以致此者不但民心動搖不能鎭定所致實由於無可恃之處雖欲入保而不可得故倉皇顚仆不能自定其亦事勢所然也如水原之民則以秃城爲固故往日驚動之時一府之民獨不動搖此有所恃而不動之驗也今宜於各邑人民居住道里頗近形勢便好處擇其險要可保之地漸次修築預爲區畫知委使某處之民入於某處假使丁壯調發出戰而老弱相聚其中多設石車以待之盡收公私積蓄於其中列屯相望無事之時則下山耕種無復憂念有事則擕其所有卽爲入保則賊雖欲衝突而不可得且四面淸野鹵掠無得則不過數日其勢自窘乘其惰歸之際而迭出銳師處處遮截則蔑不勝矣今日禦賊保民之要惟此爲長䇿不可少緩特患人無遠慮不肯致力於此事只以奔竄爲得計未知奔竄之後將無往也水原秃城旣爲右營營所屬之軍分爲五司亦當以五司所近之處曉諭人民於農隙務閒之際漸次修葺入保之處一處如此他處亦然不過一年半年而形勢自成其與拱手而坐待死亡者利害較然矣仁川亦有山城開其處之民則皆欲入保山城此亦民情所願故已爲聽許專責本府官員修葺其他如雙阜等處及他餘民居稠密形勢險要處必非一二遍可巡歷看審便否逐一馳報且曉諭人民以此乃爲民非但爲國也民雖至愚必有知其利害之實而卽相聽從者更加至誠告諭龍仁石城山城在直路之衝形勢甚好而民力不齊至今不得成就亦爲可惜防禦使卽爲審視量其功役多少馳報則農務稍歇之後以前營所屬之軍限二日赴役無妨婆娑城亦當依此以驪州利川楊根軍人修築此不過一二日之役而可爲萬世之利民心亦必不至於厭苦更爲參商便否牒報施行

近ごろ乱離を経て後、民心が定まらず、少しでも警報があれば虚実を分けることなく、たちまちみな驚き恐れる。老いた者と幼い者が逃げて行き先が分からず、しばしば土賊に殺され、あるいは溝や谷に埋まる。たとえ幸いに生き延びた者も、ひとたび郷土を離れれば糧が尽きて食う道がなく、山谷で飢え死ぬ。互いに救い合えないので、その勢いはまさにみな死んだ後にようやく止まるであろうから、きわめて心寒い。

そのこうなった理由を尋ねれば、ただ民心が揺れて鎮まらないせいだけではない。まことに頼むに足る所がなく、たとえ入って保とうとしてもできないことに由来する。そのため慌てふためいて倒れ、自ら定めることができないので、それもまた事の勢いがそうさせるのである。水原の民のような者は秃城を堅いと思っていたので、先日驚き動いた時に、一つの府の民だけが独り揺れなかった。これは頼むところがあって動かなかった証しである。

今まさに各邑の人民が住む所から道のりがかなり近く、形勢の良い所に、険しく要めで保つに足る地を選んで次々に修め築け。あらかじめ区画して知らせ、どの所の民はどの所へ入るようにせよ。たとえば壮丁は抜き出して出て戦い、老いた者弱い者はその中に集まらせ、石を飛ばす車を多く設けて待ち、公私の蓄えをすべてその中に収めよ。屯を並べて互いに望むようにして、事のない時は山から下りて耕し種を播き、ふたたび憂えないようにし、事があれば持ち物を携えてすぐ入って保たせよ。そうすれば賊がたとえ突き入ろうとしてもできない。

また四面に野を空にして掠め取るものが得られなければ、数日も経たずにその勢いが自ずと窮まる。その怠って帰る折に乗じて、鋭い兵を交互に出して所々で遮り断てば、勝てないことはない。今日、賊を防ぎ民を保つ要めは、ただこれが上策であるから、少しも緩めることはできない。ただ人々が遠い思いがなく、この事に力を尽くそうとせず、ただ逃げ隠れることを得た計と思うのが心配である。逃げ隠れた後には、行く所がなくなることを知らないのである。

水原の秃城はすでに右營の營所となり、属する軍が五つの司に分かれたので、やはりまさに五つの司の近い所へ人民を諭して、農の合間の閑かな折に次々に入って保つ所を修め繕わせよ。一か所がこのようで、ほかの所もそうであれば、一年や半年も経たずに形勢が自ずと成る。それは手を組んで座って死を待つのとは、利害がはっきりと異なる。

仁川にも山城があるが、聞くにその所の民はみな山城に入って保つことを願うという。これもまた民情の願うところであるから、すでに聞き許したので、専ら本府の官員に委ねて修め繕わせよ。そのほか雙阜のような所と、その残りで民が密に住み、形勢が険しく要めの所が必ず一つ二つではないであろうから、あまねくめぐり見て便宜かどうかを調べ、一つ一つ馳せ報せよ。また人民に諭して、これこそ民のためであって、ただ国のためだけではないと言え。民はたとえきわめて愚かでも、必ずその利害の実を知ってすぐ互いに聞き従う者があるであろうから、さらに至誠をもって告げ諭せ。

龍仁の石城山城は直路の要めにあって形勢がはなはだ良いのに、民の力が揃わず今まで成し遂げられないので、これもまた惜しい。防禦使はすぐ調べ見て、その工役の多少を計って馳せ報せよ。そうすれば農務が少し閑かになった後に、前營に属する軍で二日を限って役に赴かせても差し支えない。婆娑城もまさにこれに依って、驪州・利川・楊根の軍人で修め築け。これは一日二日の役に過ぎないが、万世の利となることができ、民心もまた必ず苦しむに至らないであろう。あらためて便宜かどうかを参酌して報せ、施行せよ。

夾注 3

五月一日

底本は「一離鄕士」であるが、「鄕土」の誤りと見る。

底本は「仁川亦有山城開其處之民」であるが、「聞其處之民」の誤りと見る。

五月一日