公平公平第十六
太宗初即位,中書令房玄齡奏言:「秦府舊左右未得官者,並怨前宮及齊府左右處分之先己。」太宗曰:「古稱至公者,蓋謂平恕無私。丹朱、商均,子也,而堯、舜廢之。管叔、蔡叔,兄弟也,而周公誅之。故知君人者,以天下為公,無私於物。昔諸葛孔明,小國之相,猶曰『吾心如稱,不能為人作輕重』,況我今理大國乎?朕與公等衣食出於百姓,此則人力已奉於上,而上恩未被於下,今所以擇賢才者,蓋為求安百姓也。用人但問堪否,豈以新故異情?凡一面尚且相親,況舊人而頓忘也!才若不堪,亦豈以舊人而先用?今不論其能不能,而直言其嗟怨,豈是至公之道耶?」
太宗が初めて位に即いたとき、中書令の房玄齢が奏した。
「秦王府の旧い左右のうち、まだ官を得ていない者たちが、あわせて前の宮や斉王府の左右を自分より先に処分されたことを怨んでいます。」
太宗が言った。
「昔、至公と称えたのは、思うに平らかで寛やかで私がないことを申す。丹朱と商均は子であったのに堯と舜は彼らを廃し、管叔と蔡叔は兄弟であったのに周公は彼らを斬った。だから人を治める者は天下を公とし、物に私がなくあるべきだと分かる。
昔、諸葛孔明は小さな国の宰相であったのに、なお『わが心は秤のようで、人のために軽重できない』と言った。まして朕がいま大きな国を治めているのだ。朕と公たちの衣と飯は民から出るのだから、これは人の力がすでに上に奉じられたのに、上の恩はまだ下に覆っていないということだ。いま賢才を択ぶ理由は、思うに民を安らかにすることを求めてのことだ。人を用いるには、ただ堪えるか堪えないかを問うだけだから、どうして新しいか古いかで情を異にしようか。そもそも一度顔を合わせただけの間柄でも互いに親しむのに、まして古い人をたちまち忘れようか。才がもし堪えないなら、どうして古い人だからといって先に用いようか。いま彼が能くするか能くしないかを論じないで、ただその嘆きと怨みだけを直に言うのは、どうして至公の道であろうか。」
貞觀元年,有上封事者,請秦府舊兵並授以武職,追入宿衛。太宗謂曰:「朕以天下為家,不能私於一物,惟有才行是任,豈以新舊為差?況古人云:『兵猶火也,弗戢將自焚。』汝之此意,非益政理。」
貞観元年、封じた書を奉った者があり、秦王府の旧い兵にあわせて武官の職を授けて召し入れ、宿衛させることを請うた。太宗が言った。
「朕は天下を家とするから、一つの物に私することはできない。ただ才と行いだけが任ずるところであるから、どうして新しいか古いかで差等をつけようか。まして古人は『兵は火のようなもので、収めなければやがて自らを焼く』と言った。お前のこの意は、政と治めに益がない。」
貞觀元年,吏部尚書長孫無忌嘗被召,不解佩刀入東上閣門,出閣門後,監門校尉始覺。尚書右仆射封德彜議,以監門校尉不覺,罪當死,無忌誤帶刀入,徒二年,罰銅二十斤。太宗從之。大理少卿戴胄駁曰:「校尉不覺,無忌帶刀入內,同為誤耳。夫臣子之於尊極,不得稱誤,準律云:『供御湯藥、飲食、舟船,誤不如法者,皆死。』陛下若錄其功,非憲司所決;若當據法,罰銅未為得理。」太宗曰:「法者非朕一人之法,乃天下之法,何得以無忌國之親戚,便欲撓法耶?」更令定議。德彜執議如初太宗將從其議,胄又駁奏曰:「校尉緣無忌以致罪,於法當輕,若論其過誤,則為情一也,而生死頓殊,敢以固請。」太宗乃免校尉之死。
貞観元年、吏部尚書の長孫無忌がかつて召されたが、佩いた刀を解かずに東上閣門に入り、閣門を出た後にやっと監門校尉が気づいた。尚書右僕射の封徳彝が議して、監門校尉は気づかなかったのだから罪は死に当たり、無忌は誤って刀を佩いて入ったのだから徒刑二年に銅二十斤の罰とすると申した。太宗はこれに従った。大理少卿の戴冑が論駁した。
「校尉が気づかなかったことと、無忌が刀を佩いて内に入ったことは、ともに過失にすぎません。そもそも臣や子は、至って尊い方に対して過失と称することはできません。律に照らして『君に上げる湯薬と飲食と舟は、誤って法のとおりにしなかった者はみな死刑』とあります。陛下がもしその功を録されるのなら法を司る官司が決することではなく、もし法に従われるべきなら、銅で罰するのは理を得ていません。」
太宗が言った。
「法は朕一人の法ではなく、天下の法である。どうして無忌が国の姻戚だからといって、法を曲げようか。」
改めて議を定めさせた。徳彝が初めのように議を固執したので、太宗がその議に従おうとすると、戴冑がまた論駁して奏した。
「校尉は無忌によって罪に至ったのですから、法としては軽くあるべきです。もしその過ちと失を論ずるなら、実情は一つなのに生と死がたちまち分かれますので、敢えて固く請います。」
太宗はそこで校尉の死を免じた。
是時,朝廷大開選舉,或有詐偽階資者,太宗令其自首,不首,罪至於死。俄有詐偽者事泄,胄據法斷流以奏之。太宗曰:「朕初下敕,不首者死,今斷從法,是示天下以不信矣。」胄曰:「陛下當即殺之,非臣所及,既付所司,臣不敢虧法。」太宗曰:「卿自守法,而令朕失信耶?」胄曰:「法者國家所以布大信於天下,言者當時喜怒之所發耳!陛下發一朝之忿,而許殺之,既知不可,而寘之以法,此乃忍小忿而存大信,臣竊為陛下惜之。」太宗曰:「朕法有所失,卿能正之,朕復何憂也?」
このとき朝廷が択び入れることを大いに開いたので、品階と資歴を詐り飾った者があった。太宗は自ら首べさせ、首べなければ罪が死に至ることとした。やがて詐り飾った者があって事が現れると、戴冑は法に従って流刑として断じ奏した。太宗が言った。
「朕は初めに敕を下して、首べない者は死刑とした。いま法に従って断じるのは、天下に信でないことを示すことになる。」
戴冑が言った。
「陛下がそのとき直ちに殺されたのなら臣の及ぶところではありませんが、すでに所司に付されたのですから、臣は敢えて法を虧きません。」
太宗が言った。
「卿は自ら法を守りながら、朕に信を失わせるのか。」
戴冑が言った。
「法とは、国が大いなる信を天下に展べるものであり、言とは、その時の喜びと怒りから出たものにすぎません。陛下が一朝の憤りを発して殺すことを許され、すでに是でないと知られて法で処されるのは、小さな憤りを忍んで大いなる信を遺すことです。臣はひそかに陛下のためにこれを惜しみます。」
太宗が言った。
「朕の法に失するところがあっても、卿がこれを正せるのだから、朕はさらに何を憂えようか。」
貞觀二年,太宗謂房玄齡等曰:「朕比見隋代遺老,咸稱高颎善為相者,遂觀其本傳,可謂公平正直,尤識治體,隋室安危,系其存沒。煬帝無道,枉見誅夷,何嘗不想見此人,廢書欽嘆!又漢、魏以來,諸葛亮為丞相,亦甚平直,嘗表廢廖立、李嚴於南中,立聞亮卒,泣曰:『吾其左衽矣!』嚴聞亮卒,發病而死。故陳壽稱『亮之為政,開誠心,布公道,盡忠益時者,雖讎必賞;犯法怠慢者,雖親必罰。』卿等豈可不企慕及之?朕今每慕前代帝王之善者,卿等亦可慕宰相之賢者,若如是,則榮名高位,可以長守。」玄齡對曰:「臣聞理國要道,在於公平正直,故《尚書》云:『無偏無黨,王道蕩蕩。無黨無偏,王道平平。』又孔子稱『舉直錯諸枉,則民服』。今聖慮所尚,誠足以極政教之源,盡至公之要,囊括區宇,化成天下。」太宗曰:「此直朕之所懷,豈有與卿等言之而不行也?」
貞観二年、太宗が房玄齢たちに言った。
「朕が近ごろ隋の時代の遺った老人を見るに、みな高頴が宰相をよく務めたと称える。ついにその本伝を見ると、公平で正しく直く、いっそう治めの体を知っていたと申せる。隋の王室の安危が彼の有無に係っていた。煬帝が無道で枉げられて斬られたのだから、どうしてこの人に会ってみたくなって、書を置いて仰ぎ嘆じなかったことがあろう。
また漢と魏より以来、諸葛亮が丞相となったが、やはりひどく平らかで直かった。かつて表を奉って廖立と李厳を南中に廃したが、廖立は諸葛亮が死んだと聞いて泣き『わたしはこれから夷になるのか』と言い、李厳は諸葛亮が死んだと聞いて病んで死んだ。だから陳寿は『諸葛亮が政を行うのに、誠の心を開き公の道を展べて、忠を尽くして時に益する者は仇でも必ず賞し、法を犯して懈る者は近しくても必ず罰した』と称えた。公たちがどうして仰ぎ慕って及ぼうとしないことがあろうか。
朕がいま前代の帝王のうち善い者を慕うたびに、公たちもまた宰相のうち賢い者を慕うに足る。もしこのようにすれば、栄えある名と高い位を永く保てる。」
玄齢が答えた。
「臣が聞きますに、国を治める要の道は公平で正しく直いことにあるといいます。ですから『尚書』に『偏りがなく党がなければ王の道は蕩蕩としている。党がなく偏りがなければ王の道は平らかで平らかである』とあります。また孔子は『直い者を挙げて曲がった者の上に置けば、民は服する』と称えました。いま聖なるお考えが尚ばれるところは、まことに政と教えの源を尽くし、至公の要を尽くされていますので、宇内を嚢に括り、成っていくことが天下に成るでしょう。」
太宗が言った。
「これはただ朕が懐くところだから、どうして公たちとこれを語って行わないことがあろうか。」
長樂公主,文德皇后所生也。貞觀六年將出降,敕所司資送倍於長公主。魏徵奏言:「昔漢明帝欲封其子,帝曰:『朕子豈得同於先帝子乎?可半楚、淮陽王。』前史以為美談。天子姊妹為長公主,天子之女為公主,既加長字,良以尊於公主也,情雖有殊,義無等別。若令公主之禮有過長公主,理恐不可,實願陛下思之。」太宗稱善。乃以其言告後,後嘆曰:「嘗聞陛下敬重魏徵,殊未知其故,而今聞其諫,乃能以義制人王之情,真社稷臣矣!妾與陛下結發為夫妻,曲蒙禮敬,情義深重,每將有言,必俟顏色,尚不敢輕犯威嚴,況在臣下,情疏禮隔?故韓非謂之說難,東方朔稱其不易,良有以也,忠言逆耳而利於行,有國有家者深所要急,納之則世治,杜之則政亂,誠願陛下詳之,則天下幸甚!」因請遣中使賫帛五百匹,詣徵宅以賜之。
長楽公主は文徳皇后が生んだ子である。貞観六年、嫁がせようとして、所司に敕して添え送る物資を長公主の倍にさせた。魏徴が奏した。
「昔、漢の明帝がその子を封じようとしたとき、帝は『朕の子が、どうして先の帝の子と同じであれようか。楚王や淮陽王の半分にせよ』と言い、先の歴史はこれを美しい話としました。天子の姉と妹が長公主となり、天子の娘が公主となりますが、「長」の字を加えたのですから、まことに公主より高いのです。情では異なるところがあっても、義には等級の隔てがありません。もし公主の礼を長公主より過ぎさせられるなら、理として是でないことを恐れます。まことに陛下が思われますよう願います。」
太宗は善しと称え、そこでその言を皇后に告げた。皇后は嘆じた。
「かつて陛下が魏徴を敬い重んじられると聞いても、かなりその理由が分かりませんでしたが、いまその諫めを聞くと、義で人の王たる方の情を抑えました。まことに社稷の臣です。
わたしは陛下と髪を結んで夫婦となり、屈んで礼と敬を被り、情と義は深く重いのですが、申し上げることがあるたびに必ずお顔つきを待ち、それでも敢えて軽々しく威を犯せません。まして下の臣として、情が疎く礼が隔たっているのですから。だから韓非がこれを「説きがたさ」とし、東方朔がその易しくないことを称えたのは、まことに理由があります。
忠なる言は耳に逆らいますが行いに利があり、国を有し家を有する者に深く要であり急なものです。これを納れれば世が治まり、これを塞げば政が乱れます。まことに陛下がこれを詳らかに察されますよう願います。そうすれば天下は幸いの甚しいことです。」
そこで中使を遣わして絹五百匹を持って魏徴の家に行って賜ることを請うた。
刑部尚書張亮坐謀反下獄,詔令百官議之,多言亮當誅,惟殿中少監李道裕奏亮反形未具,明其無罪。太宗既盛怒,竟殺之。俄而刑部侍郎有闕,令宰相妙擇其人,累奏不可。太宗曰:「吾已得其人矣,往者李道裕議張亮云『反形未具』,可謂公平矣。當時雖不用其言,至今追悔。」遂授道裕刑部侍郎。
刑部尚書の張亮が謀反に掛かって獄に繋がれると、詔して諸官に議させたが、多くは張亮が斬られるに当たると言った。ただ殿中少監の李道裕だけが、張亮の反逆の状がまだ具わっていないと奏して、その罪がないことを明らかにした。太宗はすでに大いに怒っていたので、ついに彼を殺した。
やがて刑部侍郎の座が空いたので、宰相にその人を妙に択ばせたが、たびたび奏した者が可でなかった。太宗が言った。
「朕はもうその人を得た。先に李道裕が張亮を議して『反逆の状がまだ具わっていない』と言ったのだから、公平と申せる。そのときその言を用いなかったが、今まで悔いている。」
ついに道裕に刑部侍郎を授けた。
貞觀初,太宗謂侍臣曰:「朕今孜孜求士,欲專心政道,聞有好人,則抽擢驅使。而議者多稱『彼者皆宰臣親故』,但公等至公,行事勿避此言,便為形跡。古人『內舉不避親,外舉不避讎』,而為舉得其真賢故也。但能舉用得才,雖是子弟及有讎嫌,不得不舉。」
貞観の初め、太宗が側近の臣に言った。
「朕はいま勤めて士を求め、心を政の道に専らにしようとしている。善い人があると聞けばすぐ抜き上げて使う。ところが議する者は多く『彼らはみな宰相の親戚か古い友人だ』と称える。ただ公たちが至公であれば、事を行うのにこの言を避けるな。そうすればそれが跡となるだけだ。古人が『内に挙げるのに親戚を避けず、外に挙げるのに仇を避けない』と言ったのは、挙げてまことに賢者を得たからだ。ただ挙げて才ある者を得られるなら、たとえ子弟であれ仇として忌む間柄であれ、挙げないわけにはいかぬ。」
貞觀十一年,時屢有閹宦充外使,妄有奏,事發,太宗怒。魏徵進曰:「閹豎雖微,狎近左右,時有言語,輕而易信,浸潤之譖,為患特深。今日之明,必無此慮,為子孫教,不可不杜絕其源。」太宗曰:「非卿,朕安得聞此語?自今已後,充使宜停。」魏徵因上疏曰:
貞観十一年、そのときたびたび宦官が外へ出る使いに充てられたが、みだりに奏したことがあって事が現れると、太宗は怒った。魏徴が進んで言った。
「宦官は賤しくはあっても、左右に馴れ近くあって、ときに言うことが軽くても容易く信じられます。水が滲むような謗りは、憂えとなることがとりわけ深いのです。今日の明らかさにおいては必ずこうした憂えはないでしょうが、子孫のための教えとしては、その源を塞ぎ絶たないわけにはいきません。」
太宗が言った。
「卿でなければ朕がどうしてこの言を聞けたであろう。これより後は、使いに充てることをやめよ。」
魏徴はそこで上疏した。
臣聞為人君者,在乎善善而惡惡,近君子而遠小人。善善明,則君子進矣;惡惡著,則小人退矣。近君子,則朝無粃政;遠小人,則聽不私邪。小人非無小善,君子非無小過。君子小過,蓋白玉之微瑕;小人小善,乃鉛刀之一割。鉛刀一割,良工之所不重,小善不足以掩眾惡也;白玉微瑕,善賈之所不棄,小疵不足以妨大美也。善小人之小善,謂之善善,惡君子之小過,謂之惡惡,此則蒿蘭同臭,玉石不分,屈原所以沈江,卞和所以泣血者也。既識玉石之分,又辨蒿蘭之臭,善善而不能進,惡惡而不能去,此郭氏所以為墟,史魚所以遺恨也。
臣が聞きますに、人の君たる者は、善を善とし悪を憎み、君子を近づけ小人を遠ざけることにあるといいます。善を善とすることが明らかであれば君子が進み出て、悪を憎むことが顕らかであれば小人が退きます。君子を近づければ朝廷に糠のような政がなく、小人を遠ざければ聞くことが邪なほうに偏りません。
小人だからといって小さな善がないのではなく、君子だからといって小さな過ちがないのではありません。君子の小さな過ちは、思うに白い玉の小さな瑕であり、小人の小さな善は、鉛の刀の一度の切れです。鉛の刀の一度の切れは良い工が重んじないものですから、小さな善が諸々の悪を掩うに足らず、白い玉の小さな瑕は良い商人が棄てないものですから、小さな瑕が大きな美を妨げるに足りません。
小人の小さな善を良しとすることを善を善とすると申し、君子の小さな過ちを憎むことを悪を憎むと申すなら、これは蓬と蘭が臭いを同じくし、玉と石が分けられないことですから、屈原が江に沈み、卞和が血の涙を流した理由です。すでに玉と石の分かれ目を知り、また蓬と蘭の臭いを分けながら、善を善としても進ませられず、悪を憎んでも除けないなら、これは虢氏が廃墟となった理由であり、史魚が恨みを遺した理由です。
陛下聰明神武,天姿英睿,志存泛愛,引納多塗,好善而不甚擇人,疾惡而未能遠佞。又出言無隱,疾惡太深,聞人之善或未全信,聞人之惡以為必然。雖有獨見之明,猶恐理或未盡。何則?君子揚人之善,小人訐人之惡。聞惡必信則小人之道長矣,聞善或疑則君子之道消矣。為國家者急於進君子而退小人,乃使君子道消,小人道長,則君臣失序,上下否隔,亂亡不恤,將何以治乎?且世俗常人,心無遠慮,情在告訐,好言朋黨。夫以善相成謂之同德,以惡相濟謂之朋黨,今則清濁共流,善惡無別,以告訐為誠直,以同德為朋黨。以之為朋黨,則謂事無可信;以之為誠直,則謂言皆可取。此君恩所以不結於下,臣忠所以不達於上。大臣不能辯正,小臣莫之敢論,遠近承風,混然成俗,非國家之福,非為治之道。適足以長奸邪,亂視聽,使人君不知所信,臣下不得相安。若不遠慮,深絕其源,則後患未之息也。今之幸而未敗者,由乎君有遠慮,雖失之於始,必得之於終故也。若時逢少隳,往而不返,雖欲悔之,必無所及。既不可以傳諸後嗣,復何以垂法將來?且夫進善黜惡,施於人者也;以古作鑒,施於己者也。鑒貌在乎止水,鑒已在乎哲人。能以古之哲王,鑒於己之行事,則貌之妍醜宛然在目,事之善惡自得於心,無勞司過之史,不假芻蕘之議,巍巍之功日著,赫赫之名彌遠。為人君者可不務乎?
陛下は聡明で霊しく剛く、天の与えた質が秀でて智くあられ、志が広く愛することにあり、引き納れる路が多くあられます。しかし善を好まれても人をひどく択ばれず、悪を憎まれても諂う者を遠ざけられません。また言を発されるのに隠されることがなく、悪を憎むことが深すぎて、人の善を聞けば全く信じられないこともあり、人の悪を聞けば必ずそうだと思われます。独り見られる明らかさがあっても、なお理が尽くされないことを恐れます。
どうしてでしょうか。君子は人の善を揚げ、小人は人の悪を挙げます。悪を聞いて必ず信じられるなら小人の道が長じ、善を聞いて疑われることがあるなら君子の道が消えます。国を治める者は君子を進ませ小人を退けることに急であるのに、かえって君子の道を消させ小人の道を長じさせるなら、君臣が序を失い上下が塞がり隔たりますので、乱れと亡びを憂えずして、何で治められるのでしょうか。
また世俗の常の人は、心に遠い計らいがなく、情が人を挙げることにあって、党を組んだと言うことを好みます。そもそも善で互いに成すことを徳を同じくすると申し、悪で互いに助けることを党を組んだと申すのに、いまは清と濁がともに流れ、善と悪に分かれ目がなく、挙げることを誠で直いとし、徳を同じくすることを党を組んだとします。党を組んだと申せば事に信じられるものがないと申し、誠で直いと申せば言がみな取るに足ると申します。これが君の恩が下に結ばれず、臣の忠が上に至らない理由です。
大臣が択び正せず、小さな臣が敢えて論じられず、遠近で風を承けて入り混じって俗を成しますので、国の福ではなく、治めの道ではありません。ちょうど奸り邪なことを長じさせ、見聞きすることを乱して、君主に信じるところを知らせず、下の臣を互いに安んじられなくさせるに足るだけです。もし遠く計らってその源を深く絶たれなければ、後の憂えがやみません。
いま幸いに崩れていないのは、君主に遠い計らいがあって、初めに失っても必ず終わりに得られるからです。もし時が少しでも崩れに遇って、行ったまま帰らなければ、悔いようとしても必ず及ぶところがありません。すでに後を継ぐ者に伝えられないのに、さらに何で後の日に法を垂れられましょうか。
またそもそも善い者を進ませ悪い者を退けるのは人に施すことであり、古を鑑とするのは自分に施すことです。姿を映すのは止まった水にあり、自分を映すのは智い者にあります。古の智い王で自分の行った事を映し見られれば、姿の美醜が宛らかに目にあり、事の善悪が自ら心に得られます。過ちを司る史官を労することもなく、草を刈る者の議を借りることもなく、高く高い功が日ごとに顕れ、輝かしい名がいっそう遠くへ行きます。人の君たる者が努めずにいられましょうか。
臣聞道德之厚,莫尚於軒、唐;仁義之隆,莫彰於舜、禹。欲繼軒、唐之風,將追舜、禹之跡,必鎮之以道德,弘之以仁義,舉善而任之,擇善而從之。不擇善任能,而委之俗吏,既無遠度,必失大體,惟奉三尺之律,以繩四海之人,欲求垂拱無為,不可得也。故聖哲君臨,移風易俗,不資嚴刑峻法,在仁義而已。故非仁無以廣施,非義無以正身。惠下以仁,正身以義,則其政不嚴而理,其教不肅而成矣。然則仁義,理之本也;刑罰,理之末也。為理之有刑罰,猶執御之有鞭策也,人皆從化,而刑罰無所施;馬盡其力,則有鞭策無所用。由此言之,刑罰不可致理,亦己明矣。故《潛夫論》曰:「人君之理莫大於道德教化也。民有性、有情、有化、有俗。情性者,心也,本也;俗化者,行也,末也。是以上君撫世,先其本而後其末,順其心而履其行。心情茍正,則奸慝無所生,邪意無所載矣。是故上聖無不務理民心,故曰『聽訟,吾猶人也,必也使無訟乎?』道之以禮,務厚其性而明其情。民相愛,則無相傷害之意;動思義,則無畜奸邪之心。若此,非律令之所理也,此乃教化之所致也。聖人甚尊德禮而卑刑罰,故舜先敕契以敬敷五教,而後任咎繇以五刑也。凡立法者,非以司民短,而誅過誤也,乃以防奸惡,而救禍患,檢淫邪,而內正道。民蒙善化,則人有士君子之心;被惡政,則人有懷奸亂之慮。故善化之養民,猶工之為曲豉也。六合之民,猶一蔭也,黔首之屬,猶豆麥也,變化雲為,在將者耳!遭良吏,則懷忠信而履仁厚;遇惡吏,則懷奸邪而行淺薄。忠厚積,則致太平;淺薄積,則致危亡。是以聖帝明王,皆敦德化而薄威刑也。德者,所以循己也,威者,所以治人也。民之生也,猶鑠金在爐,方圓薄厚,隨镕制耳!是故世之善惡,俗之薄厚,皆在於君。世之主誠能使六合之內、舉世之人,感忠厚之情而無淺薄之惡,各奉公正之心,而無奸險之慮,則醇釅之俗,復見於茲矣。」後王雖未能遵,專尚仁義,當慎刑恤典,哀敬無私,故管子曰:「聖君任法不任智,任公不任私。」故王天下,理國家。
臣が聞きますに、道徳の厚さは軒轅と堯より高い者がなく、仁義の隆んなことは舜と禹より顕らかな者がないといいます。軒轅と堯の風を継ぎ、舜と禹の跡に遵われようとするなら、必ず道徳で鎮め、仁義で広め、善い者を挙げて任じ、善いことを択んで従われるべきです。
善いことを択んで能ある者に任じず、俗な官に任じれば、すでに遠い計らいがなく、必ず大きな体を失います。ただ三尺の律だけを奉じて四海の人を縛りながら、衣の裾を垂れて何もしないことを求めても、得られません。
ですから聖で智い者が君として臨んで風俗を移し変えるとき、厳しい刑や烈しい法に藉らず、仁と義にあるだけでした。ですから仁でなければ広く施せず、義でなければ身を正せません。仁で下に恵みを施し、義で身を正せば、その政は厳しくせずとも治まり、その教えは肅しくせずとも成ります。
それならば、仁と義は治めの幹であり、刑は治めの末です。治めに刑があるのは、ちょうど馬を御する者に鞭があるのと同じです。人がみな成っていくことに従えば刑は施すところがなく、馬がその力を尽くせば鞭があっても用いるところがありません。これで言えば、刑で治めに至れないことは、やはりすでに明らかです。
ですから『潜夫論』に「君の治めは、道徳と教えより大きなものがない。民には性があり情があり、成っていくことがあり風俗がある。情と性は心であり幹であり、風俗と成っていくことは行いであり末である。だから上なる君が世を撫でるには、その幹を先にしてその末を後にし、その心を順にしてその行いを踏ませる。心と情がまことに正しければ、奸り邪なことが生じるところがなく、邪な意が載るところがない。
だから上なき聖人が民の心を治めることに努めない者はなかった。ゆえに『訟えを聴くことはわたしも人と同じだが、必ず訟えがないようにしよう』と言った。礼で導いてその性を厚くし、その情を明らかにすることに努める。民が互いに愛すれば互いに傷つける意がなく、動くときに義を思えば奸り邪な心を積まない。このようであれば律令で治めるものではないから、これは教えが成したことである。
聖人は徳と礼をはなはだ尚び、刑を低いものとした。だから舜はまず契に敕して五つの教えを敬んで展べさせ、その後に皋陶に五つの刑を任じた。そもそも法を立てるのは、民の足りないところを捉えて過ちを斬ろうとするのではなく、奸りと悪を防いで禍と憂えを救い、淫りと邪なことを察して正しい道に入れようとするものである。
民が善い成っていくことを被れば、人に士や君子の心があり、悪い政を被れば、人に奸りと乱れを懐く計らいがある。だから善い成っていくことが民を養うのは、ちょうど工が麹と豆麹を作るのと同じである。宇内の民はちょうど一つの陰のようで、黒い髪の輩はちょうど豆と麦のようであるから、変わり成っていくことは、ただ導く者にあるだけである。良い官に遇えば忠と信を懐き仁と厚さを踏み、悪い官に遇えば奸りと邪なことを懐き薄さを行う。忠と厚さが積めば太平に至り、薄さが積めば危うさと亡びに至る。だから聖なる皇帝や明らかな王はみな徳で成っていくことを厚くし、威ある刑を薄くした。
徳は自分を従わせるものであり、威は人を治めるものである。民の生きるさまは、ちょうど融けた金が炉にあるようなもので、方円や薄厚は鋳型に従うだけである。だから世の善悪と風俗の薄厚は、みな君にある。世の君が、まことに六合の内と宇内の人に、忠で厚い情を感じさせて薄い悪がないようにし、おのおの公の心を奉じて奸りと険しい計らいがないようにできれば、純で濃い風俗をここで再び見ることになろう」とあります。
後の王がたとえこれに従ってもっぱら仁と義だけを尚べなくても、刑を慎み法典を憐れんで悲しみ敬み、私がなくあるべきです。ですから管子は「聖なる君は法に任じて智に任ぜず、公に任じて私に任じない」と言いました。だから天下に王となり国を治めるのです。
貞觀之初,志存公道,人有所犯,一一於法。縱臨時處斷或有輕重,但見臣下執論,無不忻然受納。民知罪之無私,故甘心而不怨;臣下見言無忤,故盡力以效忠。頃年以來,意漸深刻,雖開三面之網,而察見淵中之魚,取舍在於愛憎,輕重由乎喜怒。愛之者,罪雖重而強為之辭;惡之者,過雖小而深探其意。法無定科,任情以輕重;人有執論,疑之以阿偽。故受罰者無所控告,當官者莫敢正言。不服其心,但窮其口,欲加之罪,其無辭乎?又五品已上有犯,悉令曹司聞奏。本欲察其情狀,有所哀矜;今乃曲求小節,或重其罪,使人攻擊惟恨不深。事無重條,求之法外所加,十有六七,故頃年犯者懼上聞,得付法司,以為多幸。告訐無已,窮理不息,君私於上,吏奸於下,求細過而忘大體,行一罰而起眾奸,此乃背公平之道,乖泣辜之意,欲其人和訟息,不可得也。
貞観の初めは、志が公の道にあって、人が犯したところがあれば一つ一つ法でなさいました。たとえその時々に処断されるのに軽重があっても、ただ下の臣が執って論ずるのを見れば、欣んで納れられないことはありませんでした。民は罪することに私がないと知りましたので、甘んじて怨まず、下の臣は言っても逆らいがないと見ましたので、力を尽くして忠を捧げました。
この数年来は、志が次第に深く酷くなって、三面の網を開かれるといいながら、沢の中の魚まで察し見られ、取ると捨てるとが愛と憎にあり、軽重が喜びと怒りから由ります。愛される者は罪が重くても強いて彼のために言を作られ、憎まれる者は過ちが小さくてもその意を深く究められます。
法に定まった条がないまま情に従って軽くも重くもされ、人が執って論ずることがあれば諂い偽ると疑われます。ですから罰を受ける者は訴えるところがなく、官にある者は敢えて正しいことを言いません。その心を服させず、ただその口だけを塞がれるのですから、罪を加えようとされれば、どうして言がないでしょうか。
また五品以上が犯したことがあれば、みな官司に奏させられます。もともとその実情を察して憐れまれるところがあるようにされたのに、いまは細かな節を曲げて求め、その罪を重くされることがあり、人に打ち叩くことがただ深くないことだけを恨ませます。事に重い条がないのに、法の外で求めて加えることが十に六、七です。ですからこの数年、犯した者は上に聞こえることを懼れ、法司に付されれば甚だ幸いと思います。
挙げることがやまず、究め治めることが休まず、君は上で私し、官は下で奸り、細かな過ちを求めて大きな体を忘れ、一度罰して諸々の奸りを起こします。これは公平の道に背き、罪人を見て泣いた意に乖るものですから、その人々が和らぎ訟えがやむことを願っても、得られません。
故《體論》云:「夫淫泆盜竊,百姓之所惡也,我從而刑罰之,雖過乎當,百姓不以我為暴者,公也。怨曠饑寒,亦百姓之所惡也,遁而陷之法,我從而寬宥之,百姓不以我為偏者,公也。我之所重,百姓之所憎也;我之所輕,百姓之所憐也。是故賞輕而勸善,刑省而禁奸。」由此言之,公之於法,無不可也,過輕亦可。私之於法無可也,過輕則縱奸,過重則傷善。聖人之於法也公矣,然猶懼其未也,而救之以化,此上古所務也。後之理獄者則不然:未訊罪人,則先為之意,及其訊之,則驅而致之意,謂之能;不探獄之所由,生為之分,而上求人主之微旨以為制,謂之忠。其當官也能,其事上也忠,則名利隨而與之,驅而陷之,欲望道化之隆,亦難矣。
ですから『体論』に「そもそも淫りと盗みは民が憎むものである。わたしがそれに従って刑すれば、たとえ当たるところを過ぎても、民がわたしを暴虐とは言わないのは、公であるからだ。孤り身と飢えと寒さもまた民が憎むものである。隠れていて法に陥ったのを、わたしがそれに従って寛やかに赦すのに、民がわたしを偏っていると言わないのは、公であるからだ。わたしが重んじるものは民が憎むものであり、わたしが軽んじるものは民が憐れむものである。だから賞が軽くても善を勧め、刑が少なくても奸りを禁じる」とあります。
これで言えば、公であることは法において不可なことがなく、過度に軽くてもまた善いのです。私であることは法において可なことがなく、過度に軽ければ奸りを放ち、過度に重ければ善を傷つけます。聖人は法に公でありながら、なおそれで尽くせないことを懼れて成っていくことで救いましたから、これが遥かな古に努めたところです。
後の世に獄を治める者はそうではありません。罪人をまだ問わないうちに先に意を定め、問うに至ってはそこへ駆り立ててその意に至らせることを能とし、獄の由るところを究めて生かす分とせず、上に君の微かな意を求めて判断とすることを忠とします。その官にあって能とし、その上に仕えて忠として、名と利が従って与えられるのですから、駆り立てて陥れながら、道と成っていくことが隆んであることを願っても、やはり難しいのです。
凡聽訟理獄,必原父子之親,立君臣之義,權輕重之序,測淺深之量。悉其聰明,致其忠愛,疑則與眾共之。疑則從輕者,所以重之也,故舜命咎繇曰:「汝作士,惟刑之恤。」又復加之以三訊,眾所善,然後斷之。是以為法,參之人情。故《傳》曰:「小大之獄,雖不能察,必以情。」而世俗拘愚苛刻之吏,以為情也者取貨者也,立愛憎者也,右親戚者也,陷怨讎者也。何世俗小吏之情,與夫古人之懸遠乎?有司以此情疑之群吏,人主以此情疑之有司,是君臣上下通相疑也,欲其盡忠立節,難矣。
そもそも訟えを聴き獄を治めるときは、必ず父と子の親しみに本づき、君と臣の義を立て、軽重の序を秤り、浅深の計らいを量らなければなりません。その聡明さを尽くし、その忠と愛を成し、疑わしければ衆人とともにします。疑わしければ軽いほうに従うのは、これを重んじるためです。
ですから舜は皋陶に命じて「お前は士となったのだから、ただ刑を憐れめ」と言いました。また改めて三度問うことを加え、衆人が善しと言ってから断じました。だから法を為すのに人の情を参酌します。ですから『伝』に「大小の獄をすべて察せなくても、必ず実情でする」とあります。
それなのに世俗の拘われ愚かで苛い官は、実情ということを、財を受けることだとし、愛と憎を立てることだとし、親戚に偏ることだとし、仇を陥れることだとします。どうして世俗の小さな官の実情が、古人とこれほど遥かに遠いのでしょうか。所司がこの実情で諸官を疑い、君主がこの実情で所司を疑えば、これは君臣上下が総じて互いに疑うことですから、彼らが忠を尽くし節を立てることを願っても難しいのです。
凡理獄之情,必本所犯之事以主,不敢訊,不旁求,不貴多端,以見聰明,故律正其舉劾之法,參伍其辭,所以求實也,非所以飾實也,但當參伍明聽之耳,不使獄吏鍛煉飾理成辭於手。孔子曰:「古之聽獄,求所以生之也;今之聽獄,求所以殺之也。」故析言以破律,任案以成法,執左道以必加也。又《淮南子》曰:「灃水之深十仞,金鐵在焉,則形見於外。非不深且清,而魚鱉莫之歸也。」故為者以苛為察,以功為明,以刻下為忠,以訐多為功,譬猶廣革,大則大矣,裂之道也。夫賞宜從重,罰宜從輕,君居其厚,百王通制。刑之輕重,恩之厚薄,見思與見疾,其可同日言哉!且法,國之權衡也,時之準繩也。權衡所以定輕重,準繩所以正曲直,今作法貴其寬平,罪人欲其嚴酷,喜怒肆志,高下在心,是則舍準繩以正曲直,棄權衡而定輕重者也。不亦惑哉?諸葛孔明,小國之相,猶曰:「吾心如秤,不能為人作輕重。」況萬乘之主,當可封之日,而任心棄法,取怨於人乎?
そもそも獄を治める実情は、必ず犯したところの事に本づいて主張とし、敢えて責め問わず、傍らで求めず、端緒を多く並べて聡明さを示すことを貴ばないことです。ですから律がその挙げ弾ずる法を正し、その言を三つ五つに参酌させたのは、実相を求めようとしてであり、実相を飾ろうとしてではありませんから、ただ参酌して明らかに聴くべきで、獄吏に手元で研ぎ飾って言を成させてはなりません。
孔子は「昔、獄を聴くのは生かすところを求めてであり、いま獄を聴くのは殺すところを求めてである」と言いました。ですから言を割いて律を破り、文案に任せて法を成し、邪な道を執って必ず加えるのです。
また『淮南子』に「豊水の深さは十丈で、金や鉄がその中にあっても形が外から見える。深くないのでも清くないのでもないが、魚や鼈が帰らない」とあります。ですから治める者が苛さを察することとし、功を明らかさとし、下に酷いことを忠とし、多く挙げることを功とするのは、喩えれば皮を広げるのと同じで、大きさは大きくなっても裂ける路です。
そもそも賞は重いほうに従い、罰は軽いほうに従って、君がその厚いところにあるのが、百王の通じる制です。刑の軽重と恩の厚薄、慕われることと憎まれることを、どうして同じ日に語れましょうか。
また法は国の秤であり、時の縄墨です。秤は軽重を定めるものであり、縄墨は曲直を正すものです。いま法を作るときはその寛やかさと平らかさを貴ばれながら、人を罪するときはその厳しさと酷さを望まれ、喜びと怒りに意を恣にし、高低が心にあります。これは縄墨を棄てて曲直を正し、秤を棄てて軽重を定めることですから、やはり惑いではありませんか。
諸葛孔明は小さな国の宰相であったのに、なお「わが心は秤のようで、人のために軽重できない」と言いました。まして万乗の君として封ずるに足る世に遇いながら、心に任せて法を棄て、人に怨まれられるのでしょうか。
又時有小事,不欲人聞,則暴作威怒,以弭謗議。若所為是也,聞於外,其何傷?若所為非也,雖掩之,何益?故諺曰:「欲人不知,莫若不為;欲人不聞,莫若勿言。」為之而欲人不知,言之而欲人不聞,此猶捕雀而掩目,盜鐘而掩耳者,只以取誚,將何益乎?臣又聞之,無常亂之國,無不可理之民者。夫民之善惡由乎化之薄厚,故禹、湯以之理,桀、紂以之亂;文、武以之安,幽、厲以之危。是以古之哲王,盡己而不以尤人,求身而不以責下。故曰:「禹、湯罪己,其興也勃焉;桀、紂罪人,其亡也忽焉。」為之無已,深乖惻隱之情,實啟奸邪之路。溫舒恨於曩日,臣亦欲惜不用,非所不聞也。臣聞堯有敢諫之鼓,舜有誹謗之木,湯有司過之史,武有戒慎之銘。此則聽之於無形,求之於未有,虛心以待下,庶下情之達上,上下無私,君臣合德者也。魏武帝云:「有德之君樂聞逆耳之言、犯顏之諍,親忠臣,厚諫士,斥讒慝,遠佞人者,誠欲全身保國,遠避滅亡者也。」凡百君子,膺期統運,縱未能上下無私,君臣合德,可不全身保國,遠避滅亡乎?然自古聖哲之君,功成事立,未有不資同心,予違汝弼者也。
またときに小さな事があって、人に聞かれたくないと思われると、激しく威と怒りを作して謗りの議を止められます。もしされたことが是であれば、外に聞こえても何が傷つきましょうか。もしされたことが非であれば、たとえこれを掩われても何の益がありましょうか。ですから諺に「人に知られないようにするには、しないに及ばず、人に聞かれないようにするには、言わないに及ばない」とあります。して人に知られないことを願い、言って人に聞かれないことを願うのは、ちょうど雀を捕らえながら目を覆い、鐘を盗みながら耳を塞ぐのと同じですから、ただ嗤いを買うだけで、何の益がありましょうか。
臣はまた聞きますに、つねに乱れた国もなく、治められない民もないといいます。そもそも民の善悪は、成っていくことの薄厚から由ります。ですから禹と湯はこれで治め、桀と紂はこれで乱れ、文王と武王はこれで安らかであり、幽王と厲王はこれで危うくなりました。だから古の智い王は自分を尽くして人を咎めず、身に求めて下を責めませんでした。ですから「禹と湯は自分に罪を問うたのでその興ることが勃然とし、桀と紂は人に罪を問うたのでその亡びることが忽然とした」と申します。
これをやむことなくなされるなら、憐れむ情に深く乖り、まことに奸り邪な路を開きます。路温舒が過ぎた日を恨みましたが、臣もまた用いられなかったことを惜しもうとするのであって、聞いていないのではありません。
臣が聞きますに、堯には敢えて諫める鼓があり、舜には謗りの木があり、湯には過ちを司る史官があり、武王には戒め慎む彫り刻みがあったといいます。これは形のないところで聴き、まだないところで求め、心を虚しくして下を待ち、下の者の情が上に至ることを願ったことですから、上下に私がなく、君臣が徳を合わせたことです。
魏の武帝は「徳ある君が、耳に逆らう言と顔を犯す諫争を聴くことを楽しみ、忠なる臣を近づけ諫める士を厚くし、謗り邪な者を退け諂う者を遠ざけるのは、まことに身を全うし国を守って、滅亡を遠く避けようとしてである」と言いました。そもそも諸々の君子が時に応じて運を継いだのですから、たとえ上下に私がなく君臣が徳を合わせられなくても、身を全うし国を守って滅亡を遠く避けないでいられましょうか。しかし古来、聖で智い君主が功を成し事を立てるのに、心を同じくして「わたしが違えたら、お前が正せ」と言うことに藉らなかった者はありませんでした。
昔在貞觀之初,側身勵行,謙以受物。蓋聞善必改,時有小過,引納忠規,每聽直言,喜形顏色。故凡在忠烈,咸竭其辭。自頃年海內無虞,遠夷懾服,志意盈滿,事異厥初。高談疾邪,而喜聞順旨之說;空論忠讜,而不悅逆耳之言。私嬖之徑漸開,至公之道日塞,往來行路,咸知之矣。邦之興衰,實由斯道。為人上者,可不勉乎?臣數年以來,每奉明旨,深懼群臣莫肯盡言。臣竊思之,自比來人或上書,事有得失,惟見述其所短,未有稱其所長。又天居自高,龍鱗難犯,在於造次,不敢盡言,時有所陳,不能盡意,更思重竭,其道無因。且所言當理,未必加於寵秩,意或乖忤,將有恥辱隨之,莫能盡節,實由於此。雖左右近侍,朝夕階墀,事或犯顏,咸懷顧望。況疏遠不接,將何以極其忠款哉?又時或宣言云:「臣下見事,只可來道,何因所言,即望我用?」此乃拒諫之辭,誠非納忠之意。何以言之?犯主嚴顏,獻可替否,所以成主之美,匡主之過。若主聽則惑,事有不行,使其盡忠讜之言,竭股肱之力,猶恐臨時恐懼,莫肯效其誠款。若如明詔所道,便是許其面從,而又責其盡言,進退將何所據?欲必使乎致諫,在乎好之而已。故齊桓好服紫,而合境無異色;楚王好細腰,而後宮多餓死。夫以耳目之玩,人猶死而不違,況聖明之君求忠正之士,千里斯應,信不為難。若徒有其言,而內無其實,欲其必至,不可得也。
昔、貞観の初めは、身を低くして行いに努められ、謙りで物を受けられました。思うに善を聞けば必ず改められ、ときに小さな過ちがあれば忠なる法度を引いて納れられ、直い言を聞かれるたびに喜びが顔色に現れました。ですからおよそ忠で烈しい者たちがみなその言を尽くしました。
この数年来は、国内に憂えがなく、遠い夷が懼れ服するようになって、志が満ちて事がその初めと異なってきました。高く邪を憎むと仰せになりながら、意に従う言を聞くことを喜ばれ、虚しく忠と直さを論じられながら、耳に逆らう言を喜ばれません。私に愛する小道が次第に開き、至公の道が日ごとに塞がりますので、往き来する路上の人々もみなこれを知っています。国の興衰は、まことにこの道から由ります。人の上となった者が努めずにいられましょうか。
臣は数年来、明らかなお考えを承るたびに、群臣が言を尽くそうとしないのではないかと深く懼れます。臣がひそかに思いますに、近ごろ人が書を奉って事に得失があっても、ただその短いところを言うことだけが見えて、その長じたところを称えることがありません。また天のような位は自ら高く、竜の鱗は犯しがたいので、急な座では敢えて言を尽くせず、ときに奏するところがあっても意を尽くせず、さらに重ねて尽くそうと思っても、その路がありません。また言ったところが理に当たっていても、必ず寵みと官が加えられず、意に乖ることがあれば恥と辱めが従うでしょうから、節を尽くせないことは、まことにここから由ります。
たとえ左右で近く侍り、朝夕に階にある者でも、事が顔を犯すことであれば、みな顧み望む心を懐きます。まして疎く遠くて会えない者が、何でその忠なる誠を尽くせましょうか。
またときに言を展べて「下の臣が事を見れば、ただ来て言えるだけなのに、どうして言ったことをすぐ朕が用いることを望むのか」と仰せになります。これは諫めを塞ぐ言であって、まことに忠を納れる意ではありません。
どうしてこれを申すのでしょうか。君の厳しい顔を犯して是を献じ非を変えるのは、君の美を成し君の過ちを正すためです。もし君が聞いて惑い、事が行われないなら、彼らに忠で直い言を尽くさせ、股肱の力を尽くさせても、なおその時々に懼れてその誠を捧げようとしないことを恐れます。もし明らかな詔で仰せのとおりなら、顔の前で従うことを許されながら、また言を尽くすことを責められるのですから、進むも退くも、何に拠ればよいのでしょうか。
必ず諫めが至るようにするには、これを好まれることにあるだけです。ですから斉の桓公が紫の衣を着ることを好むと境内に他の色がなくなり、楚の王が細い腰を好むと後宮に飢え死ぬ者が多くなりました。そもそも耳と目の楽しみでさえ、人はなお死んでも違わないのですから、まして聖明な君主が忠で正しい士を求められれば、千里からこれに応ずるので、まことに難しくありません。もしいたずらにその言だけがあって、内にその実がなければ、彼らが必ず至ることを願っても、得られません。
太宗手詔曰:
太宗が手ずから詔を下した。
省前後諷諭,皆切至之意,固所望於卿也。朕昔在衡門,尚惟童幼,未漸師保之訓,罕聞先達之言。值隋主分崩,萬邦塗炭,惵々黔黎,庇身無所。朕自二九之年,有懷拯溺,發憤投袂,便提幹戈,蒙犯霜露,東西征伐,日不暇給,居無寧歲。降蒼昊之靈,稟廟堂之略,義旗所指,觸向平夷。弱水、流沙,並通輶軒之使;被發左衽,皆為衣冠之域。正朔所班,無遠不屆。及恭承寶歷,寅奉帝圖,垂拱無為,氛埃靖息,於茲十有餘年。斯蓋股肱罄帷幄之謀,爪牙竭熊羆之力,協德同心,以致於此。自惟寡薄,厚享斯休,每以撫大神器,憂深責重,常懼萬幾多曠,四聰不達,戰戰兢兢,坐以待旦。詢於公卿,以至隸皂,推以赤心。庶幾明賴,一動以鍾石;淳風至德,永傳於竹帛。克播鴻名,常為稱首。朕以虛薄,多慚往代,若不任舟楫,豈得濟彼巨川?不藉鹽梅,安得調夫五味?賜絹三百匹。
前後に仄めかし諭したものを見ると、みな切で至った意であり、まことに卿に望んでいたところである。
朕は昔、横木の門にいたときはまだ童子で、師傅の教えを次第に習うこともなく、先人の言を聞くことも稀であった。隋の君が分かれ崩れ、国中が泥と炭に陥って、懼れ震える黒い髪の民が身を覆うところがないのに遇った。朕は十八の年から溺れる者を救おうとする心を懐き、憤りを発して袖を振るい、すぐ戈を取って霜と露を冒し、東西に征伐して、日に暇がなく安らかな年がなかった。
青い天の霊なる助けを下され、朝廷の知略を受けて、義の旗が指すところ、向かうままに平らげられた。弱水や流沙にもあわせて軽い車の使いが通い、髪を解いて襟を左前にしていた地が、みな衣と冠の地となった。正朔が頒布されるところは、どれほど遠くても至らないところがなかった。
宝の座を恭しく継ぎ、帝王の謀りを慎んで奉じ、衣の裾を垂れて何もしないでいるうちに、濁った塵が静かにやんでから、いま十年余りになる。これは思うに股肱の者たちが帷幄の謀を尽くし、爪と牙の者たちが熊のような力を尽くして、徳を合わせ心を同じくして、ここに至ったのである。
自ら思うに、少なく薄い身でこの美を厚く享けているので、大きな器を撫でるには憂えが深く任が重いとつねに思い、万の機微に空白が多く、四方の聴きが至らないことをつねに懼れて、戦き震えながら座って朝を待つ。公卿に問い、僕に至るまで、赤い心で推す。ほぼ明らかさに藉って、一度の動きが鐘と石で鳴り、純な風俗と至った徳が永く竹簡と絹に伝わることを願う。大きな名をよく展べて、つねに首と称えられることを願う。
朕は虚しく薄い身で、過ぎた代に恥じることが多いので、もし舟と櫂に任せなければ、どうしてあの大きな川を渡れようか。塩と梅を借りなければ、どうしてあの五つの味を調えられようか。
絹三百匹を賜った。