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達生莊子 外篇 達生

荘子(荘周の書) 莊子 · 荘周と後の人びと · 戦国時代(紀元前4〜3世紀)· 西晋・郭象の33篇本 · 段落 50 · 漢字 2,539字 · 朗読 10.2分

荘子(荘周の書) 外篇 「北の黒い海に魚がいる、その名を鯤という」 — この一行で始まり、背の広さが何千里あるか分からない鳥が南の海へ飛んでいくところから書が開く。胡蝶の夢を見て目覚め「私が胡蝶の夢を見たのか、胡蝶が私の夢を見ているのか」と問い、牛を解く庖丁は十九年のあいだ刃を研がず、妻が死ぬと盆を叩いて歌う。蝸牛の角の上で国と国が戦って死者数万が倒れたという話で戦をやめさせ、恵子の墓を過ぎて「私にはもう語り合う者がいない」と言う。道徳経と並べて置けば、同じところをまるで違う声で語っているのが聞こえる。

1生の実情に通じた者

達生之情者,不務生之所无以為;達命之情者,不務知之所无柰何。養形必先之以物,物有餘而形不養者有之矣。有生必先无離形,形不離而生亡者有之矣。生之來不能卻,其去不能止。悲夫!世之人以為養形足以存生;而養形果不足以存生,則世奚足為哉!雖不足為而不可不為者,其為不免矣。

生の実情に通じた者は、生がどうにもできないことに努めず、命の実情に通じた者は、知がどうにもできないことに努めない。

身を養うには必ずまず物がいるが、物が余っていても身が養われない者がいる。生があるには必ずまず身を離れないことがいるが、身を離れていないのに生が無くなった者がいる。

生が来るのは退けられず、それが去るのは止められない。悲しいことだ。世の人は身を養えば生を保つに足ると思う。ところが身を養うことが果たして生を保つに足らないなら、世に何がするに足ることだろう。

するに足らないのにせずにいられないのは、その為すことを免れないからである。

2世を捨てれば累わしさがない

夫欲免為形者,莫如棄世。棄世則无累,无累則正平,正平則與彼更生,更生則幾矣。事奚足棄而生奚足遺?棄事則形不勞,遺生則精不虧。夫形全精復,與天為一。天地者,萬物之父母也。合則成體,散則成始。形精不虧,是謂能移。精而又精,反以相天。

およそ身のために為すことを免れようとするなら、世を捨てるに及ぶものはない。世を捨てれば累わしさがなく、累わしさがなければ正しく平らかであり、正しく平らかであればあちらとともに改めて生まれ、改めて生まれればほとんど成る。

事をどうして捨てるに足り、生をどうして放つに足るのか。事を捨てれば身は労せず、生を放てば精は損なわれない。

およそ身が全うされ精が返れば、天と一つになる。天と地は万物の父母である。合わされば体を成し、散れば始めを成す。

身と精が損なわれないこと、これを移ることができるという。精しくしてさらに精しくし、かえって天を助けるのである。

3至人は潜って行っても塞がれない

子列子問關尹曰:「至人潜行不窒,蹈火不熱,行乎萬物之上而不慄。請問何以至於此?」

列子が関尹に問うた。「至人は潜って行っても塞がれず、火を踏んでも熱くなく、万物の上を行っても震えません。お尋ねします。何によってここに至るのですか。」

4純粋な気を守ること

關尹曰:「是純氣之守也,非知巧果敢之列。居,予語女!凡有貌象聲色者,皆物也,物與物何以相遠?夫奚足以至乎先?是色而已。則物之造乎不形而止乎无所化,夫得是而窮之者,物焉得而止焉!彼將處乎不淫之度,而藏乎无端之紀,遊乎萬物之所終始。壹其性,養其氣,合其德,以通乎物之所造。夫若是者,其天守全,其神无郤,物奚自入焉!

関尹が言った。「これは純粋な気を守ることで、知や巧みさや果敢さの類ではありません。お座りなさい、あなたに話しましょう。

およそ姿も形も声も色のあるものは、みな物です。物と物がどうして互いに遠いでしょう。何が先に至るに足るでしょう。これは色にすぎません。

そうであれば、物は形のないところから作られて移り変わりのないところに止まるのですから、およそこれを得て窮めた者を、物がどうして引き止められましょう。

あの人は過ぎることのない度にいて、端のない綱に収まり、万物の終わり始まるところに遊ぶでしょう。その性を一つにし、その気を養い、その徳を合わせて、物の作られるところに通じます。

およそこのような人は、その天が全うされて守られ、その神に隙がありません。物がどこから入りましょう。

5酔った者が車から落ちても死なない

夫醉者之墜車,雖疾不死。骨節與人同而犯害與人異,其神全也,乘亦不知也,墜亦不知也,死生驚懼不入乎其胷中,是故𨕣物而不慴。彼得全於酒而猶若是,而況得全於天乎?聖人藏於天,故莫之能傷也。復讎者不折鏌干,雖有忮心者不怨飄瓦,是以天下平均。故无攻戰之亂,无殺戮之刑者,由此道也。

およそ酔った者が車から落ちれば、怪我はしても死にません。骨や節は人と同じなのに害を受け方が人と異なるのは、その神が全うされているからです。乗ったことも知らず、落ちたことも知らないので、死と生、驚きと恐れがその胸の内に入りません。だから物にぶつかっても怯えません。

あの人が酒によって全うされてさえこうなのですから、まして天によって全うされた人はどうでしょう。聖人は天に収まっているので、何も彼を傷つけることができません。

仇を討つ者も鏌耶や干将の剣を折らず、怒りの心を抱く者も風に飛ばされた瓦を怨みません。これによって天下が平らになります。だから攻め合い戦う乱れがなく、殺す刑罰がないのは、この道によるのです。

6天の天を開け

不開人之天,而開天之天,開天者德生,開人者賊生。不厭其天,不忽於人,民幾乎以其真!」

人の天を開かず、天の天を開きなさい。天を開く者は徳が生じ、人を開く者は害が生じます。その天を厭わず、その人を疎かにしなければ、民はほとんどその真に近づきます。」

7蟬を捕る背の曲がった男

仲尼適楚,出於林中,見痀僂者承蜩,猶掇之也。

仲尼が楚へ行く途中、林の中を出てくると、背の曲がった男が蟬を捕るのを見た。拾い集めるようであった。

8あなたは腕がよい

仲尼曰:「子巧乎!有道邪?」

仲尼が言った。「あなたは腕がよい。道があるのですか。」

9天地が大きく万物が多くてもただ蟬の翅だけを知る

曰:「我有道也。五六月累丸二而不墜,則失者錙銖;累三而不墜,則失者十一;累五而不墜,猶掇之也。吾處身也,若厥株拘;吾執臂也,若槁木之枝。雖天地之大,萬物之多,而唯蜩翼之知。吾不反不側,不以萬物易蜩之翼,何為而不得。」

言った。「私に道があります。五、六か月のあいだ玉を二つ重ねて落とさなくなれば、捕り逃がすものはわずかになります。三つ重ねて落とさなくなれば、捕り逃がすものは十に一つ。五つ重ねて落とさなくなれば、拾い集めるようになります。

私が身を置くさまは切り株のようで、私が腕を構えるさまは枯れ木の枝のようです。天地が大きく万物が多くても、ただ蟬の翅だけを知ります。私は振り向きもせず脇目もふらず、万物によって蟬の翅を替えないので、どうして得られないことがありましょう。」

夾注 1

五六月累丸二而不墜

五六月 — 五月と六月の二か月と読む読み方もある。― 訳者

10志を分けなければ神が凝る

孔子顧謂弟子曰:「用志不分,乃凝於神,其痀僂丈人之謂乎!」

孔子が弟子を振り返って言った。「志の用い方が分かれなければ、そこで神が凝る。あの背の曲がった老人のことを言ったのだな。」

11顔淵が渡し守の舟さばきを問う

顏淵問仲尼曰:「吾嘗濟乎觴深之淵,津人操舟若神。吾問焉,曰:『操舟可學邪?』曰:『可。善游者數能。若乃夫沒人,則未嘗見舟而便操之也。』吾問焉而不吾告,敢問何謂也?」

顔淵が仲尼に問うた。「私はかつて觴深の淵を渡りましたが、渡し守の舟さばきは神のようでした。私が問いました。『舟さばきは学べますか。』言うには『学べます。泳ぎのうまい者は何度かでできます。水に潜る者なら、舟を見たことがなくてもすぐに操れます』と。私が問いましたが私に話してくれません。敢えてお尋ねします。どういうことでしょうか。」

12瓦を賭ければ腕が出て黄金を賭ければ気が抜ける

仲尼曰:「善游者數能,忘水也;若乃夫沒人之未嘗見舟而便操之也,彼視淵若陵,視舟之履猶其車卻也。覆卻萬方陳乎前而不得入其舍,惡往而不暇!以瓦注者巧,以鉤注者憚,以黃金注者㱪。其巧一也,而有所矜,則重外也。凡外重者內拙。」

仲尼が言った。「泳ぎのうまい者が何度かでできるというのは、水を忘れているからだ。水に潜る者が舟を見たことがなくてもすぐに操るというのは、あの者が淵を見るのを丘のようにし、舟が覆るのを見るのを車が退くようにしているからだ。覆ることや退くことなど、あらゆることが前に並んでもその心の座に入らないのだから、どこへ行ってもゆったりしていないことがあろうか。

瓦を賭けて勝負すれば腕が出て、帯金を賭けて勝負すれば怖がり、黄金を賭けて勝負すれば気が抜ける。その腕は同じなのに惜しむものがあるのは、外を重く見ているのだ。およそ外を重く見る者は内が拙い。」

13田開之が周の威公に会う

田開之見周威公,威公曰:「吾聞祝腎學生,吾子與祝腎游,亦何聞焉?」

田開之が周の威公に会うと、威公が言った。「私が聞くところでは、祝腎が生を学んでいるという。あなたは祝腎と交わっているそうだが、何を聞いたか。」

14私が何を聞いたでしょう

田開之曰:「開之操拔篲以侍門庭,亦何聞於夫子!」

田開之が言った。「私は箒を持って門庭にお仕えしただけですから、先生から何を聞いたでしょう。」

15遠慮するな

威公曰:「田子无讓,寡人願聞之。」

威公が言った。「田先生、遠慮なさるな。私はそれを聞きたい。」

16遅れた一匹を見て鞭を打て

開之曰:「聞之夫子曰:『善養生者,若牧羊然,視其後者而鞭之。』」

開之が言った。「先生から聞いたところでは『生をよく養う者は羊を飼うのと同じで、遅れた一匹を見て鞭を打つ』ということです。」

17どういうことか

威公曰:「何謂也?」

威公が言った。「どういうことか。」

18単豹と張毅

田開之曰:「魯有單豹者,巖居而水飲,不與民共利,行年七十而猶有嬰兒之色,不幸遇餓虎,餓虎殺而食之。有張毅者,高門縣薄,无不走也,行年四十而有內熱之病以死。豹養其內而虎食其外,毅養其外而病攻其內,此二子者,皆不鞭其後者也。」

田開之が言った。「魯に単豹という者がいて、岩に住み水を飲み、民と利を共にしませんでした。年七十になってもなお赤子の顔色でしたが、不幸にして飢えた虎に出会い、飢えた虎が殺して食べました。

張毅という者がいて、高い門も簾を垂れた家も走り回らない所がありませんでしたが、年四十で内に熱の出る病で死にました。

単豹はその内を養いましたが虎がその外を食べ、張毅はその外を養いましたが病がその内を攻めました。この二人はどちらも、その遅れた一匹に鞭を打たなかったのです。」

19寝床と食事のあいだを慎め

仲尼曰:「无入而藏,无出而陽,柴立其中央。三者若得,其名必極。夫畏塗者,十殺一人,則父子兄弟相戒也,必盛卒徒而後敢出焉,不亦知乎!人之所取畏者,袵席之上,飲食之閒,而不知為之戒者,過也!」

仲尼が言った。「入り込んで隠れず、出て行って現さず、枯れ木のようにその中央に立て。この三つを得れば、その名は必ず極まるだろう。

およそ恐ろしい道だといって十人に一人が殺されるなら、父子兄弟が互いに戒め、必ず供を多く連れてから敢えて出かける。これもまた賢いではないか。

人が恐れるべきものは寝床の上と飲み食いのあいだなのに、これを戒めることを知らないのは過ちである。」

20豚のための計らいと自分のための計らい

祝宗人玄端以臨牢筴,說彘曰:「汝奚惡死!吾將三月㹖汝,十日戒,三日齊,藉白茅,加汝肩尻乎彫俎之上,則汝為之乎?」為彘謀,曰不如食以糠糟而錯之牢筴之中。自為謀,則苟生有軒冕之尊,死得於腞楯之上、聚僂之中則為之。為彘謀則去之,自為謀則取之,所異彘者何也?

祭りを司る者が黒い礼服を着て豚小屋に臨み、豚をなだめて言った。「お前はどうして死ぬのを嫌がるのか。私は三か月お前を飼い、十日慎み、三日斎戒し、白い茅を敷いて、お前の肩と尻を彫った俎の上にのせよう。それならお前はそうするか。」

豚のために計らうなら、糠や糟を食べさせて小屋の中に置くに及ばないと言うだろう。ところが自分のために計らうなら、生きて高い車や冠の尊さがあり、死んで棺車の上や棺の中に置かれるなら、そうしようと言う。

豚のために計らうときは捨て、自分のために計らうときは取る。豚と異なるところは何だろう。

21桓公が沢で鬼を見る

桓公田於澤,管仲御,見鬼焉。公撫管仲之手曰:「仲父何見?」對曰:「臣无所見。」

桓公が沢で狩りをし、管仲が御した。桓公は鬼を見て管仲の手を取って言った。「仲父は何を見たか。」答えた。「臣は何も見ておりません。」

22怒りの気が散って返らなければ

公反,誒詒為病,數日不出。齊士有皇子告敖者曰:「公則自傷,鬼惡能傷公!夫忿滀之氣,散而不反,則為不足;上而不下,則使人善怒;下而不上,則使人善忘;不上不下,中身當心,則為病。」

公は帰ってうわごとを言い、病となって数日出てこなかった。斉の士に皇子告敖という者がいて言った。「公がご自身を傷つけられたのです。鬼がどうして公を傷つけられましょう。

およそ怒りの気が凝り固まって、散って返らなければ足りなくなり、上がって下りなければ人をよく怒らせ、下がって上がらなければ人をよく忘れさせ、上がりも下がりもせず体の中ほどで心に突き当たれば病となります。」

23それでは鬼はいるのか

桓公曰:「然則有鬼乎?」

桓公が言った。「それでは鬼はいるのか。」

24水には水の鬼の罔象があり沢には沢の鬼の委蛇がいる

曰:「有。沈有履。竈有髻。戶內之煩壤,雷霆處之;東北方之下者,倍阿鮭蠪躍之;西北方之下者,則泆陽處之。水有罔象,丘有崒,山有夔,野有彷徨,澤有委蛇。」

言った。「おります。溜まり水には履がおり、竈には髻がおります。戸の内の乱れた土の山には雷霆がおり、東北の隅の下では倍阿と鮭蠪が跳ねまわり、西北の隅の下には泆陽がおります。水には水の鬼の罔象、丘には丘の鬼の崒、山には山の鬼の夔、野には野の鬼の彷徨、沢には沢の鬼の委蛇がおります。」

25委蛇の姿はどのようなものか

公曰:「請問委蛇之狀何如?」

公が言った。「委蛇の姿はどのようなものか、尋ねたい。」

26委蛇を見た者は覇者になります

皇子曰:「委蛇,其大如轂,其長如轅,紫衣而朱冠。其為物也,惡聞雷車之聲,則捧其首而立。見之者殆乎霸。」

皇子が言った。「委蛇はその大きさが車の轂ほど、その長さが車の轅ほどで、紫の衣に赤い冠をつけております。その物のさまは、雷のような車の音を聞くのを嫌って、その頭を抱え上げて立ちます。これを見た者はほとんど覇者になります。」

27桓公がからからと笑う

桓公辴然而笑曰:「此寡人之所見者也。」於是正衣冠與之坐,不終日而不知病之去也。

桓公はからからと笑って言った。「これが私の見たものだ。」そこで衣と冠を正して彼とともに座ると、日が終わらないうちに病が去ったことにも気づかなかった。

28紀渻子が闘鶏を飼う

紀渻子為王養鬬雞。

紀渻子が王のために闘鶏を飼った。

29まだです、むやみに荒々しく気を頼みます

十日而問:「雞已乎?」曰:「未也,方虛憍而恃氣。」

十日たって問うた。「鶏はできたか。」言った。「まだです。いまはむやみに荒々しく、気を頼みにしています。」

30まだです、影と音に応じます

十日又問,曰:「未也,猶應嚮景。」

十日たってまた問うと、言った。「まだです。まだ影と音に応じます。」

31まだです、睨みつけて気が盛んです

十日又問,曰:「未也,猶疾視而盛氣。」

十日たってまた問うと、言った。「まだです。まだ睨みつけて気が盛んです。」

32木の鶏のようで徳が全うされています

十日又問,曰:「幾矣,雞雖有鳴者,已无變矣,望之似木雞矣,其德全矣。異雞无敢應者,反走矣。」

十日たってまた問うと、言った。「ほぼできました。鳴く鶏がいても、もう変わることがありません。眺めると木の鶏のようで、その徳は全うされています。ほかの鶏は敢えて応じるものがなく、背を向けて逃げます。」

33呂梁の滝で泳ぐ男

孔子觀於呂梁,縣水三十仞,流沫四十里,黿鼉魚鼈之所不能游也。見一丈夫游之,以為有苦而欲死也,使弟子並流而拯之。數百步而出,被髮行歌而游於塘下。

孔子が呂梁を見ると、滝は三十仞、流れる泡は四十里で、鼈も鰐も魚も泳げない所だった。一人の男がそこで泳ぐのを見て、苦しいことがあって死ぬつもりだと思い、弟子に流れに沿って助けさせた。数百歩で上がってきて、髪をほどいて歌いながら堤の下で遊んだ。

34水を踏むのに道があるのか

孔子從而問焉,曰:「吾以子為鬼,察子則人也。請問,蹈水有道乎?」

孔子が追って問うた。「私はあなたを鬼だと思ったが、よく見れば人だ。尋ねたい。水を踏むのに道があるのか。」

35水の道に従って私意を加えないだけだ

曰:「亡,吾无道。吾始乎故,長乎性,成乎命。與齊俱入,與汩偕出,從水之道而不為私焉。此吾所以蹈之也。」

言った。「いいえ、私に道はありません。私は古い習いから始まり、性に育ち、命に成りました。渦とともに入り、湧き出す水とともに出て、水の道に従って私意を加えません。これが私が水を踏むゆえんです。」

36古い習いと性と命とは何か

孔子曰:「何謂始乎故,長乎性,成乎命?」

孔子が言った。「古い習いから始まり、性に育ち、命に成るとは、どういうことか。」

37そうなるわけを知らずにそうなるのが命である

曰:「吾生於陵而安於陵,故也;長於水而安於水,性也;不知吾所以然而然,命也。」

言った。「私が丘に生まれて丘に安らぐのが古い習いです。水に育って水に安らぐのが性です。私がそうなるわけを知らずにそうなるのが命です。」

38梓慶が木を削って鐘掛けを作る

梓慶削木為鐻,鐻成,見者驚猶鬼神。魯侯見而問焉,曰:「子何術以為焉?」

梓慶が木を削って鐘掛けを作ると、掛けができあがって、見る者は鬼神かと驚いた。魯の君が見て問うた。「あなたは何の術で作るのか。」

39七日斎戒すると自分の手足と体を忘れます

對曰:「臣,工人,何術之有!雖然,有一焉。臣將為鐻,未嘗敢以耗氣也,必齊以靜心。齊三日,而不敢懷慶賞爵祿;齊五日,不敢懷非譽巧拙;齊七日,輒然忘吾有四枝形體也。當是時也,无公朝,其巧專而外骨消;然後入山林,觀天性,形軀至矣,然後成見鐻,然後加手焉,不然則已。則以天合天,器之所以疑神者,其是與!」

答えた。「臣は職人ですから、何の術がありましょう。それでも一つあります。

臣が掛けを作ろうとするとき、敢えて気を損なったことがなく、必ず斎戒して心を静めます。三日斎戒すれば、敢えて褒美や爵や禄を心に抱かず、五日斎戒すれば、敢えて非難や誉れ、巧みや拙さを心に抱かず、七日斎戒すれば、ふと自分に手足と体があることを忘れます。

このときには公の朝廷もなく、その腕が専らになって外の乱れが消えます。そのうえで山林に入り、天の性を見て体つきの極まったものを探し、そのうえでできあがった掛けが目に見え、そのうえで手をつけます。そうでなければやめます。

つまり天で天を合わせるのです。器が鬼神かと疑われるゆえんは、これではないかと思います。」

40東野稷が馬を御する

東野稷以御見莊公,進退中繩,左右旋中規。莊公以為文弗過也,使之鉤百而反。

東野稷が馬を御することで荘公に会ったが、進むも退くも墨縄に合い、左右に回るのも規に合った。荘公は飾り絵でもこれには及ぶまいと思い、百回めぐって帰らせた。

41稷の馬はつぶれます

顏闔遇之,入見曰:「稷之馬將敗。」公密而不應。

顔闔が彼に出会い、入って拝して言った。「稷の馬はつぶれます。」公は黙って応じなかった。

42やはりつぶれて帰る

少焉,果敗而反。公曰:「子何以知之?」

しばらくして、やはりつぶれて帰ってきた。公が言った。「あなたは何でそれが分かったのか。」

43馬の力が尽きたのにさらに求めたので

曰:「其馬力竭矣,而猶求焉,故曰敗。」

言った。「その馬の力が尽きたのに、なおさらに求めましたので、つぶれると申したのです。」

44適うことを忘れた適い

工倕旋而蓋規矩,指與物化而不以心稽,故其靈臺一而不桎。忘足,履之適也;忘要,帶之適也;知忘是非,心之適也;不內變,不外從,事會之適也。始乎適而未嘗不適者,忘適之適也。

工倕が回せば規にも矩にも合ったのは、指が物とともに移って心で測らなかったからである。だからその心の座が一つになって、ふさがらなかった。

足を忘れるのは履が適っているからであり、腰を忘れるのは帯が適っているからであり、知が是と非を忘れるのは心が適っているからであり、内で変わらず外で従わないのは事と出会いが適っているからである。

適うことから始まって、かつて適わなかったことがないもの、これが適うことを忘れた適いである。

45孫休が扁慶子に訴える

有孫休者,踵門而詫子扁慶子曰:「休居鄉不見謂不脩,臨難不見謂不勇;然而田原不遇歲,事君不遇世,賓於鄉里,逐於州部,則胡罪乎天哉?休惡遇此命也?」

孫休という者が門に来て扁慶子に訴えて言った。「私は郷に住んで修まっていないと言われたことがなく、難に臨んで勇がないと言われたこともありません。それなのに田では良い年に出会わず、君に仕えては良い世に出会わず、村里では客あつかいされ、州や部では追い出されます。それでは天にどんな罪を犯したのでしょう。私はどうしてこんな命に出会ったのでしょう。」

46あなたは至人の自ずからの行いを聞いたことがないのか

扁子曰:「子獨不聞夫至人之自行邪?忘其肝膽,遺其耳目,芒然彷徨乎塵垢之外,逍遙乎无事之業,是謂為而不恃,長而不宰。今汝飾知以驚愚,脩身以明汙,昭昭乎若揭日月而行也。汝得全而形軀,具而九竅,无中道夭於聾盲跛蹇而比於人數,亦幸矣,又何暇乎天之怨哉!子往矣!」

扁子が言った。「あなたはあの至人の自ずからの行いを聞いたことがないのか。自分の肝や胆を忘れ、自分の耳や目を捨て、おぼろに塵や垢の外をさまよい、事のない務めに遊ぶ。これを、為しても頼らず、育てても支配しないという。

いまあなたは知を飾って愚かな者を驚かし、身を修めて人の汚れを明らかにし、明るいさまは日や月を掲げて歩くようだ。

あなたが体を全うして得、九つの穴を備え、途中で耳が聞こえず目が見えず足が不自由になって早死にせず、人の数に入っているだけでもまた幸いだ。それなのにどこに天を怨む暇があろう。あなたは行きなさい。」

47扁子が天を仰いで嘆く

孫子出,扁子入。坐有閒,仰天而歎。弟子問曰:「先生何為歎乎?」

孫子が出て行き、扁子が入ってきた。座ってしばらくして、天を仰いで嘆いた。弟子が問うた。「先生はどうして嘆かれるのですか。」

48彼が驚いて惑いに至るのが心配だ

扁子曰:「向者休來,吾告之以至人之德,吾恐其驚而遂至於惑也。」

扁子が言った。「さきほど孫休が来たので、私は彼に至人の徳を話した。私は彼が驚いて、ついに惑いに至るのが心配なのだ。」

49あの人はもともと惑って来たのに

弟子曰:「不然。孫子之所言是邪,先生之所言非邪,非固不能惑是;孫子所言非邪?先生所言是邪?彼固惑而來矣,又奚罪焉!」

弟子が言った。「そうではありません。孫子の言ったことが正しく、先生の言われたことが誤りなら、誤りはもともと正しさを惑わせることができません。孫子の言ったことが誤りで、先生の言われたことが正しいなら、あの人はもともと惑って来たのですから、何の咎がありましょう。」

50自分の養い方で鳥を養ったのと同じだ

扁子曰:「不然。昔者有鳥止於魯郊,魯君說之,為具太牢以饗之,奏九韶以樂之。鳥乃始憂悲眩視,不敢飲食。此之謂以己養養鳥也。若夫以鳥養養鳥者,宜棲之深林,浮之江湖,食之以委蛇,則平陸而已矣。今休,款啟寡聞之民也,吾告以至人之德,譬之若載鼷以車馬,樂鴳以鐘鼓也,彼又惡能无驚乎哉!」

扁子が言った。「そうではない。昔、鳥が魯の都の郊外に降りたとき、魯の君は喜んで、太牢を揃えてもてなし、九韶を奏して楽しませた。鳥はそこで初めて憂え悲しみ、目がくらんで、敢えて飲み食いしなかった。これを自分の養い方で鳥を養うという。

およそ鳥の養い方で鳥を養う者なら、深い林に棲ませ、川や湖に浮かばせ、蛇を食べさせて平らな陸に置けばそれでよい。

いま孫休は、狭く開いて聞くことの少ない民である。私が至人の徳を話したのは、譬えれば鼠を車や馬に乗せ、鶉を鐘や鼓で楽しませるようなものだ。あの人がまたどうして驚かずにいられよう。」