いにしえの文 › 中庸(偏らぬ道を説く書)

第16章16장

中庸(偏らぬ道を説く書) 中庸 · 子思が著したと伝わる · 礼記に収められた文章 · 段落 1 · 漢字 90字 · 朗読 0.4分

中庸(偏らぬ道を説く書) 「天が命じたものを性といい、性に従うことを道といい、道を修めることを教えという」で始まる。四書のうち最も遠くまで行く文章である。 前のほうは孔子の言葉を集めて、中庸がなぜそれほど難しいのかを説く — 天下を平らかに治めることもでき、官位を辞することもでき、真っ青な刃を踏むこともできるが、中庸は能くできない。後のほうは誠の一つに移っていき、誠は天の道であり、誠であろうとするのは人の道であると言って、ついには天地と並んで三つになるところまで行く。 「人が一度で能くするなら私は百度やり、人が十度で能くするなら私は千度やる」という言葉もここから出た。

子曰:「鬼神之爲德其盛矣乎。視之而弗見;聽之而弗聞;體物而不可遺。使天下之人,齊明盛服,以承祭祀。洋洋乎,如在其上,如在其左右。《詩》曰:『神之格思,不可度思,矧可射思?』夫微之顯。誠之不可揜,如此夫。」

孔子が言った。

「鬼神の徳たるや、盛んであるな。見ても見えず、聞いても聞こえないが、物ごとに体となって漏らすものがない。天下の人に斎み清めて衣を整え、祭祀を奉らせる。洋々として、その上にあるようであり、その左右にあるようである。

『詩』に『神が来られることは測れない。まして厭うことができようか』とある。およそ微かなものが現れるのであり、誠を覆い隠せないことはこのとおりであるな。」