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秋水莊子 外篇 秋水

荘子(荘周の書) 莊子 · 荘周と後の人びと · 戦国時代(紀元前4〜3世紀)· 西晋・郭象の33篇本 · 段落 42 · 漢字 3,005字 · 朗読 12.0分

荘子(荘周の書) 外篇 「北の黒い海に魚がいる、その名を鯤という」 — この一行で始まり、背の広さが何千里あるか分からない鳥が南の海へ飛んでいくところから書が開く。胡蝶の夢を見て目覚め「私が胡蝶の夢を見たのか、胡蝶が私の夢を見ているのか」と問い、牛を解く庖丁は十九年のあいだ刃を研がず、妻が死ぬと盆を叩いて歌う。蝸牛の角の上で国と国が戦って死者数万が倒れたという話で戦をやめさせ、恵子の墓を過ぎて「私にはもう語り合う者がいない」と言う。道徳経と並べて置けば、同じところをまるで違う声で語っているのが聞こえる。

1秋の水が増して河伯が得意になる

秋水時至,百川灌河,涇流之大,兩涘渚崖之間,不辯牛馬。於是焉河伯欣然自喜,以天下之美為盡在己。順流而東行,至於北海,東面而視,不見水端。於是焉河伯始旋其面目,望洋向若而歎曰:「野語有之曰:『聞道百以為莫己若者』,我之謂也。且夫我嘗聞少仲尼之聞而輕伯夷之義者,始吾弗信;今我睹子之難窮也,吾非至於子之門則殆矣,吾長見笑於大方之家。」

秋の水が時を得て至り、百川が黄河に注ぎ込んだ。流れは大きく広がり、両岸と中洲の間では牛と馬の区別もつかなかった。

そこで河伯は喜び、天下の美しさはすべて自分のもとにあると思った。流れに従って東へ行き、北の海に至って東を望むと、水の果てが見えなかった。

そこで河伯は初めて顔つきを改め、海を眺めて若に嘆いて言った。「里にこういう言葉があります。『道を百ほど聞いて、自分に及ぶ者はいないと思う』と。私のことを言ったのです。

それに私は、かつて仲尼の聞いたことを少ないとし、伯夷の義を軽いとする者がいると聞きましたが、初めは信じませんでした。今あなたの窮めがたさを見ると、あなたの門に至らなかったら危ないところでした。私は長く大いなる道の家の人たちに笑われていたでしょう。」

2井の中の蛙に海を語ることはできない

北海若曰:「井蛙不可以語於海者,拘於虛也;夏蟲不可以語於冰者,篤於時也;曲士不可以語於道者,束於教也。今爾出於崖涘,觀於大海,乃知爾醜,爾將可與語大理矣。天下之水,莫大於海,萬川歸之,不知何時止而不盈;尾閭泄之,不知何時已而不虛;春秋不變,水旱不知。此其過江河之流,不可為量數。而吾未嘗以此自多者,自以比形於天地,而受氣於陰陽,吾在於天地之間,猶小石小木之在大山也,方存乎見小,又奚以自多!計四海之在天地之間也,不似礨空之在大澤乎?計中國之在海內,不似稊米之在大倉乎?號物之數謂之萬,人處一焉;人卒九州,穀食之所生,舟車之所通,人處一焉;此其比萬物也,不似豪末之在於馬體乎?五帝之所連,三王之所爭,仁人之所憂,任士之所勞,盡此矣。伯夷辭之以為名,仲尼語之以為博,此其自多也,不似爾向之自多於水乎?」

北海の若が言った。「井の中の蛙に海を語れないのは、狭い所に縛られているからです。夏の虫に氷を語れないのは、季節に閉じこめられているからです。偏った学者に道を語れないのは、教えに縛られているからです。

今あなたは岸辺を出て大海を見、初めて自分の小ささを知りました。あなたとなら大きな理を語れます。

天下の水で海より大きいものはありません。あらゆる川が流れ込み、いつ止むとも知れませんが満ちることはなく、尾閭から漏れ出て、いつ尽きるとも知れませんが空になることもありません。春秋によって変わらず、洪水も旱も知りません。これは長江や黄河の流れを超えて、量り数えることができません。

それでも私はこれをもって自分を大きいとしたことがありません。自分の形は天地になぞらえて成り、気は陰陽から受けたと思っていますから、私が天地の間にあるのは、小石や小さな木が大きな山にあるのと同じです。まさに自分の小ささを見ている身で、どうして自分を大きいとできましょう。

四海が天地の間にあるのを量れば、小さな穴が大きな沢にあるのと同じではありませんか。中国が海の内にあるのを量れば、稗の粒が大きな倉にあるのと同じではありませんか。

物の数を呼んで万といいますが、人はその一つに過ぎません。人が九州に集まり、穀物が育ち、舟や車が通う所でも、人はその一つに過ぎません。これを万物に比べれば、毛の先が馬の体にあるのと同じではありませんか。

五帝が受け継いだもの、三王が争ったもの、仁者が憂えたもの、職にある士が苦労したものは、すべてこれだけです。伯夷はこれを辞して名とし、仲尼はこれを語って博学とされましたが、これは自分を大きいとしたのです。あなたが先ほど水をもって自分を大きいとしたのと同じではありませんか。」

3それでは天地を大きいとし毛の先を小さいとすればよいのですか

河伯曰:「然則吾大天地而小豪末,可乎?」

河伯が言った。「それでは私が天地を大きいとし、毛の先を小さいとすればよいのですか。」

4大きな知は遠近を併せて見る

北海若曰:「否。夫物,量无窮,時无止,分无常,終始无故。是故大知觀於遠近,故小而不寡,大而不多:知量无窮。證曏今故,故遙而不悶,掇而不跂,知時无止;察乎盈虛,故得而不喜,失而不憂,知分之无常也;明乎坦塗,故生而不說,死而不禍,知終始之不可故也。計人之所知,不若其所不知;其生之時,不若未生之時;以其至小求窮其至大之域,是故迷亂而不能自得也。由此觀之,又何以知豪末之足以定至細之倪!又何以知天地之足以窮至大之域!」

北海の若が言った。「いいえ。およそ物は、量に限りがなく、時に止まりがなく、分は一定せず、終わりと始まりに定まった由来がありません。

ですから大きな知は遠近を併せて見るので、小さくても少ないとせず、大きくても多いとしません。量に限りがないと知っているからです。今と昔を照らして確かめるので、遠くても悶えず、近くても背伸びしません。時に止まりがないと知っているからです。満ちることと空になることを見るので、得ても喜ばず、失っても憂えません。分が一定しないと知っているからです。平らな道に明らかなので、生まれても喜ばず、死んでも災いとしません。終わりと始まりを由来として頼めないと知っているからです。

人の知る所を量れば、知らない所には及びません。生きている時は、まだ生まれていない時には及びません。その極めて小さいものによって極めて大きい領域を窮めようとするので、惑い乱れて自ら得ることができないのです。

これから見れば、どうして毛の先が極めて細かいものの果てを定めるに足ると分かりましょう。どうして天地が極めて大きい領域を窮めるに足ると分かりましょう。」

5極めて精なるものには形がないという言葉は本当ですか

河伯曰:「世之議者皆曰:『至精无形,至大不可圍。』是信情乎?」

河伯が言った。「世の論者は皆『極めて精なるものには形がなく、極めて大きいものは囲むことができない』と言いますが、これは本当の実情ですか。」

6言葉で論じられるものは物の粗いところ

北海若曰:「夫自細視大者不盡,自大視細者不明。夫精,小之微也;垺,大之殷也,故異便。此勢之有也。夫精粗者,期於有形者也;无形者,數之所不能分也;不可圍者,數之所不能窮也。可以言論者,物之粗也;可以意致者,物之精也;言之所不能論,意之所不能察致者,不期精粗焉。

北海の若が言った。「およそ細かい所から大きいものを見れば見尽くせず、大きい所から細かいものを見れば明らかになりません。

およそ精とは小さいものの微細なところ、粗とは大きいものの盛んなところですから、区別が立ちます。これは勢いにあるものです。

およそ精と粗とは形のあるものについて言うことです。形のないものは数で分けることができず、囲むことのできないものは数で窮めることができません。

言葉で論じられるものは物の粗いところ、心で至れるものは物の精しいところです。言葉で論じられず、心で見て至ることもできないものは、精とも粗とも言えません。

7大いなる人の行い

是故大人之行,不出乎害人,不多仁恩;動不為利,不賤門隸;貨財弗爭,不多辭讓;事焉不借人,不多食乎力,不賤貪污;行殊乎俗,不多辟異;為在從衆,不賤佞諂;世之爵祿不足以為勸,戮恥不足以為辱;知是非之不可為分,細大之不可為倪。聞曰:『道人不聞,至德不得,大人无己。』約分之至也。」

ですから大いなる人の行いは、人を害する方へ進まないが仁愛や恩恵を多いとせず、動くときに利を求めないが門番や召使いを卑しいとしません。財貨を争わないが譲ることを多いとせず、事に人の手を借りないが自分の力で食べることを多いとせず、貪り汚れた者を卑しいともしません。行いが世俗と異なるが偏って変わっていることを多いとせず、することが衆に従う所にあるが媚びへつらう者を卑しいとしません。

世の爵位も俸禄も励みとするに足らず、刑罰も恥も辱めとするに足りません。是と非を分けることはできず、細かいものと大きいものに果てを立てることはできないと知っています。

聞くところでは『道を得た人は知られず、至れる徳は得ようとせず、大いなる人には自分がない』といいます。分を守りきることの極みです。」

8何によって貴いものと卑しいものを分けるのですか

河伯曰:「若物之外,若物之內,惡至而倪貴賤?惡至而倪小大?」

河伯が言った。「物の外であれ物の内であれ、どこに至って貴いものと卑しいものを分け、どこに至って小さいものと大きいものを分けるのですか。」

9道から見れば物に貴賤はない

北海若曰:「以道觀之,物无貴賤;以物觀之,自貴而相賤;以俗觀之,貴賤不在己。以差觀之,因其所大而大之,則萬物莫不大;因其所小而小之,則萬物莫不小;知天地之為稊米也,知豪末之為丘山也,則差數覩矣。以功觀之,因其所有而有之,則萬物莫不有;因其所无而无之,則萬物莫不无;知東西之相反而不可以相无,則功分定矣。以趣觀之,因其所然而然之,則萬物莫不然;因其所非而非之,則萬物莫不非;知堯、桀之自然而相非,則趣操覩矣。

北海の若が言った。「道から見れば物に貴賤はなく、物から見れば自分を貴いとして互いを卑しいとし、世俗から見れば貴賤は自分にはありません。

差から見て、その大きい所に従って大きいとすれば、万物は大きくないものがなく、その小さい所に従って小さいとすれば、万物は小さくないものがありません。天地が稗の粒となることを知り、毛の先が丘や山となることを知れば、差の数が見えてきます。

功から見て、その有る所に従って有るとすれば、万物は有らぬものがなく、その無い所に従って無いとすれば、万物は無くないものがありません。東と西が互いに反しながら互いに無くてはならないことを知れば、功の分が定まります。

趣から見て、その然りとする所に従って然りとすれば、万物は然らぬものがなく、その非とする所に従って非とすれば、万物は非ならぬものがありません。堯と桀がそれぞれ自分を然りとして互いを非とすることを知れば、趣と操が見えてきます。

10争いと譲りの礼にも時がある

昔者堯舜讓而帝,之噲讓而絕;湯武爭而王,白公爭而滅。由此觀之,爭讓之禮,堯桀之行,貴賤有時,未可以為常也。梁麗可以衝城,而不可以窒穴,言殊器也;騏驥驊騮,一日而馳千里,捕鼠不如狸狌,言殊技也;鴟鵂夜撮蚤,察毫末,晝出瞋目而不見丘山,言殊性也。故曰,蓋師是而无非,師治而无亂乎?是未明天地之理,萬物之情者也。是猶師天而无地,師陰而无陽,其不可行明矣。然且語而不舍,非愚則誣也。帝王殊禪,三代殊繼。差其時,逆其俗者,謂之篡夫;當其時,順其俗者,謂之義之徒。默默乎河伯!女惡知貴賤之門,小大之家!」

昔、堯と舜は譲って帝となり、子噲は譲って絶えました。湯と武は争って王となり、白公は争って滅びました。

これから見れば、争いと譲りの礼、堯と桀の行いは、貴賤に時があって一定とすることはできません。

大きな梁は城を打ち崩せても穴を塞ぐことはできません。器が異なることを言います。騏驥や驊騮は一日に千里を走っても、鼠を捕るのは狸や鼬に及びません。技が異なることを言います。みみずくは夜に蚤をつかみ毛の先まで見分けますが、昼に出れば目を見張っても丘や山が見えません。性が異なることを言います。

ですから言います。是を師として非を無くし、治を師として乱を無くせるでしょうか。これは天地の理と万物の実情に明らかでない者です。これは天を師として地を無くし、陰を師として陽を無くすようなもので、行えないことは明らかです。それでも語ってやめないのは、愚かでなければ偽りです。

帝王は位を譲る仕方が異なり、三代は継ぐ仕方が異なりました。その時に背き、その俗に逆らった者を簒奪者といい、その時に当たり、その俗に従った者を義の徒といいます。

黙っておきなさい、河伯よ。あなたにどうして貴賤の門、小大の家が分かりましょう。」

11それでは私は何をすればよいのですか

河伯曰:「然則我何為乎?何不為乎?吾辭受趣舍,吾終奈何?」

河伯が言った。「それでは私は何をし、何をしないべきですか。辞することと受けること、進むことと退くことを、結局どうすればよいのですか。」

12万物は一様に揃っている

北海若曰:「以道觀之,何貴何賤,是謂反衍;无拘而志,與道大蹇。何少何多,是謂謝施;无一而行,與道參差。嚴乎若國之有君,其无私德;繇繇乎若祭之有社,其无私福;泛泛乎其若四方之无窮,其无所畛域。兼懷萬物,其孰承翼?是謂无方。萬物一齊,孰短孰長?道无終始,物有死生,不恃其成;一虛一滿,不位乎其形。年不可舉,時不可止;消息盈虛,終則有始。是所以語大義之方,論萬物之理也。物之生也,若驟若馳,无動而不變,无時而不移。何為乎,何不為乎?夫固將自化。」

北海の若が言った。「道から見れば、何が貴く何が卑しいでしょう。これを巡り返って広がることといいます。志を縛りつけないでください。道と大きく食い違います。何が少なく何が多いでしょう。これを入れ替わって施すことといいます。一つだけで行わないでください。道と行き違います。

厳かなことは国に君があるようでいて私の徳がなく、ゆったりしていることは祭りに社があるようでいて私の福がなく、広々としていることは四方が果てないようでいて境がありません。

万物をあわせて抱くのに、誰をかばうでしょう。これを方角がないことといいます。万物が一様に揃っているのに、何が短く何が長いでしょう。

道には終わりと始まりがなく、物には死と生があります。その成ったものを頼りにしないでください。一度は空になり一度は満ちます。その形に座を占めないでください。年は引き止められず、時は止められません。消え、育ち、満ち、空になり、終われば始まりがあります。

これが大きな義の方角を語り、万物の理を論ずるゆえんです。

物が生まれるのは駆けるようで走るようで、動いて変わらないものはなく、時ごとに移らないものはありません。何をし、何をしないでしょう。もともと自ずから変わっていくのです。」

13それでは道をどうして貴ぶのですか

河伯曰:「然則何貴於道邪?」

河伯が言った。「それでは道をどうして貴ぶのですか。」

14天が内にあり人が外にある

北海若曰:「知道者必達於理,達於理者必明於權,明於權者不以物害己。至德者,火弗能熱,水弗能溺,寒暑弗能害,禽獸弗能賊。非謂其薄之也,言察乎安危,寧於禍福,謹於去就,莫之能害也。故曰,天在內,人在外,德在乎天。知天人之行,本乎天,位乎得,蹢䠱而屈伸,反要而語極。」

北海の若が言った。「道を知る者は必ず理に通じ、理に通じた者は必ず権に明らかであり、権に明らかな者は物によって自分を害しません。

至れる徳を持つ者は、火も熱くすることができず、水も溺らすことができず、寒さも暑さも害することができず、鳥も獣も傷つけることができません。それらを侮るという意味ではなく、安きと危うきを見分け、禍と福に落ち着き、去ることと就くことを慎むので、何も害することができないという意味です。

ですから言います。天は内にあり、人は外にあり、徳は天にあります。天と人の行いを知り、天に根を置き、得たところに座を占め、ためらいつつ屈み伸びし、要に返って極みを語るのです。」

15何を天といい何を人というのですか

曰:「何謂天?何謂人?」

言った。「何を天といい、何を人というのですか。」

16牛馬に四つの足があるのが天である

北海若曰:「牛馬四足,是謂天;落馬首,穿牛鼻,是謂人。故曰,无以人滅天,无以故滅命,无以得殉名。謹守而勿失,是謂反其真。」

北海の若が言った。「牛や馬に四つの足があるのを天といい、馬の頭に面繋をかけ牛の鼻を貫くのを人といいます。

ですから言います。人によって天を滅ぼさず、古い癖によって命を滅ぼさず、得たものによって名に殉じないこと。 慎んで守って失わないこと、これをその真に返ると言います。」

17夔がヤスデを羨む

夔憐蚿,蚿憐蛇,蛇憐風,風憐目,目憐心。

夔はヤスデを羨み、ヤスデは蛇を羨み、蛇は風を羨み、風は目を羨み、目は心を羨む。

18一本足で跳ねて行くのに君は万の足をどう使うのか

夔謂蚿曰:「吾以一足趻踔而行,予无如矣。今子之使萬足,獨柰何?」

夔がヤスデに言った。「私は一本の足で跳ねて行くので、私ほどのものはない。ところが君は万の足を使っている。どうしているのか。」

19唾を吐くのを見たことがないか

蚿曰:「不然。子不見夫唾者乎?噴則大者如珠,小者如霧,雜而下者不可勝數也。今予動吾天機,而不知其所以然。」

ヤスデが言った。「そうではない。君はあの唾を吐く者を見たことがないか。噴けば大きいものは玉のようで、小さいものは霧のようで、混じって落ちるものは数えきれない。私は自分の天の機を動かしているだけで、そうなるわけを知らない。」

20足が多いのに足のない君に及ばない

蚿謂蛇曰:「吾以衆足行,而不及子之無足,何也?」

ヤスデが蛇に言った。「私は多くの足で歩くのに、足のない君に及ばない。どうしたことか。」

21天の機が動くのをどうして変えられよう

蛇曰:「夫天機之所動,何可易邪?吾安用足哉!」

蛇が言った。「およそ天の機が動くのを、どうして変えられよう。私がどうして足を使うものか。」

22背骨と脇を動かして行くのだが

蛇謂風曰:「予動吾脊脅而行,則有似也。今子蓬蓬然起於北海,蓬蓬然入於南海,而似无有,何也?」

蛇が風に言った。「私は自分の背骨と脇を動かして行くので、それでも似たところがある。ところが君はごうごうと北の海から起こり、ごうごうと南の海に入るのに、無いもののようだ。どうしたことか。」

23小さな勝ちではなく大きな勝ちである

風曰:「然,予蓬蓬然起於北海而入於南海也,然而指我則勝我,鰌我亦勝我。雖然,夫折大木,蜚大屋者,唯我能也。故以衆小不勝為大勝也。為大勝者,唯聖人能之。」

風が言った。「そうだ。私はごうごうと北の海から起こり、南の海に入る。それでも私を指でさせば私に勝ち、私を踏んでも私に勝つ。

そうではあるが、大きな木を折り、大きな家を飛ばすのは私だけができる。だから多くの小さなものに勝たないことを大きな勝ちとする。大きな勝ちを成すのは聖人だけができる。」

24匡の地で囲まれても琴を置かない

孔子遊於匡,宋人圍之數帀,而絃歌不惙。子路入見,曰:「何夫子之娛也?」

孔子が匡の地に遊んでいたとき、宋の人が幾重にも囲んだが、琴を弾き歌うのをやめなかった。子路が入って拝して言った。「どうして先生は楽しそうなのですか。」

25聖人の勇

孔子曰:「來,吾語女。我諱窮久矣,而不免,命也;求通久矣,而不得,時也。當堯舜而天下无窮人,非知得也;當桀紂而天下无通人,非知失也,時勢適然。夫水行不避蛟龍者,漁父之勇也;陸行不避兕虎者,獵夫之勇也;白刃交於前,視死若生者,烈士之勇也;知窮之有命,知通之有時,臨大難而不懼者,聖人之勇也。由處矣!吾命有所制矣。」

孔子が言った。「来なさい、お前に話そう。私は窮することを嫌って久しいが免れない。命である。通ることを求めて久しいが得られない。時である。

堯や舜の時に当たって天下に窮した人がいなかったのは、知によって得たのではない。桀や紂の時に当たって天下に通じた人がいなかったのは、知を失ったのではない。時と勢いがたまたまそうだったのだ。

およそ水を行って蛟や龍を避けないのは漁師の勇である。陸を行って兕や虎を避けないのは猟師の勇である。白刃が前で交わっても死を生のように見るのは烈士の勇である。窮することに命があると知り、通ることに時があると知って、大きな難に臨んで恐れないのは聖人の勇である。

由よ、落ち着いていなさい。私の命には定まったところがある。」

26陽虎だと思ったのです

无幾何,將甲者進,辭曰:「以為陽虎也,故圍之。今非也,請辭而退。」

いくらもしないうちに甲を着けた者が進み出て、詫びて言った。「陽虎だと思って囲みました。今はそうではありませんので、詫びて退きます。」

27公孫龍が魏牟に問う

公孫龍問於魏牟曰:「龍少學先王之道,長而明仁義之行;合同異,離堅白;然不然,可不可;困百家之知,窮衆口之辯;吾自以為至達已。今吾聞莊子之言,汒焉異之。不知論之不及與,知之弗若與?今吾无所開吾喙,敢問其方。」

公孫龍が魏牟に問うた。「私は幼くして先王の道を学び、育っては仁と義の行いに明らかでした。同と異を合わせ、堅と白を離し、然らぬものを然りとし、不可を可としました。百家の知を行き詰まらせ、多くの口の弁を尽きさせて、自分では極めて通達したと思っておりました。

今、私は荘子の言葉を聞いて、ぼんやりとして不思議でなりません。論が及ばないのか、知が及ばないのか分かりません。今、私は口を開く所がありませんので、その方途をお尋ねします。」

28井の中の蛙と東海の鼈

公子牟隱机大息,仰天而笑曰:「子獨不聞夫埳井之鼃乎?謂東海之鱉曰:『吾樂與!出跳梁乎井幹之上,入休乎缺甃之崖;赴水則接腋持頤,蹶泥則沒足滅跗;還虷蟹與科斗,莫吾能若也。且夫擅一壑之水,而跨跱埳井之樂,此亦至矣。夫子奚不時來入觀乎?』東海之鱉左足未入,而右膝已縶矣。於是逡巡而卻,告之海曰:『夫千里之遠,不足以舉其大;千仞之高,不足以極其深。禹之時十年九潦,而水弗為加益;湯之時八年七旱,而崖不為加損。夫不為頃久推移,不以多少進退者,此亦東海之大樂也。』於是埳井之鼃聞之,適適然驚,規規然自失也。

公子牟は几に寄りかかって大きく息をつき、天を仰いで笑って言った。「君はあの崩れた井戸の蛙の話を聞いたことがないのか。

東海の鼈に言うには『私は楽しい。出れば井戸の欄干の上で跳ねまわり、入れば欠けた瓦の縁で休む。水に入れば脇を支えて顎をのせ、泥を蹴れば足が沈んで甲が埋まる。ぼうふらや蟹やおたまじゃくしを見回しても、私ほどのものはない。それに一つの谷の水を独り占めし、崩れた井戸の楽しみに跨がっているのだから、これもまた極みだ。君はどうして時々来て見ないのか』と言った。

東海の鼈は左の足がまだ入らないうちに、右の膝がもう引っかかってしまった。そこでためらいながら退き、蛙に海のことを告げて言うには『およそ千里の遠さでもその大きさを言い表すに足らず、千仞の高さでもその深さを極めるに足らない。禹の時に十年のうち九年が洪水だったが、水はそれ以上増えなかった。湯の時に八年のうち七年が旱だったが、岸はそれ以上減らなかった。およそ短い時も長い時も移り動かず、多いか少ないかで進みも退きもしないもの、これがまた東海の大きな楽しみだ』と言った。

そこで崩れた井戸の蛙はこれを聞いて、ぎくりと驚き、きょとんとして我を失った。

29管で天を覗くようなものだ

且夫知不知是非之竟,而猶欲觀於莊子之言,是猶使蚊負山,商蚷馳河也,必不勝任矣。且夫知不知論極妙之言,而自適一時之利者,是非埳井之鼃與?且彼方跐黃泉而登大皇,无南无北,奭然四解,淪於不測;无東无西,始於玄冥,反於大通。子乃規規然而求之以察,索之以辯,是直用管闚天,用錐指地也,不亦小乎!子往矣!且子獨不聞夫壽陵餘子之學於邯鄲與?未得國能,又失其故行矣,直匍匐而歸耳。今子不去,將忘子之故,失子之業。」

それに、知が是と非の境さえ知らないのに、なお荘子の言葉を見ようとするのは、蚊に山を背負わせ、ヤスデに黄河を走らせるようなもので、必ず務めに堪えない。

それに、知が極めて妙なる言葉を論じることを知らないのに、自分で一時の利に合わせる者は、あの崩れた井戸の蛙ではないか。

それにあの人は、まさに黄泉を踏んで大いなる天に登り、南もなく北もなく、からりと四方に解き放たれて測りがたいところに沈み、東もなく西もなく、はるかな暗がりから始まって大いなる通じ合いに返る。

それなのに君はきょとんとして、これを察することで求め、弁じることで探している。これはただ管で天を覗き、錐で地を指すようなもので、やはり小さいではないか。君は行きなさい。

それに君は、あの寿陵の若者が邯鄲で歩き方を学んだ話を聞いたことがないのか。その国の技を得られないうえ、自分のもとの歩き方まで失って、ただ這って帰っただけだった。今、君が去らなければ、君のもとのものを忘れ、君の務めを失うだろう。」

30公孫龍が口を閉じられない

公孫龍口呿而不合,舌舉而不下,乃逸而走。

公孫龍は口が開いて閉じられず、舌が上がって下りず、そのまま逃げ去った。

31荘子が濮水で釣りをする

莊子釣於濮水,楚王使大夫二人往先焉,曰:「願以境內累矣!」

荘子が濮水で釣りをしていると、楚の王が大夫二人を遣わして先に意を伝えさせた。「国内の事でお手を煩わせたいのです。」

32泥の中で尾を引きずろう

莊子持竿不顧,曰:「吾聞楚有神龜,死已三千歲矣,王巾笥而藏之廟堂之上。此龜者,寧其死為留骨而貴乎?寧其生而曳尾於塗中乎?」

荘子は竿を持ったまま振り向かずに言った。「私が聞くところでは、楚に神亀があって、死んでからもう三千年になるが、王が布に包んで箱に収め、廟堂の上に納めているという。

この亀は、死んで骨を残して貴ばれることを望むだろうか、それとも生きて泥の中で尾を引きずることを望むだろうか。」

33生きて泥に尾を引きずることを望むでしょう

二大夫曰:「寧生而曳尾塗中。」

二人の大夫が言った。「むしろ生きて泥の中で尾を引きずることを望むでしょう。」

34お帰りなさい、私は泥に尾を引きずろう

莊子曰:「往矣!吾將曳尾於塗中。」

荘子が言った。「お帰りなさい。私は泥の中で尾を引きずろう。」

35恵子が三日三晩探しまわる

惠子相梁,莊子往見之。或謂惠子曰:「莊子來,欲代子相。」於是惠子恐,搜於國中三日三夜。

恵子が梁の相となったとき、荘子が行って会おうとした。ある人が恵子に言った。「荘子が来るのは、あなたに代わって相になろうとするのです。」そこで恵子は恐れて、国中を三日三晩探しまわった。

36鵷鶵と腐った鼠

莊子往見之,曰:「南方有鳥,其名為鵷鶵,子知之乎?夫鵷鶵,發於南海而飛於北海,非梧桐不止,非練實不食,非醴泉不飲。於是鴟得腐鼠,鵷鶵過之,仰而視之曰:『嚇!』今子欲以子之梁國而嚇我邪?」

荘子は行って会い、言った。「南方に鳥がいて、その名を鵷鶵といいます。あなたはご存じですか。

およそ鵷鶵は南の海を発って北の海へ飛びますが、梧桐でなければ止まらず、楝の実でなければ食べず、甘い泉でなければ飲みません。

そのとき鳶が腐った鼠を手に入れ、鵷鶵が通りかかると、仰いで見上げて『かっ』と言いました。今あなたは、あなたの梁の国で私に『かっ』と言おうとするのですか。」

37濠水の橋の上で

莊子與惠子遊於濠梁之上。

荘子は恵子と濠水という川の橋の上に遊んだ。

38魚が楽しんでいる

莊子曰:「鯈魚出游從容,是魚之樂也。」

荘子が言った。「はやが出て来てゆったりと泳いでいる。これが魚の楽しみです。」

39あなたは魚ではないのに

惠子曰:「子非魚,安知魚之樂?」

恵子が言った。「あなたは魚ではないのに、どうして魚の楽しみが分かるのですか。」

40あなたは私ではないのに

莊子曰:「子非我,安知我不知魚之樂?」

荘子が言った。「あなたは私ではないのに、どうして私が魚の楽しみを知らないと分かるのですか。」

41私はあなたではないからあなたを知らない

惠子曰:「我非子,固不知子矣;子固非魚也,子之不知魚之樂,全矣!」

恵子が言った。「私はあなたではないから、たしかにあなたを知りません。あなたもたしかに魚ではないのだから、あなたが魚の楽しみを知らないことは全うされます。」

42その初めに返ろう

莊子曰:「請循其本。子曰『汝安知魚樂』云者,既已知吾知之而問我,我知之濠上也。」

荘子が言った。「その初めに返りましょう。あなたが『あなたはどうして魚の楽しみが分かるのか』と言ったのは、すでに私がそれを知っていると分かって私に問うたのです。私はあの川の上でそれを知ったのです。」