金金祖名旻姓完顔
1完顔氏の金の太祖
○金祖名旻姓完顔, 因敗遼軍初得志.
金の太祖の名は旻(びん)、姓は完顔であり、 遼の軍を破ったところから初めて志を得た。
夾注 5
太祖虎元帝, 以遼天慶四年甲午, 敗遼軍於鴨江, 其明年乙未, 群臣 卽皇帝位. 以是年爲元, 我肅宗十一年也. 都上京, 土德. 至太宗會同三年, 卒平遼, 四年克宋. 至哀帝天興元年, 天兵圍汴. 帝奔歸德, 轉側至汝墳, 明年自焚而死. 自太祖至哀帝, 凡九主, 合一百一十八年. 傳之大元.
太祖武元帝である。遼の天慶四年甲午に鴨緑江で遼の軍を破り、その翌年の乙未に群臣の推戴によって皇帝の位に即いた。この年を元年とし、わが粛宗十一年である。上京に都を置き、土徳である。太宗の会同三年に至ってついに遼を平定し、四年に宋に勝った。哀帝の天興元年に至って天の軍が汴京を囲むと、皇帝は帰徳へ逃れ、汝墳(じょふん)まで流れて翌年みずから焼け死んだ。太祖から哀帝まで、合わせて九人の君主、百十八年である。大元に伝えた。
太祖虎元帝 — 底本は高麗の恵宗の名である武を避けて虎と書いているので、武元帝と読んだ。― 訳者
天兵 — モンゴルの軍をいう。― 訳者
我肅宗十一年 — 睿宗十年の誤りと見られるが、底本のままにした。― 訳者
姓完顔 — 女真の言葉の名を漢字で書いたものである。契丹・女真の人の名はその国の音を定めがたいので、漢字の音で記した。同じ姓は完顔阿骨打としてよく呼ばれる。― 訳者
2遼を平定し宋に勝つ
平遼克宋遷都燕, 毛方尾域承頣指.
遼を平定し宋に勝って都を燕京に移すと、 毛皮を着て尾を結ぶ地域までみな顎の指図を承けた。
3万寿神山
淸平日久事豪華, 萬壽神山聳蒼翠.
清く平らかな日が長く続くと豪華を事とし、 万寿神山(ばんじゅしんざん)が青々とそびえた。
夾注 2
章宗皇帝所築, 三十六洞也. 上有廣官宮, 內有王殿, 東有長朝殿, 南有元春殿, 今上國畢功. 臣奉使入朝, 侍宴三遊.
章宗皇帝が築いたもので、三十六の洞がある。上に広寒宮があり、内に玉殿があり、東に長朝殿、南に元春殿があって、今の上国が工事を終えた。臣は使命を奉じて入朝し、宴に侍して三たび遊んだ。
今上國 — 元をいう。― 訳者
4平州に集まった精気
其先大史烏古剌, 山水平州鍾秀氣.
その先祖の大史(たいし)烏古剌は、 山と水のよい平州(へいしゅう)で秀でた気を集めて生まれた。
5わが父母の国
故應謂我父母鄕, 結爲兄弟通信使.
それゆえ当然わが国を父母の郷と呼び、 兄弟の契りを結んで信使(しんし)を通わせた。
夾注 2
金人詩云, ‘燕地神仙窟, 三韓父母鄕.’ 蓋不忘本也.
金の人の詩に「燕の地は神仙の窟、三韓は父母の郷」といった。おおむね根本を忘れなかったのである。
臣嘗爲式目執事, 閱都監文書, 偶得金國詔書二通. 其序皆云, ‘大金國皇帝, 寄書于高麗國皇帝云云.’ 此結兄弟之訂也.
臣はかつて式目都監の執事となり、都監の文書を閲覧していて、偶然に金国の詔書二通を得た。その冒頭にはいずれも「大金国皇帝、高麗国皇帝に書を寄せる」とあった。これが兄弟の契りを結んだ証しである。