いにしえの文 › 中庸(偏らぬ道を説く書)

第25章25장

中庸(偏らぬ道を説く書) 中庸 · 子思が著したと伝わる · 礼記に収められた文章 · 段落 1 · 漢字 57字 · 朗読 0.2分

中庸(偏らぬ道を説く書) 「天が命じたものを性といい、性に従うことを道といい、道を修めることを教えという」で始まる。四書のうち最も遠くまで行く文章である。 前のほうは孔子の言葉を集めて、中庸がなぜそれほど難しいのかを説く — 天下を平らかに治めることもでき、官位を辞することもでき、真っ青な刃を踏むこともできるが、中庸は能くできない。後のほうは誠の一つに移っていき、誠は天の道であり、誠であろうとするのは人の道であると言って、ついには天地と並んで三つになるところまで行く。 「人が一度で能くするなら私は百度やり、人が十度で能くするなら私は千度やる」という言葉もここから出た。

至誠之道可以前知。國家將興,必有禎祥;國家將亡,必有妖孽。見乎蓍龜,動乎四體。禍福將至,善必先知之;不善,必先知之。故至誠如神。

至誠の道はあらかじめ知ることができる。国家が興ろうとすれば必ず瑞祥があり、国家が亡びようとすれば必ず妖しい兆しがある。蓍(めどぎ)と亀に現れ、四肢に現れる。禍いと福が至ろうとするとき、善いことも必ず先に知り、善くないことも必ず先に知る。だから至誠は神のようである。