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天地莊子 外篇 天地

荘子(荘周の書) 莊子 · 荘周と後の人びと · 戦国時代(紀元前4〜3世紀)· 西晋・郭象の33篇本 · 段落 16 · 漢字 3,393字 · 朗読 13.6分

荘子(荘周の書) 外篇 「北の黒い海に魚がいる、その名を鯤という」 — この一行で始まり、背の広さが何千里あるか分からない鳥が南の海へ飛んでいくところから書が開く。胡蝶の夢を見て目覚め「私が胡蝶の夢を見たのか、胡蝶が私の夢を見ているのか」と問い、牛を解く庖丁は十九年のあいだ刃を研がず、妻が死ぬと盆を叩いて歌う。蝸牛の角の上で国と国が戦って死者数万が倒れたという話で戦をやめさせ、恵子の墓を過ぎて「私にはもう語り合う者がいない」と言う。道徳経と並べて置けば、同じところをまるで違う声で語っているのが聞こえる。

1一つに通じれば万事が終わる

天地雖大,其化均也;萬物雖多,其治一也;人卒雖衆,其主君也。君,原於德而成於天。故曰:玄古之君天下,无爲也,天德而已矣。以道觀言,而天下之君正;以道觀分,而君臣之義明;以道觀能,而天下之官治;以道汎觀,而萬物之應備。故通於天地者,德也;行於萬物者,道也;上治人者,事也;能有所藝者,技也。技兼於事,事兼於義,義兼於德,德兼於道,道兼於天。故曰:古之畜天下者,无欲而天下足,无爲而萬物化,淵靜而百姓定。《記》曰:「通於一而萬事畢,无心得而鬼神服。」

天と地は大きいが、その移り変わりは均(ひと)しく、万物は多いが、その治まりは一つであり、人は多いが、その主(あるじ)は君である。君は徳に根を置き、天において成る。

だから言う。遠い昔に天下を治めた者は為(な)すことがなく、天の徳だけであった。

道によって言葉を見れば天下の君が正しくなり、道によって分(わ)けを見れば君と臣の義が明らかになり、道によって能(はたら)きを見れば天下の官(つかさ)が治まり、道によってあまねく見れば万物の応えが備わる。

だから、天と地に通じるものが徳であり、万物に行われるものが道であり、上で人を治めるものが事であり、技(わざ)に能のあるものが技芸である。技芸は事に兼ね、事は義に兼ね、義は徳に兼ね、徳は道に兼ね、道は天に兼ねる。

だから言う。昔、天下を養った者は、欲がなくて天下が足り、為すことがなくて万物が移り変わり、淵(ふち)のように静かで民が定まった。

『記』に「一つに通じれば万事が終わり、心に得るものがなければ鬼神が服する」とある。

2道を知る者の十のこと

夫子曰:「夫道,覆載萬物者也,洋洋乎大哉!君子不可以不刳心焉。无爲爲之之謂天,无爲言之之謂德,愛人利物之謂仁,不同同之之謂大,行不崖異之謂寬,有萬不同之謂富。故執德之謂紀,德成之謂立,循於道之謂備,不以物挫志之謂完。君子明於此十者,則韜乎其事心之大也,沛乎其爲萬物逝也。若然者,藏金於山,藏珠於淵;不利貨財,不近貴富;不樂壽,不哀夭;不榮通,不醜窮;不拘一世之利以爲己私分,不以王天下爲己處顯。顯則明。萬物一府,死生同狀。」

先生が言った。「およそ道は万物を覆い載せるものだから、広々として大きいことよ。君子は心をくり抜かないわけにいかない。

為すことなく為すのを天といい、為すことなく語るのを徳といい、人を愛しものを利するのを仁といい、同じでないものを同じくするのを大といい、行いが崖(がけ)のように人と違わないのを寛(ひろ)さといい、万(よろず)の同じでないものを持つのを富みという。

だから、徳を守るのを綱(つな)といい、徳が成ったのを立つといい、道に従うのを備(そな)えといい、ものによって志を折られないのを完(まっと)うという。

君子がこの十のことに明るければ、その事を包む心が大きく、万物が流れ去るところに向かって滔々(とうとう)としているだろう。

そのような者は、金を山に隠し、珠(たま)を淵に隠す。財を利としないし、貴さと富みに近づかない。長生きを楽しまず、早死にを悲しまない。通ることを栄誉とせず、窮(きゅう)することを恥としない。一代の利をつかんで自分の私(わたくし)の分とせず、天下に王たることを自分が目立つ場とはしない。目立てば明らかになる。万物は一つの蔵であり、死と生は一つの姿である。」

3王徳の人

夫子曰:「夫道,淵乎其居也,漻乎其清也。金石不得无以鳴,故金石有聲,不考不鳴。萬物孰能定之?夫王德之人,素逝而恥通於事,立之本原而知通於神,故其德廣。其心之出,有物採之。故形非道不生,生非德不明。存形窮生,立德明道,非王德者邪?蕩蕩乎,忽然出,勃然動,而萬物從之乎!此謂王德之人。視乎冥冥,聽乎无聲。冥冥之中,獨見曉焉;无聲之中,獨聞和焉。故深之又深,而能物焉;神之又神,而能精焉。故其與萬物接也,至无而供其求,時騁而要其宿。大小、長短、脩遠。」

先生が言った。「およそ道は、その留まりが淵のように深く、その清らかさが澄み切っている。金(かね)や石もこれを得なければ鳴ることができない。だから金や石に音があっても、打たなければ鳴らない。万物を誰が定めることができようか。

およそ王徳の人は、素(そ)のままに進み、事に通じることを恥じる。根(もと)に立って知が神(くしび)に通じるので、その徳が広い。その心が出てくるのは、ものがそれを引き出すからである。

だから、体は道でなければ生まれず、生は徳でなければ明るくない。体を保ち生を尽くし、徳を立て道を明らかにするのだから、王徳の者ではないか。

広々としていることよ。ふいに出て、さっと動くのに、万物がこれに従うことよ。これを王徳の人という。

暗いところを見、音のないところを聞く。暗い中でひとり明るさを見、音のない中でひとり和(やわ)らぎを聞く。

だから、深くてまた深く、ものを生むことができ、神でまた神で、精(せい)を生むことができる。だから万物と触れ合うときには、至って無いままにその求めに応じ、時に合わせて走りながら、その宿るところを引き締める。大小、長短、遠さ近さがそうである。」

4黄帝が落とした黒い珠 — 象罔が見つける

黃帝遊乎赤水之北,登乎崐崘之丘而南望,還歸,遺其玄珠。使知索之而不得,使離朱索之而不得,使喫詬索之而不得也,乃使象罔。象罔得之。黃帝曰:「異哉,象罔乃可以得之乎!」

黄帝が赤水の北に遊び、崑崙(こんろん)の丘に登って南を眺(なが)め、帰る途中で黒い珠(たま)を落とした。

知(ち)に探させたが得られず、離朱に探させたが得られず、喫詬(きっこう)に探させたが得られなかった。そこで象罔(しょうもう)にさせると、象罔がそれを得た。

黄帝が言った。「不思議なことだ。象罔こそがそれを得られたのか。」

5齧缺は天の連れ合いになれない

堯之師曰許由,許由之師曰齧缺,齧缺之師曰王倪,王倪之師曰被衣。堯問於許由曰:「齧缺可以配天乎?吾藉王倪以要之。」許由曰:「殆哉圾乎天下!齧缺之爲人也,聰明叡知,給數以敏,其性過人,而又乃以人受天。彼審乎禁過,而不知過之所由生。與之配天乎?彼且乘人而无天,方且本身而異形,方且尊知而火馳,方且爲緒使,方且爲物絯,方且四顧而物應,方且應衆宜,方且與物化而未始有恆,夫何足以配天乎?雖然,有族有祖,可以爲衆父,而不可以爲衆父父。治,亂之率也,北面之禍也,南面之賊也。」

堯の師を許由といい、許由の師を齧缺といい、齧缺の師を王倪といい、王倪の師を被衣(ひい)という。

堯が許由に問うた。「齧缺は天の連れ合いになれるだろうか。わたしは王倪を介して彼を招きたいのだ。」

許由が言った。「危ういことよ、天下が危ういだろう。齧缺の人柄は、耳も目も明るく聡(さと)く、素早く速い。その性(さが)は人より勝(すぐ)れ、そのうえ人で天を受けようとする。彼は過ちを防ぐことはよく見きわめるが、過ちが生まれる訳を知らない。

彼を天の連れ合いにしようというのか。彼は人に乗って天がなく、いまにも自分の身を根として人と違えようとし、いまにも知を高めて火のように駆け出そうとし、いまにも糸口に使われようとし、いまにもものに縛られようとし、いまにも四方を見回してものに応じようとし、いまにも多くの適(かな)いに応じようとし、いまにもものとともに移り変わって常(かわ)らなさがあったことがないだろう。彼がどうして天の連れ合いになるに足りようか。

そうではあっても、族(やから)があり祖(おや)があるのだから、多くの父にはなれても、多くの父の父にはなれない。治めは乱れの頭(かしら)であり、臣たる者の禍(わざわい)であり、君たる者の賊(ぞく)である。」

6華の地の国境守りの祝い

堯觀乎華,華封人曰:「嘻,聖人!請祝聖人,使聖人壽!」堯曰:「辭。」「使聖人富!」堯曰:「辭。」「使聖人多男子!」堯曰:「辭。」封人曰:「壽、富、多男子,人之所欲也。汝獨不欲,何邪?」堯曰:「多男子則多懼,富則多事,壽則多辱。是三者,非所以養德也,故辭。」封人曰:「始也我以汝爲聖人邪,今然君子也。天生萬民,必授之職。多男子而授之職,則何懼之有!富而使人分之,則何事之有!夫聖人,鶉居而鷇食,鳥行而无彰;天下有道,則與物皆昌;天下无道,則脩德就閒;千歲厭世,去而上僊;乘彼白雲,至于帝鄉;三患莫至,身常无殃,則何辱之有!」封人去之。堯隨之,曰:「請問。」封人曰:「退已!」

堯が華(か)の地を見て回ると、華の地の国境守りが言った。「ああ、聖人よ。聖人に祝(いわ)いを申し上げます。聖人が長生きされますように。」

堯が言った。「辞退しよう。」

「聖人が富まれますように。」

堯が言った。「辞退しよう。」

「聖人に男の子が多くありますように。」

堯が言った。「辞退しよう。」

国境守りが言った。「長生きと富みと男の子の多さは、人の望むところです。あなただけが望まれないのは、どうしたことですか。」

堯が言った。「男の子が多ければ恐れが多く、富めば事が多く、長生きすれば辱(はずか)しめが多い。この三つは徳を養うものではないから、辞退するのだ。」

国境守りが言った。「初めはわたしはあなたを聖人と思いましたが、いま見れば君子ですね。

天が万民を生めば、必ずその者に職(つとめ)を授けます。男の子が多くても、それぞれに職を授けるなら、何の恐れがありましょう。富んでも人に分け与えるなら、何の事がありましょう。

およそ聖人は、鶉(うずら)のように住み、雛(ひな)のように食べ、鳥のように行きながら跡がありません。天下に道があれば万物とともに栄え、天下に道がなければ徳を修めて閑(しず)かさに向かいます。千年を生きて世が厭(いと)わしくなれば去って昇り、仙(せん)となり、あの白い雲に乗って帝(みかど)の里に至ります。三つの憂いが至らず、身にいつも災いがないのですから、何の辱しめがありましょう。」

国境守りは去った。堯は追いかけて言った。「お尋ねしたい。」

国境守りが言った。「お退(ひ)きなさい。」

7伯成子高が諸侯を捨てて畑を耕す

堯治天下,伯成子高立爲諸侯。堯授舜,舜授禹,伯成子高辭爲諸侯而耕。禹往見之,則耕在野。禹趨就下風,立而問焉,曰:「昔堯治天下,吾子立爲諸侯。堯授舜,舜授予,而吾子辭爲諸侯而耕,敢問其故何也?」子高曰:「昔堯治天下,不賞而民勸,不罰而民畏。今子賞罰而民且不仁,德自此衰,刑自此立,後世之亂自此始矣。夫子闔行邪?无落吾事!」俋俋乎耕而不顧。

堯が天下を治めたとき、伯成子高(はくせいしこう)が諸侯となっていた。堯が舜に譲り、舜が禹に譲ると、伯成子高は諸侯を辞して畑を耕した。

禹が行って会うと、野で畑を耕していた。禹は風下から小走りに進み、立って問うた。「昔、堯が天下を治めたとき、あなたは諸侯となられました。堯が舜に譲り、舜がわたしに譲ったのに、あなたは諸侯を辞して畑を耕しておられる。あえてその訳をお尋ねします。」

子高が言った。「昔、堯が天下を治めたときは、賞しなくても民が励み、罰しなくても民が畏(おそ)れた。いまあなたが賞し罰しているのに民が仁(やさ)しくないのだから、徳はここから衰え、刑はここから立ち、後の世の乱れはここから始まるだろう。あなたはどうして行かれないのか。わたしの仕事を邪魔しないでくれ。」

せっせと畑を耕して振り向かなかった。

8太初には無があった

泰初有无,无有无名。一之所起,有一而未形。物得以生,謂之德;未形者有分,且然无間,謂之命;留動而生物,物成生理,謂之形;形體保神,各有儀則,謂之性。性脩反德,德至同於初,同乃虚,虚乃大。合喙鳴;喙鳴合,與天地爲合。其合緡緡,若愚若昏,是謂玄德,同乎大順。

太初(たいしょ)には無(む)があった。有(う)もなく名もなかった。一つが起こったところがあって、一つはあるがまだ形がなかった。

ものが得て生まれるのを徳という。まだ形のないものに分(わ)けがありながら、そうであって隙(すき)がないのを命(めい)という。留まり動いてものを生み、ものが成って理(すじ)が生じるのを形という。体が精神を保ち、それぞれに則(のり)があるのを性(さが)という。

性を修めて徳に帰り、徳が至れば初めと同じになる。同じになれば虚(むな)しく、虚しければ大きくなる。

鳥の嘴(くちばし)のように声を合わせる。嘴の声が合えば、天と地と合わさる。その合わさりが奥深く、愚かなよう、暗いようなので、これを奥深い徳といい、大きな順(じゅん)と同じだという。

9自分を忘れる者が天に入る

夫子問于老聃曰:「有人治道若相放,可不可,然不然。辯者有言曰:『離堅白,若縣㝢。』若是則可謂聖人乎?」老聃曰:「是胥易技係,勞形怵心者也。執留之狗成思,猨狙之便自山林來。丘,予告若而所不能聞與而所不能言:凡有首有趾无心无耳者衆,有形者與无形无狀而皆存者盡无。其動,止也;其死,生也;其廢,起也。此又非其所以也。有治在人,忘乎物,忘乎天,其名爲忘己。忘己之人,是之謂入於天。」

先生が老耽に問うた。「ある人が道を治めるのに互いに食い違わせて、できないことをできると言い、そうでないことをそうだと言います。弁(べん)の立つ者が『堅さと白さを離すのは、軒(のき)に懸(か)けたように際立つ』と言います。このような者を聖人と言えるでしょうか。」

老耽が言った。「これは小才に縛られ技に繋(つな)がれて、体を労れさせ心を怯(ひ)やす者である。猟犬は繋いでおいても気を病み、猿の素早さは山林から来たものだ。

丘よ、わたしがお前に、お前が聞くことのできないことと、お前が語ることのできないことを告げよう。およそ頭があり足がありながら心がなく耳がない者は多く、形がありながら形のないもの・姿のないものとともにみな存(あ)る者は、まったくいない。

その動きがそのまま止まりであり、その死がそのまま生であり、その崩れがそのまま起こりである。これもまたその訳ではない。

治めは人にあるが、ものを忘れ天を忘れるので、その名を自分を忘れるという。自分を忘れた人、これを天に入るという。」

10季徹が笑って言う

蔣閭葂見季徹,曰:「魯君謂葂也曰:『請受教。』辭不獲命。既已告矣,未知中否,請嘗薦之。吾謂魯君曰:『必服恭儉,拔出公忠之屬而无阿私,民孰敢不輯?』」季徹局局然笑曰:「若夫子之言,於帝王之德,猶螳蜋之怒臂以當車軼,則必不勝任矣!且若是,則其自爲處危,其觀臺多物,將往投迹者衆。」蔣閭葂覤覤然驚曰:「葂也汒若於夫子之所言矣!雖然,願先生之言其風也。」季徹曰:「大聖之治天下也,摇蕩民心,使之成教易俗,舉滅其賊心,而皆進其獨志,若性之自爲,而民不知其所由然。若然者,豈兄堯、舜之教民,溟涬然弟之哉?欲同乎德而心居矣!」

蔣閭葂(しょうりょべん)が季徹(きてつ)に会って言った。「魯の君がわたしに『教えを受けたい』と言われたので辞退しましたが、許されませんでした。すでに申し上げたのですが、当たっているかどうか分かりませんので、ひとつお尋ねしてみます。わたしは魯の君にこう申しました。『必ず恭(うやうや)しさと倹(つま)しさを身につけ、公正で忠なる者たちを抜き出して立て、偏った私(わたくし)がないようにしてください。そうすれば民の誰があえて睦(むつ)まじくしないでしょうか』と。」

季徹は大いに笑って言った。「あなたの言葉は、帝王の徳に対しては、蟷螂(かまきり)が腕を怒らせて車の轍(わだち)に立ち向かうようなものだから、必ず担いきれないだろう。またそのようにすれば、自分の立場が危うくなり、その物見台にものが多くなって、跡を投じに来る者が多くなるだろう。」

蔣閭葂はびくりと驚いて言った。「わたしは先生のお言葉に途方に暮れます。そうではあっても、先生がその大すじをおっしゃってくださることを願います。」

季徹が言った。「大いなる聖人が天下を治めるときには、民の心を揺り動かし、教えを成して風(ならわ)しを変えさせ、害する心をすべて無くし、それぞれが自分の志に進むようにする。あたかも性が自らそうするようであって、民はそうなる訳を知らない。

そのような者が、どうして堯や舜が民を教えたことを兄として、ぼんやりと弟になろうか。徳と同じになって心が落ち着くことを願うだけである。」

11桔槹を断った畑仕事の老人

子貢南遊於楚,反於晋,過漢陰,見一丈人方將爲圃畦,鑿隧而入井,抱甕而出灌,搰搰然用力甚多而見功寡。子貢曰:「有械於此,一日浸百畦,用力甚寡而見功多,夫子不欲乎?」爲圃者仰而視之,曰:「奈何?」曰:「鑿木爲機,後重前輕,挈水若抽,數如泆湯,其名爲槔。」爲圃者忿然作色而笑曰:「吾聞之吾師,有機械者必有機事,有機事者必有機心。機心存於胷中則純白不備,純白不備則神生不定。神生不定者,道之所不載也。吾非不知,羞而不爲也。」子貢瞞然慙,俯而不對。有間,爲圃者曰:「子奚爲者邪?」曰:「孔丘之徒也。」爲圃者曰:「子非夫博學以擬聖,於于以蓋衆,獨弦哀歌以賣名聲於天下者乎?汝方將忘汝神氣,墮汝形骸,而庶幾乎!而身之不能治,而何暇治天下乎?子往矣,无乏吾事!」

子貢が南の楚に遊び、晋へ帰る途中、漢水の南を過ぎたとき、一人の老人がいましも畑の畦(うね)を作っているのを見た。穴を掘って井戸に入り、甕(かめ)を抱えて出て水をやるのだが、うんうんと力はたいそう多く使うのに、はかどりは少なかった。

子貢が言った。「ここに仕掛けがあれば、一日に百の畦を潤し、力はたいそう少なく使って、はかどりは多いのです。ご老人は望まれませんか。」

畑を作る者が仰いで見て言った。「どうするのかね。」

「木を削って仕掛けを作ります。後が重く前が軽いので、水を汲むのが引き抜くようで、速さは湯が沸き溢(こぼ)れるようです。その名を桔槹(はねつるべ)といいます。」

畑を作る者はかっと顔色を変えてから、笑って言った。「わたしは自分の師に聞いたが、仕掛けのある者には必ず仕掛け仕事があり、仕掛け仕事のある者には必ず仕掛け心があるという。仕掛け心が胸の内にあれば、純(すみ)やかで白いものが備わらず、純やかで白いものが備わらなければ、精神と生が定まらない。精神と生が定まらない者は、道が載せないところだ。わたしは知らないのではなく、恥じてしないのだ。」

子貢はぼんやりと恥じ入って、うつむいて答えられなかった。

少しして、畑を作る者が言った。「あなたは何をする人かね。」

「孔丘の弟子です。」

畑を作る者が言った。「あなたは、広く学んで聖人の真似(まね)をし、大きな口で多くの人を覆い、ひとり弦を弾いて悲しい歌を歌い、天下に名声を売る者ではないか。あなたは、いまにも自分の精神と気を忘れ、自分の体を崩してこそ、ようやくというところだろう。自分の身も治められないのに、どこに暇があって天下を治めようか。あなたは行きなさい。わたしの仕事を邪魔しないでくれ。」

12子貢が顔色を失う — 全うな徳の人

子貢卑陬失色,頊頊然不自得,行三十里而後愈。其弟子曰:「向之人何爲者邪?夫子何故見之變容失色,終日不自反邪?」曰:「始吾以爲天下一人耳,不知復有夫人也。吾聞之夫子,事求可、功求成、用力少、見功多者,聖人之道。今徒不然,執道者德全,德全者形全,形全者神全。神全者,聖人之道也。託生與民並行,而不知其所之,汒乎淳備哉!功利機巧,必忘夫人之心。若夫人者,非其志不之,非其心不爲,雖以天下譽之,得其所謂,謷然不顧;以天下非之,失其所謂,儻然不受,天下之非譽无益損焉,是謂全德之人哉!我之謂風波之民。」反於魯,以告孔子。孔子曰:「彼假脩渾沌氏之術者也。識其一,不知其二;治其內,而不治其外。夫明白入素,无爲復朴,體性抱神,以遊世俗之間者,汝將固驚邪?且渾沌氏之術,予與汝何足以識之哉!」

子貢はしょげて顔色を失い、呆然(ぼうぜん)として自分を保てず、三十里を行ってからようやく直った。

その弟子が言った。「さきほどのあの人は何をする者ですか。先生はどうして彼に会って顔色を変え、一日中ご自分に戻られないのですか。」

言った。「初めわたしは天下にただ一人だと思っていたが、さらにあのような人がいることを知らなかった。

わたしは先生から、事はできることを求め、功は成ることを求め、力は少なく使い、はかどりは多く見るのが聖人の道だと聞いていた。いまはそうではなかった。道を守る者は徳が全(まっと)うであり、徳が全うな者は体が全うであり、体が全うな者は精神が全うである。精神が全うであることが聖人の道である。

生を託して民と並んで歩きながら、その行くところを知らないのだから、はるかなことよ、その純やかで備わっていることは。功と利と仕掛けと巧(たく)みは、必ずあのような人の心から忘れられる。

あのような人は、自分の志でなければ行かず、自分の心でなければ為さない。天下がみな彼を誉(ほ)めて是(よし)としても、高々として振り向かず、天下がみな彼を非として、いわゆる是を失わせても、平然として受け入れない。天下の非も誉めも彼に増しも減らしもしないのだから、これを全うな徳の人という。わたしは風と波に揺れる民というところだ。」

魯に帰って孔子に申し上げた。孔子が言った。「彼は渾沌氏(こんとんし)の術を借りて修める者だ。その一つは知っていてもその二つは知らず、その内は治めてもその外は治めない。

およそ明るく白いところに入って素(そ)に至り、為すことなく丸木に帰り、性を体とし精神を抱いて世俗の間に遊ぶ者なら、お前はまことに驚くだろうか。また渾沌氏の術を、わたしとお前がどうして知るに足りようか。」

13諄芒と苑風 — 聖人の治め・徳人・神人

諄芒將東之大壑,適遇苑風於東海之濱。苑風曰:「子將奚之?」曰:「將之大壑。」曰:「奚爲焉?」曰:「夫大壑之爲物也,注焉而不滿,酌焉而不竭,吾將遊焉。」苑風曰:「夫子无意于橫目之民乎?願聞聖治。」諄芒曰:「聖治乎?官施而不失其宜,拔舉而不失其能,畢見其情事而行其所爲,行言自爲而天下化;手撓頤指,四方之民莫不俱至,此之謂聖治。」「願聞德人。」曰:「德人者,居无思,行无慮,不藏是非美惡;四海之內,共利之之爲悅,共給之之爲安;怊乎若嬰兒之失其母也,儻乎若行而失其道也;財用有餘而不知其所自來,飲食取足而不知其所從,此謂德人之容。」「願聞神人。」曰:「上神乘光,與形滅亡,是謂照曠。致命盡情,天地樂而萬事銷亡,萬物復情,此之謂混冥。」

諄芒(じゅんぼう)が東の大きな谷へ行こうとして、たまたま東海のほとりで苑風(えんぷう)に会った。

苑風が言った。「あなたはどこへ行かれるのか。」

「大きな谷へ行こうと思う。」

「何をしに行かれるのか。」

「およそ大きな谷というものは、注いでも満たず、汲んでも尽きないから、わたしはそこに遊ぼうと思う。」

苑風が言った。「先生は、横に目のついた民には思いがないのか。聖人の治めを聞きたい。」

諄芒が言った。「聖人の治めか。官(つかさ)を施してその適いを失わず、抜き挙げてその能を失わず、その実(じつ)と事をすべて見てから為すべきことを行い、言葉と行いが自ずからそうであって、天下が移り変わる。手を振り顎(あご)で指しても、四方の民がみな至らない者がないので、これを聖人の治めという。」

「徳人を聞きたい。」

「徳人とは、居(お)って思うことがなく、行っても慮(おもんぱか)ることがなく、是非や美醜を蔵(おさ)めない。四海の内で、ともに利することを喜びとし、ともに与え合うことを安らかさとする。心残りなさまは、幼子が母を見失ったようであり、ぼんやりしたさまは、歩いていて道を見失ったようである。財が余っても、それがどこから来たのかを知らず、飲み食いが足りても、それがどこから来たのかを知らない。これを徳人の姿という。」

「神人を聞きたい。」

「上なる神(くしび)が光に乗り、形とともに消え去るので、これを空(むな)しさを照らすという。命を尽くし実を尽くして、天と地が楽しみ、万事が消え、万物が実に帰るので、これを混(ま)じり合った奥深さという。」

14至りの徳の世では賢い者を尊ばない

門无鬼與赤張滿稽觀於武王之師。赤張滿稽曰:「不及有虞氏乎!故離此患也。」門无鬼曰:「天下均治,而有虞氏治之邪?其亂而後治之與?」赤張滿稽曰:「天下均治之爲願,而何計以有虞氏爲?有虞氏之藥瘍也,秃而施髢,病而求醫。孝子操藥,以脩慈父,其色燋然,聖人羞之。至德之世,不尚賢,不使能,上如標枝,民如野鹿,端正而不知以爲義,相愛而不知以爲仁,實而不知以爲忠,當而不知以爲信,蠢動而相使,不以爲賜,是故行而无迹,事而无傳。」

門无鬼(もんむき)と赤張満稽(せきちょうまんけい)が武王の軍を見た。

赤張満稽が言った。「有虞氏に及ばないな。だからこういう憂いに遭うのだ。」

門无鬼が言った。「天下が均しく治まっていたのを有虞氏が治めたのか。それとも乱れてから治めたのか。」

赤張満稽が言った。「天下が均しく治まることを願うだけなのに、どうして有虞氏を数え立てようか。有虞氏は瘡(かさ)に薬を当てたのであって、頭が禿(は)げてから付け髪を被(かぶ)せ、病んでから医者を探すようなものだ。孝子が薬を調えて慈(やさ)しい父を治すのに、その顔色が焦げつくようになるのを、聖人は恥じる。

至りの徳の世では、賢い者を尊ばず、能ある者を使わなかった。上は梢(こずえ)の枝のようで、民は野の鹿のようであった。端(ただ)しくしていても、それを義と思うことを知らず、互いに愛していても、それを仁と思うことを知らず、まことであっても、それを忠と思うことを知らず、適っていても、それを信と思うことを知らなかった。うごめいて互いに使い合っても、それを恵みとは思わなかった。だから行っても跡がなく、事をしても伝えがなかった。」

15一生諂い、一生並の人である

孝子不諛其親,忠臣不諂其君,臣子之盛也。親之所言而然,所行而善,則世俗謂之不肖子;君之所言而然,所行而善,則世俗謂之不肖臣,而未知此其必然邪?世俗之所謂然而然之,所謂善而善之,則不謂之導諛之人也。然則俗故嚴於親而尊於君邪?謂己導諛則勃然作色,謂己衆人則怫然作色,而終身導諛也,終身衆人也,合譬飾辭聚衆也,是終始本末不相坐。垂衣裳,設采色,動容貌,以媚一世,而不自謂導諛;與夫人之爲徒,通是非,而不自謂衆人,愚之至也。知其愚者,非大愚也;知其惑者,非大惑也。大惑者,終身不解;大愚者,終身不靈。三人行而一人惑,所適者猶可致也,惑者少也;二人惑則勞而不至,惑者勝也。而今也以天下惑,予雖有祈嚮,不可得也,不亦悲乎!大聲不入於里耳,《折楊》《皇華》則嗑然而笑,是故高言不止於衆人之心,至言不出,俗言勝也。以二缶鍾惑,而所適不得矣。而今也以天下惑,予雖有祈嚮,其庸可得邪!知其不可得也而强之,又一惑也,故莫若釋之而不推。不推,誰其比憂?厲之人夜半生其子,遽取火而視之,汲汲然唯恐其似己也。

孝子は自分の親に諂(へつら)わず、忠臣は自分の君に諂わない。これが臣と子の盛りである。

親の言うことをそうだとし、行うことを善いとすれば、世間は彼を劣った子と言い、君の言うことをそうだとし、行うことを善いとすれば、世間は彼を劣った臣と言う。それなのに、これが必ずそうであるとは分かっていない。

世間がそうだと言うものをそうだとし、善いと言うものを善いとすれば、彼を諂う人とは言わない。それなら世間は、まことに親より厳しく、君より高いのか。

自分が諂っていると言われればかっと顔色を変え、自分が並の人だと言われればかっと顔色を変える。それでいて一生諂い、一生並の人である。喩(たと)えを合わせ言葉を飾って多くの人を集めながら、初めと終わり、本(もと)と末(すえ)が互いに咎(とが)め合わない。

衣の裾(すそ)を垂らし、彩(いろど)りを施し、顔つきを作って一代に媚(こ)びながら、自分で諂っているとは言わず、あの人たちと仲間になって是非を通じながら、自分で並の人とは言わないのだから、愚かさの極みである。

自分の愚かさを知る者は大きく愚かなのではなく、自分の惑いを知る者は大きく惑っているのではない。大きく惑った者は一生解けず、大きく愚かな者は一生悟らない。

三人が行って一人が惑うなら、行こうとするところにはそれでも至れる。惑った者が少ないからである。二人が惑えば、骨を折っても至れない。惑った者が勝つからである。

それなのに今は天下すべてが惑っているのだから、わたしに向かうところがあっても得られない。また悲しいことではないか。

大きな声は里の人の耳に入らず、「折楊(せつよう)」や「皇華(こうか)」のような歌にはからからと笑う。だから高い言葉が多くの人の心に留まらず、至りの言葉が出てこないのは、俗な言葉が勝つからである。

二つの土焼きの鐘の音に惑えば、行こうとするところに至れない。それなのに今は天下すべてが惑っているのだから、わたしに向かうところがあっても、どうして得られようか。得られないことを知りながら無理にするのも、また一つの惑いである。だから、放っておいて押さないことに及ばない。押さなければ、誰がその憂いを共にしようか。

病んだ人が夜半に自分の子を生めば、急いで火を取って照らして見るが、ただ自分に似ていないかと気を揉(も)んで恐れる。

16性を失う五つのこと

百年之木,破爲犧樽,青黃而文之,其斷在溝中。比犧樽於溝中之斷,則美惡有間矣,其於失性一也。跖與曾、史,行義有間矣,然其失性均也。且夫失性有五:一曰五色亂目,使目不明;二曰五聲亂耳,使耳不聰;三曰五臭薰鼻,困惾中顙;四曰五味濁口,使口厲爽;五曰趣舍滑心,使性飛揚。此五者,皆生之害也,而楊、墨乃始離跂,自以爲得,非吾所謂得也。夫得者困,可以爲得乎?則鳩鴞之在於籠也,亦可以爲得矣。且夫趣舍聲色以柴其內,皮弁、鷸冠、搢笏、紳脩以約其外,內支盈於柴柵,外重纆繳,睆睆然在纆繳之中而自以爲得,則是罪人交臂歷指而虎豹在於囊檻,亦可以爲得矣!

百年たった木を割って酒器を作り、青や黄で模様を入れるが、その切り落とした残りは溝(みぞ)に捨てられる。酒器を溝の木片に比べれば、美しさと醜さに隔たりがあるが、性を失ったことでは同じである。

盗跖と曾参や史鰌は、行いと義に隔たりがあるが、性を失ったことでは同じである。

また、およそ性を失うことに五つある。一つは五つの色が目を乱して、目が明るくなくなることである。二つは五つの音が耳を乱して、耳が聡くなくなることである。三つは五つの匂いが鼻を刺して、塞がり、額(ひたい)まで重くなることである。四つは五つの味が口を濁して、口の味わいを損なうことである。五つは取ることと捨てることが心を乱して、性が飛び跳ねることである。

この五つはみな生を害するものである。それなのに楊朱と墨翟がいま爪立ちして、自分では得たと思っているのだから、わたしの言う得ることではない。

およそ得たものがかえって苦しみであるなら、得たと言えようか。それなら、鳩(はと)やふくろうが籠(かご)の中にいることも、得たと言えてしまう。

また、およそ取ることと捨てること、音と色でその内を柴(しば)のように塞ぎ、鹿皮の冠(かんむり)や翡翠(かわせみ)の羽の冠、笏(しゃく)や大帯でその外を縛る。内は柴の柵(さく)で満ち、外は縄が幾重(いくえ)にもなっているのに、縄の中できょろきょろしながら自分では得たと思うなら、これは罪人が腕を組み縛られ指を締められ、虎や豹が檻(おり)に入れられていることも、得たと言えてしまう。