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興亡を見分ける辨興亡第三十四

貞観政要(貞観の治における政の要) 貞觀政要 · 呉兢 · 8世紀初め · 段落 5 · 漢字 817字 · 朗読 3.3分

貞観政要(貞観の治における政の要) 辨興亡第三十四 唐の太宗が臣下と交わした言葉を主題ごとに集めた書。君主の道から始まり、諫言を受け入れる法、官吏を選ぶ法、刑罰と税と征伐を経て「終わりを慎む」で終わる。魏徴が面を合わせて折って諫め、太宗がそれを受け入れる場面が書の骨格である。高句麗の安市城をついに落とせずに退き、城主に絹を与えたこと、房玄齢が死に臨んで遼東征伐を止めた上疏もここにある。

貞觀初,太宗從容謂侍臣曰:「周武平紂之亂,以有天下;秦皇因周之衰,遂吞六國。其得天下不殊,祚運長短若此之相懸也?」尚書右仆射蕭瑀進曰:「紂為無道,天下苦之,故八百諸侯不期而會。周室微,六國無罪,秦氏專任智力,蠶食諸侯。平定雖同,人情則異。」太宗曰:「不然,周既克殷,務弘仁義;秦既得誌,專行詐力。非但取之有異,抑亦守之不同。祚之修短,意在茲乎!」

貞観の初め、太宗がくつろいだ折に侍臣に言った。

「周の武王は紂の乱を平らげて天下を得、秦の始皇帝は周の衰えに乗じて、ついに六国を呑んだ。天下を得たことには違いがないのに、祚と運の長短がどうしてこれほど隔たっているのか。」

尚書右僕射の蕭瑀が進み出て言った。

「紂は無道で、天下がこれに苦しんだので、八百の諸侯が約しもせずに集まりました。周の王室が衰えたとき、六国には罪がなかったのに、秦氏はひたすら智と力に任せて諸侯を蠶のように食いました。平定したことは同じでも、人の情は違います。」

太宗が言った。

「そうではない。周は殷に克ってから仁と義を広めることに努め、秦は志を得てからひたすら偽りと力を行った。ただ取りかたに違いがあったばかりでなく、守りかたもまた同じでなかった。祚の長短は、意味するところはここにあるのだろう。」

貞觀二年,太宗謂黃門侍郎王珪曰:「隋開皇十四年大旱,人多饑乏。是時倉庫盈溢,竟不許賑給,乃令百姓逐糧。隋文不憐百姓而惜倉庫,比至末年,計天下儲積,得供五六十年。煬帝恃此富饒,所以奢華無道,遂致滅亡。煬帝失國,亦此之由。凡理國者,務積於人,不在盈其倉庫。古人云:『百姓不足,君孰與足?』但使倉庫可備兇年,此外何煩儲蓄!後嗣若賢,自能保其天下;如其不肖,多積倉庫,徒益其奢侈,危亡之本也。」

貞観二年、太宗が黄門侍郎の王珪に言った。

「隋の開皇十四年、大旱となって人々は多く飢えて乏しかった。このとき倉庫は満ちて溢れていたのに、ついに賑し与えることを許さず、民に食糧を追って移らせた。隋の文帝は民を憐れまずに倉庫を惜しんだので、末年に至って天下の蓄えを数えれば、五、六十年を供えるに足るほどであった。煬帝はこの豊かさを頼みにしたので、奢り華やかで無道となり、ついに滅亡に至った。煬帝が国を失ったのも、これによる。

およそ国を治める者は、人に積むことに努めるべきで、倉庫を満たすことにあるのではない。古人は『民が足らなければ、君は誰とともに足るのか』と言った。ただ倉庫が凶年に備えられるようにしておけばよく、それ以上に何をわざわざ蓄えようか。後を継ぐ者が賢ければ、おのずとその天下を保てる。もしその者が不肖なら、倉庫に多く積んであることは、いたずらにその奢りを増すだけで、危うく亡びる本である。」

貞觀五年,太宗謂侍臣曰:「天道福善禍淫,事猶影響。昔啟民亡國來奔,隋文帝不吝粟帛,大興士眾營衛安置,乃得存立。既而強富,子孫不思念報德,才至始畢,即起兵圍煬帝於雁門。及隋國亂,又恃強深入,遂使昔安立其國家者,身及子孫,並為頡利兄弟之所屠戮。今頡利破亡,豈非背恩忘義所至也?」群臣咸曰:「誠如聖旨。」

貞観五年、太宗が侍臣に言った。

「天の道は善に福し淫に禍するもので、事は影や響きのようなものだ。かつて啓民が国を失って逃げて来たとき、隋の文帝は粟と絹を惜しまず、士と兵を大いに起こして守り置いたので、ようやく存り立つことができた。やがて強く豊かになると、その子孫は徳に報いることを思わず、始畢の代になるとすぐに兵を起こして雁門で煬帝を囲んだ。隋の国が乱れると、また強さを頼みに深く侵入した。そしてついに、かつてその国家を安らかに立ててやった者が、その身から子孫まであわせて頡利の兄弟に屠られることになった。いま頡利が破れ亡びたのは、恩に背き義を忘れたことから至ったのではないか。」

群臣はみな言った。

「まことに聖旨のとおりです。」

貞觀九年,北蕃歸朝人奏:「突厥內大雪,人饑,羊馬並死。中國人在彼者,皆入山作賊,人情大惡。」太宗謂侍臣曰:「觀古人君,行仁義、任賢良則理;行暴亂、任小人則敗。突厥所信任者,並共公等見之,略無忠正可取者。頡利復不憂百姓,恣情所為,朕以人事觀之,亦何可久矣?」魏徵進曰:「昔魏文侯問李克:『諸侯誰先亡?』克曰:『吳先亡。』文侯曰:『何故?』克曰:『數戰數勝,數勝則主驕,數戰則民疲,不亡何待?』頡利逢隋末中國喪亂,遂恃眾內侵,今尚不息,此其必亡之道。」太宗深然之。

貞観九年、北の蕃から朝廷に帰ってきた人が申し上げた。

「突厥の内では大雪が降って人は飢え、羊と馬があわせて死んでおります。中国の人であちらにいる者はみな山に入って賊となり、人の情が大いに悪くなっております。」

太宗が侍臣に言った。

「古の君主を見るに、仁と義を行い、賢く良い者に任じれば治まり、暴と乱を行い、小人に任じれば敗れた。突厥が信じ任じている者たちは、公らとともに見てきたが、まったく忠と正で取るに足る者がいない。頡利はそのうえ民を憂えず、情のままに振る舞いたいようにしている。朕が人の事として見ても、どうして長く続けられよう。」

魏徴が進み出て言った。

「かつて魏の文侯が李克に『諸侯のうち誰が先に亡びるか』と問うと、李克は『呉が先に亡びます』と答えました。文侯が『なぜか』と問うと、李克は『たびたび戦ってたびたび勝ちます。たびたび勝てば主は驕り、たびたび戦えば民は疲れます。亡びずに何を待ちましょうか』と言いました。頡利は隋の末に中国が喪い乱れたのに乗じて、ついに衆を頼みに内に侵し、いまもなおやめていません。これがその必ず亡びる道です。」

太宗は深くそのとおりだとした。

貞觀九年,太宗謂魏徵曰:「頃讀周、齊史,末代亡國之主為惡多相類也。齊主深好奢侈,所有府庫用之略盡,乃至關市無不稅斂。朕常謂此猶如饞人自食其肉,肉盡必死。人君賦斂不已,百姓既弊,其君亦亡,齊主即是也。然天元、齊主若為優劣?」徵對曰:「二主亡國雖同,其行則別。齊主愞弱,政出多門,國無綱紀,遂至亡滅。天元性兇而強,威福在己,亡國之事,皆在其身。以此論之,齊主為劣。」

貞観九年、太宗が魏徴に言った。

「近ごろ周と斉の史を読んだが、末の代に国を亡ぼした主が悪をなしたさまは、多く互いに似ている。斉の主は深く奢りを好み、府庫にあるものを使ってほとんど尽くし、関と市にまで税を取り立てないところがなかった。朕はつねにこれを、食い意地の張った人が自分の肉を食うようなもので、肉が尽きれば必ず死ぬのだと言っている。君主が税を取り立ててやまず、民がすでに疲れ果てれば、その君もまた亡びる。斉の主がまさにそれだ。ところで、天元と斉の主では、どちらが優りどちらが劣るか。」

魏徴が答えた。

「二人の主が国を亡ぼしたことは同じですが、その行いは別です。斉の主は柔弱で、政が多くの門から出て、国に綱紀がなく、ついに亡び滅びるに至りました。天元は性が凶く強く、威と福が自分の手にありましたから、国を亡ぼした事はみなその身にあります。これで論ずれば、斉の主のほうが劣ります。」