南宋宋孫趙構靖康初
1趙構が江南にいたので
○宋孫趙構靖康初, 先在江南豈天畀.
宋の後孫の趙構(ちょうこう)が靖康の初めに、 すでに江南にいたのは、どうして天が与えたものでないことがあろうか。
夾注 1
予也.
与えるという意味である。
2金陵の古い地
金兵圍汴宋業空, 得據金陵舊基址.
金の軍が汴京を囲んで宋の業が空になると、 金陵の古い基址に拠ることができた。
3南宋と称する
遂稱南宋保餘民, 王業綿綿如葛藟.
ついに南宋と称して残った民を保ち、 王業は葛の蔓のように細く続いた。
4理宗の治め
理宗之理理之宗, 善政流傳君子.
理宗の理(おさ)めは治めの宗(むね)となり、 善政が流れ伝わって君子と称された。
5賈思道の弄び
乃緣丞相賈思道, 愚弄國柄嬌且恣.
ところが丞相の賈思道が、 国の権柄を愚弄して驕り、かつ恣(きまま)であったので、
6太后と幼主が入侍する
戍兵不戍自散亡, 大后幼主今入侍.
戍(まもり)の兵は守らずおのずから散り失せ、 太后と幼い主は今は入って侍している。
夾注 3
南宋祖高宗, 徽宗之子也. 靖康元年, 銜命在外, 文小帝, 被虜, 張邦昌以小孟天后手書勸進, 而卽位於歸德城. 都金陵. 元年丁未, 我睿宗六年也. 自高宗至幼主, 凡七主, 合一百五十三年, 幼主至元十六年侍.
南宋の祖の高宗は徽宗の子である。靖康元年に命を奉じて外にあったが、二人の小帝(徽宗・欽宗)が捕らわれると、張邦昌が小孟太后の手書きの文で進むことを勧め、帰徳城で即位した。金陵に都を置いた。元年は丁未の年で、わが睿宗六年である。高宗から幼い主まで、合わせて七人の君主、百五十三年である。幼い主は至元十六年に入って侍することになった。
我睿宗六年 — 仁宗五年の誤りと見られるが、底本のままにした。― 訳者
今入侍 — 元の朝廷に入って侍することをいう。― 訳者
7附庸は記さない
自古及今附庸者, 反與外國蠻夷類.
古より今に至るまで附庸となった国は、 かえって外国の蛮夷と同じ類である。
8みな記さない理由
各國其地分錙銖, 不在此限皆不記.
各国の土地の分けが錙銖(ししゅ)ほどのものは、 この限りに入らないので、みな記さない。