第30章30장
中庸(偏らぬ道を説く書) 「天が命じたものを性といい、性に従うことを道といい、道を修めることを教えという」で始まる。四書のうち最も遠くまで行く文章である。
前のほうは孔子の言葉を集めて、中庸がなぜそれほど難しいのかを説く — 天下を平らかに治めることもでき、官位を辞することもでき、真っ青な刃を踏むこともできるが、中庸は能くできない。後のほうは誠の一つに移っていき、誠は天の道であり、誠であろうとするのは人の道であると言って、ついには天地と並んで三つになるところまで行く。
「人が一度で能くするなら私は百度やり、人が十度で能くするなら私は千度やる」という言葉もここから出た。
王天下有三重焉,其寡過矣乎!上焉者雖善,無徵。無徵,不信。不信,民弗從。下焉者雖善,不尊。不尊,不信。不信,民弗從。故君子之道,本諸身,徵諸庶民。考諸三王而不繆,建諸天地而不悖。質諸鬼神而無疑。百世以俟聖人而不惑。質鬼神而無疑,知天也。百世以俟聖人而不惑,知人也。是故君子動而世爲天下道,行而世爲天下法,言而世爲天下則。遠之,則有望;近之,則不厭。詩曰:「在彼無惡,在此無射;庶幾夙夜,以永終譽。」君子未有不如此,而蚤有譽於天下者也。
天下に王たるには三つの重いものがあり、過ちが少ないであろう。
上のものは善くても徴がない。徴がなければ信じられず、信じられなければ民は従わない。下のものは善くても尊くない。尊くなければ信じられず、信じられなければ民は従わない。
だから君子の道は、自分の身に本を置き、庶民に徴を求める。三王に比べても誤らず、天と地に立てても背かず、鬼神に質しても疑いがなく、百世の後に聖人を待っても惑わない。
鬼神に質しても疑いがないのは天を知ることであり、百世の後に聖人を待っても惑わないのは人を知ることである。
だから君子は動けば代々天下の道となり、行えば代々天下の法となり、言えば代々天下の則となる。遠くにあれば望まれ、近くにあれば厭きられない。
『詩』に「あちらにあっても憎む者がなく、こちらにあっても厭う者がない。ほとんど早朝から夜まで努めて、長く誉れを終えよう」とある。君子がこのようでないのに、早くから天下に誉れのあった者はいない。