いにしえの文 › 周書 異域伝(周書に記された異域の記録) › 全一巻

高麗

周書 異域伝(周書に記された異域の記録) 周書 異域傳 · 令狐徳棻ほか · 636年(唐・貞観10年) · 段落 5 · 漢字 656字 · 朗読 2.6分

周書 異域伝(周書に記された異域の記録) 全一巻 北周が見た隣人たち。高麗の十三の官職と骨蘇の冠、百済の於羅瑕・鞬吉支と十六の品階が詳しく、蛮・獠・宕昌羌・稽胡など中国の内外のさまざまな族の話が続く。版本を比べた校勘記66条を夾注として併せて訳した。

1紇斗骨城の朱蒙

高麗者,其先出於夫餘。自言始祖曰朱蒙,河伯女感日影所孕也。朱蒙長而有材畧,夫餘人惡而逐之。土于紇斗骨城,自號曰高句麗,仍以高為氏。其孫莫來漸盛,擊夫餘而臣之。莫來裔孫璉,始通使於後魏。

高麗は、その先祖が夫余から出た。みずからいうには、始祖は朱蒙で、河伯の娘が日の光に感じて身ごもった子だという。朱蒙は成長して才略があり、夫余の人々が憎んで追い出したので、紇斗骨城に居を定め、みずから高句麗と名づけ、そのまま高を姓とした。その孫の莫来がしだいに勢いを増し、夫余を撃って臣従させた。莫来の末孫の璉(長寿王)が、はじめて後魏に使いを通わせた。

夾注 2

土于紇斗骨城北史殿本卷九四高麗傳作「紇升滑城」,北史百衲本、魏書卷一00高句麗傳、通典卷一八六高句麗條、冊府卷九五六一一二四二頁都作「紇升骨城」。按「骨」「滑」同音。「升」「斗」隸書常相混,不知孰是。

「紇斗骨城に居を定めた」は、北史の殿本の高麗伝では「紇升滑城」、北史の百衲本・魏書の高句麗伝・通典・冊府元亀ではみな「紇升骨城」となっている。「骨」と「滑」は音が同じであり、「升」と「斗」は隷書でつねに紛れるので、どちらが正しいか分からない。

其孫莫來漸盛魏書本傳稱「朱蒙死,閭達代立;閭達死,子如栗代立;如栗死,子莫來代立」。隋書卷八一高麗傳亦以莫來為閭達孫,則是朱蒙曾孫。北史本傳百衲本、殿本缺閭達一代,則莫來為朱蒙孫,與周書同,而局本卻又有「閭達」,疑據魏書補。

「その孫の莫来がしだいに勢いを増した」——魏書の本伝には「朱蒙が死ぬと閭達が代わって立ち、閭達が死ぬと子の如栗が立ち、如栗が死ぬと子の莫来が立った」とある。隋書の高麗伝も莫来を閭達の孫とするから、朱蒙の曾孫になる。北史の本伝の百衲本・殿本では閭達の一代が欠けていて莫来が朱蒙の孫となり、周書と同じだが、局本にはまた「閭達」があり、魏書によって補ったものらしい。

2平壌城と別都

其地,東至新羅,西渡遼水二千里,南接百濟,北隣靺鞨千餘里。治平壤城。其城,東西六里,南臨浿水。城內唯積倉儲器備,寇賊至日,方入固守。王則別為宅於其側,不常居之。其外有國內城及漢城,亦別都也,復有遼東、玄菟等數十城,皆置官司,以相統攝。

その地は、東は新羅に至り、西は遼水を渡って二千里、南は百済に接し、北は靺鞨と隣りあって千余里である。平壌城を治所とし、その城は東西六里で、南は浿水に臨む。城内にはただ穀物と武具を蓄えておくだけで、敵や盗賊が来る日になってはじめて入って固く守る。王はその傍らに別に邸を建てたが、つねにそこに住むわけではない。そのほかに国内城と漢城があって、これも別都である。さらに遼東・玄菟など数十の城があり、みな役所を置いて互いに統率させている。

3大対盧と十三の官

大官有大對盧,次有太大兄、大兄、小兄、意俟奢、烏拙、太大使者、大使者、小使者、褥奢、翳屬、仙人并褥薩凡十三等,分掌內外事焉。其大對盧,則以彊弱相陵,奪而自為之,不由王之署置也。其刑法:謀反及叛者,先以火焚爇,然後斬首,籍沒其家。盜者,十餘倍徵贓。若貧不能備,及負公私債者,皆聽評其子女為奴婢以償之。

大きな官に大対盧があり、次に太大兄・大兄・小兄・意俟奢・烏拙・太大使者・大使者・小使者・褥奢・翳属・仙人、それに褥薩を合わせて全部で十三の等があり、内と外の事を分けて掌る。その大対盧は、強弱によって互いに押しのけ、奪って自分がなるもので、王が任命する職ではない。その刑法では、謀反した者と背いた者は、まず火で焼いたうえで首を斬り、その家を籍没する。盗んだ者は十余倍にして盗品を償わせる。貧しくて償えない者や、公私の負債を負った者は、みなその子女を値積もりして奴婢とし、それで償うことを許す。

夾注 1

意俟奢隋書本傳作「意侯奢」,北史作「竟侯奢」。

「意俟奢」は隋書の本伝では「意侯奢」、北史では「竟侯奢」となっている。

4骨蘇の冠と二つの神廟

丈夫衣同袖衫、大口袴、白韋帶、黃革履。其冠曰骨蘇,多以紫羅為之,雜以金銀為飾。其有官品者,又插二鳥羽於其上,以顯異之。婦人服裙襦,裾袖皆為襈。書籍有五經、三史、三國志、晉陽秋。兵器有甲弩弓箭戟矟矛鋋。賦稅則絹布及粟,隨其所有,量貧富差等輸之。土田塉薄,居處節儉。然尚容止。多詐偽,言辭鄙穢,不簡親疏,乃至同川而浴,共室而寢。風俗好淫,不以為愧。有遊女者,夫無常人。婚娶之禮,畧無財幣,若受財者,謂之賣婢,俗甚恥之。父母及夫喪,其服制同於華夏。兄弟則限以三月。敬信佛法,尤好淫祀。又有神廟二所:一曰夫餘神,刻木作婦人之象;一曰登高神,云是其始祖夫餘神之子。竝置官司,遣人守護。蓋河伯女與朱蒙云。

男子は筒袖の衫と裾口の広い袴に、白い革の帯と黄色い革の靴をはく。その冠を骨蘇といい、多くは紫の羅で作り、金銀を交えて飾る。官の品位がある者は、さらにその上に鳥の羽を二本さして、はっきりと区別する。婦人は裙と襦を着て、裾と袖にはみな縁取りをする。

書籍には五経・三史・三国志・晋陽秋がある。武器には甲・弩・弓・矢・戟・矟・矛・鋋がある。租税は絹布と粟を、その持っているものに従い、貧富を量って等級をつけて納める。土地や田は痩せて薄く、暮らしは質素である。それでも身のふるまいは重んじる。偽りが多く、言葉づかいは卑しく、親しいか疎いかを分けないので、同じ川で沐浴し、同じ部屋で寝るまでになる。風俗は淫らなことを好み、それを恥とも思わない。遊女がいて、夫が決まっていない。婚姻の礼ではほとんど財貨をやりとりせず、財貨を受け取れば婢を売るといって、風俗としてひどく恥とする。

父母と夫の喪では、服喪の制が中華と同じで、兄弟は三月をかぎりとする。仏法を敬い信じ、淫祀をとりわけ好む。また神廟が二か所あり、一つは夫余神といって、木を刻んで婦人の像を作ってある。一つは登高神といって、その始祖である夫余神の子だという。どちらも役所を置き、人を遣わして守らせている。おおかた河伯の娘と朱蒙のことだという。

夾注 4

白韋帶隋書、北史本傳作「素皮帶」。

「白韋帯(白い革の帯)」は隋書・北史の本伝では「素皮帯」となっている。

其冠曰骨蘇北史本傳倒作「蘇骨」。

「その冠を骨蘇という」は北史の本伝では「蘇骨」と逆になっている。

乃至同川而浴共室而寢隋書、北史本傳「乃至」作「父子」。

「乃至(…するまでになる)、同じ川で沐浴し、同じ部屋で寝る」の「乃至」は、隋書・北史の本伝では「父子」となっている。

一曰登高神北史本傳倒作「高登神」。

「一つは登高神という」は北史の本伝では「高登神」と逆になっている。

5陽原王と平原王

璉五世孫成,大統十二年,遣使獻其方物。成死,子湯立。建德六年,湯又遣使來貢。高祖拜湯為上開府儀同大將軍、遼東郡開國公、遼東王。

璉の五世の孫の成(陽原王)が、大統十二年に使いを遣わして土地の産物を献じた。成が死んで子の湯(平原王)が立った。建徳六年に湯がまた使いを遣わして貢ぎ物をたてまつった。高祖は湯に上開府儀同大将軍・遼東郡開国公・遼東王を授けた。