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倭人

晋書 四夷伝(晋書に記された四方の異民族の記録) 晉書 四夷傳 · 房玄齢ほか · 648年(唐・貞観22年) · 段落 2 · 漢字 393字 · 朗読 1.6分

晋書 四夷伝(晋書に記された四方の異民族の記録) 全一巻 晋が見た四方の隣人たち。慕容廆に破られた夫余を詔によって立て直した話、馬韓・辰韓の風俗と蘇塗、粛慎の楛矢と石砮、そして兄と弟が馬の争いで分かれた吐谷渾七代の話が収められている。

1入れ墨をする人々

在帶方東南大海中,依山島為國。地多山林,無良田,食海物。舊有百餘小國相接,至魏時,有三十國通好,戶有七萬。男子無大小,悉黥面文身,自謂太伯之後。又言上古使詣中國,皆自稱大夫。昔夏少康之子封於會稽,斷髮文身以避蛟龍之害。今倭人好沈沒取魚,亦文身以厭水禽。計其道里,當會稽東冶之東。其男子衣以橫幅,但結束相連,略無縫綴。婦人衣如單被,穿其中央以貫頭,而皆被髮徒跣。其地溫暖,俗種禾稻紵麻而蠶桑織績。土無牛馬,有刀楯弓箭,以鐵為鏃。有屋宇,父母兄弟臥息異處。食飲用俎豆。嫁娶不持錢帛,以衣迎之。死有棺無槨,封土為冢。初喪,哭泣不食肉,已葬,舉家入水澡浴自潔,以除不祥。其舉大事,輒灼骨以占吉凶。不知正歲四節,但計秋收之時以為年紀。人多壽百年,或八九十。國多婦女,不淫不妒。無爭訟。犯輕罪者沒其妻孥,重者族滅其家。舊以男子為主,漢末倭人亂,攻伐不定,乃立女子爲王,名曰卑彌呼。

倭人は帯方の東南、大海の中にあり、山と島に拠って国をなしている。土地は山林が多く、良い田がないので、海のものを食べる。昔は百余りの小国が互いに接していたが、魏の時代になって三十国が通交し、戸数は七万であった。

男は大人も子どもも、みな顔に入れ墨をし身に文(あや)を刻み、自ら太伯(たいはく)の後と称する。また、上古に中国へ使いに行くときは、みな自ら大夫と名乗ったという。昔、夏の少康の子が会稽に封ぜられると、髪を断ち身に入れ墨をして蛟龍(こうりゅう)の害を避けた。いま倭人は水に潜って魚を取るのを好むので、やはり入れ墨で水鳥を退けるのである。その道のりを数えれば、会稽の東冶(とうや)の東に当たる。

男の衣は横幅の布を結び合わせてつなぐだけで、ほとんど縫い合わせない。婦人の衣は一重の掛け布のようで、その中央を穿って頭を通す。みな髪を垂らし、裸足である。その地は温暖で、風俗として稲と苧麻(ちょま)を植え、蚕を飼って糸を紡ぎ織る。土地に牛と馬がなく、刀・楯・弓・矢があり、鉄で鏃(やじり)を作る。家屋があり、父母と兄弟は寝て休むところを別にする。飲み食いには俎(まないた)と豆(たかつき)を用いる。婚姻には銭や絹を持たず、衣をもって迎える。死ぬと棺(かん)はあって槨(かく)はなく、土を盛って墓とする。喪の初めには泣き悲しんで肉を食べず、葬りを終えると家中そろって水に入り、身を洗って自ら清め、不祥を除く。

大事を起こすときは、そのたびに骨を焼いて吉凶を占う。正月や四季の節を知らず、ただ秋の取り入れの時を数えて一年とする。人は長生きする者が多く、百歳、あるいは八、九十歳に至る。国には女が多いが、淫らでもなく嫉むこともない。争って訴えることがない。軽い罪を犯した者はその妻子を没収し、重い者はその家を一族ごと滅ぼす。昔は男を君主としていたが、漢の末に倭人が乱れ、攻め合って定まらなかったので、そこで女を立てて王とした。名は卑弥呼(ひみこ)という。

2卑弥呼より後の朝貢

宣帝之平公孫氏也,其女王遣使至帶方朝見,其後貢聘不絶。及文帝作相,又數至。泰始初,遣使重譯入貢。

宣帝すなわち司馬懿が公孫氏を平定すると、その女王は使者を帯方に送って朝見し、その後も朝貢と訪問が絶えなかった。文帝が宰相となると、またしばしば至った。泰始の初めには、使者を送り、通訳を重ねて朝貢した。